第二十二

「廬梟の頭領殿。一手ご指南頂きましょう」


 戦いの始まる気配を察して、妃が距離を取ったのを背後に感じながら、旣魄は黎駽と向き合った。応じて相手も刀を構えた。


 前回旣魄に割られた面を新しくしたのだろう。今日もまた、玄い面を被っている。背後に控える巫師も、同じような面を被っている。辟邪の為と聞くが、却ってどこか不穏な雰囲気を醸し出している。毒を以って毒を制する類の発想かと思われた。


「へえ。お前……見てくれは颱人らしいが、その剣の構えといい、お上品な話し方といい、お前、――浩人だな。浩人が天敵である颱の皇太子に飼われてるなんてなあ」


 分かり易い挑発だったが、旣魄は応じなかった。のだが、背後から妃が「飼ってなんか無い!!」と反射的に叫ぶ声が響いた。


「小虎。……お前が反応すんのかよ……」


 何故か、その言葉の方に、妙に苛立って旣魄は剣を揮った。


   * * *


 颱の皇太子の護衛と相対して、黎駽が感じたのは竹林の中に立っているような、清々として背筋の伸びるような緊張感だった。


「一手ご指南いただきましょう」


 深く斗篷がいとうを被っていながらも窺える整った顔立ちと、品の良い佇まい。そう大きくも無いのに四方を圧し、よく通る声。さりげなく立っているように見えて、隙が無い。ただの護衛とも思われない。が、江湖を渡る武藝者とも、どこか一線を画している。


 どちらも動かず、一瞬のうちに、視線と視線とがぶつかるあわいに見えない攻防が幾重にも展開された。


「へえ。お前……見てくれは颱人たいひとらしいが、その剣の構えといい、お上品な話し方といい、お前、――浩人こうひとだな。浩人が天敵である颱の皇太子に飼われてるなんてなあ」


 冷冷として黎駽を射貫く眼を見返しながら、揶揄からかうようにいう。生真面目な男なら苛立ちそうな言い方をわざと選んだ。が、反応したのは、目の前の男ではなく、背後で戦いの様子を見守っていた、颱の皇太子の方だった。


「――飼ってなんかない!!」

「小虎。……お前が反応すんのかよ……」


 苦笑いを浮かべ、黎駽は思わず零した。


 颱の皇太子は、男という男を惑わせるような蠱惑的な雰囲気の美女である。ただ、見た目は奔放そうに見えても、男女のアレコレについてはかなり慎重という印象だ。

 否、慎重という以上に、鈍いのだと思っていた。


 だが、今の反応を見るに、少し変わったらしい。


鄧秧子鄧家の坊ちゃんの後――」


 言いかけた直後、目の前の男の殺気が、一気に膨れ上がったのを察した。


 かと思えば、その鋒が目の前にある。黎駽は咄嗟に受け止めたが、想像以上の衝撃の重さに軽く瞠目する。

 すらりとした体躯は、上背こそ黎駽よりあるが、体格ならば間違いなく自分の方が勝っている。が、その激烈な衝撃の先鋒に宿る、凍てつくような剣気。色素の薄い、複雑な色を湛えた瞳には、数えきれぬ程の死線をくぐってきた者の持つ、冷えた落ち着きがある。

 目の前の男は、ただの一振りで黎駽にそれを窺わせた。一方、それをすぐさま看破した黎駽もまた、並の使い手ではない。


「お前。――まだ、名を聞いてなかったな」


 思わぬ強者との遭遇に、闘争心をかき立てられた黎駽は、面の下で好戦的な笑みを浮かべながら問うた。

 男の返事は短い。


沈旣魄しん・きはく

「沈旣魄、か」


 低く、その名を繰り返す。

 中途半端な煽りをするのはやめだ。強者と戦える折角の好機。

 雑音を交えてその鋒を鈍らせるのは、あまりに惜しい。黎駽は己の刀を揮った。


  * * *


 落ち着いて剣を振るう皇太子と、さも楽しげに刀を振るう黎駽。

 両者の戦いの行方を追っていた皓月だったが、二人の向こうで、同じように戦いを見守る、相手方の巫師の様子にただならぬ雰囲気を感じ取った。


(……あの巫師……)


 心なしか、皇太子の事をじっと見ているような気がした。

 身に着けている面のせいで、正確なことは窺えないが、そんな気がしたのだ。


 面と同じく、体格も性別も全て覆い隠すような黒い衣。性別や年齢すら窺われない。気のせいなのかも知れない。


 黎駽は、強い相手と戦うことを好む。さっきまでの軽薄な雰囲気を引っ込めたのは、本気で戦おうという意思の表れだ。皇太子の技倆を認め、その名を尋ねたた以上、黎駽は正々堂々渡り合おうとするだろう。一方、「確認してみましょう」とか言っていた皇太子が黎駽に遅れを取るとも思われない。何を考えているのか、何を確認しようというのか、いまだにピンときていない皓月だったが、それは確信している。ただ、黎駽の不利を悟った巫師がどう動くのかは読めない。余計な横槍を入れないとも言い切れない。


