第二十八(2024/08/04/16:46 加筆修正)

「還魂って、随分物騒な術なんだね。因みに、巫祥ふしょうは、役鬼の術を使っていたというけど。それと招魂も違うってこと?」


 幾何かの沈黙の後、ふと思い立ったように尚王が尋ねた。

 瀏客は、燭台に揺らめく炎を見下ろしながら言葉を継いだ。


「巫祥が使っていた役鬼術は、承命宮で伝えるものとは異なります。あの者は、庾安ゆ・あんの父母の亡魂を操っていました。本来、役鬼術は、彷徨える亡魂を捕らえて支配下に置き、使役する法です。当初は、捕らえた(注)を庾安の父母に装わせたのかと考えていたのですが、詳しく調べてみますと、そうではございませんでした。特定の鬼を呼び出すのは、通常の役鬼術の範疇を超えた、招魂の域にございます。浩巫の行う所ではございません。ですから、――“四靈封じ”と同様に、何者かが巫祥に伝えたのでしょう」

「問題は、それが――誰か、だよね」


 許可された者以外への承伝が禁止された四靈封じ。神木を枯らし、青龍の守護を持つ皇帝や皇太子、そして尚王までもを苦しめた謎の毒。浩のものとは異なる役鬼術。


「もう一つ、分からない事がございます。斟の儀で、玄武像に施された奇妙な術。これも、浩には無いものです」

「――剣呑だねえ」


 軽く笑いながらに言った尚王の口調は変わらずに軽い。

 だが、その水晶玉の如き瞳に宿る光に鋭いものが過ってもいた。それを目にした瀏客は、息を呑んだ。いつか、何故尚王と組んだのか、と問うた瀏客に旣魄が言っていた言葉が、脳裏を過る。


振る舞ってはいるが、真に国を考えているのは推恩だ。――あれは、国の為にならぬと思えば、最も冷厳に判断を下せる男だ”


 その冷厳さで、尚王は実の母や弟を切り捨てた。先日、それを瀏客は目のあたりにした。そして今また、その一端を垣間見た気がした。


「尚王殿下がお会いになった者は、何かを知っていそうですが」

「確かに。――ただ兄上がいらっしゃらない今、颱人が怪しいと、勝手に東宮を捜索する訳にはいかないね。何かを調べている様子だったけど、二度は来ないだろうし。その人は、君が動くべきだ――、と私に言ってきたんだよ。すると、これ以上は動く気がないのかもしれない」

「その時の状況を、お教え願えますか」

「確か、黄泉こうせんのにおいがするって言って……犯人は、人ではないって言ってたんだ」

「“におい”……成る程、確かに颱巫のようですね。浩巫は、只人の眼には見えぬ鬼神を視るを“見鬼”と申しますが、颱巫はにおいで鬼の所在を知ると伺います故。……兎も角、もう一度調べてみます」

「――そう。じゃあ善は急げ。今から行こうか」

「こんな時間に、ですか?」

「何しろ私も今、謹慎の身だからねえ! 目立たない方がいい。でも気になるし? ……心配しなくても、私を止められる人なんて、父上と兄上以外いないよ。太子師巫の君がいれば尚更だ」


 あっはっは、と明るく笑う尚王は既にいつも通りのふわふわした親王殿下である。

 若干の頭痛を覚えながら、しかし何か不吉な予感を感じてか、瀏客は硬い表情で頷いた。


   * * *


「二十歳で青龍の守護を……」


 皓月は、皇太子の言葉を繰り返した。それから僅かに眉を寄せる。

 守護を得る方法は、一般には明かされていない。

 気血の巡る経絡けいらくとは異なる、全身に四靈の力を巡らせる特別な経絡“内靈脈”を開く必要がある。それぞれの守護を持った年長者が、未だ守護を得ていない年少者の身体に霊気を慎重に巡らせることで徐々に開かれていくのだ。それが開かれたところで、儀式を行い、四靈を呼び出し、守護の契約を交わす。この段階で、どのように契約を交わすのかは、四靈の性質や、個々の靈獣の氣質によって様々。とはいえ、おおよそはこのような流れになっている。こうして得た守護の力は安定しているため、この方法で守護を得るのが最も理想的な方法とされた。

