第二十七

「――妃? 大丈夫ですか」


 話の途中で、急に妃の体から力が抜けたことを悟った旣魄は声を掛ける。だが、反応が無い。何度か声を掛けてみるが、同じことだった。熱は下がる気配は無い。先程薬は飲ませたが、果たして効果があるか……。


「旣魄。見つけてきたぞ」


 浧湑の声に、はっと我に返る。その手に、先程の蛇が握られている。一体どういう結び方をしたのか、丸く結んで、その尾と、頭を押さえつけている。


「手を出せ。――こいつは尾と牙に毒があるから気をつけろ」


 旣魄は嫌そうに眉をしかめてから、手を出した。

 浧湑は、手早く蛇の皮を爪で裂いて、そこから溢れた血を、旣魄の手に落とした。柳眉を顰めて、それを口に含む。


「気分はどうだ?」

 

 今すぐ吐き出したいのを堪えながら、旣魄はそのまま飲み込む。


「……わざと言ってるのか?」

「?」


 少し恨めしげに言う。旣魄の言葉が理解できなかったらしい浧湑は首を傾げた。


 先程の蛇の奇襲で、旣魄は妃の足もとに迫っていた蛇を一匹仕留め損なって噛まれていたのだった。

 蛇は、大陸北方から東にかけて生息する“黒華蛇”であった。頭部に白く花のような紋様が入っていることから、そのように称される。非常に強い毒性を持っており、その解毒には、専用の解毒薬もあるのだが、手元にない時には、生きた黒華蛇の血を服用する必要があった。


 旣魄は、怪我は簡単に治る。一方、死にこそ至らぬものの、毒は抜けるのに多少時間が掛かる。その分、苦痛が長引くのであった。解毒する方法があるのなら、早急に解毒するに越したことはない。


 故に浧湑は、逃げた黒華蛇たちのあとを追ったのであった。


 水筩すいとうの水を口に含み、蛇の血で汚れた口元を清めて、旣魄は息を吐いた。味を感じはしないが、気分的なものだ。


「――!!」

 

 傍らで、気を失っていた妃の肩が震えた。一気に覚醒したと見えて、金緑の瞳が開かれる。それを察してか、また浧湑は姿を消した。

 眼を開いてもなお真っ暗なままであるのに戸惑いを覚えたらしく、瞳が虚空を彷徨う。


「……夢……か?」


 誰にともなく、呟いた声が落ちる。


「お気づきですか?」

「旣魄……?」


 旣魄が声を掛けると、何か腑に落ちないような表情で、旣魄を見返してきた。

 彼女が身を起こすのを手伝って、その様子を窺う。

 妃はまだ頭がはっきりしない様子で、額に手を当てた。


「――!?」


 その指先に眼を留めた旣魄は、小さく息を詰めた。


「……沈、垂柳……? 穹嶮……? 離宮を出た後は、その方の元に向かったのですか……? どうも、混乱しているようです……」

「……なぜ、それを?」


 旣魄が彼女に話したのは、乳母が毒殺されて離宮を出た、というところまでだった。

 その直後、妃が意識を失ってしまったのだ。


   * * *


 皓月は額に手を当てたまま首を左右に振る。

 どうも何か、混乱しているらしい。短い間、夢を見ていたらしかった。皇太子が話していた内容を、夢にも見たのだろう。だが、夢にしては妙に現実感のある夢だ。皓月の想像だけでは補えないような細部までも、鮮明な。

 それも、皇太子の反応からするに、彼が話していない内容にぴたりと合致する内容らしかった。

 否、それだけではない。この山に来てからか、或いはその前からか、皓月はしばしばこういった夢を見るようになった。しかも、妙にはっきりと頭に残っている。こんなことは、これまでにあまり無かった。

 その感覚は、黒宮に捕らえられたとき、産婆の霊と接触した際、脳内を駆け巡ったそれと、似ているような気がした。


 単なる夢ではないような。


 考えに耽っていた皓月だったが、ふと血の臭いがして、その出所に意識を向けた。


「旣魄。……怪我をしたのですか?」

「ああ。いえ――私の血ではありません」


 歯切れ悪く言う皇太子に首を傾げる。


「……大丈夫なのですね?」


 眼を細めて、確認するように尋ねる。


「ええ。大丈夫です」


 正直、信用がならない。この人は、血を流しながらも平気な顔をしているのだ。――と、自分を棚に上げて、皓月は見えない虚空の先に、皇太子を見上げた。


「ただ、そうですね。とても――今、貴女が淹れてくださったお茶が恋しいですね……」


 いつも通りの口調だが、どこかげんなりとした響きがあった。まずいものでも口にした者のような。皓月は、軽く微笑んだ。


「戻ったら、今回のお礼に、毎日淹れて差し上げますよ。旣魄が望むのなら」

「――、……ええ、お願いします」


 少し、何かに詰まったような声のあと、頷く気配があった。


「そろそろ、参りましょう」


 言うや否や、皓月は皇太子に抱え上げられた。当然、と言わんばかりの態度に、皓月ももう、何も言わなかった。


「さっきの話ですが、……離宮を出て、どうなさったのですか。すぐに沈殿の元へ?」

「ああ。――それが。離宮を出てすぐ、賊に出くわしまして。瀏客と離ればなれになってしまったのです。瀏客は、かなり抵抗して賊に投げ飛ばされ、気絶したのを死んだものと思われ、その場に放置されたそうです。そこへ、異変を察知した師が駆けつけて、助けられたのです。一方、私は先に薬で眠らされて捕まってしまいまして。青龍の守護も当時、得てはおりませんでしたし。――得るとも思ってはおりませんでしたが」


 ――青龍の守護を得る者の特徴たる青い髪や青い瞳を持たず、銀の髪に銀の瞳、銀の爪で生まれたことを思えば、それも無理はない。


 四靈の守護を得るのには、いくつか条件を満たす必要がある。

 その条件は、四靈ごとに異なる。その条件によって、得る時期は前後するが、聞いた話では、概ね十代の半ば頃に得る者が多いようだ。


 皓月が齢二で白虎の守護を得たのは、異例中の異例であった。


 それ故に、皓月は人々の期待を一身に受けたのであった。一方で、そのを知る者は、却って心配もしたのだが―――それはまた、別の話である。皦玲は13の時だった。


「旣魄はお幾つで守護を得たのですか?」

「――二十歳を過ぎてからです」



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