 そうなった時のためにと、皓月もいつでも動けるよう、戦う二人を注視しているように見せながら、さりげなく巫師に注意を払った。


 倒れかけた周囲の木々を薙ぎ払うような勢いで斬りつけた黎駽の刀を、軽く躱した皇太子が身を翻す。黎駽がそれを追う。剣戟のぶつかり合う、激しい音が鳴り響いた。剣気が激しく押し合い、たわみ、波状に広がり風圧となって、彼らの髪や衣を翻す。その凄まじい圧に、皓月は僅かに後ずさる。

 烈しい攻防を繰り広げる両者の姿を、枯れ落ちた木々の向こうに見失いそうになって、皓月は追いかけた。相手の巫師も動いた。


 水の音が、皓月の耳に響き始める。それで皓月は、皇太子の言っていた“確認”の意味が漸くピンときた。


 開けた場所で剣戟を交わす二人に追いついたとき、ちょうど皇太子が、黎駽の刃を躱して、彼の首根っこを無造作に掴んだ所だった。そのまま、片腕で黎駽を軽々と投げ飛ばした。


『――は?』


 皇太子にしては、余りに大雑把過ぎる手に、皓月も、投げ飛ばされて宙を疾駆する黎駽も、間の抜けた声を発した。


 直後、派手な音を立てて、黎駽の身が、濁った川の水の中に落ちる。


 皓月を飲み込もうとした水の柱。それは、無差別に人を飲み込むものなのか、或いは「皓月を」の見込もうとしたのか。それによって、対処は変わる。


 皇太子が確認しようとしたのは、そういうことなのだろうが……。


 途中までは、かなり自然に水辺まで誘い込んでいるようだったのだが、最後の雑さは普段の彼からは、ちょっと想像のつかない所業であった。さしもの皓月も呆気にとられてしまう程であったが、当の本人は涼しい顔で黎駽が沈んだ水面を観察している。


「沈旣魄!! ――てめえ!! ふざけんじゃねーぞ!!」


 再び派手な水音を立てながら、水中から怒鳴り声を発した黎駽は、昨日の皓月のように無残な姿だった。面は水中で落としてしまったのか、怒れる黒い双眸が露わである。


 それを見て、皓月は思わず笑った。


「小虎……」

「そなたも昨日、わたくしのことを笑ったであろうに」


黒い双眸がギラリと光ったようだったが、その視線から隠すように、黎駽の前に皇太子が立ち塞がる。


「ふむ。何とも無さそうですね。……大変お元気なようで」


 追い打ちの様に、皇太子が煽る。


 陸に上がった黎駽は、軽く髪を払って水適を落とすと、ぎろりと皇太子を睨んだ。


「つまんねえことをしやがって……」


 怒りに猛然と突き出した黎駽の刀が、皇太子の斗篷の頭部を掠めた。

 前回、皇太子は黎駽の面を真っ二つにたたき割ったが、今度は皇太子の斗篷が裂け、青銀の髪が零れ落ちた。月虹を宿す銀の瞳まで露わになる。


 直後、狂った様な笑い声が響いた。

 案の定、あの巫師だった。


「――魄の生き残りがまだこの地にいようとは。それも――とは! 何たる幸運。何たる僥倖。あなた様はご自身の幸運に感謝すべきしょう、な」


 昂奮した口調で、皓月は巫師が何を言っているのか、半分近く分からなかった。が、その手が、真っ直ぐ皇太子へと向けられ、そこから黒い邪気の塊のような“何か”が放たれた。


「旣魄!!」


 皓月は咄嗟に、皇太子に向けて、師が護符代わりにと持たせてくれた、あの清瑤靈果茶の包みを投げていた。強力な辟邪の力を持つそれが、放たれた術をはじき返すか、或いは効果を弱めるかしてくれる筈であった。


――が。


「――、白虎の女に邪魔をされてはかなわぬ」


 皇太子を襲うかに見えたは突如軌道を変え、皓月へと向かってきた。

 

「――!?」

 

 そのままの勢いで弾き飛ばされ、皓月の体が宙を浮く。背中を岩石へと強かに打ち付けられ、呻き声が漏れた。と、同時に、口中に血の味が広がった。皓月の頭の中で月靈の苦しむ声が響いて、引き裂かれるような痛みをもたらした。


 荒い吐息が微かに漏れる。胸元を押さえて顔を僅かに歪めた皓月は手を掲げて、風を操る。風の刃が巫師の元に届こうかという直前、四散して消えた。


「なっ」


 愕然と声を落とした直後、激しい揺れが起こった。

 吐き気を催すような強烈な悪臭と、重苦しい――毒気が、肺腑を灼いた。


 倒れ込みながら、己が今立っていた地面よりも、なお深く。何かを超えて。


 ただ、どこまでも。

 

――堕ちる――。


 遠のく意識の向こうで、叫ぶような声が聞こえた気が、した。




――――――――――――――

【補足】

黎駽の台詞にある「秧子おうし」は、苗やつる、生まれたばかりの動物の子という意味が直訳ですが、「(世間知らずでだまされやすい)おぼっちゃん」という意味でも遣われたようです。


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