第29話 校長の詠唱

 雨による湿った空気に我々の汗も混じって不快感が増す7月。

 教室が日焼け止めやら制汗剤の臭いで混沌としている中、我々学生が待ちに待った夏休みが目前に控えていた。

 しかし、その前に我々は拷問という名の試練を乗り越えなくてはならない。──そう、終業式だ。

 入学式は1時間というタイムをたたき出し、上級生を何人か保健室送りにした拷問。

 世間でいうところの『校長先生の話』だ。春はまだ過ごしやすい気温であったから良かったものの、夏はそうはいかない。

 柏藤うちの体育館にはクーラーなんて付いてるわけもなく生徒(と先生)は暑さの中、ひたすら耐えなくてはならない。


「おはよ。今日終わったら夏休みだね」

「そうだな。なんだかんだ短くも長くも感じたな」

「だね~」


 クーラーのきいた教室で突っ伏しているといつものように来た白守さんがいつものように声をかけてくる。

 顔だけ白守さんに向けて息を吐くように答えた。

 白守さんがカバンを机にかけて着席したのを確認して話を続ける。


「終業式ヤバそうだよな。流石に1年生からも保健室に行かされるやつ出るよな」

「あ~……。入学式の時、校長先生の話長かったね」

「今年、例年より暑いんだろ? 大丈夫かな」

「ちょっと怖いね」


 ちょっとで済めばかわいいもんだがな。

 俺は教室に着いた時は汗だくだったのに白守さんはほとんど汗をかいていない。これも習っていた古武術のおかげなのだろうか。

 思わず白守さんに視線が貼り付けられる。袖の短いセーラー服から伸びる腕は綺麗でよく手入れされた髪の毛がつやつやしていて思わず触りたくなってしまう。なんだろ? 高校で会った時より白守さんが可愛く──


「どうしたの寺川君? 私の事じっと見て」

「え、あ。なんでもない。ごめん」


 恥ずかしそうにもじもじしながら白守さんが声をかけてくる。

 正気に戻って慌てて机に顔を押し付けた。


「別にいいけど、どうしたんだろうって」

「本当になんでもないから」


 何でもないわけがない。でも俺はこの感覚をどういえばいいか分からない。

 熱くなった顔を必死に外気と机で冷やそうとするがしばらくかかりそうだ。


「寺川君、変なの。でもなんか可愛いな」


 ***


「今日は気温の関係で終業式は放送でやるぞ」


 少し経って朝のSHRで先生がそう言うと教室がスポーツ歓声レベルの声が上がる。

 多少のラグはあったが隣の教室からも同じように歓声が上がった。

 他の生徒も同じように思ってたんだなと思うと笑みがこぼれてしまう。

 しかし喜びの歓声は先生の咳払いで押し止められた。


「嬉しいのは分かるがその代わり、大人しく聞くんだぞ」


 それに対する返事は小さく、やる気がない。先生はそれを無視して俺と目を合わせる。


「終業式の前に夏休みの宿題の配布もあるからな」


 分かりやすく教室にブーイングの嵐が巻き起こる。マジで今日はスポーツ観戦でもやっているのかといった雰囲気だ。

 端的に言ってしまえば『うるせぇ』だ。


「じゃ白守と寺川はこの後、学年室まで取りに来いよ。これで終わりな」

「はい」

「へーい──いてっ」


 適当に返事すると白守さんが軽く俺を叩く。先生はそれを心配する様子はなく教室から出ていく。

 教室中から妙な視線を感じて見回すがみんな知らん顔して会話したり携帯でゲームしたりとそれぞれの日常に戻っていた。


「ほら、行くよ」

「へいへい」

「もう」


 俺の返事に白守さんは少し頬を膨らませて俺の腕を引っ張る。


 ***


 教室に夏休みの宿題を持ってくるとクラスメイトからの攻撃的な視線が俺を刺す。

 いや、持ってきた俺を責めても仕方ないだろうが。こちとら仕事でやってるんだ。やめろ!

