第四(2024/3/24/12:23訂)

 颱の使節が到着し、皓月を始めとする侍妾達全てが呼ばれ、一団を迎えた。病床の皇帝の姿も、監国を任されている皇太子の姿も無い。もしかすると、いつぞやのように巫官になりすましてどこかに潜んでいるかもしれないが。


 “青龍の守護”を持つ皇太子の能力の一つは、視覚を通した認識に働きかけるものだという(正確には、彼の龍は青龍ではなく銀龍だが。発現する能力自体は、ほぼ青龍の守護と同じであるようなので、そのように言っておく)。つまり、そのままの姿で突っ立っていても、別人のように見せることができるということだ。制限も多いようだが。


 先日、失脚した周宰相に代わって、新たに宰相に就任した楊貴仁よう・きじんが対応していた。


 一方、颱側に、皓月が来ると予想した宜王の姿は無かった。燕支との会話の後、確認した名簿には名があったのだが。副使が代表として交渉に当たるようであったため、何かあったのだろう。

 あの宜王が、母帝の命を受けて、それを全うしないなど、考えられなかった。

 彼ならば、仮令、実の親が危篤だとしても、あるいは自身が瀕死の怪我を負っていようと、這ってでも役目を全うしようとするだろう。それほどの忠誠心を持った人物なのである。となれば、考えられるのは、皇帝に、別の役目を命じられたか、あるいは。皇帝自身に、何か大事があったか。そのいずれかだろう。


 皓月は何か、胸騒ぎがした。


 互いに、触れてはならぬことを察してか、浩側に皇帝や皇太子の姿がないことにも、颱の代表である宜王がいないことにも、どちらも示し合わせたように、言及しなかった。


 早速交渉に入るというので、一度東宮に戻ろうとした皓月だったが、視線を感じて、そちらを見た。颱の一行の中の武官の一人が、皓月を凝視していた。


「――!」


 鋭さと上品さを併せ持った、中性的な凜とした顔立ち。浩でも颱でも珍しくも無い黒髪を、肩の辺りで風に遊ばせているその人物。記憶にあるその人の髪の長さとも、色とも違う。が、その顔も、真っ直ぐな瞳も、見間違う筈がない。

 向こうも、皓月が自分に気付いたことを察したのだろう。

 今にも口を開きそうな気配を察し、皓月は、何も言わせまい、と、先手を打って満面の笑みを浮かべた。その笑顔に、その武官――従姉である――風皞容ふう・こうようが怯んだような表情を見せた。


「――皞容王子こうようおうし!! お久しぶりです。あなたがいらっしゃるとは思いませんでしたわ。是非、祖国の話をお聞かせ下さい!」


 思った以上の大声が出て、颱側も浩側も、呆気にとられたようだった。それを幸いに、「では、わたくしどもは、一度失礼致します」と素早く辞去の礼を述べ、皞容の腕を引っ張り、半ば引きずるようにしてその場を辞した。


 それが、端からどう見えるか、皓月はあまり意識していなかった。


  * * *


 皇太子妃宮に戻ってきた皓月は、燕支と皞容を客庁に通し、人払いをした。なお、他の侍妾二人は春栄殿に戻した。

 皓月が、手ずから茶の用意をする間、燕支と皞容は無言だった。手早く茶をととのえた皓月がそれぞれに杯を差し出したが、誰も手を伸ばさなかった。


「……一体、何が……?」


 皞容が口を開いた。様々に考えを巡らせて、やっと出た質問だっただろう。

 それは無論、皇太子である筈の皓月が、皦玲として、ここで皇太子妃をやっている所以への質問であった。


「……それは……」

 

 何と言うべきか、続く言葉が出ない。

沈黙が落ちた。

  

