第43話 日が昇り小鳥がさえずる

 俺の意識を目覚めさせたのは小さな衝撃と暑さだ。比較的涼しいとされる朝であるが今は夏、暑いのが当たり前の季節。

 しかし『住めば都』とはよく言ったものだ。こんなテントでも一晩寝るだけでこんなに愛着がわくものとは思わなかった。

 意識はあるがまだ目を開けずに惰眠を貪る。そして呑気に撫でた胸元の暖かな感触に気付き、意識が覚醒した。


「おはよ。寺川君」


 俺の胸の中でどこか落ち着かない様子の白守さんが顔をこちらに向けて小さくはにかんで挨拶をしてくれた。

 そうだ。俺は……。


「白守さんおはよ」

「なんか安心していつもより寝ちゃった。ちょっと時間過ぎちゃってる」

「そう、だな」


 言われてみると身体がいつもの寝起きより軽い。かも?

 時間も気にせずにこのままでいたい気持ちが勝ってしまい、白守さんを抱いたまま再び目を閉じようとした。


「寺川、起き……て」


 最悪だ。多分、起きてこない俺達を心配した押谷先輩が起こしに来た。押谷先輩は俺達の様子を見るや否や言葉を止め、ただ声の出ない口を動かす。

 慌てて白守さんと飛び起きて誤魔化すように髪などを手で整えた。


「えっと、『おめでとう』なのかな?」

「違います!」

「やましいことは……ありません」


 やっと我に返った押谷先輩は明らかな困り顔で頬をかきながら質問する。

 全力で否定する俺に対して白守さんは自信なさそうに言った。なんで尻すぼみなんだよ。説得力なくなっちゃうだろうが。


「ゆー遅いわよ! もう朝ごはんが……へ~。なるほどね」


 押谷先輩が戻ってこなから心配したのか高荒先輩が様子を見に来たようで俺達を見るとニヤニヤし始める。

 すると高荒先輩は大きく息を吸い、手をメガホンのようにして他のメンバーがいる方向へ向いた。


「今日はおせきは──」

「ストップ先輩! マジでやめてください。洒落にならないですから!」

「え? 違うの?」


 素っ頓狂な声で首をかしげる高荒先輩。あまりの唐突な行動に幼馴染である押谷先輩も驚いた様子を見せる。


「説得力ないかもしれませんけど、その、はい」


 またもやゴニョゴニョと白守さんがそう言って少し頬を赤くする。

 だからそれじゃ疑われる一方だろ……。


「美雪がそう言うなら信じるわ!」


 元気よく言い放ち腰に手を当てウンウン頷く高荒先輩。なんなんだこの扱いの差は……。今に始まったことじゃないけどさ。


「ほら、みんなが待ってるから早く支度して来てね」

「はい」

「うっす」


 返事をすると白守さんは先輩達の脇を通って一旦、自分のテントへ戻った。

 支度、といっても俺はそのまま出るだけだしな。後頭部をかきながら大あくびしながらテントを出る。


「なんかスッキリした顔してるね」


 俺だけに聞こえるような小さな声で押谷先輩が言う。その表情は先程のようなからかうものではなく真剣そのものだった。

 確かに昨日までとは違って身体というか心が軽い。


「そうですね」

「やっぱ何かあったのね?!」

「だから違いますって!」


 俺と押谷先輩の間を割って高荒先輩が入り込む。すかさずツッコミを入れるがその顔はニヤニヤしている。言っても無駄だと悟り、顔をそむけた刹那、視界の端でその笑顔が優しいものとなった。があえて無視する。


「お待たせしました」


 先輩達と騒いでいるうちに白守さんは身支度を整えたようでひょっこりとテントから出てきた。

 押谷先輩は目視で俺達がいることを確認して首を縦に振る。特に何にも言わずに押谷先輩と高荒先輩が並んで歩き始める。朝食は参加者親子より少し早めに施設内の食堂で食べる予定となっている。