 そんなことを思いつつ何往復かして全ての宿題を教室に運んだ頃には1時限目の予鈴が鳴り響く。


「はぁ……寝れなかった」

「宿題の説明は聞かないとまずいんじゃないかな?」

「白守さんに聞いちゃダメか?」

「他の人に聞いて」


 からかっているのか怒ってるのか分からないような声で白守さんが答える。俺が他のクラスメイトに声かけづらいの分かってて言ってるだろ。

 そう言われたら真面目に聞くしかないが。

 うちでは夏休みの宿題に関しては担当の教師が一定時間で入れ替わり立ち替わりで説明していくようだ。確かに授業中にわざわざ夏休みの宿題の時間を作るよりかは効率的だな。


「まぁ、大体見れば分かるけどな」


 白守さんが無言で小さな手でポカポカと叩いてくる。この威力だと本気で怒ってはないがちょっとムカつくから、といった理由だろうか。

 手加減してくれているおかげで心地よい。


「もう知らない!」

「ごめんて」


 ついには腕を組んでそっぽを向いてしまった。謝ってもうんともすんとも言わなくなってしまう。

 流石にちょっとからかい過ぎた部分もあるので機嫌を取らないと。


「すまん。出来ることならいうこと聞くから、な?」

「本当に?」


 手を合わせてそう言うと少し拗ねたままの表情でこちらに顔を向けてくれる。

 『出来ること』と言ったのだから変なことは言ってこないだろう。


「本当だ」

「じゃあ、お買い物」

「へ?」

「今度のクラス委員会の活動の準備のお買い物に付き合って」


 あ~、まだ詳細が不確定のアレか。

 結局、白守さんの言葉に負けてリアクションをしてしまったから俺も行かなくてはならない。ちょうどいいし、ああいってしまった手前、付き合うとするか。


「ああ、いいぞ」

「じゃあ、いつ行こうか?」

「その前にどこに行くかじゃないか?」

「隣町の複合施設バラエティプラザは?」

「まぁ、あそこくらいしかないか。持ち物が分かり次第だな」


 白守さんの言った複合施設──柏藤バラエティプラザは隣町にある大型の複合施設だ。

 色々な店、映画館や最近は保育施設まで出来た。買い物には便利だが夏休み期間となると人混みが気になる所。


「楽しみだなぁ」


 急に機嫌がよくなったな。女子ってよく分からない。俺なんかと買い物行ったって面白くないだろうに。

 そんなことを思っているといつもとは違う音を立てて数学担当教師が教室へと入ってきた。


 ***


「うげぇ、もうこんな時間じゃねぇか」

「す、すごかったね校長先生の話」


 全くだ。これが体育館で行われていたのなら生徒の半数近くは保健室か救急車に運ばれていただろう。

 2時間近くも続いた校長先生の詠唱はなしは俺の意識を刈り取るには充分だった。

 ゴルフの話を始めた辺りで夢の世界へと逃げ込んでしまうほどだ。

 本来なら昼前には下校となる予定だったが12時飛んで13時ちょい前くらいになっている。


「腹減った」

「そうだね、この時間だとお腹減っちゃうね」


 持ち帰る荷物を雑に置きながらぼやくと白守さんが荷物を整理しながら答えてくれた。


「なんか食って帰るか?」

「う~ん荷物が多いし今日はいいかな」


 そうだな。持ち帰るものが多いので今の状態でどこか行くのは得策ではないだろうな。

 大人しく帰るか。

 鳴りそうな腹を心配していると渋い声の通知音が携帯から鳴る。

 白守さんはすぐに携帯を取り出して開いていた。つまり──由比先生からの連絡だろう。

 荷物を持とうとした手を止めてポケットから携帯を取り出してLANEを開く。


『クラス委員会各位

 終業式お疲れ様です。

 以前、連絡した活動の詳細な予定が決まりました。内容は以下の通りです。


 業務内容 『市民ナチュラルホーム』の親子イベントの運営手伝い

 日時 8月×日~8月〇日(2日間)

 集合場所 正門付近

 ※移動はマイクロバスの送迎が来ます。


 1日目


 9:00 集合、点呼(点呼が終わり次第マイクロバスで移動)

 10:00 市民ナチュラルホーム到着

 10:20 係員からの説明

 10:45 準備

 11:00 親子キャンプ体験開始(昼食作りサポート)

 12:00 昼食

 13:00 レクリエーション(詳しい内容は係員から説明があります)

 16:00 キャンプファイヤー

 17:00 館内へ部屋案内など

 18:00 夕食

 19:30 テント設営

 21:00 消灯


 2日目──』


「て、テント設営!?」


 思わないワードが目に入ったことで全文を読み切る前に思わず大きな声が出てしまう。

 白守さんも驚いているようで少し固まっているようだ。


「私達は部屋で寝れないみたいだね」

「でもテントなんて持ってないぞ」

「テントは貸出してくれるみたい」


 そうだよな。流石にそうじゃないと流石に参加を辞退したくなってしまう。

 いくら夏の日が長いとはいえ、テント設営の時間遅くないか?

 胸の中に今回の活動への期待と不安が入り混じる。

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