第八(2024/4/1/11:49訂)

 月靈げつれいの背に乗り、夜中駆け抜けて、一度の休みを挟み、暗くなる前に皓月と月靈は街に降りた。月靈の足なら、目的地である玄冥山は明日にも着く。普通の馬なら10日以上はかかる距離である。


 ここは既にたいだ。とはいえ、浩との疆域国境が近い為か、様々な出で立ちの人々が行き交っている。心なしか、人が以前より多い気がした。


 それは確かに、皓月の気のせいでは無かった。颱の皇女が浩に嫁し、同盟を結んだことで、両国の行き来がし易くなった。颱にあって浩にないもの、逆に浩にあって颱にないものは多い。そこに商機を嗅ぎ取る賈人商人たちが積極的に往来していたのだった。


 皓月は、身軽な颱の衣裳を露店で買い求めてさっさと着替えると、橋の欄干に寄りかかって、人々の流れを眺めていた。


「――!」


 ふと、雑踏の中に見知った背中を見つけた気がして、皓月は顔を上げた。

 追いかけようとしたところで、名を呼ばれた。


「――宿はあちらの通りに集まっているらしい。……どうした?」


 もう一度雑踏に目をやる。

 既に先程の姿は雑踏の中に紛れて、見当たりそうも無い。


「……いや……」


 改めて振り返り、見上げる。白と緑色を基調とした長衣が視界に入る。次いで、皓月を見下ろす眼と眼が合う。


 長い雪白の髪、切れ上がった金緑の瞳は凛々しく、目元に入れた朱に仄かな色香を漂わせた青年は、人の姿を取った月靈である。髪や眼の色合いも、顔立ちもどことなく皓月と似ている。並べば血の繋がった兄妹のように見えるだろう。


 颱にせよ、浩にせよ、昼ならば兎も角、夜の女の一人歩きは目立つ。今回、街で目立つ訳にはいかないのだ。故に人の姿を取ってもらったが、月靈は余りこの姿を好まない。


「なら、早く行くぞ――歩きにくくてかなわん」


 月靈は、二足歩行がとても……苦手だった。極端に動きが鈍くなるのである。端から見れば却ってそれが優雅な印象だが。


 適当に宿を取り、部屋に案内され、扉が閉まるや否や、一瞬で月靈はもとの虎の姿に戻り、疲れた様子でごろりと横になった。皓月も、上に着ている衣だけ脱いで、牀に横になった。


 軽い休養を取って、目を覚ましたのは、すっかり日が沈んでしまった後だ。軽く寝乱れた髪を整えて、上着を着直し、ながいすで丸くなっている月靈を起こした。こうしていると、ただのでかい猫である。月靈に言うと怒るだろうが。彼は、誇り高い白虎なのである。


「食事に行こう」


 片目だけ開いて小さく息を吐き、月靈はまた人の姿をとる。

 宿の一階が食事を提供する場となっているとは聞いていたが、近くの酒楼へ向かった。

 周囲からは賑やかな人々の話し声や笑い声、弦歌の声が響いていた。

 ふと、人々の話し声を割って、降るような怒鳴り声がして、皓月は眼をやった。


 身なりの良い男が、柄の悪い男達に絡まれているようだった。絡まれている方の横顔を目に留めるや否や、皓月はそちらへ向けてずんずん歩き始めた。


 どうやら、先程、雑踏の中で見た背中は、気のせいでは無かったらしい。


「こんなところで、――何故あなたの様な方が絡まれている、高剣掃こう・けんそう殿」


 皓月は声をかけたのは、身なりの良い方の男――高剣掃だ。

 本来、今回の浩行きの使臣団の代表・宜王である。颱帝が失踪したという報で、周りが止めるのも聞かずに引き返したという。皓月は白虎の風で運ばれたのであっという間だったが、普通の馬では、どんなに早く進んでも限界がある。


 埃よけの外套を風に翻した彼は、皓月の名を呼ぶように口を少し動かしたが、結局そうしなかった。代わりに、


「この年になってからは、珍しい経験なので、どんなことを言うつもりなのだろうと、一通りきいてみようかと。ただ、そんなに面白くはありませんでしたね。私は文弱の徒ですので、この場を一体どうやって切り抜けようかを考えていたところです」


と、のたまった。

 彼の名である「剣掃」とは、その剣でもって世俗の邪気をはらい、心の憂いを払う。といった意味だ。剣客かという響きの名だが、見た目やたたずまいは、本人も言うとおり、いかにも文雅の徒といった、上品で洗練された雰囲気だ。歳は確か、四十も半ばの筈だが、もっと若く見える。