 内靈脈を開く役割は、血縁関係にある者、それも近ければ近いほどいい。故に、親が務めることが多い。皦玲の時には、当然、母皇がそれを行った。ただ、齢二で白虎の守護を得た皓月は、この方法で得た訳ではない。


 守護を得る方法は、他にもいくつかある。

 その一つは命の危機が迫った時だ。基本的に、神獣が守護の契約を交わすべき相手は、互いが生まれた瞬間に決まっている。その相手に危機が迫ったと判断したとき、未だ守護の契約を交わしておらずとも、神獣側が守りに入ることがある。半ば強制的に相手の内靈脈を開いた結果、強大な力を得る一方、制御が困難になる場合が多い。――この方法で、皓月は守護を得た。皓月の記憶にはないのだが、母皇が崖から落っことしたのだとか。どんなうっかりだ、とは思うのだが。


「……」


 故に、力は強かったが、幼い頃は、制御にかなり苦労したのである。幽寂の教えで、今はかなり繊細な制御まで可能になった。白虎の守護持ちでない幽寂が、守護の力の扱いに詳しいのは、改めて考えれば不思議だが。幽寂の場合、これを超える不思議なことはいくらでもあるため、何があっても「幽寂先生だから」で、納得させてきたのである。


 いま一つは、それぞれの“気”に対応するが極まった所を抑えることで得る場合もある。例えば、白虎は“かなしみ”、青龍ならば“いかり”、朱雀は“よろこび”、玄武は“おそれ”。――ある感情は、それが極まると、様々な病のもとともなる。そして、あまりに烈しすぎる感情の揺れは、守護持ちに取っては、力の暴走にも繋がる。故に、それを制御する必要があった。ただし、それは無情であればよいという事ではない。

 「楽しみていんせず、哀しみてやぶらず」――即ち、喜んでも喜びに溺れず、哀しんでも哀しみに打ちのめされないこと。中庸を保つことが肝要なのであった。

 守護持ち、あるいは守護を持つ可能性のある者は、こういった感情に囚われやすい宿にあるという。力を得るための、ある種の試練のようなものらしい。

 この方法で守護を得る場合も、それなりにあると聞く。十代の半ばで得る者が多いのも、甚だしく烈しい心理状態に陥り易い年代だからとも考えられる。


「皇宮を離れ、他の皇族との関わりも無く、青龍の守護を持つ可能性を考えて居なかったとあれば、そういうこともありましょうか……」

「……私が守護を得る前に接した唯一の皇族は、青龍の守護を持っていない公子でした。私の剣は、その人から習ったのです」

「優れた剣才をお持ちの方だったのでしょう」


 皇太子の剣の腕は間違いなく、第一級の腕前である。

 すると、その剣の師も、只者ではない。浩の皇族で、剣才を以て知られるのは、皇帝と、もう一人。――現在颱に滞在中の易王いおうである。易王は確か、青龍の守護を持っていない筈だ。


「寝ても覚めても戦いの事しか考えない、狂者ですよ」

「……先程、賊に攫われたと仰っていましたが、……その方とはどこで?」

「賊に攫われたあと、その賊が、討伐されたのです。そこで賊の一味と間違えられたのですが、子どもだったので捕らえることはありませんでした。色々あって、軍中でその人に眼を掛けていただいて、剣を教えていただきました。軍の引き上げの途中、瀏客の叔父君がやってきて、話し合いの結果、瀏客の叔父君の元に身を寄せることとなったのです」


 柔らかな声が響く。ごく落ち着いた響きには、如何なる哀歓も、怒りも無い。彼が口にする言葉の中には、恐らく想像を絶する様々なことがあったはずであった。皇太子の剣は、そういう剣だ。

 だが、今話す声それ自体にあるのは、すべてを飲み込み、受け容れた、湖面の如き静けさだけだ。


 皇太子が、一体どの方法で青龍の守護を得たのか、定かではない。だが、状況を聴くに、普通の方法で得たのではないだろう。


 命の危機に瀕してなのか、或いは――。

 五志で、青龍の木気に対応する感情は、“怒”。

 魂も魄も、ひび割れて抱えきれなくなりそうなほどの烈しい瞋恚いかりを、抱いたことがあったのだろうか。それに、彼の青龍が反応したのだろうか。ただの想像に過ぎなかったが。


