第35話 夏のせいだ

 更衣室を出るとビーチサンダル越しに地面の熱気が伝わる。

 今は土だからいいが川岸にゴロゴロと転がる石はこれ以上に熱いだろうな……。


「寺川! パラソルとか設置するから手伝って欲しいな」

「へいへーい」


 母音を中途半端にして適当な返事がバレないようにする。

 のそのそのろのろとパラソルを設置したり、していると更衣室から声が聞こえた。


『やっぱ、私学校指定の水着で!』

『馬鹿ね。うちの学校にプールなんてないんだから指定も何もないのよ!』

『でも、こんな派手なの無理ですよ』

『布面積がけっこうあるだけマシでしょ? それとも私のプレゼントを着れないって言うの?』

『そ、それは……』


 他の女子はぼちぼち出てきているのに白守さんと高荒先輩の姿はないなと思ったら白守さんと高荒先輩がもめているようだ。

 白守さんが高荒先輩の荷物を見てたのって、高荒先輩が白守さんの水着を持ってたからか?


「いやぁ、女の子は元気あって良いねぇ」

「それよりも白守さんが心配なんですが……」

「大丈夫だよ。タカーラは本当に人が嫌がることはしないから」

「そうなんですかね?」


 白守さんの拒否具合からして不安なんだが。

 心配だが、今は押谷先輩の言葉を信じて待つしかないか。


『ほら、行くわよ! 恥ずかしがらずに!』

『わ、分かりました』


 そんな会話が聞こえたような気がした時、女子更衣室の扉が開かれる。

 豪快な音を立ててまず出てきたのは高荒先輩。真っ赤なビキニにサングラスと川というより海に行くような装備だ。

 前に少し思っていたが高荒先輩って……。やめておこう。なんかサングラス越しに高荒先輩の視線がこちらに向いているような気がする。


「ほら、美雪そんなの脱いで出てきなさい!」

「やっぱ恥ずかしいですよ……」


 こちらの様子を見ながら出てきた白守さんは恥ずかしそうにバスタオルで身体を隠しながら出てきた。

 今の時点では白守さんの綺麗な足と髪が耳の下あたりで2つにまとめられている所しか分からない。これだけでもなかなか印象が変わるもんだな。


「ほら恥ずかしがらない、の!」


 高荒先輩が白守さんのバスタオルを力づくで剥がす。白守さんの力なら抵抗できたのでは? なんて疑問は浮かんだが俺はそれをただただ見ていることしかできなかった。


 ──そこには俺の視線を留める力があった。他の女子メンバーや高荒先輩には何の興味もわかなかったのになんでだ?

 最初、浴衣のように見えたがそうではない。少々派手ではあるが黒の和柄の水着のようだ。

 上半身は浴衣のようなデザインの上着のようなものの下にサラシにも見える水着を着用している。下半身はパレオだっけか、それにしては短めではある。


「ほら、寺川! 感想は?」

「やっぱ、変、だよね?」

「え、あ、いや、その……」


 高荒先輩が差し出すように白守さんの肩を持って突き出してくる。それでようやく我に返った。

 どういったらいいのか分からずどもってしまう。返事がないせいか白守さんが不安そうに俯きそうになる。


「似合ってるよ。すんごい可愛い」

「だってよ! 良かったわね!」

「はい。ありがとうございます」


 そんなわけでクラス委員会のメンツはこれで全員集合か。

 川なんて泳いだことないから少しでもは行っとかないと損だな。

 振り返って川の方へ歩く。


「やっぱりこうしてみるとタカーラって胸が小さ──」


 押谷先輩が俺が思うことすら許されなかったデリカシーのないセリフを口走った。その瞬間、俺の横に暴風が吹き荒れ瞬く間に押谷先輩が川へ吹き飛ばされる。

 いつの間にか押谷先輩がいた辺りに高荒先輩がいた。

 何が起こったのか分からないまま目を何回か開閉する。えっと高荒先輩がトラ〇ザムでもしたのか?


「よ、寄せればBくらいあるわよ! 失礼ね!」


 寄せれば? B? 何の話だろうか?