 皓月の問いに答えているようでいて、しっかり相手を煽っている。皓月はあきれた。


「なんだてめぇ!! こっちを無視して話してんじゃねえぞ!!」


 言うが早いか、一人が剣を抜いて剣掃に斬りかかる。剣掃の前に出た皓月は、剣を振りかぶった男の手首を蹴り上げた。男の剣が回転しながら高く舞い上がる。


 飛び上がって剣を掴んだ皓月は、次いで掛かってきた男の剣を振り向きざまに受け止め、数合打ち合い、合間で掌打を繰り出してきた男の横面を蹴り倒し、また剣を揮い、相手の剣を弾き飛ばし、突きつけた。不利を悟ったもう一人が後退した所を、音も無く忍び寄った剣掃の腕が閃いた。


 ぐえ、という何か絞まるような声がして、また一人、倒れる。


 皓月は、視界の端に、剣掃の袖元に光る金属の煌めきを捉えていた。


「わたくしはこの人と話がある。――さっさとどこへなりと行け」


 皓月に睨み付けられ、剣を突きつけられていた男は、ビクビクしながら肯き、倒れた二人を引きずりながら去って行った。


「――手に何を?」

「ああ、これです」


 彼が手にしていたのは、長さ一尺に満たない、金属製の筆型の暗器――判官筆だった。

 目や首、数百存在するという人体の急所――経穴を突いたり、叩いたり、時に武器を受け止めたりといった接近戦用の武器である。状元筆ともいう。


「私は文弱の徒ですので。ああいう手合いに絡まれた時に、出来ることと申せば、相手の意表を突くことくらいです」

「……文弱だなどという自覚がおありであるのなら、何故一人で?」


 とはいえ、相手に音も無く忍び寄ったときの気配の消し方だとか、相手を一撃で昏倒させた腕前は、到底“文弱”で片付けられるようなものではない。


「それは……」


 言葉を探すように、剣掃の目が揺れる。


「……場所を変えよう。ここは人が多い」

「かしこまりました」


 目星を付けていた酒楼に、皓月と月靈、そして剣掃とで入る。全てが個室という、高級な酒楼である。


「――先程はありがとうございました」


 呼ぶまで人を近づけぬよう言い置いて、席に落ち着き、肆の者が置いていった酒でそれぞれに喉を潤す。ややあって、頃合いを見計らったように、剣掃が口を開いた。

月靈はさっさと白虎の姿に戻って、隅の方で丸くなっている。


「失礼ながら、白小姐、と呼ばせていただいても?」

「勿論」


 皓月は肯いた。無難な呼び方だ。大体、颱の皇族が市井に出て行った時には、従者は主をそう呼ぶ。場合によっては“白姑娘”の時もあるが。長年、母帝の側近だった剣掃である。その辺りは慣れたものだろう。


「浩に嫁いだ小姐がここにいらっしゃる所以はお伺いしません」


 皓月は、眉も動かさず、剣掃を見返した。それは、皓月が皦玲の代わりに浩に嫁いだことを全て彼が知っていると言うことを明瞭に示していた。まさか、彼の方からあっさり言ってくるとは思わなかった。拍子抜けした皓月の視線を受け止めた彼は、初めて、ふっと表情を緩めた。


「白小姐は、年々、ますますお母君に似ていらっしゃる」

「――……あの子も、でしょう?」


 皓月の言った「あの子」が、妹の皦玲きょうれいを指していると、剣掃はすぐに察したらしく、表情をまたもとの読み難いものに改めた。


「そうでしょうか? まあ、確かに周囲は不思議な程、気付いていない様ですが。――主君に似ていると、思ったことは、一度としてございませんね。……寧ろ……」


 剣掃の言葉に、皓月は意外を覚えた。

 雰囲気自体は違うが、皦玲の顔の造りが母帝に似ているのは周囲が認めるところである。並んでいるところを見れば、誰も母子関係を疑うことはないだろう。


「己を見ているようです」

「――……」


 どちらも母帝に似た皓月と皦玲は、異父姉妹ながら、やはりよく似ている。

 

 颱の女帝は結婚しない。

 だから、決まった配偶者というのも存在しない。ただし、後継者は女帝の子や血縁である必要はあるので、むろん相手は居る。

 建前上、皇子達の父親というのは公には明らかにされない。皓月の父も、皦玲の父も。しかし、大抵、分かっては居るものだ。


 そして、宜王・高剣掃は、――皦玲の父と目されている人物であった。王に冊封されたのも、それ故であろうと。


 剣掃の言葉は、それを認めた発言である。


「主君の手前、気付いていても言わぬ者も居りましょう。どうぞ、ご安心を。私が白小姐の行動を阻む理由はございません。何よりも優先すべきことがございますから。ですから、お互い、無用な隠し立ては無しで参りましょう」

「願ってもない。――どうやら、有意義な話が聴けそうだな」


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脱文・誤字の修正を行いました。(2024/4/1/11:49)

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