第三十五

 後から後から、切れ目なく襲い来る僵尸を躱し、弾き、斬りつけ、応戦していた旣魄と妃だったが、突如また、揺れが来た。


 それも、これまでに無い程に長く、激しい揺れだった。

 轟然たる音が、まるで悲鳴の様に鳴り響く。

 閉じた空間に、咳き込むほどの強烈な臭気が立ち込め、僵尸達の放つ腐臭と混ざって、さしもの旣魄も頭痛を覚え、呼吸も苦しくなった。


 妃は、と目を転じた直後、金属の高い音が響いて、彼女の手から剣が落ちた。


「――殿下!」


 駆け寄ろうとした旣魄に、僵尸が立ち塞がる。

 その瞬間、闇にも鮮明に、その瞳が蒼い光を帯びる。


「――退けっ!」


 低い声と共に揮った剣が、目の前の殭尸を脳天から真っ二つに断つ。

 そのまま、もう二体を斬り捨てる。


「お動きなさいますな」

 

 巫師が言い放つ。いつの間にか、妃に近づいていた黎駽が、苦々しい表情で彼女に自身の剣を突きつけていた。


 動きを止めた旣魄を、僵尸達が取り押さえた。

 と、巫師が近づいてきて、旣魄をしげしげと見下ろした。


「心配せずとも、あなた様に害は加えませぬ。貴重な“月寵子げっちょうし”です。生きた月寵子など――どこかに身を隠している魄の王しか残って居らぬと聞いておりましたが、……これは運が良い」

「……月寵子?」

「あなた様のように、銀の髪、銀の瞳、銀の爪を持つ、月の女神の愛し子のことですよ」


 眉をひそめて、巫師の言葉を繰り返した旣魄に、慇懃な態度で巫師が答える。


「よく見れば、三十年程前に見た――月寵子の姫の面影がある。――あの姫は惜しいことをしました。とんでもなく腕の立つ同族の護士ごしが常に傍に居た故、手出し出来なかったのです。しかし、その凄腕の護士が毒気に倒れたお陰で、漸くあと一歩というところまで追い詰めることができたのですよ。結局逃げられてしまいましたが。――因みに。月寵子にこの山の毒気は大した脅威ではないが、一般の魄人には猛毒なのですよ。只人よりも却って回りが早い。故に、元々数の少なかった魄人達は、次々と死んでしまったのです。そう、そちらの――颱の皇太子殿下のように」


 まさか、……と旣魄は息を詰めた。


「ふふ、完全には目覚めていないのですね……。それ故、あなた様は魄のことも、月寵子のことも、何もご存知ない。ただ、それも時間の問題。あなた様も感じているでしょう? ご自身が変わっていっていることに。魄人同士は、近くに居ると“共鳴”――に力を増すのですよ」


 確かに、己の回復力の高まりを感じたのは、――妃が浩に来てからだ。

 機嫌が良いのか、対して巫師は、うたうように言葉を続けた。


「この幻冥山は、魄一族終焉の地。それを語るに、ここ以上に相応しい場も無いでしょう。――彼らは、遙か彼方の、あの大寒凜連峰を超えてやってきたと云います。昊とは異なる言語を操り、独自の文字を持ち、昊人も持たぬ多くの知識を有していたのです」


 颱の皇宮秘庫で見つけた石版に書かれていたことと、略同じ内容だ。


「彼らは太陽の光を厭い、専ら夜に行動しました。傷を負ってもたちどころに治癒する特別の能力を持ち、昊の民と異なる容貌をしておりました。加えて、昊にはない独特の術体系を持ち、様々の秘技を行ったのです。為に畏怖され、また珍しくも儚く美しい容貌が、人々の負の感情を掻き立てたのですよ。――そんな、欲に駆られた人々が、どんな行動を取ったと思います?」


 巫師の話を、どこまで信ずるべきか。そんなことを考えながらも、旣魄は己の顔色が青くなるのを止められなかった。


 「どんな行動を取った」? ――それはこの、がらんどうになった玄冥山にかつて、魄人がひっそりと生きていたこと。浩の文献に魄の記述が皆無であったこと。玄冥山を、颱帝が、毒気が発生するより昔から禁足地としていたこと。これらの状況が示唆している。


