第21話 初経験

 活動終了時間が少しだけ過ぎると由比先生が汗を一筋流しながら正門へと出てくる。

 10分か15分くらいおきに様子を見に来ていたのは分かっていたが、それ以外で何かしていたようだ。

 といってもこの後に控えているイベントを考えると何をしていたのか明らかだが。


「すまない。少々準備に手間取ってな。中庭に用意してるから来てくれ」

『はーい』


 一部の調子のいい奴らが元気な返事をして中庭めがけて走る。

 あのな、一応言っとくが先輩の金で食ってるんだからな。なんて先輩も含めた生徒に言えるはずもなく、小さくため息をつくだけだった。


「寺川君、君は乗り気じゃないのかい?」

「あ、いや、みんな先輩の金で食わせてもらってるって自覚あるのか、と思いまして……」

「そんな気にしないでよ。ボクが好きで出したんだから」

「気にしますって。3000円×30人分ですよ? 9万ですよ? 学生にとっては大金ですよ」


 駅前で何日は遊べるんじゃないかと思うほどだ。下手すれば隣町に繰り出したって全然余るくらいの額である。気にするな、という方が無理だろう。

 そんなことを考えてると大切なことを思い出した。ジャージのポケットに手を突っ込み3000円を取り出し、押谷先輩に渡す。


「これ、参加費です」

「別にいいのに……って言っても聞かなさそうだね」

「ええ、この後このことが気になって楽しめせんから」

「そういうことなら受け取るよ。ありがとう」


 お金を下げない俺に根負けしたのか、小さく笑いながら俺の手からお金を受け取ってくれた。大切そうにポケットに入れてその感触を確かめるようにポケットを叩く。


「白守さんも出すって言ってたんで後で俺が受け取って渡しますね」

「分かった。ちゃんと受け取らせてもらうよ」


 目を細めながら押谷先輩はそう答え、軽く肩を叩いてくる。


「なぁに、男2人で話してるのよ」


 後ろから俺と押谷先輩の間に割って入るように高荒先輩が入ってくる。

 押谷先輩にも俺にも強く肩を叩くなんてことはしてこなかった。


「いや、押谷先輩に自分の参加費を渡しただけですよ」

「へ~。ゆー、いい後輩が出来たじゃない」

「そうだね。なかなか面白い子達だよ」


 俺を見てから俺達の向かう先を目で指すように見る。

 釣られて見ると白守さんがこちらを見ながら待っていた。


「ほら寺川の彼女あいかたが待っているよ。女の子は待たせちゃだめだよ」

「そうよ。可愛い子を待たせるなんて彼氏だんし失格よ!」


 なんか引っかかる言い方だな、と思いつつ一理あるなと思った。

 待たせるのは好きじゃない。


「じゃあ一回、白守さんの分のお金、受け取ってきます!」


 先輩達に手を振って白守さんに駆け寄る。後ろからの視線が生ぬるいのは無視するとして。

 中庭さきの様子を見るからにあとは俺達だけのようだ。


「もう、何話してたの?」

「いや、ちょうどよかったからお金渡してたんだよ。今なら白守さんの分も渡しておいた方がいいんじゃないか?」

「そうだね。じゃあ先輩たちのところ行こうか」

「おう」


 返事をして再び先輩たちの元へ戻る。白守さんがポケットから3000円を出して俺に渡す。

 それを押谷先輩に渡すとまた小さく笑って受け取ってくれた。

 高荒先輩はその様子を見て押谷先輩と同じようにクスリと笑った。


「押谷先輩、寺川ひと伝手で渡してしまってすみません。その──」

「大丈夫だよ。白守さんの事情も軽く聞いたから」

「白守さんも大変そうね。異性は寺川君しか触れないなんて不便でしょ?」

「いいえ、むしろそれでよかったと思ってます」

「へ?」


 驚く俺に押谷先輩は少しムカつく表情で口笛を鳴らす。高荒先輩はどこか羨ましそうに微笑んだ。


「本当に面白いね君達は」

「そうね。これからもよろしくね。後輩」


 押谷先輩は俺、高荒先輩は白守さんの肩を軽く叩く。

 なんとも暖かな雰囲気に胸が温まった。そう思うと少し気恥しくなってきたな。

 先輩の手から逃れるように少し先に走り出てみる。


「ほら、主役が来ないとバーベキューが始まりませんよ!」


 他のクラス委員の生徒を背にして押谷先輩と高荒先輩に言う。

 どこか懐かしいような苦いような気持ちがこみ上げてくる。たまにはアクセントにビターなのもいいかもな。


 ***


 吹奏楽部の練習しているであろう音が響く中庭。鉄板と網の前でジャージにエプロンというレア過ぎる姿の由比先生。どこか慣れない様子があり少し心配ではある。

 しかし、いつものような雰囲気をどうにか出してるので名誉のために黙っておこう。


「さて、ほとんどのメンバーがコッチ目当てなのが見え見えなのが少し残念だ。しかし、押谷のおかげで全員集まってくれた。ありがとう」


 中庭にまばらな拍手が響く。痛いところ突かれると態度に出るのはどうかと思うぞ。

 なんて先輩も含まれていたりするので黙っておく。


「会長の押谷、何かあるか?」

「ボクですか。あまりボクのことは気にせずに楽しんでね。大人数で食べるご飯は美味しいからね」


