第十四

「これは、……大変失礼いたしました」


 金緑の目で睨まれた敬義は、馬から下りて頭を下げると、どうとでも取れる言い方をした。

 結い上げた漆黒の髪がさらりと肩を流れ落ちる。よく手入れされた銀の額飾りが目に入って、皓月の目元がぴくりと動く。

 直後、皓月は口を閉じた所を狙って顎を蹴り上げ、そのまま胸ぐらを掴んで投げ飛ばす。

 苦悶の声を上げて地面に倒れた男に素早く暗器を突きつける。


「旣魄。――彼は宰相府の嫡子・鄧敬義とう・けいぎ。颱の皇太女の最側近です」


 皇太子には、事前に打ち合わせておいたので、これだけを言えば十分である。

 男は、皓月の元腹心である。この男は、皓月と皦玲とが、入れ替わりで嫁いだことを知っている、数少ない人間だ。

 一瞬の目の動きで、皓月の意図を読み取り、無駄なことは一切口にしなかったのは流石と言っても良かろう。

 だが、それが却って、今の皓月には苦々しく感じた。


「そうでしたか。――護衛の沈旣魄しん・きはくと申します」


 ぶん投げられて押さえ込まれている敬義を前に、平然と挨拶をしてしまうあたり、彼は矢張り、良い性格をしている。

 挨拶された方の敬義は、それを見上げて顔を引きつらせた。


「わたくしがここに居る理由については察しが付いているでしょう」

「……そうですね」


 おいそれと口に出来る事ではない。故に、敬義もはっきりと口にはしなかった。が、その表情から、現状を彼がしっかりと理解していることを読み取った皓月はそのまま言葉を続ける。


「その件さえ片付いたら我々は帰ります。ですから、敬義。それまで協力なさい」


 帰る、と呟いて敬義は、僅かに視線を虚空に彷徨わせたが、息を軽く吐いて皓月を見上げた。


「……白小姐、貴女のお言葉に、否やなど申せましょうか」


 皓月は答えなかった。代わりに、彼に突きつけていた暗器を離す。


「ここへは一人で?」

「皇太子殿下の命で、二十名ほどが山に入ったのですが、誰も戻ってこないのです」

「それで宰相府の嫡子であるそなたが一人で? ――軽率では?」


 この玄冥山は、禁足の地である。だが、その理由は明かされていない。


「殿下の……ご下命でございます故」


「貴女がそれを仰るのですか」と返ってくるかと思いきや、敬義は視線を彷徨わせたあと、絞り出すように言った。


「忠義なこと」

「臣は――!!」

「誰か来ます」


 皮肉げな口調で吐いた皓月に、焦ったらしき敬義の声を遮るように、皇太子が言った。


廬梟ろきょうの馬の足音だ。数は……』

「――五騎程ですね。どうぞ、お話を続けていらっしゃってください。私は護衛の任を果たすと致しましょう」

「旣魄?」


 言うや否や、彼は瞬く間に小さくなってしまった。止める間もない。

 騎馬を得意とする盧梟の人間は、体格が良く、気性は荒く、敵として侮れない。だが、皇太子の技倆なら、後れは取るまい。

 今は、この男と話をしておくのが先だ。皇太子がいる前では話せないこともある。


「あの武功……並の者ではありませんね。彼は一体何者ですか」

「皇太子殿下が付けて下さったんだ」

「あの引きこもり皇太子が、ですか?」

「それ、旣魄の前では言うなよ。――筒抜けになる」


 何しろご本人様である。流石に本人だ、とまでは言えないが。


「ということは、向こうの皇太子に太太のご不在がバレている、と?」


 “太太”とは一般に身分の高い人の妻への呼称で「ご夫人」「奥様」の意味を表す。が、この場合、暗に颱の女帝を指す。


「……言わねば、わたくしがここに来ることは出来なかっただろう。とはいえ、徒にことを荒立てるような方ではない故、安心しなさい」


 そのつもりがあれば、本人が自ら皓月を追ってくることなどなかっただろう。


「……随分、敵国の皇太子を信頼なさっておられるのですね……」

「――少なくともそなたよりはな」


 眉をひそめて尋ねてきた男を、金緑の瞳をすいと細めて睨めつければ、さも気まずげに目を逸らした。

 もともと、自ら墓穴を掘るような発言をする男では無い。が、何故か先程から敬義は失言に近い発言ばかりをしている。とはいえ、この男と余計な問答をしている場合ではない。

 皓月は、廬梟側と颱側の陣の位置や規模などを聴き出し、今後の動きについていくつか指示を出した。


「一先ずそなたは山を下りよ。先に入った者達も見つけ次第下りるように言う」

「しかし、」


 宜王の話では、どうも母帝はこの山に人を近づけさせたく無かったように思われる。


「話は以上だ」

「殿下。しかし、お一人では」

「――誰に申している」


 声音の変わった皓月に、敬義は戦慄した。呼吸すらままならぬ程の、圧倒的で純然たる怒りの気配に、息をのむ。怯んだ様子を見せた敬義を冷たく一瞥した皓月は己の白虎の背に飛び乗り、高く飛び立った。


「――あの日のことは……殿下……!!」


 敬義が何か言う声が聞こえたが、黙殺した。

 そうしなければ、腹の中で激しく暴れ回る感情が爆発して、抑えがきかなくなりそうだった。

 これは、敬義に対してというよりも、己自身に感じている怒りだ。


『皓月?』


 頭に響く月靈の声が、気遣わしげな響きを帯びている。皓月の葛藤を、月靈は敏感に感じ取っているのだろう。


「……大丈夫」


 小さく微笑んだ皓月の目の前で、突如水の柱が立ち上った。


「!?」

 

 白虎が飛んでいたのは、山沿いに流れるかわ沿い。噴出した水は、そこから巨大な蛇のように立ち上り、白虎に覆い被さる様に、濁った水をまき散らして飛びかかってきた。


 * * *


「――来たか」


 いくつもの怒声を跳ね飛ばし、蹴散らし、一陣の風が駆け抜けた。

 炎の如き朱の髪。燃える意思を宿す朱の瞳。いかにも快活な雰囲気のその男は苦笑した。


「あいつが来ると思っていたが……お前も苦労するなあ。白虎の。あの昏主バカの言いなりとは」

「……青龍が拒んだ故、わたくしが参った。あの頑固者が、無二の親友たる貴殿を手に掛けることなど、できる訳がないからな」

「……だろうな。だが……却ってなかなか残酷だな」

「……」


 ボソリと零した男の呟きなど耳に入らなかったとばかりに、冷冷とした表情をぴくりとも動かさぬよう努めた。その朱に浮かぶ感情も全て。


南大雅なん・たいが。大人しく、貴殿の朱雀を献上せよ。さすれば、反逆の徒たる貴殿も、一族も……見逃されるだろう」

「やれるわけがねえだろうが。わかってんだろうが。あの男が、俺の朱雀相棒を手に入れて何をしようとしているか。――俺と朱雀は一蓮托生。お前と、お前の白虎がそうであるように。あんな外道から不忠と断じられても痛くも痒くもないが、友を裏切る不義不信の謗りは受けない」


 朱に浮かぶ色が濃さを増す。反して、それを見ていた自分の心は、冷え冷えと凍てついていくような気がした。


「……ならば、力づくで奪うまで」

「お前が勝てば、な。……やれんのかよ。お前に、俺が。“火剋金(火は金につ)”――五行の理は、お前も承知しているだろうに」

「それでも。わたくしはやらねばならぬ」

「……西皇后妹君の為か」


 答えずに無言で槍を構える。


「そうかよ。――なら来い」

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