「……お察しの通り、こそが、魄が滅びた原因であり、遥か険峻な大寒凜連峰を命懸けで越えてきた理由でもありましょう。――加えて、魄人を狙うのは人だけではありません。今はぐっと数が減りましたが、昔は妖魔の類はそこかしこにおったのです。そういった人ならざる神怪、妖どもからも魄人は――特に月寵子は狙われたのです。その身に宿る力が、妖魔を惹き付けましてね。一度に捕らえられたら最後、骨までむさぼり尽くされたそうですよ。憐れなことです。恐ろしいことです。完全に目覚めていない状況で、護士もいない状態で、今日まで生き延びられたのは、余程の強運、ということです」


 「憐れだ」「恐ろしい」などと言いながら、面白がるような声音が、耳に不快だった。


「さて。沈公子。取引を致しましょう」

「……取引?」


 眉を顰めた旣魄に、巫師は仮面の下でにやっと笑ったようだった。ゆったりと黎駽が剣を突きつけている妃の傍らまで歩いて行く。


「二日です。それを過ぎれば、この方の命はありませぬ。――せいぜい保って、それ位でしょう。先程申しました通り、この山の毒気は、この方には猛毒ですから」

「――!」

「なれど、二日以内に私が望むものを見つけてきて下されば、呪詛は解いて差し上げます。白虎の守護があれば、毒気なぞ脅威になりません」


 呪詛と毒気について、巫師の言っている事は、確かにそうなのだろう。

 だが、疆域を巡って争っている“颱の皇太子”を倒す機会を、棒に振っても良いほどにとは、一体何か。

 

「先程、魄人は昊人とは異なる様々な秘技を行ったと申しましたが、その秘術の要訣が、いまでもこの山のどこかに封じられて存在するといいます。それが見つけられば、我らの悲願は叶うのです」

「……悲願?」

「――言う訳が無いだろう。邪魔されたくないからな」


 これは、妃に剣を突きつけている黎駽が答えた。


「颱の皇太子殿下はこちらで預かりましょう。悪いようには致しませんよ」


 言外に、何もしなくてもどうせ死にゆく運命だ、と嘯くような声音で、旣魄は静かに目を怒らせた。


「そなたらの言うことなど、信じられるものか。どんな危険が起こるかも分からぬ山中で、実在するかも曖昧な要訣とやらを探る危険を、自らが冒したくないだけだろう!」


 ずっと黙っていた妃が、地を這うような声で言った。


「信じないと仰るのでしたら、それも構いませんが……もし、いらっしゃらないのでしたら、この尸鬼共のいましめを解いて、山から放ちましょう。――大層事になりましょうね」

「……無辜の民の命を盾にするとは!!」


 妃が、金緑の目を怒らせて巫師を睨み付けた。

 距離があるとは言え、玄冥山の麓には、颱の村々が点在する。ここで、僵尸が解き放たれたとしたら。

 見境無しに颱の民を襲い、そして新たな僵尸が大量に生み出されるだろう。

 その被害が、一体どれ程に広がることか……。


「流石名高き颱国の皇太子殿下。立派なお心がけです。――なれど大国・颱に対し、我らは余りに非力です。故に、手段など選んで居られぬのですよ」

「……!」


 妃が、顔を蒼くして黙り込む。


「――承知しました」


 旣魄が頷くと、妃ははっと息を詰めてこちらを見上げた。

 

「……旣魄。……しかし、」


 金緑の瞳が揺れる。途中で言い淀んだ、その言葉の先は、その表情からおおよそ窺えた。

 黎駽も巫師も居なかったら、恐らくこう言ったのだろう。

 

 自分旣魄に何の益も無いのに、と。


「なれど、単に秘術の要訣だというだけでは……もっと具体的に、何を探してくればいいのか言ってください」


 巫師は、満足げに頷いた。


「それもそうですね。『十三靈耀大法じゅうさんれいようたいほう』と申します」

「『十三靈耀大法』?」


 奇妙な名に、旣魄は首を傾げた。


「ええ。それと引き換えと致しましょう。先程も申し上げましたが、急いだ方が宜しいですよ。私が何もせずとも、このまま呪詛が全身を回り切り、毒気に冒され尽くせば、いずれ皇太子殿下のお命はありません。この美しいかんばせも、二目と見られぬ顔になりましょう。因みに、」


 嫌みったらしく言葉を継ぐ巫師に、旣魄は眉を顰める。


「皇太子殿下が、もし薨じられることが有りましたら、その時も尸鬼を放ちます故、悪しからず。無事見つけられましたら、この符を宙に投げ上げて下さい。私どもの元へ案内してくれます」