 ある考えに到達する前に高荒先輩が素早くこちらに振り返ったので急いで思考を止めた。


「あ、あはは」


 後ろで白守さんはただただ乾いた笑いを上げていた。

 少しすると川から押谷先輩がその手の怨霊みたいに這い出てくる。


「ひ、酷いじゃないかタカーラ」

「女子の体系のことを言ったゆーが悪いわ!」


 押谷先輩は泣きそうな声で抗議するが一蹴される。

 それは──そうだな。こういう時は体系など他人の気にしてそうなことは言わないのがマナーだ。

 今回ばかりは押谷先輩が悪い。うん。


「寺川君は泳げる?」

小学生ガキの頃、水泳習ってたからな」

「じゃあ、早速ひと泳ぎ行く?」

「そうだな。ここまで来たなら泳ぐしかないな」


 俺の言葉を聞いて白守さんが軽く腕を絡めてくる。散歩感覚で川へと向かった。


「仲良いところ悪いけど川に入る前に準備運動しないと、カップルさん」

「そういうのじゃ、ないんですがそうですね」


 何もせずに川に入ったのは先輩の方だろ、と思いつつきっぱりと否定するところは否定して大人しく準備運動をする。


「プール無いのに水着が必要になるなんて思わなかったよ」


 準備体操しながら白守さんが切り出す。いつもより声が弾んでいるように聞こえるのは気のせいではないだろう。


「そうだな。おかげで白守さんの可愛い水着が見れたわけだからこういうのもいいな」

「そういうの、ずるい」

「なにがだ? 普通の感想なのに」

「もういい。あと背中とかに日焼け止め、塗るでしょ?」

「? あ、そうだな。お願いしてもいいか?」


 白守さんが何に対して『ずるい』と言ったのか分からず。頭と胸の内に疑問符を浮かべつつ準備体操を終える。


 ***


「ひっ!」


 大体のメンバーが川で遊んでいる声に俺の情けない声がかき消されそうになりながらも響く。

 白守さんがパラソルの下でうつぶせになっている俺の背中に日焼け止めを塗ったのだ。こういうのに慣れてない俺はくすぐったくて仕方ない。


「もう、暴れないで」

「背中はもう十分だろ?」

「まだここが塗れてないの」

「ひゃっ!!」


 白守さんや、なんか楽しそうにやってないかい?

 俺の反応を楽しむためにわざとやってるだろ?


「絶対塗り過ぎてるって!」

「バレちゃった? じゃあ次、寺川君お願い」

「おう──って!」


 白守さんが水着の上着を脱いでうつぶせになる。露わになった背中はそこだけ雪が積もっているようにも見える美しさ。

 それに俺は触らないといけないのか……。

 緊張とコンプライアンス的な恐怖に心臓が飛び出るんじゃないかと思うほど主張を強くする。

 だめだ。深呼吸、深呼吸。心を落ちつけて無。そう俺は無だ。ただの空気が人にぶつかるだけだ。

 意識をそのままに手に日焼け止めを手に出す。そして白守さんの背中に塗り始めた。


「ひゃうぅ!」


 ダメだ。動揺するな。俺は今地蔵を磨いているんだ。ゆっくり丁寧に撫でるように……。


「なんか寺川君の手つき──きゃっ」

「……」


 今のは危なかった。ダメだ。早くやらないと俺の心臓が持たない。

 そう気づいた俺は素早く作業を終わらせた。


「寺川君。ありがとう」

「あーうん」


 上着を着直した白守さんが笑顔で感謝を告げる。手に残った白守さんの肌の感触を忘れようとしていたので生返事になってしまう。

 ぐぅ、なんだこの感覚は──


「えい!」


 そんな白守さんの可愛い声が聞こえた瞬間、勢いよく水が俺の顔面に直撃する。

 いきなりのことだったので声も出せずに立ち尽くした。


「ってか冷たっ!」

「ひんやりしてて気持ちいいよ」

「にゃろう! やりやがったな!」


 仕返しをするために勢いよく川に入り込む。そして両手いっぱいの水をすくい上げて白守さんへぶつけようとした。


「ふふん。当たらないよ~」


 腰くらいの水位なのに地上と変わらないくらいの速度で白守さんが俺を翻弄する。むしろ水の中の方が早いような気がするんだが。


「ってかそれ、例の古武術だろ?! ずるいぞ!」

「寺川君には言われたくありません~」


 躍起になって白守さんに水をかけようとするが何度かお情けでくらってくれた程度で白守さんの放った水には全弾当たってしまった。


 ***


『ふぁぁ~あ』


 川遊びの時間はキャンプファイヤーの準備がそろそろ始まるという理由で由比先生によって切り上げられた。

 広場に向かう最中、白守さんと俺はほぼ同じタイミングで大あくびをする。

 あまりにも綺麗にそろったので思わず白守さんと笑ってしまう。


「こりゃ、ペース配分間違えたな」

「そうだね。私もはしゃぎすぎちゃった」


 それでも俺は後悔していない。白守さんも同じだといいな。

 でも俺と白守さんは違う。だからこんな期待も無意味かもしれない。

 白守さんは自衛のためもあるだろうが凄惨な過去の象徴でもある古武術を今も使っている。──つまり、白守さんなりに前に進んでいる。対する俺は過去に未だに縛られていいる。カッコ悪すぎて目も当てられない。

 自嘲の笑顔を隠しながら今も突風に煽られるろうそくの火のような決意に人知れずに不安と怒りを感じていた。

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