第九

「その前に、まず、なぜ一人で? 従者は」

「はぐれました。探して歩いていたら、先程の通り」


 絡まれたということか。……いかにも身なりの良い、優男風の男が一人でうろついていたらそれは絡まれるだろう。警備の厳しい都なら兎も角、このような有象無象の行き交う辺域ではなおさらだ。


「月靈。悪いが宜王の従者を捜してきてくれ」

『……良いだろう』


 のそりと月靈は起き上がって、そのまま姿を消した。


「それで。――どこから母上が失踪したという情報を得た?」

「我が君の動向は常に把握しております」


 当然、と言わんばかりの表情で、高剣掃は答えた。愚問だと悟って質問を変える。


「なぜ、玄冥山にお一人で行かれたのだろう」

「これは、知る者は側近でもごく一部ですが。……もともと、主君がお一人で玄冥山を訪れることは昔から、度々ございました」

「度々?」


 皓月すら知らない事実である。さすがは元側近と言うべきか。


「少なくとも、年に一度は足を運ばれていたのではないでしょうか」

「その理由は」

「存じ上げません。おうかがいしても教えてはいただけませんでしたので。ただ、何か、定期的に往かねばならぬ事情があったのではないでしょうか」

「禁足地になっているのと、何か関係が?」

「可能性はございます。主君お一人の事情なのか、歴代の方々がされてきたことなのかということが問題になろうかと思いますが。23年前にも、玄冥山へ行ってから数日間、行方が分からなくなったことがございました。まあ、その時は、すぐ見つかったのです。怪我人を見つけて、介抱していたのだとか」


 当時を思い出すような目をしていた剣掃の薄碧の瞳が、皓月に向けられる。銀の額飾りがシャラリと音を立てる。


「怪我人?」

「ええ。出自のはっきりしない、極端に無口な男で……。なれど、その佇まいから、並の人物でないことを見抜いて、主君が皇城に連れていらっしゃいました。――その方が、白小姐、貴女のお父君です」

「――!――」


 皓月は、自分の父を知らない。

 母帝の周囲の者は、剣掃のように、父を知る者もいるようだった。だが、口にすることは憚っているようだった。故に、皓月も深く追求したことはない。


 かろうじて、母帝がかつて、ほんの少し、話してくれただけだ。


「周囲の者が、お父君のことを貴女にお伝えしないのは、本人からそう頼まれているからです。主君の御意志ではありません。ですから、この程度は申し上げたところで特に問題はございません。私には、そんな義理はございませんから。特に親しくもございませんでしたし」


 古参の側近である高剣掃と、ある日突然母帝が連れてきた謎の男。確かに、親しくはならないだろう。


「一番は、幽寂先生が詳しいかと。あの方は、彼のことを以前からご存知なご様子でしたし」

「……幽寂先生が……?」

「ええ。――ところで、『冰暉ひょうき』はどうなさったのです。お持ちにならなかったのですか?」


 『冰暉』とは、皓月の佩刀である。五年前に母帝から賜った。颱の皇太子の佩刀として有名なそれを、皓月は嫁す際、皦玲のもとに置いてきた。


「あれは、白小姐、元々貴女のお父君の佩刀です。貴女の為に置いて行かれたのですから、貴女がお持ちにならなくてはなりません」

「……わたくしは、あれは母に仕えた、ある将軍の佩刀だと」

「そうです。私も一度だけ、あの方があの刀を揮うのを拝見したことがありますが。――まさに、武神の化身のような御方でした。ただ、ご本人が、あまり目立つことを好まなかったのと、そもそも主君にお仕えした時間が短かったものですから、お若い方はご存じないでしょう」


 言って、剣掃は口を閉ざした。何か、物思うような目で、皓月を見て――その向こうに、誰かを視ていた。


「まあ、……いずれ、然るべき持ち主の場所に戻ることでしょう」


 言いながら、皓月の杯に酒を注いだ。皓月は、しばらく言葉をうしなって、酒杯を無意味に傾けた。透明な酒に落ちる燭台の光の煌めきを見下ろして、半ば呆然としながら口を開く。


「では、怪我で致仕し、国を去ったというのは」

「怪我、ではない筈です。が、確かに国を去ったのは本当です。私も彼が今、どこに居るかは存じません。あまりに忽然と、姿を消したものですから。……さて、私が現段階でお話出来るのはこの辺りまでですが、お役に立ちそうですか」


 予想外にもたらされた情報を、皓月はまだ飲み込み切れなかった。が、これに、皓月が既に知っている情報を合わせると、見えてくることはある。


「ああ。とても」

「それは宜しゅうございました。それで、白小姐はどのようにされるおつもりですか」

「兎にも角にも、まずは玄冥山に向かおうと思う。母皇上の消息を探るのが最優先。それと、盧梟側の動きも探りたい」

「私も、追って参ります。必要がございましたら、何なりと仰って下さい」


 皓月は頷いて、肆の者を呼び、漸く食事を開始した。


   *

 

 高剣掃と話している間に、月靈は、難なく宜王の従者を捜してきた。剣掃と別れ、皓月と月靈は宿への道を引き返した。

 結構長く話した様な気がしたが、未だ周囲の肆からは、人々の賑やかなさざめきや弦歌の声が響いている。


 ふと、それら琴瑟の音に混じって、聞き慣れた笛子の音が耳に飛び込んできたような気がして、皓月は足を止めた。


 否、気のせいだ。気のせいに違いない。

  

 夜も酣、色とりどりの灯籠が通りにひしめく諸肆を華やかに照らしている。その界隈を通り過ぎたところで、急にぽっかりと開けた空間へ出た。


 紅に染まった紅葉が影を落として、かわいた香りが柔らかに吹き付ける。それに混じって香るは――間違いなく、辟邪香の香りだった。


 星降る夜に澄み渡る空気の様な、あるいは雨上がりの森林の様に、凜とした――そして、その最後に漂う、仄かに甘い、木蘭の高貴な香り。

 

 気配を察してか、笛子の音が止まる。


「こちらにおいででしたか――良き夜、ですね」


 形のよい唇からその玉笛を外し、いとも美しく、――いっそ妖しささえ含みながら微笑んで――皇太子が居た。日を避けた白い肌や、銀の髪が、夜闇に一層白く浮き上がって、彼自身が仄かに光を放っているようである。


 面倒くさそうな雰囲気を機敏に感じ取ったらしき月靈が、直後、白虎に転じたかと思いきや、そのまま姿を消した。


「ちょっと!? 置いてくな!!」


 半ば悲鳴交じりに言った皓月の頭に、姿なき月靈の声が、響いた。


『夫婦喧嘩は犬も食わぬ、という』

「なんの話!?」

『一言で言うと。――面倒ごとは、御免被る』


 そんな、と絶句した皓月の背後で、いつの間にか近くに歩み寄ってきていた皇太子が、「失礼します」と言うが早いか、軽々と横抱きに抱え上げてしまった。

 例の微笑みを浮かべて見下ろしてくる彼に、易々と背後を取られた驚きと、焦りと恥ずかしさで、皓月は言葉もない。


「――さて。少し、お時間を戴きましょうか」


 この男は、なぜか会う度に、皓月を抱え上げてくるのだが。

 いかにも優美な外見のくせに、抱え上げた腕は力強く、皓月がもがいても小揺るぎもしない。

 沸騰する皓月の脳裏に、それでもふと、閃くものがあった。


 もしかしてこれって、逃げるのを阻止されているのだろうか、と。

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