 先に折れたのは、皞容だった。皓月と燕支を交互に見た後、深々と溜息を吐いた。


「はあ。うん。気になることはあるし、小燕が知ってて、私が知らなかったってのは凄~く面白くないけど、……とりあえず、分かったよ」


 頭をガシガシ掻き、漸くお茶に手を伸ばして飲み干した。


「それで、あなた、いつから武官になんてなったの」


 尋ねたのは燕支だ。


「……前から、母上に『お前はおそらく白虎の守護を得ることは一生ない故。自分の食い扶持くらい稼げるようになれ』って言われてて」

「まあ、そうでしょうねぇ」


 燕支がバッサリ言うと、皞容はムッとしたように眉を寄せた。


「――私だってそう思うけど、お前に言われるとなんかムカつくな!」

「二人とも」


 ぴしゃりと言うと、2人はそれぞれ視線を逸らした。


 燕支と皞容は昔から妙に対抗意識を燃やしていた。性格的に合わないのだろう。

 この大陸には、東西南北を守護する四神獣が存在する。即ち、東の青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武である。そこへ黄龍を加え、五神獣と称することもある。

 黄龍は、他の四神獣とは一線を画する存在だ。なお、かつて大陸を統一していた昊は、この黄龍を守護に戴く大帝国であった。が、昊の滅亡後は、黄龍の存在は薄れてしまっている。

 四神獣は、普段は神仙の住まう神界にる。彼らをこちらの世界に顕現させ、その力を身に宿すことを“守護を得る”という。


 颱で“白虎の守護”を持つ皇族は、必要な教育を受け、一定の水準を満たしたと認められたところで親王の爵位を与えられ、独立する。立太子されると、王の身分は失うこととなる。なお、皓月の様に、親王を経ずにすぐ皇太子に立てられる場合もある。

 王号を持つ者が産んだ子は、“王子”と称される。その中で、白虎の守護を得た者は、皇帝の養子となり、“皇子こうし”の身分を得る。そして、必要な教育を経たのち、やはり親王の爵位を与えられる。帝妹たる斌王ひんおう廉王れんおうなどがそれに当たる。


 王爵としては、親王に次ぐ爵位として、群王がある。これは皇太子の子や、功臣、属国の王に与えるものである。宜王がそうである。


 白虎の守護をもたぬ王子の場合、血筋だけで王号を得ることは能わない。その辺りは、皇帝の子でありながら継承権をもたぬ“帝子”と、ほぼ同じである。

 故に、白虎の守護を持つ可能性のない王子らは、自分の将来の身の振り方は早めに考えておく必要があった。


「私は学問なんかこの通り、からっきしだし。腕っ節の強さしかないだろ? どうせ働くなら小月のところで働きたいじゃないか。『なら武挙(注1)にくらいは受かりなさい』って母上が。実技には自信があったし、実際全部、“優”だったけど……。何が大変って、武経七書の暗記!! ここ数年間、母上にみっちり仕込まれて……ああもう、死ぬかと思った……」

「……それは……大変だったな……」


 如何にも謹厳な雰囲気の廉王を思い描きながら、皓月は同情した。十代前半は、頻繁に皓月の元に顔を出しに来ていた皞容が、ここ数年は、以前程ではなかった理由も、その勉強の為だろう。


「ていうか、あんなに段階踏む必要ある!? 県試だの府試だの院試だの……多すぎなんだけど!」


 いかに大変だったかを語る皞容は、皓月が微妙な表情したのに気付かなかった。燕支などは、はっきり「馬鹿かこいつ」といわんばかりの表情である。


 武挙においては、合否は外場実技試験でほぼ決まる。内場と呼ばれる筆記試験は、あるにはあるが、武経七書で特に重んじられる三冊(注2)からしか出題されない。それも、そこから指定した箇所およそ百字程度を書くのみ。武挙を受けに来る者は、学問の苦手な者が多く、豆本の類を持ち込む者もいる。甚だしきに至っては、満足に書物を読めぬ者、字もまともに書けぬ者もいる。毎回、魯魚(注3)の如き誤字あるいは脱字など、妙な解答を作成して、試験官の失笑を買う者は多い。


