第9話 沁み込む恐怖
次の日、昨日あったことを花宮君に話した。
すると初めて彼はニヤリと笑った。
「やるじゃん。それがつよさだ」
「そうなの? とてもいやなかんじがしたよ?」
「にくしみこそがつよさのほんしつだ」
「にくしみ? ほんしつ?」
聞いたことのない単語に首をかしげる。
気味の悪い笑顔のまま花宮君は口を開いた。
「にくしみはあいてがきらいだっておもうこと、ほんしつはだいじなことってことだ」
初めて友好的な感情を向けてくれる花宮君だが、私はそれが嫌で嫌で仕方なかった。
***
その週の稽古の日、師範に事件のことを話した。
師範はいつものような厳しい言葉ではなく私の頬を思いっきり
痛かった。それでも私は泣かなかった。そこに愛情を感じたからだ。この
「憎しみで力を振るってはいけない。分ったかい」
「はい。でもはなみやくんは
「あの小僧……」
心の底から不快そうな顔をする師範。その様子を不安そうに見守り、言葉の続きを待つ。
「白守、よく聞きなさい。人間は間違える生物だ。あたしはそれでも構わないと思う。そこから学べることがあるからね。しかし力の使い方は間違えちゃいけない。間違えないように導く、間違いを正すのは私達、師範の役割だ。少し難しい話だけど分かってくれるかい?」
「よくわからないけど、こわいきもちはいやです」
「そうかい。怖かったのか。今までよく我慢した」
そう言って師範は私を優しく抱きしめてくれた。
心地の良い暖かな感覚に思わず私はその時だけ『泣き虫白守』に戻った。
そしてもう2度と間違った力の使い方をしないと誓った。
***
例の事件から私は意地悪をされることはなくなり、自然と花宮君にはとそれなりの距離を取りながら近くにようになった。
そう、この胸にある恋心は収まることはなかった。
数年後、幼稚園が一緒な事もあったおかげか花宮君とは同じ小学校へ入学した。
同じクラスになれなかったのは残念だったけど。
そしてさらに数年の時を経て小学3年生になった頃。こんな噂が流れ始めた。
『ここ辺りの不良を倒して回っている小学生がいる』
私は最初、小学6年生くらいの子がやっているのかと思っていた
しかしある日、稽古に行った時──
「花宮! お前だな、ここら辺のごろつきを倒して回っているのは!!」
「……」
道場へ行くと師範が花宮君を怒鳴りつけていた。
その言葉を聞いた瞬間、信じられなかったが花宮君の
笑っていたのだ。口の両端をこれでもかとくらい上げて。
その笑顔には文字通りの明るさは全くなく、底知れない暗闇が
幼少時に見たあの表情を思い出し、私は動けなくなる。
「何がわるいのですか? あの
「
「アイ? 大切?」
「そうだ。お前にもいるだろう?」
すると花宮君の笑顔がスッと引いた。その顔は徐々に憎しみへと変わっていく。
「そんなものはオレにはない! クソみたいな親にこえだめのようなかんきょう。何をアイし、何を大切にすりゃいい?」
「少なくともお前さんを大切に想ってくれる人がいるはずだ」
一瞬、師範がこっちを見た気がする。しかし私は衝撃でそれどころではなかった。
「けっ」
師範の言葉に花宮君は悪態をつく。それに師範は大きくため息をつき、花宮君の肩を何度か軽く叩く。
花宮君は煩わしそうにその手を跳ねのけた。
「お前さんを想ってくれる人が見つかるまで
「……」
花宮君は黙って道場を出て行った。
私の近くを通り過ぎたが何も言ってくれなかった。声をかけることもできなかった。
ただ呆然と立ち尽くす。すると師範がこちらにゆっくりと歩いてきた。
「嫌なところを見せちゃったね」
「いえ、そのおどろきはしました。でも大丈夫です」
「そうかい。花宮とは同じ小学校なんだってね」
「はい」
「なら少しだけお願いだ。花宮についてやってくれ。幼馴染としてそして──」
師範が大きく間を開ける。多分、私の気持ちを感じているからだ。
「
「はい」
やはり、師範には私の気持ちがバレていたみたい。
恥ずかしさを少し隠しながら返事をした。
***
花宮君が師範に道場の出入りを禁止されてから数日後、私は決意を胸に小学校の屋上へと向かっていた。
通常、私の通っていた小学校の屋上は鍵がかかって入れない。しかしコツさえつかんでしまえば開けることが可能である情報は生徒の一部で出回っていた。
幼稚園生の頃を知らない子達は普通に話していたのでその情報を知ることができた。
そして屋上は花宮君しか使っていないことも──
手順を踏むと屋上の扉は音を立てて開く。
