第三十四

「……起尸きし……」

 

 巫師の術によって地面から現れ、棒立ちになった人の群をみて、ひそりと妃が零した。腐臭が鼻を突く。


 人には三魂七魄が存在する。精神をつかさどる“三魂”、肉体を掌る“七魄”。生きている時にはこの二つが宿り、死すれば離れる。しかし、死後、三魂が散じても、何らかの理由で七魄だけが残ることがある。その、魄だけの存在になったものを、浩では僵尸きょうしと呼ぶ。


 客死した者の遺体を術によってこの状態にし、故郷まで送り届ける“送尸術”というものがある。何らかの理由で術者の統制を外れたり、あるいは正しく葬礼を行われなかったり、恨みを遺して死んだりした場合、術に由らずとも僵尸になることがある。これらの場合、兇暴な人食い鬼と化して人を襲うのだ。襲われた者は新たに僵尸となる。一名を赶尸かんしとも言い、颱では起尸、或いは行尸と呼ぶらしい。厳密に言えば、意味するところは多少違うのかもしれないが。

 

「隠れていて下さい。陰の氣に当てられてしまいます。――これを」


 青龍の目くらましの術は、鬼相手には通用しない。もともと、僵尸は目が見えていない。生者の呼気によって、その存在を把握するという。旣魄は師に授けられている辟邪香のにおいぶくろを取り出して、反論する間を与えず、妃の手に握らせた。己の斗篷を、火に当たらないように妃に被せる。


「きは――」


 流石に顔色を変えた妃に背を向け、旣魄は剣を構えた。集中している旣魄に、妃はそれ以上声を掛けてくることは無い。注意が逸れることの方が危険だと判断した。


「――臾屢師、お前の言っていたことに、これは必要なことなのか……!?」


 苛立ったように、黎駽が巫師に掴み掛かる。


「あまり吼えなさいますな。護符を身に着けているとはいえ、をざわつかせてしまいますよ」

「――!」

「……ここは数十年前まで、魄一族が住み着いておりました。滅びてしまいましたが。ここはその者達の、代々の墓地。この石板が墓標という訳です」


 巫師の手から放たれた札が宙を舞い、僵尸達の体に貼り付く。すると僵尸の群は、ピタリと動きを止めた。


 瞬間、旣魄は動き出していた。


「――お前か、沈旣魄」


 巫師を狙った刃は、黎駽に阻まれた。小さく舌打ちをして、旣魄は再度、巫師を狙う。


「させるか!」


 またもや阻まれた旣魄の眼前に、巫師の手から迸った炎が過る。咄嗟に躱した旣魄の刃が空を切る。そこへ黎駽の刃が迫るが、僅かな身の動きでそれを避け、黎駽へと鋭い蹴りを食らわせた。


「……邪魔するな」

「は……っ……やってくれるじゃねえか……!」


 吹っ飛んだ黎駽が起き上がりながら、好戦的な声を上げた。巫師とのやり取りに、苛々していたのだろう。それを吹き飛ばそうという風であった。

 袖で軽く目元を覆いながら目に入る光を調節し、旣魄は何とか敵の動きを見極めようとする。

 微かな風の動きを感じて剣を動かす。金属のぶつかる高い音が響く。


「はっ。やっぱり……俺より細い癖に、凄ぇ力だな」


 旣魄は少し眉を顰めた。が、すぐ元の表情に戻り、「恐縮です」と素っ気なく返した。


 黎駽の背後で、巫師が低く何かを呟いている。

 また何か企んでいるらしい。さっさとあの巫師を倒さなければ。

 対峙する旣魄と黎駽の横を、銀の閃きが過る。暗器だ。真っ直ぐに巫師へ飛んでいったのは、隠れていた妃が放ったのだろう。


 しかし、巫師には当たらず、何かに弾かれた音が響き、地面に落下する。


 直後、巫師の指図で、棒のように突っ立っていた僵尸達が、一斉に飛びかかってきた。旣魄は抵抗するが、硬直した体は石のように堅く、また重い。それでも投げ、蹴り飛ばし、また剣で斬りつける。