「叔父君、……確か、沈垂柳しん・すいりゅう殿と仰いましたか。……穹嶮きゅうけん……」


 改めて口にすると、その言葉の響きに、聞き覚えがある気がした。しかし、頭がぼうっとして考えがまとまらない。


「まさか、……かの穹嶮處人きゅうけんしょじんですか?」

「そのようにも呼ばれておりますね」


 随分たってから、漸く思い至った皓月の言葉に、皇太子が頷き返す。颱にもその名を轟かす大学者である。その弟子ていしというのなら、皇太子の博学も宜なるかな。納得してただ頷いた皓月の顔色を、皇太子が気遣うように見下ろした。

 失礼します、と言って皇太子が額に手を当てた。ひんやりとしたその手が何だか心地が良い。


「まだ熱がありますね……」


 難しげな声で言われて、そうか、などとぼんやり思う。

 幼い頃から殆ど病気をしたことのない皓月は、体調の変化に相当無頓着だった。白虎の守護のお陰である。その為か、そういう類の心配をされたことが無いし、仮に多少の不調を覚えても、鼻で軽くあしらってきた。弱みを見せてはならぬと、教えられていたから。


 指摘されるまで熱を発していることすら自覚していなかったのだ。


 ぼやけた脳裏で、皓月は、笛子の音を聞いた。

 東宮に、夜毎ひっそりと響く、あの――。


「妃? どう――」


 気遣わしげな声。けれども、それに答える力も無く、皓月の意識は闇に飲み込まれた。


   *


 幾つもの人々の笑いさざめく声や、怒声、囃し立てる声が遠くに聞こえていた。

 人々の喧噪から離れ、一人蹲る少女――否、少女と見まごう繊細な容貌の少年は、あちこちに傷を負い、血を流していた。その血が縁取る頬は、その年代には不釣り合いな程の鋭利な線を描いていた。少年の傍らには、また、血にまみれた無骨な剣が放られている。色素の薄い色の瞳が、無感情のままにどこか遠くをみていた。

 

「――こんなところにいたのか、ハク。これはまあ……、、派手にやったなあ。お前、すぐ治るからって……避けられる攻撃くらい避けねば」

「……別に」

 

 丸顔の、いかにも気のよさそうな男が、少年に近づいて笑いかけた。四十頃の兵士だ。冷淡な反応も意に介した風はなく、その隣に座り込む。一方、少年は立ち上がった。細長い包みを男に押しつけるようにしながら渡す。


「おい。どこに行くんだ」

「……血を」

「ん? ああ、行ってこい行ってこい。戻ったら飯にしよう」


 少年は、初めて形の良い眉を顰めた。


「要らない」

「……お前なあ……」


 小言の気配を察したか、少年はすぐに身を返して川へ向かった。

 血を流しに行ったのだ。

 程なくして、髪や頬から水滴をしたたらせながら戻ってきた少年は、待ち構えていた男を見て手を差し出す。預けた荷物を返せという事だろう。


「それより先に。ほら、食いもん。少しは食べないと。体がもたねえぞ」

「……いい」

「そうは言っても、お前。もう何日も水ばっかで、全然食べて無いだろう。ますます痩せたんじゃないか?」


 男の声は、少年を心から案じる響きで、それを少年も感じたのだろう。

 いかにもといった様子で焼餅を受け取ると、少年は口に運ぶ。咀嚼して飲み込むも、突然眉を顰め、口元を押さえて立ち上がった。少年の肩が震え、嘔吐く音が低く響く。


「おい。大丈夫か? ――水だ」


 青ざめた顔で戻ってきた少年に、男が水を渡すと、こちらは素直に受け取った。

 