屋上に吹く風と共に攻撃的な視線が私を迎える。
「なんだよ」
「その、えっと、心ぱいで来たんだ」
広い屋上にかなりボロボロな服装の花宮君が1人、空に向かって拳を振るっていた。
その拳圧は普通の人なら吹き飛ばしてしまいそうなくらい。
「よけいなお世話だ」
「しはんの言ってたことおぼえてる?」
「いやなことを思い出させるな」
「おぼえてるんだね?」
屋上が極度の緊張に包まれる。
花宮君から負の感情が私に向けられた。その中、私は花宮君へ歩み寄る。
「花宮君。わたしね。あなたのことが好き。ようち園のころ、意地悪されてたのを助けてもらってからずっと。花宮君の横にいたいって思ったから、けい古がんばって来れたの」
「……」
花宮君は無表情で私を真っ直ぐ見つめる。攻撃的な感情は収まったように見えた。
「これでしはんの言ってた『花宮君を想ってる人』は見つかったよ。だからいっしょに道場にもどろう!」
「……な」
小さく花宮君が呟くが吹く風にかき消されて聞こえなかった。
しかし小さく震える花宮君を見てると第六感が激しく警鐘を鳴らす。
でも私は花宮君から、自分の気持ちから逃げたくなかった。
「あの
屋上の、学校中の空気が激しく震える。私は
花宮君はその隙を許すわけもなく私に掴みかかる。そして私の
「がっ」
痰でも吐くような声が出る。それでも花宮君は手を離さなかった。
「どいつもこいつも『アイ』だの『すき』だの! いみが分からない! オレの受けてきたすきは血生ぐさかったぞ! みんなが言うほどキレイ、じゃない!」
「が! ぐぅ! や、やめ……」
人間の急所、と呼ばれているところを確実に打ち抜く連撃に制止の声も出せない。
一通り、花宮君が心情を吐露すると私を屋上の床に捨てるように落とす。
視界が涙で、ダメージではっきりしない。起きたいけど、身体が言うことを聞かない。
「クソが! クソが! クソが!!」
「ぐぎ! ガハッ! ゲ!!」
次は動けない私に
何度も、何度も、何度も。永遠に続くかと思えるほどに。
殴られ、蹴られ、罵倒され。
「あ、これが、これが『きょくち』か! ついにここまで来れた!!」
薄れゆく意識をどうにか繋ぎ止めていると花宮君は訳の分からないことを言う。
私がボロボロだったせいで聞き間違えたと信じたかった。
「おい、白守。オレのことすきなんだろ? なら、ためさせてもらうぞ!」
はっきりと聞き取れたのはここまでだった。
それからは何かブツブツ言う花宮君に殴られ蹴られ続けた。
胸の内に男子──男性への恐怖が宿るのを感じながら私の意識が途切れた。
***
目覚めたら病院のベッドに寝ていた。
意識が戻った途端、お母さんは泣きながら抱きしめる。
傷や怪我で痛かったが、とても暖かくホッとした。
「お、かあさ、んいたいよぉ」
「ごめんね、美雪。今、お医者さん呼ぶね」
涙声でお母さんが話しながら部屋から出ていく。
私は全身の痛みに耐えながら状況を確認する。
視界もいつもより狭い。目の上が腫れているようだ。目はちゃんと見える。良かった……。
そして腕も足もまともに動かせない。固定されているのだ。辛うじて利き手が少し動かせる程度。胸も痛い。あばらが折れているのだろう。
動かそうとすると軋む首を動かす。病室は個室のようだ。そこにお父さんの愛を感じた。
でもこの心に空いた穴はなんなのだろうか。
まとまらない考えを巡らせているとお母さんが女医と共に入ってきた。
医者とお母さんから今までのことを聞く。
私が発見されたのは学校の屋上。なかなか帰ってこなかった私を心配してクラスのみんなが探し回ってくれて見つけてくれたようだ。
見つかった当時、私はボロ雑巾のような状態だったそうだ。
そして信じられなかったのは女医の口から語られたことだった。
あんな状態であったにもかかわらず搬送しようとした救急隊員の男性を殴ったそうだ。
凍えるように震えながらも男性隊員に対して必死に抵抗した、とのこと。
恐る恐る女性隊員が触ると何も反応を示さなかったことで私が男性に対して拒否反応を示していることが判明した。
そして今お母さんの隣にいる女医さんが治療を担当したそうだ。
最後に語られたのは私の病状。
左腕、右足、あばら3本の骨折。内臓へのダメージと打撲。
──そして限局性恐怖症。
簡単に言うと男性恐怖症。
私の失恋が、花宮君への恐怖が生み出した今後の人生に残る呪い。
そう直感的に思った。
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