 2人で話しながら先導して歩く先輩についていっているとご機嫌な様子の白守さんが俺の手を握る。どうしたものかと一瞬、考え軽く手を握り返した。

 学校で3年の先輩に絡まれていた白守さんを助けた時のことを思い出す。もう遠くの記憶のように感じるな……。

 笑みをこぼしていると白守さんが指を絡めた。


しら──」

「えへへ」


 白守さんは悪戯っぽく笑うと大声を出しそうになった俺の口に人差し指を当てる。

 目の前にいるのはいつもの白守さん、のはずだ。なのに妙に妖艶に見える。思わず出かけた言葉を飲み込んでしまうほどだ。

 一瞬だったはずなのに永遠にも感じた時間は白守さんに手を引かれることで呆気なく終わってしまう。

 未だに混乱していて視覚情報が正確に入ってこない状態で歩いていると急に白守さんが手を離した。

 途端に視界情報を始めた情報が鮮明となる。


 俺達の朝食会場──市民ナチュラルホームの食堂へ入ると先に食べていたメンバーの一部の視線がこちらへ向く。


「ほら、食堂のスタッフさんから一式受け取って。ご飯はセルフだから」

「はい」

「へいへーい」


 適当に返事をすると高荒先輩が軽く頭をはたいてきた。

 小さく「痛っ」と言いながら食堂のスタッフさんから朝食セットを受け取る。

 ご飯に味噌汁、焼き鮭、納豆と漬物少々と絵に描いたような和食だ。

 適当な席に着くと正面に白守さんが座る。


「前いい?」

「お、おう」


 事後申告じゃね? なんてツッコミが出てこなくて少しぶっきらぼうに答えてしまう。

 目、目が合わせづらい……。何もなかった? とはいえ好きな──好きになった人と一晩を共にしてしまったのだ。

 落ち着け落ち着け──


「寺川君、何やってるの?」

「お経っぽいものを頭の中に浮かべて心の中で唱えてる」

「お箸はバチじゃないしお椀は木魚じゃないよ?」

「ハッ、やっちまった」


 集中しようという気持ちが強かったようで無意識のうちにマナーの悪いことをしてしまっていた……。

 反省の念が高ぶりそうな気持ちを必要以上に落ち着かせる。


「はぁ……」

「今日の寺川君、表情が忙しくて可愛い」


 そう言ってから焼き鮭とご飯を口に運びニコニコしながら咀嚼する白守さん。その笑顔に視線が奪われてしまう──じゃなくて!

 ダメだ。白守さんへの気持ちを自覚してからおかしくなってしまった。

 白守さんも俺のことが好きであってくれたら嬉しい。しかし今は俺だけが触れるってだけでそれ以上の関係ではないんだ。勘違いしちゃいけない。


「早く食べないとまたみんな待たせちゃうよ。ほら、あ~ん」

「!?」


 白守さんは自分の箸で俺の焼き鮭をほぐして俺の口元へ運んでくる。

 突然のことに驚いてしまった。いや、何度かこういうことはしただろ。落ち着くんだ。

 大きく息を吐き出して急いで差し出された焼き鮭を口に入れる。あまりの緊張で味が分からない……。


「美味しいでしょ?」

「あ、ああ、塩っ気が絶妙でご飯が進むなぁ~」


 嘘だ。しかし白守さんを心配させるわけにもいかないのでご飯を何回か多めに口に入れる。

 いくら噛んでもお米の甘味を感じない。

 俺が食べている様子を見て微笑む白守さん。どうにかして美味しそうに食べきらなければ……!

 内心、焦りながら味のしない朝食を胃に収める作業をひたすら繰り返した。


 ***


『ありがとうございました!』


 子供達の元気な声がホールの中に響く。体験はこれでおしまいだ。

 2日目は朝食をとる以外予定がなかった。このまま俺達はテント等の片付けをしたら撤収だ。

 次々と帰っていく親子達を見送っていると男の子が1人駆け寄ってくる。

 たっくんだ。


「まお──いたっ」

「お兄さんでしょ? もうすみません」

「いえいえ」


 たっくんのセリフにちょっとしたお笑いコンビのようなツッコミを入れるたっくんのお母さん。

 昨日の件もあったのか大げさに頭を下げる。

 死にはしなかったし別に気にしてないんだけどな……。


「たっくん、楽しかった?」

「うん! お姉さんのおかげでたのしかった!」


 白守さんがある程度の距離を取りながら聞くとたっくんは今までで一番元気のいい返事を返した。こ、こいつぅ……。


「ねぇねぇ、ま──お兄さんとお姉さん。なんか変わった?」

「え?」

「へ?」


 たっくんの指摘に白守さんと顔を見合わせてしまう。がつい目を逸らしてしまった。


「分かったぞ! 喧嘩したな?」

「喧嘩はしてないぞ?」

「なんでそう思ったの?」


 丁寧に白守さんが聞くとたっくんはたっくんのお母さんのことを一瞬見る。

 当の本人ははおやは頭に疑問符を浮かべた。


「だってお母さんとお父さんがねケンカして3日くらいした朝とね同じかんじじがするから」


 どういう意味だ? と首をひねっているとたっくんのお母さんが顔を真っ赤にし始めた。

 今までの何倍もの速度でたっくんの腕を掴んで出口へと向かう。


「主人が待ってるんでした。すみませんね」

「はい。またの機会に」


 そう言って白守さんと一緒にお辞儀をしてその背中を見送る。

 たっくんとはもう会うことはないかもしれない。将来どこかで会えたとしたら今回のことを笑って話せるのだろうか。

 将来の俺は一体、誰の隣に立っているのだろうか。そう思い、ふと隣の白守さんを盗み見した。

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