 肯定するような拍手が校庭にまで響きそうなくらい大きい。

 拍手に隠すように苦笑いを吐きだした。白守さんも少し乾いた笑いを上げている。


「全額出してくれた押谷優先だ」

「84000円しか出してないです」

「ん? 確かに90000円受け取ったはずだぞ」

「いや、今は気にしないでください」

「わ、分かった」


 疑問符を浮かべながら由比先生は紙コップに飲み物を入れて周りの生徒達に渡していく。

 流れで俺と白守さんにもいきわたり、他に受け取っていない生徒がいるか念のため見渡した。

 受け取っていないという申告がないため由比先生は自分のコップを掲げる。


「これからのクラス委員会に乾杯!」

『乾杯!』


 間を1つ置いて肉の焼ける音と肉の焼けるにおいがする。

 1年生なのでここは先輩たちに譲ろうと配られた紙皿を手に待機していた。

 押谷先輩が食べる分が焼きあがるかと思った瞬間。


「先生! 焦げてますって、あはははは」


 陽気な生徒の声が耳に刺さる。テンションが高いせいかそれとも若さゆえなのかそのエネルギーは俺の心臓を悪戯に跳ねあがらせた。

 何事かと見てみると薄切りのお肉だったであろう物がススとなって春風に消えていった。

 どうやら由比先生はこういうのは得意ではなさそうだ。

 そうなると誰かに任せた方がいいだろうか、なんて考えていると。


「ボクやりますよ」

「出資してもらった上に焼いてもらうなんて……いいのか?」

「ええ、伊達にお好み焼き屋でバイトしてません」

「ん?」


 調理に回ると申告した押谷先輩の言葉に由比先生は鋭い視線を向ける。

 あ~、確か柏藤うちってバイト基本禁止だったんだっけか、生徒手帳のどっかに書いてあったっけ。


「まぁいい。今回はその、何から何まで世話になる」

「先生、ボクはちゃんと申請してますからね」

「なら安心だ」


 どこか不安そうだった由比先生の表情が晴れた。

 さすがに我らが会長が申請なしでバイトしてるだなんて新聞部も飛びつくくらいのスキャンダルだ。

 先生が不安になるのもうなずける。


「さて、鉄板に網までとなるとボク1人には厳しいかな? 手伝ってくれる人が欲しいかな」


 そう押谷先輩が言うが希望者は出てこない。

 ふいに困ったように微笑む押谷先輩と目が合う。


「よし、寺川君、手伝ってよ」

「え……俺やったことないですよ?」

「いいよいいよ。ボクが教えてあげるからさ」


 そう言って早く小さく手招きをしてくる。全員が待ち望む視線を向けてくるので仕方なく押谷先輩の横──網の下から炭が赤く燃える見える焼き台の前に立つ。

 すると熱が顔を焼かんとしてくる。


「始める前にちょっとごめんね」


 そう言って押谷先輩は網を外して炭をいじり始める。

 俺の左側が炭が多く、右側が炭が少なくなっていて網の下で炭の坂が出来ているような感じだ。


「左で肉の表面を焼いて真ん中でじっくり焼いて右で保温だよ。野菜は焦げやすいから気持ち早めにね」

「は、はい」


 押谷先輩の言葉を心の中で反芻はんすうして返事をする。それに先輩は笑顔で頷く。


「じゃあ、タカーラお届けして!」

「だからピザみたいに言うな! 分かったわよ」


 肉を待ちわびる集団からぴょこっと高荒先輩が出て来る。

 そうして改めてバーベキューが始まった。


「寺川君、私もなんか手伝うよ」


 始めて焼く食材たちとにらめっこしているといつの間にか後ろにいた白守さんに驚きつつも手伝うことあるかと首をひねる。

 意味深な笑顔を浮かべる押谷先輩が白守さんの方へ振り返った。


「じゃあ、白守さんは火の仕事に慣れてない寺若君のサポートをお願いしてもいいかな? 水を持ってきてあげたり、ね」

「はい!」


 元気に返事をする白守さんに『もう1つ』と言わんばかりに人差し指を上げる押谷先輩。


「それとたまに寺川君に何か食べさせてあげてね。自分は焼くのに食べられないなんて可哀そうだからね」

「じゃあ、押谷先輩は高荒先輩にそれやってもらってくださいよ」

「ボクはつまみ食いするからいいよ」


 やんわりと断ろうと手をひらひら振る押谷先輩。何かもう一言言おうと開かれた口に高荒先輩がおよそ一口で食べられない量の焼きそばを突っ込む。


「アタシをパシッた罰よ。たんとお食べ」

「ふがーが、ひんはほはへふふんは」(タカーラ、みんなの食べる分が)


 なんとなく言いたい言葉分かるがその様子を見て俺がゲラゲラと笑う。

 笑いが収まると白守さんがたれのついた肉を恥ずかしそうに俺の口元へ運んできた。


「あ、あ~ん」

「……」


 一回周りを確認してから白守さんの箸からお肉を口にほおばる。

 少し白守さんの表情に味も分からないまま咀嚼し、飲み込んだ。


「美味しい?」

「ああ、美味しいよ」


 ちょっと緊張して味は分からなかったがこの味は忘れることはないだろう。

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