「……次から次へと……」


 怒りを含んだ声がしたかと思うと、背後で、妃の立ち上がる気配がした。


「殿下!?」


 振り向いた旣魄に飛びかかった僵尸の脳天に、彼女の剣の鞘がめり込む。そのまま間髪を入れずに突きを放った。まともに受けた僵尸が吹っ飛んで壁にぶち当たり、地面に転がるが、また跳ねるような勢いで立ち上がり、向かってくる。


 入れ違いに、また別の僵尸が飛びかかってくる。旣魄がその足を切り払う。均衡を崩したところで、飛び上がった妃がくるりと空中回転しながら僵尸達の顔面を踏みつけ、蹴り倒した。


 鮮やかな足技であるが、やはり通常のを大きく欠いている。が、それでも傍目で見る分には十分強烈な一撃であることは確かだ。


「――さすがは彼の“抜山虎女ばつざんこじょ”!! 尸鬼しきどもには普通白打は効かぬが、それでも痛手を与えるとは」


 手を打って、巫師が妃の武功を讃えた。

 「尸鬼」というのが、盧梟での僵尸の呼び方か。


「――なれど、思った以上に毒気にやられているご様子。何故? 白虎を封じたとて、ここまで影響が甚だしく出たりはしますまい。……もしや、」

「ほざけ」


 唸る声がして、僅かに妃の肩が震える。

 その唇から赤い筋が流れ落ちるのが目に入って、旣魄は顔色を変えた。


「殿下!」


 口元をぐいと乱暴に拭って、妃は答えなかった。苦しければ苦しい程に、その光はいや増すのか――巫師を睨み据える金緑の瞳は、強烈な煌めきをなおも放って燃え盛っている。


 が、旣魄は、実の所、妃が立っているのもやっとの状態だということを知っている。だから気が気ではない。おまけに、僵尸は、少しでも傷つけられた人間は同じように僵尸と化すのである。旣魄とて、もし傷つけられたら、どうなるか分からないのだ。それでも、敵を前に、一歩も退かないのは、――、その矜恃なのだと思われた。


「――ああ、成る程!!」


 直後、妙にうれしげな声を、巫師が発した。


「そちらの方だけかと思ったが、あなたもなのですね」


 妃の動きが固まる。直後、巫師の言葉を遮るように、斬りかかる。が、僵尸達に阻まれた。


「颱の皇太子殿下。――あなた様にも、魄の血が入っているのですね? 白打に多少なりとも、退魔の力が宿るも道理」


 妃は答えず、ただ巫師を睨んだ。旣魄は心の中で、やはり、と頷く。


 少し前、気を失っている妃の爪が、己と同じように銀に染まっているのを見たのだ。前からそうだったのではない。ここに来てからだった。


 要因は、場か。或いは、白虎の守護を封じられたことと、関わりがあるのかもしれない。

 巫師が新たな指示を出す。


 一瞬、金緑の目と目が合う。


「――……」


 言葉は無くとも、その意を読み取って、旣魄は身を翻す。

 旣魄と妃は背中合う形で、応じる構えを見せた。


 戦っている間に数を倍した僵尸がかかってくるのを、それぞれが剣で応じる。



“――旣魄。何故俺を呼ばない”


 僵尸達と切り結ぶ旣魄に、浧湑えいしょの声が響くが、彼らの前で、青龍を出すわけにはいかない。故に、出てくるな、と強く心の中で言い含める。怒りの声が上がるが黙殺し、剣を揮った。


 一方、二人が僵尸達に注意が向いている間、じっと様子を見ていた巫師が、黎駽に何事か耳打ちする。

 黎駽は、気乗りしなさそうな声を発する。が、渋々頷く。

 

 そして、僵尸に紛れて二人に近づいていった。


――――――――――

【補足】「僵尸(殭尸/キョンシー)」


「僵」の字義は“こわばる”の意。

人偏が尸偏かばねへんに変化した「殭」は、

“死んで固くなる”“死んで腐らない”の意です。


すると、「僵(殭)尸」とは、“死んで硬直した(尸)”の意味です。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る