第56話 不意打ち顔合わせ

 並んでから20分~30分ほど待つと席に案内された。店内は小気味の良いジャズが流れていてコーヒーの香りが。波のように漂っている。

 机に置かれた小洒落たメニューを手にした。店名は『ルイジアナの鼓動』というらしい。出し物をしているのは3年生の先輩。

 引きたての豆を使ったコーヒーとサンドイッチやスイーツが売りのようだ。


「何食べたいんだ?」

「パンケーキが美味しそう!」


 パンケーキかぁ……。写真のパンケーキを見るとシンプルではあるがとてもおいしそうである。

 ちょうど先程の少年の相手で気力が削れていたところだ。昼食としては物足りないような気がするが俺も白守さんと同じパンケーキにしよう。


「じゃあ、俺もパンケーキで」

「飲み物は?」

「せっかくだしコーヒーにする」

「私はカフェラテにしようかな」


 流れるような形でとりあえずの注文を決める。端っこで暇そうにしている先輩てんいんを呼んで注文を済ませる。

 待っている間、クラス内を見回しているとふと疑問が浮かんだ。


「そういえばさ、ここには調理スペースないけどどうやって調理してるんだろうな?」

「確か料理は家庭科室から持ってきてるんじゃなかったけ」


 へー、そうなんだ。家庭科室は俺達のクラスがある特別棟の1階にある。ここは2年生と3年生の教室がある教室棟。家庭科室からは少々アクセスが悪い。

 パンケーキくらいならホットプレートでも持ち込んでもいいような気がするんだがな。


「先輩達、大変そうだな……」

「そうだね。先輩達の苦労に感謝して食べないとね」


 白守さんの言葉に首を縦に振って肯定する。外部の人間も来る2日目だ昨日よりも苦戦するだろう。


 ***


「お待たせしました。パンケーキ2つとコーヒー、カフェラテです」


 雑談の内容がスポンジのようになってきた頃、先輩がそう言って給仕をしてくれる。

 パンケーキは分厚いものが3枚も重ねられていた。空腹のせいかパンケーキの塔は写真よりもボリュームがあるように見える。


「じゃあ、食べよっか」

「ああ」


 流行る気持ちを必死に抑えながら白守さんのセリフに答える。

 いつものように手を合わせた。


「「いただきます」」


 いつもより控えめに言った挨拶を合図に俺達は無言でパンケーキの塔の解体にとりかかった。ナイフの重さで切れているのではないかと錯覚するほど、柔らかい。

 付属のはちみつをたっぷりとかけて1口ほおばる。


「うんまぁ」

「美味しいね」


 濃厚なはちみつの甘味に小麦粉とバターの香りが心地よい。まるで花畑で昼寝をしているようだ。

 水分が欲しくなったのでコーヒーカップに指をひっかけ1口飲む。


「にんがぁ……」


 苦みが舌の上にこびりつく。コーヒーは普段飲まないのでよく分からない。苦みの中に酸味があるとか、深みが~キレが~などよく聞くがどこにそんなものがあるのだろうか。

 パンケーキの時よりも早く飲み込み、お冷で舌の上の苦みを流し込む。


「ちょっと私達には早かったのかもね」


 白守さんもカフェラテだったとはいえ、その苦みは健在だったようで顔を少し歪ませる。

 時にはお互いを励まし合い、時にはパンケーキの甘味をうまく利用して苦いコーヒーを攻略した。


 ***


 コーヒーの苦さに逃げるように『ルイジアナの鼓動』から出た俺達は昨日は秘匿されていた中庭の出し物が何かを確認しに来ていた。

 2日目はPTAなども参加して雑貨屋、バザーや綿菓子屋を開催している。そのせいもあってか昨日よりも中庭は大勢の人でにぎわっていた。


「バザーとか、雑貨は前もって知らされてたのになんだったんだろうな?」

「嘘……」


 白守さんからは返事の代わりに戸惑いの声が返ってきた。何事かと思い、白守さんを見るとその視線は少し先で固定されている事に気付く。

 そこには俺の父さんや母さんと近い年齢の夫婦とみられる男性と女性が和菓子屋を開いていた。店頭にあるのぼりには『白や』と独特な筆遣いで書かれている。

 ──ん? 和菓子屋?

 何かが心に引っかかる。

 驚きの表情で白守さんがその和菓子屋へと向かって走った。俺のそれを追いかけるようについていく。


「なんでこんな所にいるの?──」


 買い物をしている人達の邪魔にならない場所で立ち止まり、夫婦? に話しかける。

 そのセリフだけでも察するに充分だった。


「お父さん、お母さん!」


 白守さんの叫びが文化祭の喧騒に大きく響く。何人かが何事かと見たがすぐに文化祭の風景へと戻った。

 えっと……俺は退散した方がいいのかな?