「困ったなあ。ものが食え無いんじゃ……霞を食って生きる訳にはいかんだろうに」

「……」


 水で口元を清めてから、少年は再び俯く。食べない以上に、嘔吐したことの方に体力を使ったような様子に、男は溜息を吐いた。


「……何か食えそうなものはないのか?」


 少年は力なく首を横に振った。やれやれ、といった風に男が少年の包みを手渡した。


 少年はその包みから笛子を取り出すと、気を取り直すように奏で始めた。

 始めは低く。次第に高く伸びやかに響いて、軍営の夜に融けていく。柔らかく慰撫するような、音。

 しかし、その響きが含むのは、それだけではないようにも思われた。


 九天に掛かる銀弓は為に揺さぶられ、その周りに遊ぶ星辰の群もまたその音に身を震わせた。――かかる無情の物をして、動かさずにおかぬ音色である。有情の者は言うまでもない。


 胸を突くような音が、傍らでその音に耳を傾ける男の、やや離れたところでその音を漏れ聞いた者達の涙を誘う。


 その音が、唐突に途絶える。

 こちらへと近づいてくる、幾つもの気配を感じたからだ。


「――お前か。賊のところから玄應忠げん・おうちゅうが拾ってきた、いくら斬られても死なぬ孺子こどもとは」


 大柄な男だった。

 一般の兵卒とは明らかに異なる、豪奢な戦袍に身を包み、焼けた皮膚には無数の傷跡が趨る。黒髪には白いものが混じるも、青い瞳は鷹のように鋭く、峭刻とした顔つき、全身から漲る威圧感などは、いかにも戦場こそが己の居所と見定めた者の佇まいだ。


「――易王殿下!?」


 丸顔の男は、度肝を抜かれたような表情をしたかと思えば、慌てて平伏した。が、少年は現れた男をただ見返した。


「お、おい、ハク……」

 

 男は、皇族を前に全く怯む様子も無く、跪く様子もないのに狼狽した声を上げる。が、少年は意に介した風もない。


 彼にはわかっているのだ。


 男に対して、自分が平伏する必要などないのだということを。そんな、落ち着いた表情であった。


「あの笛子の音は、お前か。随分と孺子には似合わぬ複雑な音を出す」


 向かい合った男は、少年が手にした笛子を見て、静かにそう言うと口を閉じた。

 それから、自分を見返す少年の瞳をしげしげと見つめる。その瞳の奥に眠る、を探りあてるように。直後、男は一転して獰猛な笑みを浮かべ、剣を抜いて、少年の脳天目がけて振り下ろした。


 少年は、身を返してそれを避け、放っておいた剣を拾い、続く斬撃を受けた。何が来るかを、完全に予測していた動きだ。が、男の圧倒的な膂力の前に、少年は余りに軽すぎた。敢え無くはね返されつつも、剣から手を離すことはない。


 砂だらけになって転がりながら、反撃の姿勢に転じた少年の静かな――諦念に満ちた少年の瞳に、炎が宿った。

 少年が剣を揮う。見覚えのある動きだ。――対して易王は、少年の動きに瞠目した。


「驚いた。……お前、その剣法、どこで学んだ」


 僅かに少年の剣が、易王の腕を掠め、血がにじみ出す。だが、易王は意に介した風もなく、半ば呆然とした声で少年に問いかけた。


「……見て、」


 少年は、男を見上げてそう言うと、視線を逸らした。既に先程過った炎は鳴りを潜めている。それも、男から自分への殺気が消えたことを察したからだった。


「『見て』? まさか――俺が剣を振るうのを見て、――それだけで、か。……なんとも、まあ……なんたる……はっ、」


 直後。男は、心から愉快そうに、声を上げて笑った。


「我が子を始め、弟子たちも皆、耐えられずに死んだ。――だが、天は未だ俺を見放していなかった!! 『奇貨居くべし』!! まさしく『奇貨』よ……ああ、」

「……?」


 どこか異様な――狂気をも帯びた風情の笑いに、再び少年は警戒の色を浮かべて、男を見返した。


「痩せ過ぎな上に童女のような顔だが、気骨のある目だ。動きも良い上に、何より賢い。――お前、俺の所に来い。お前ならば俺の剣を教えてもだろう」



――――――――――――

【補足】

8月4日 16:46 わかりにくそうな所を、一部加筆しました。


注「」 死者の魂、亡霊を指す。所謂人の形をして角の生えた妖怪の「おに」ではありません。

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