第8話 初めての習い事

 花宮君に助けてもらってから私は花宮君の近くにいるようになった。

 そうすれば他の男の子が意地悪をしてこないからだ。


「おい、しらもり。おもしろいもの よういしてやったんだから こいよ」

「いやだ! またむしでしょ」

「そそ、そんなことない。くればわかる」


 今日は無表情で縄跳びを飛んでいる花宮君を挟んで私と男の子が言い合いをする。

 これ以上行くと捕まって意地悪されるのは分かっているので私は花宮君の近くから動かない。男の子達はこれ以上近付くと花宮君に何されるか分からなくて近付けない。といった状況。

 両者の睨み合いが続き、ついに花宮君が縄跳びをまわす手を止めた。


「あのさ、うるさいんだけど」


 幼稚園生の声にしてはどすの利いた声でそう言って男の子達を睨む。


「ひ、ひい!」

「い、いくぞ」

「お、おぼえておけよー」


 蜘蛛の子を散らすように逃げる男の子達。それに私はホッと胸を撫で下ろす。


「おまえもだ。じゃまだからどっかいけ」

「ごめん。しずかにするからいてもいい?」


 返事は返ってこない。しかし、花宮君は縄跳びを再び回し、跳び始める。

 私はただただそれを見ているだけ。それだけで安心感が胸に広がる。

 つい、口元がほころんでしまう。


 ***


 意地悪されることは減ったが、無くなったわけではない。

 たまに花宮君が幼稚園に来ない日はいい機会だと意地悪してくる。

 それに困った私は自分で身を守りたいと花宮君に相談した。


 いつもなら何言っても無視してくるんだけど、この時だけまともに口をきいてくれた。


「そうか。いいのをしってる。そのまえにっと」


 腕立て伏せをしていた花宮君はスッと立ち上がり、手の土を軽く落とす。

 そして私に向き合って構えた。


「まねしてみろ」

「こ、こう?」

「ちがう。そのままでいろ」


 よく分からず、見よう見まねで花宮君の構えを真似してみるが、違うようだった。

 見かねた花宮君は私のところに来る。


「しろうと だからしかたないか。こう、でこうだ」

「う、うん」

「なにかかんじるか?」

「??」


 当時何言ってるか分からなかった。疑問符を浮かべる私に花宮君は大きくため息をつく。


「これはきたいできなさそうだ。それでもためしてみるか」

「???」


 よく分からないまま花宮君は私の背後に回って私の両手首を掴む。

 そして大きく息を吐く。


「あしはしっかりつけろよ」

「うん──うっ……」


 言われた通りにすると何かが体に流れ込んでくる感覚がする。私の気分が悪くなり、えずく。

 それに気付いた花宮君は私からスッと離れる。


「『これ』はあわない。じゃあ、つぎ。つぎはこう、だ」

「こ、こう?」


 今度は鳥の真似をする人のような構えをとる。

 また何かが違ったのかポーズを直しに花宮君がこっちに来た。


「このかっこうつらいよぉ……」

「もうすこし、かくどはこう。とんでみろ」

「えっと、こう? いたっ!」


 言われた通りにその場で跳ぶが着地に失敗して転んでしまう。

 視界が涙で揺らいだけど我慢して立ち上がった。


「これもだめか。でもこんじょうはあるな」


 多分、彼は私を褒めるために言ったわけではなかったのだろう。

 しかし当時の私はそれを誉め言葉として受け取って、喜んだ。頑張れば好きな人に振り向いてもらえるかもしれない、そんな思いが私の心に火をつけた。


「これもだめだったらあきらめろ」

「あきらめないよ」

「そうか。じゃあ、つぎはこう」


 花宮君は不思議な動きをし始めた。その動きを見てなんとなく川をイメージがした。

 動きを真似ているうちになんとなく身体が動く。とてもなじんだ、その時の感覚は今でも思い出せるほど。


「へぇ……。これできまりだな。しらもり、おまえは『みず』だ」

「おみず?」

「こんど、いいところつれていってやる」

「いいの? でもおとうさんとおかあさんが──」


 私がそう言うと花宮君の機嫌が急に悪くなった。

 見えない手で突き返されそうなそんな感覚。


「わかった。こんどのにちようび ようちえんのまえでまってろ」

「う、うん!」


 ***


 やってきた約束の日、私はワガママを言ってお母さんに付いて来てもらった。

 どこに行くのか聞かされてない私は楽しみでたまらなく幼稚園の前でソワソワしていた。


「美雪、そんな動いてたら恥ずかしいわよ。もう、この子ったら」


 そんな私を見てお母さんはニコニコしてた。

 さすがに周りの目が気に合ったのか途中、私の気を引こうと色々やってた気はするんだけど、やめなかったっけ。


「またせたな」

「うん! だいじょうぶだけど、はなみやくんどうしたの?」

「ちょっと、な」


 待ち合わせの時間に遅れてきた花宮君は少し頬を腫らしていた。

 傷が塞がって間もない感じだ。


「はじめまして。いつも娘がお世話になってます。怪我は大丈夫?」

「ええ、まぁ」


 お母さんが心配そうに声をかけると花宮君はぶっきらぼうに答えた。どうしたんだろ?