「おう、美雪。驚いただろ?」

「ごめんね美雪。お父さんがどうしても驚かせたいって言っててね」


 線の細いような印象の白守さんのお父さんがニカっと笑っている。白守さんのお母さんは言葉では謝っているものの悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 さすがに親子の間に割って入るほどの度胸はないのでお暇するとしよう。

 親子が会話に夢中なのを確認してその場を去ろうとすると白守さんがノールックで俺の腕を掴む。


「美雪! そいつは──大丈夫、なのか?」

「大丈夫ってことは彼が例の?」


 俺を触っても大丈夫な様子の白守さんに目を真ん丸にして驚く白守さんのお父さん。その様子から白守さんのお母さんは確認するように白守さんに語り掛ける。

 白守さんはそれに対して大きく頷いた。


「え、えっといつも白守さ──娘さんにお世話になってます。寺川です」


 挨拶しないわけにもいかない状況なので気まずい雰囲気に押されながらも挨拶をする。

 柔和な笑顔を浮かべる白守さんのお母さんに対してこわばった表情で見てくる白守さんのお父さん。確か白守さんのお父さんでも白守さんに触れないのだから複雑な気持ちなのだろう。


「娘から話は聞いてますよ~。思ったより可愛らしい子ね」

「か、かわいい?」

「お、お母さん!」


 白守さん以外に言われるのは初めてで素っ頓狂な声が出てしまった。白守さんが恥ずかしそうに叩くふりをする。男としては複雑なんだが……。

 頭の上にリングカーソルでも出ているのかと思ってしまうくらい考え込んでいる白守さんのお父さんはまだ難しい表情をしていた。


「娘が世話になってるな。今は忙しいから後でゆっくり──」

「あなた大変、そろそろお菓子が」

「まずいな。思ったよりも売れるのが早い」

「もう、お父さん。だから多めの方がいいって言ったのに!」

「いや、今の子は和菓子は好かないかなって思ってな……」

「美味しいですからね。白守さんの和菓子」


 白守家が緊急家族会議をしている中、思わずボソっと言ってしまった一言が白守家の視線を集めてしまう。

 やってしまったと後悔するも真っ先に反応したのは白守さんのお父さんだった。


「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」


 力強く頭を撫でられ髪を乱される。

 すると白守さんが少し頬を膨らませた。


「お父さん。そんなことしてる場合じゃないでしょ?!」

「そうだったな」

「美雪もいるんだし、いつものように作ればいいじゃない」

「そう、なるわな。でも店番はどうするんだ? 梅さんもいないから1人だときついだろ?」


 お客をそっちのけで会議が再開される。

 ごもっともな指摘に白守さんのお母さんはニッコリと笑う。……なんか嫌な予感がするんだけど。


「いるじゃない。ここに良さそうなお手伝いが」


 眩しいほどの笑顔がこちらを捉え、少し遅れて父と娘の目が向けられる。


「アムアイ?!」


 嫌な予感的中。思わず言語が英語になってしまう。

 俺の驚きは空しく中庭の喧騒に吸い込まれるだけで抗議の声にはなりえなかった。


「ちょうどいい感じの和服も来てるし大丈夫でしょ?」

「いや、そうだが……」


 少し不安そうな声を上げる白守さんのお父さん。気持ちは分からなくもない。俺も難しいと思っている。


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? お客さんもだいぶ待たせちゃってるしそれに──」


 そう言って静かに白守さんは俺の肩に手を乗せた。

 白守さんの体温が服越しに伝わり、緊張で心臓が早鐘を打つ。


「寺川君なら大丈夫。安心して」

「美雪がそう言うなら……」


 渋々、といった様子で白守さんのお父さんは了承する。

 それに対して白守さんは小さく笑顔を咲かせた。

 待て待て待て待て。そもそも俺の意思はどうなってるんだ? やるなんて言ってないんだが。


「そんなわけだから寺川君、お願いできる?」


 事後確認になっているのはお構いなしに白守さんは上目遣いで聞いてくる。少し潤んでいるように見えるその瞳に俺は抵抗することもできないようで。


「分かったよ。やればいいんだろ」

「ありがと」


 語尾に音符でもつくような弾んだ声で感謝する白守さん。

 白守さんにはお世話になってるしな。それに好きな人の頼みは断り辛い……。

 どちらにしろ受けることには変わりなかったことに気付いたのはその数秒後であった。

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