「それでも、文科と違って、間に覆試(ふるい落とし)を挟まぬだけマシだとは思うけれど」


 合否自体は外場の試験で決まっているため、内場で点がまずくとも、落第はしない。合格者の順位付けの資料になるだけだ。試験官もそれを心得ており、作弊カンニングがあっても、文官を選抜する科挙と違って、まず摘発はしない。

 その程度の扱いなのである。


 まあつまり。


 外場の試験が出来ていれば、武経七書の暗記など、しなくても受かるのである。


(……廉王に、騙されたな……)


 が、その苦労がしなくてもよいことであったと、わざわざ教えてやることは、達成感に輝く皞容の純朴な瞳の前では、とてもできなかった。

 また、試験として課す以上は、勿論、覚えているというのが正しく真っ当な在り方である。


「――で。その髪は? なぜ使節団に?」


 皞容の元の髪色は、腰まで届くほどの見事な白金の髪だった。それが今は、肩の辺りまでの黒髪である。


「ああ。これ? 金緑の眼に、あの髪色じゃあ、身元をバラして歩いているようなもんでしょ? だから染めたの。王子ったって、大した意味も無い。とはいえ、気にする人は気にするでしょ。気を遣われたくないし。軍では、父方の“喬”姓を名乗ってるし。知ってる人は知ってるけど。切ったのはまあ、――気合い?」


 言いながら、首元に垂れた毛先を指先でくるくると弄る。幼子の様な髪型だが、凜とした風貌の皞容にはよく似合っていた。


「あと、使節団に加わったのは、幽寂先生ゆうじゃくせんせいの御指示」

「し……幽寂先生が……。御健勝で?」


 懐かしい人が話題に上がって、皓月の目元が小さく動く。

 皓月の師である幽寂は、一年近く前から閉関修行中で、国を離れる前の挨拶もできなかったのだ。


「うん! お元気だったよ。ちょっと皇太子殿下のことを相談したら、『浩に行っておいで』って、今回の使節団の護衛として話をつけてくださったんだ。先生は……すぐにお分かりになったんだろうなぁ……」


 何を相談したのかは大体予想が付いて、皓月は少し詰まった。が、使節団のことに話題が移ったので、先程の胸騒ぎの所以を確認すべく、口を開く。


「宜王が代表だったと訊いたが、宜王はどうしたんだ?」

「う~ん。他の使臣の人達も、未だあんまり知らないんだけど……」


 皞容は歯切れ悪く、そう前置いてから、本題はごく簡潔に告げた。


「皇上が、数日前から行方不明なんだ。その報せを受けて、途中で宜王だけ引き返したの。副使が結構頑張って止めたそうだけど」




――――――――――――――――――

【注】

1 武挙:武科挙のこと。武科とも。文官を選抜する科挙に対し、武官を選抜する試験。科挙と同様の段階(武県試→武府試→武院試→《武生員》→武郷試→《武挙人》→武会試→《武貢生》→武殿試→《武進士》)を経る。試験科目は騎射と歩射、技勇、武経の暗記からなる。


◆騎射:武科挙の第一段階の試験。馬上から的を射る試験。的を射る回数と合格点は試験の段階に応じて変わる。これに合格することで、第二段階の試験に臨むことが許される。


◆歩射・技勇:武科挙の第二段階の試験。歩射は五十歩隔たった場所から円形の的を射る試験。技勇は開弓(弓を引き絞る力をはかる)・舞刀(長さ三米の青龍刀なぎなたの扱いを試す)・掇石(重量挙げ)の試験。


2 三冊:兵法について論じた、『孫子』・『呉子』・『尉繚子』・『六韜』・『三略』・『司馬法』・『李衛公問対』のうち、『孫子』・『呉子』・『司馬法』の三冊。


3 魯魚:字の誤り。「魯」の一字を二字に引き延ばして、「魚曰(魚曰わく)」と書いてしまう類。


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誤字、脱文を発見したので修正しました。(2024.3.24.12:23)

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