 花宮君が心配で顔色をうかがう。


「ほら、いくぞ」

「うん」


 私達を背にしてスタスタ歩いていく花宮君に遅れながらもついていく。

 幼稚園からかなり離れたところにある小さな山の整備された道を登る。あまりなれない道に苦戦しながら私とお母さんは息を切らしながらついていくが、花宮君のペースは全く衰えなかった。


「んでなんだそのかっこうは?」

「かわいいでしょ?」

「いや、きょうみない」


 がっかりする私をお母さんは軽く肩を叩いて慰める。

 泣くのを我慢してただただ花宮君の後ろを追いかける。


 しばらく歩くと古い作りの道場へとたどり着く。

 看板には『柏藤三流古武術水流道場はくとうさんりゅうこぶじゅつすいりゅうどうじょう』と書かれていた。当時の私は読めなかった。


「古武術ね。確かに美雪には合ってるかもね」

「こぶじゅつ? だしのでるやつ?」

「それは昆布ね。古武術はね身を守る──美雪が意地悪する子から自分を守る方法をお勉強するところよ」

「おべんきょうがんばる!」

「こういうところに行くなら着替えでも持ってくれば良かったわ」


 どこに行くとは聞いてなかった。だから私達はどこかへお出かけするのかと勘違いして飲み物と軽い食事程度しか用意してなかった。


「だいじょうぶだとおもう……います」

「そうかしら?」


 心配するお母さんにそれだけ言って道場の扉を開ける。

 なかは古い木造の立ってもの特有の匂いにあふれていた。中はシンプルな板張りの床、他は更衣室とトイレ程度しかない。

 そこで少数の女性達が組み手をしていた。


「しはん、まえにいってたやつ つれてきた」

「敬語を使わんか愚か者。その可愛らしいお嬢さんが?」

「お世話になります。娘の美雪です」

「こんな可愛らしい子が──なるほど」


 師範と呼ばれた少し40代くらいの女性が私をじっと見つめる。その時、水の波紋に当てられたような感覚。中身を覗かれたような少し怖い感覚がした。

 そしてしばらく目を閉じて深く頷く。


「お嬢ちゃん、そう怖がりなさんな。確かに花宮の坊主の言う通り高い適性があるようだ」

「てきせー?」

「美雪に才能があるってことよ」

「それが発揮されるのは娘さんがここの鍛錬に耐えられるかどうかです」

「こんじょうは ほしょうする」

「そうかい。でも敬語は忘れるんじゃない」


 師範のゲンコツが花宮君の頭をとらえる。鈍い音をさせるが花宮君は特に痛がる様子はなかった。


 この後、師範からお母さんに説明があってその間、稽古を見学していた。

 花宮君以外の男性が見当たらないのは不思議だった。でも後にこの『水流』は柏藤三流の中で女性向けに作られた流派とのことを知る。


 その日の夜、お父さんとお母さんと話し合った結果、意地悪をする子達や護身術としても使えるだろうという理由で私は初めての習い事として古武術を習うことになった。


 ***


 道場に通うようになって3か月くらい……かな?

 稽古は厳しかったけど、花宮君と一緒の習い事ができて嬉しかった私はどんな厳しい内容でも耐えた。

 師範が言ってた適性が高かったおかげか習得速度は早かったそう。


 師範にも褒められるようになった頃、事件は起こった。


「きょうはかっこつけやろーといっしょじゃねーのか?」

「そうだろうな、きょうはいないもんな」

「あははははは」


 滑り台で滑っているといつもの意地悪をしてくる3人組が先回りして待っていた。

 私は気にせずに3人の横を通り過ぎようとする。


「まてよ! きょうはおまえのすきなけむしをもってきてやったぞ」


 好きではない。そもそも前に毛虫の毛で痛い目を見たのはどっちだったのか忘れているようだ。

 それに強くなった私にとって彼らはもう相手にならないと感じていた。


「なんだそのかおは なまいきだぞ! きょうもなかせてやる!」

「ぼく、こっちつかむ」


 1人が私の腕を掴もうと手を伸ばすが私はほとんど動かずに避ける。


「よけるな。おとなしく──」


 避けられたことに腹を立てた男の子が私に飛び掛かる。タイミングを合わせて隙だらけのお腹に拳を入れた。瞬間、今までの怒りがその一撃に込められたような感覚がした。


「ぐ、がぁあ」


 男の子は声にならない声をあげて悶絶する。

 ただならぬ様子に残りの2人は顔を真っ青にした。


「ひ、ひぃ!」

「せ、せんせい! しらもりが しらもりが~!」


 事の深刻さに気付いたのは殴った子がそのまま病院に行ったことを聞かされてから。

 話を聞いた私は罪悪感から一晩中泣いていた。

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