 僵尸達が退く。立ち上がった旣魄は、巫師から符を受け取り、短く頷く。

 それを見ていた妃が、ふと思い立ったように口を開く。


「行く前に。――預かっていたものを、渡しても?」

「なら俺が渡す。寄越せ」


 黎駽が手を差し出す。


「――どうせ、この状況では何も出来ぬ。何をおそれる」


 鼻で笑ってその手を払い、突きつけられた剣も押しやり、妃はふらつきながら旣魄の方へ寄ってきた。

 巫師も、黎駽も、それ以上は止めなかった。

 民の命を盾に取った以上、彼女が逃げることはないと分かっていたのだろう。

 途中、倒れ掛けた妃を支える。


「殿下」

「預かっていた辟邪香。お返しします」

「――いえ、」


 持っていて下さい、と言うが、妃ははっきりと首を横に振った。


「彼らはこれ以上、わたくしに何かしてくることはないでしょう。わたくしが持っているより、貴方が持っているべきです。何があるか、わかりませんから」


 ごく密やかな声でそう言い、幐を旣魄に返す。それから、被っていた斗篷がいとうを外し、爪先立って旣魄の肩に掛け直した。旣魄が前屈みになると、震える指が伸ばされ、斗篷の紐を結ぶのに、些か時間を要した。


 漸くできあがると、再び旣魄を、硬い表情で見上げる。


「では、――代わりにこれを、預かっていて下さい」


 旣魄は、己の笛子を入れた包みを取り出す。

 受け取った彼女は、その意をたしかめるように、旣魄の目を見上げてきた。


 葛藤は、一瞬。

 続く瞬き一つで、何か心を決めたような金緑につよい色が浮かぶ。かと思えば、花のほころぶように、柔らかく微笑んだ。


「――!――」


 旣魄は、無言のまま、瞠目した。

 何かを装うときの艶やかな笑みでもなく、敵を打ち破ろうとするときの不敵な笑みでもなく。


「――旣魄」


 己の名を呼び、その肩に、再び手を伸ばす。


「“清韻せいいん”。――それが、わたくしのです」


 耳元を、風がひとすじ、駆け抜けた。同時に、月来香の香りが、鼻先を軽く掠める。

 すっ、と軽やかに告げられたその響きが何を意味するか。旣魄は、すぐには理解出来なかった。


「わたくしの命、貴方に預けます。――旣魄なら、きっと、最善の道を見つけ出す筈」


 そう、旣魄にだけ聞こえる大きさで言い、離れた。


「さて、では参りましょう」


 巫師が促すのに頷いて、踵を返す。妃の後ろに、黎駽が続いた。


「――そうそう。もう一つだけ」


 去りがけ、巫師は旣魄を振り返った。


みちは、他でもなく、あなた様の中にあるのですよ」

「――?」


 言うと、巫師の唇から高い音が響いた。

 翼のはためくような音がしたかと思えば、霊光をまとった鳥がどこからともなく飛来する。


 それが、彼らにとっての道標らしい。


 足音が遠ざかる。光も絶え、その場には、禁術を掛けられた、物言わぬ僵尸の群と、旣魄だけが残された。

 が、旣魄もまた、踵を返す。 

 

 前を見据えた月虹の瞳には、蒼く澄んだ炎を静かに宿していた。



―――――――――――――


お読みいただき、ありがとうございます。

動かないとはいえ、僵尸の群の中に一人残されたくないなあ……なんて。


【補足】

皓月が最後に旣魄に告げた「清韻」は、皓月の真名です。


《卷一》第十三に、

「皓月や皦玲というのは呼び名であり、真の名はまた別にある。女人の真名は秘すものとされ、普通、命名した親しか知らない」

とある、これです。


斟の儀で祝文には「名」を書くように言われた皓月が、自分の名を入れるか、皦玲の名を入れるかちょっぴり考えているシーンがありました。

姉妹とは言え、皓月も皦玲の真名は、立場を交換して始めて知った位です。


なお、「普通」とありますから、

そうじゃない場合もあるということです……(*´艸`)♪


【お知らせ】

ここまでで、漸く《巻二》の前半戦が終わりました。


次のページは、お話ではなく、

ここまでの流れの主だったものを時系列順にざっくり総ざらいするページとなっております♪

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