第69話 支えられた勝利の銃声

 疲れ切って動けない俺はどこか嬉しそうな様子の白守さんに膝枕をされながら休まされていた。

 お供え物のように集まってくる保冷材や飲み物を与えられながら音声だけで体育祭の様子を感じている。

立とうと思えば立てるくらいには回復したような気がしたが白守さんの膝枕の感触がそれを許さない。本能的に『ここで死にたい』なんて思う俺も現れたが変態すぎるので心の奥深くに封印した。

 これ以上、白守さんに負担をかけるわけにも行かないので身体に鞭を打って起き上がる。


「あ……」


 白守さんが寂しそうな声を上げたような気がするが体育祭の喧騒にかき消されてしまう。

 大きく伸びをして働かない頭をどうにか動かす。


「白守さん、ありがとう。重かっただろ?」

「ううん」


 白守さんはそう言って首を横に振って否定してくれた。だが確か人間の頭の重さはボーリング玉くらいと聞いた事がある。

 何分かは分からないがその重さを白守さんに預けてしまったのだ。自分の欲望も少しあっただけに罪悪感が湧いてきた。


「にしても騎馬戦の時のアレ、なんだったんだろうな」

「あれは無我の境地だと思うよ。ゾーンとかフローとも言うんだって」


 いつの間にか検索していたらしく白守さんが検索結果を俺に見せてくれる。

 そんな熱心に見たところであまり覚える意味はないだろうが。


「入り方も人それぞれで解明もまだされていないと、へー」

「よくあるのは大切な人──相棒や仲間のことを考えると、ってのは聞いたことあるよ」

「ふ~ん」


 運動部のクラスメイトからでも聞いたのだろうか。こんなに疲れるのだから俺は二度とごめんだ。

 適当な返事をして前を見てると白守さんが俺の顔を覗き込んできた。


「寺川君は誰を思い浮かべたの?」


 白守さんの質問に答えようと考えを巡らせる。

 確かあの時は白守さんの声が聞こえたような気がして──

 ある答えに辿り着いた途端、体中が羞恥で熱くなるのを感じた。


「顔赤くなってるよ。なんかタコみたいで可愛いね」

「う、うっさい!」


 そっぽを向いて誤魔化すように体操服の裾を乱暴に振って熱くなった顔に風を送る。

 しかし白守さんのせいで頭の中が白守さんでいっぱいになってしまい、今やっている競技の様子に集中できない。


「ねぇねぇ、誰なの?」

「だ、誰でもない! これ以上は勘弁してくれ」

「いーやーだー」


 白守さんが駄々をこねながら俺を軽く揺らしてくる。抵抗しようとするが上手く力が入らない。

 普段の動作をするには問題ないがそれ以上のことができない。そんな感覚。

 抵抗も空しく力なく白守さんの肩に寄りかかってしまう。


「そんなの知ってどうするんだよ」

「寺川君の大切な人だもん。知りたいよ」


 頭を預けているのでその表情は見えないがどこか寂しそうな様子が声から感じ取れた。

 その大切な人は白守さんなのに……。これを言ったらどうなるか分からなくて、怖くてなかなか言い出せない。

 でも言ったらどんな反応をするんだろう? 好奇心が一瞬、恐怖心に打ち勝った。この勢いで──


「あのさ、それがしら──」


『1年生クラス対抗に参加する生徒は入場門にお集まりください。繰り返します。クラス対抗の長縄に参加する1年生は──』


 タイミングの悪い放送に俺の言葉が遮られた瞬間、恐怖が好奇心を打ち砕いて前に出てきた。

 首を可愛く傾げる白守さんに対して何も言えなくなってしまい、口を動かすだけ。


「寺川君?」

「いや、なんでもない。ほら、集合かかってるし、行こう。肩貸してくれてありがとう」


 そう言って立ち上がってみせるがふらついてしまう。身体が思うように動かせない。

 このままだと競技に影響が出かねないな……。


「白守さん、俺──」

「ほら行こう」


 ふらつく俺の手を引き、白守さんが引っ張る。ほぼ同時に俺の背中を押す感覚がした。


「頑張ったのに最後の最後に出られないなんて嫌だろ?」

「──でもこのままだと」


 迷惑がかかる。とかけるが構わず白守さんは引っ張り、クラスメイトは背中を押した。せっかく勝つための練習を積み重ねたのに、今のクラスの雰囲気を守るなら今の状態の俺は邪魔すぎる。


「寺川君、変な気は使わないの。『全員で参加する』事が大切なんだよ」


 顔はこちらに向けずに白守さんは陽だまりのような声で言った。自分でもどんな顔をしているか分からないでいると背中を押すクラスメイトが白守さんの言葉を肯定するかのように肩を叩く。

