第三十二
声と光が遠ざかる。
ふわりと何か浮上するような感覚がして、唐突に自分の体の感覚を思い出した。途端にまた、全身を巡る苦痛もやってくるのだが、ゆっくり息を吐いて、それを僅かなりとやり過ごそうとする。
体が酷くだるい。
「――!」
暗闇に慣れた目に、微かな炎の揺らめきが飛び込んで、皓月は小さく呻きそうになった。
と、急に口元を塞がれる。同時に耳元で「静かに」と囁く皇太子の声が聞こえた。その緊迫した声音に、今、声を出してはならないということを理解して、皓月は頷いた。それを確認すると、皇太子は手を離した。
軽い足音。光に慣れてきた目に飛び込んできたのは、皦玲と敬義だった。
声を出しそうになるのを押し殺し、気配を極力抑えた。皇太子に目をやる。二人の動きを伺う皇太子の目は、何か物思うようで、皓月は小さく息を詰める。
山を下りるように言った敬義がここにいるのもそうだが、なぜ皦玲が居る。母皇を捜しに来たのか。そう思いつつ、彼らに見つからないように身を縮め、気配を殺してしまったのは、今の皓月は、皦玲にわだかまりを抱えていて、気を許せなくなったからだ。呪詛を受け、弱った姿を見せられないと思った。
あの日から、皓月は、皦玲が分からなくなった。
否、元から分かっていなかったのかもしれない。皦玲は口数が多い方では無く、自分の意見を主張することはあまりなかった。だから、「皦玲だったら、そう思うだろう」「こう感じるだろう」という、思い込みで判断していたところが、無かったとは言えない。
母皇も言っていたように、皓月と皦玲は諍いを起こしたことも無く、感情をぶつけ合ったことも無かった。それは、互いに距離があった、ということでもあった。
涙ながらに、敬義への思いを訴えた皦玲。一体、いつから皦玲は敬義を想っていたのだろうか。
言ってくれれば良かったのに。そう思いもするが、皦玲が想いを自覚したのは、浩へ嫁ぐ事が決まってからだったとしたら、言えなかったのかもしれない。――いずれにせよ、もう過ぎたことだ。
皓月は首を振って、深みに落ちていきそうな思考を払う。
皓月達が今いる空間は、改めて見ると、かなりの人数が集まれそうな程の広さがある。恐らく、前に意識を失う前と、場所は然程変わっていないのかもしれない。
程なくして、二人の気配は遠ざかった。敬義が掲げる松明の炎が遠ざかり、代わって闇がまた深まる。
「……颱の皇太女殿がいらっしゃるとは。――黎駽達と鉢合わせると、厄介ですね」
未だ警戒の濃厚に浮かんだ声で、皇太子が言う。
「母皇を捜しに来たのかと思うのですが……」
それにしては、動くのが遅いように思う。
まるで、皓月が動いているのを知ったから動いたような……。考え過ぎか。
「ご体調はいかがですか?」
「大……」
大丈夫だと反射的に返しかけて、皓月は言葉を詰まらせた。声が、何か酷く思い詰めたような色彩を帯びているように感じたからだ。
直後、カラン、と音が響く。
「――すみません。笛子が」
「笛……」
皓月を抱えて居るため、両手の塞がった皇太子の代わりに転がり落ちた笛子を拾い上げる。
「……最後に聴いたのが、随分前のような気がします」
実際は、半日程度なのだろうが。この暗闇で感覚が麻痺しているのだろう。苦痛の時間は、長く感じる。術を掛けられたのですら、随分前のような気がする。
「……あなたがご所望とあらば、いくらでも吹いて差し上げます。ただ、――今は駄目です」
「黎駽達に、こちらの居場所を教えるようなものですからね」
皇太子は、ほんの少し眉を寄せた。
「それも有りますが。――それ以上に、今の状況で、まともに吹ける自信がありません」
その声に、先程も感じた、言葉以上の何かを感じて、皓月は黙った。
僅かな……恐れのようなもの。
幼い彼を庇って亡くなっていった人々と、皓月を重ね見ているのだろうか。
或いは、皓月に死なれては困ると思っているからかもしれない。皓月は、妃とはいえ、実質、同盟の為の人質である。
「――わたくしは、簡単には死にません。貴方を困らせるようなことはありません」
「……」
皇太子は何か言いたげな表情で黙り込んだ。
絶妙にズレた発言をしたことに、皓月は自覚がなかった。
* * *
「――そういえば、旣魄が皇宮秘庫で見た石版に、うたを記したものがあったと……仰っていましたね?」
ふと思い出したように言ってきた妃の言葉に、旣魄は記憶を手繰って頷いた。
先程の場所から離れ、窮屈な隧道を再び歩き始めていた。旣魄の身長では、ギリギリ頭がぶつかりそうな高さである。
「うた、……ですか?」
「……師傅が仰っていたのです。――わざわざ石に刻んでまで残されたものならば、……そこから魄の重要な手がかりが掴めるのでは、と。母皇上を探す手がかりもみつかるやも」
「『思ひ有れば、則ち言無きこと能はず』――確かに。見るべきものがあるやも知れません。――私が見たのは、五つです。祖先を称え、その来源を誇るうた、子を亡くして悲しみに暮れる母のうた、何かの神を称えるうた、児歌のようなもの、よく意味の取れないものが一つ」
「あの短時間で、そこまで見ていたとは。流石ですね」
にこりと妃が微笑む。が、辛いのを押し殺したような笑みだ。
無理しなくて良いと言いたかったが、逆効果な気がした。或いは、却ってしゃべっているほうが気が紛れるのかもしれなかった。
「私の師でしたらもっと色々とお分かりになられたかもしれませんが」
「
「一言では言い表しづらいですね……。先日、文が来て、近々東宮に顔を出すとのことですから、いらしたらご紹介しますね」
「宜しいのですか?」
「勿論です。貴女は私の妃ですから。師もお喜びになります。ただ……少し……驚かれるかもしれませんが」
再び開けた場所に出た。先程とはまた別の場所の様である。
何となく、この深さも広さも、その全容が掴めない玄冥山中の隧道の深沈とした雰囲気が、一団と強まったような気がした。そして、あちらこちらに石版が埋め込まれている。
手近な石版に近づこうとした旣魄の歩みが止まる。
「――旣魄」
同時に、妃が硬い声で己を呼んだ。
僅かな人の気配。
前から来る。
じゃり、と小石を転がす音が響いた。
「――本当に、こっちで合っているのか?」
「ええ、間違いありませぬ」
「しかし、こう暗い上に狭えと……」
――――――――――
お読みいただき、ありがとうございます!
次話は、ちょこ~っとだけ、ホラーチックな描写がでますので、
苦手な人は第三十四からどうぞ。
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