 一瞬、目頭が熱くなったと思ったら腹の奥が空っぽになったような感覚がマシになったような気がした。

 ──これならもう少しだけ頑張れる。


「ここからは自分で行くよ」


 湧いてきた小さなエネルギーを消えないようにと祈りながら白守さん達にそう言って手を解いてもらう。

 なんとかいつも通りに歩ける足を使って入場門へと向かった。


 ***


「本当に大丈夫?」

「ああ」


 白守さんの何度目になるか覚えて無い質問に答える。笑って見せるが白守さんの不安は消えそうにない。

 ソワソワとした様子で俺の手を握ってきてさする白守さん。

 周りの視線が生暖かく感じるが今は気にしないでおこう。とにかく今は動ける体力を温存しなくては。


『次は学年対抗長縄対決です。選手入場』


 先程より雀の涙ほどの体力が回復した頃にアナウンスが流れる。

 1年生の競技はあまり注目されなさそうなイメージであったがそうでもなさそうだ。


「美雪ーーーー!! やってやりなさい!」


 聞きなれたやじが3年生の待機席から聞こえたような気がするが無視しよう。

 待機席の方に控えめに手を振る白守さんを視界の端に映しながら自分達のクラスの縄の所へ移動した。

 縄をまわすクラスメイトが縄を広げ、俺達は練習通りの並びで待機する。


「寺川ーー! 美雪の足引っ張ったら承知しないから!!」


 また聞きなれた野次こえを無視しながら開始の合図を待つ。当たり前のように隣に配置された白守さんも緊張した様子で前を向いていた。

 残り少ない体力を上手く使わないと勝てない。だから最初のチャレンジが重要だ。


「委員長、なにか一言言ってよ」

「副委員長も!」


 無茶ぶりにも近いテンションの言葉がクラスメイトから飛んできた。

 どうやら今は簡単なルール説明などをしている様子。今なら一言二言くらいなら言えそうだ。


「練習通りに楽しくやってこうね!」


 クラスメイトの歓声のような、雄たけびのような声が返ってくる。

 その様子に笑みをこぼしてると白守さんが肩を叩いてきた。


「ほら、寺川君も」

「お、俺も? えっと、俺はえ~っと──」


 急な振りに戸惑っているとスターターピストルの音が響く。

 どことなく『ドンマイ』と言いたそうなクラスメイト達は縄へと集中した。

 練習通り、一定のリズムで縄が回り始める。

 練習通りに回数を重ねていく。隣か、隣の隣のクラスかハイテンポなカウントが聞こえるがすぐに途切れる。焦るな。最終的な回数が多ければ勝てるのだから。


「41、42、43──」


 ここくらいまでは練習通り上手く回数を重ねられている。

 しかし体力が尽きそうになっているのを身体が感覚的に察知した。聞こえる範囲では他のクラスが同じくらいのペースで同じ回数を飛んでいるようだ。

 いかんいかん集中しないと──

 その一瞬、体力が底を尽きかけているせいか上手く地面を蹴ることができなかった。

 ──まずい、このままだと引っかかる。そんな予感が現実になりかけた時。

 横から力強く脇の下あたりに腕が回される感覚がした。確認するまでもない。白守さんだ。

 一瞬、みんなから遅れたもののギリギリで縄が当たるか当たらないかのタイミングで跳べた。すると他のクラスのカウントがとまる。

 なんとか白守さんのおかげで跳べたが俺達も2、3回跳んだ辺りで引っかかってしまった。体力の限界になり、その場でへたり込んでしまう。

 記録は63回。まだやろうと思えば追い越せる回数である。


「寺川君、まだ跳べそう?」


 白守さんの質問に首をゆっくり横に振ることしかできない。

 『諦めるなよ!』と言われると覚悟したがクラスメイトの中からその言葉を発する者はいなかった。

 一部のクラスメイトが審査員をやっている生徒にこれ以上跳べないと申告しに行ってくれる。最初、審査員は首をかしげたが俺の様子を見て首を縦に振ってくれた。

 競技が終わるまでその場での待機を命じられ他のクラスの様子を固唾をのんで見守る。

 残り時間が1分ほどになった辺りで他のクラスが俺達の記録が破られなさそうな雰囲気が漂ってきた。しかし、俺達は歓声を上げることはない。

 俺達の記録を破ろうと躍起になって速度を出すクラスが出てくるが競技の後半になったせいか上手くいかなさそうな様子だ。

 クラスメイトから安堵の息が出たのは残り時間が10秒になったあたり。そして──


 競技の終了を知らせるスターターピストルの音が連続してグラウンドに鳴り響いた。

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