第5話 少年も歩けば球に当たる

 先生の授業という名の念仏を聞きながらウトウトしていた。

 昼休みの後──食事の後はやはり眠くなる。

 学校の授業が始まってから俺と先生との寝るから指す、寝起きでも正解する、というやり取りが続いたが今日は先生達は何も言わなくなってきた。

 諦めたのか、別のところで制裁を加えようと画策しているのかそれともどっちもか。


 寝た分は適当にテストで取り返せば何とかなるだろう。

 なんて考えていると瞼が重く目に覆いかぶさった。


 ──次の瞬間。


 俺の頭に軽いものが当たる感覚と地面に何か落ちる音がした。

 落ちかけた意識が急速に戻される。

 大きく伸びをしていると不機嫌そうな顔をした化学の先生がこちらを睨んでいた。


「伸びしてないで答えろ!」


 黒板を強めに叩く先生を無視して机の下を覗く。

 そこには白いチョークが無惨に3つくらいに折れていた。この時代にチョーク投げなんてやったのかこの教師。

 自分の頭に何が当たったのか確認が取れたところで黒板を確認する。


『H2So4+H2O2=』


 授業前に呼んだ教科書の内容とズレているので恐らく寝ている俺対策に要した問題だろう。よろしい、ならば解いてしんぜよう。

 こんなの簡単だ。賭け事するスプレーが一軒家へオフィスチェアー寝るを因数分解して小麦粉を振りかける──


「ピラニア酸」

「……正解」


 頭を軽く叩いて席に座り、腕を枕にして眠る。

 さっきほどではないが緩やかに夢の国へと入り込んだ。


「注意されたのにすぐ寝ちゃうんだ……」


 なんか白守さんが言ったような気がするけど気にしない気にしない。


 ***


 5時限目の終わり、先生に絡まれて無事正解したのでそのご褒美に少し遠め、2階の自動販売機まで来た。

 ご褒美、というのは名目でただ喉が渇いただけだが。


 200円を入れてサイダーを買う。

 うちの学校は普通の自動販売機と同じ値段で大きめの缶の飲料を変えるので学生には嬉しい。

 多分、薄利多売ってやつだろう。


 ガコンという音共にサイダーの缶が落ちてくる。

 それを取り出し口から足りだす。そしてお釣りを受け取ろうとお釣り返却口に手を突っ込だ。


 ──あれ?

 指をどこに動かしても硬貨の感触が指に伝わってこない。

 釣銭は不足している様子ではないしどこかに引っ掛かってる様子でもなさそうだ。


「はぁ……」


 ため息をついてその場を後にする。

 内心で肩を落としながら教室に戻るために階段を上る。するといつもとは違う感覚にとらわれて階段で態勢を崩す。

 手に持っている缶を叩きつけるような形で手をついた。


「ブフッ──あ、ごめんなさい。友達が水こぼしちゃって……今雑巾取りに行ってるので」


 その様子を見ていた女子が噴き出したのを隠すように事情を説明する。

 バレバレだぞ。絶対、よそ見してただろ。

 一瞬だけ女子を睨んで何事もなかったように階段を上り、教室へと戻る。


「寺川君? どうしたの? なんか疲れてない?」


 教室に戻って少し頭を抱えていると白守さんが心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。

 さっきまでの不幸を説明したところで意味がないので無視した。

 小さく息を吐いてさっき購入したサイダーを開ける。


「キャッ!」


 飲み口から勢いよくサイダーが吹き出し、俺の顔にかかる。それに驚いて白守さんが小さい悲鳴を上げた。

 綺麗に顔にかかったのでコントかと思ってしまうほどだ。

 まさか、ドッキリか? もしかして仕掛け人はこの中にいるのか?!


 とりあえず顔を洗わなくては。

 髪の毛からサイダーが垂れないように気を付けつつ、男子トイレへ向かう。


 水道をひねり、顔と髪を軽く洗う。

 一通り洗い終わったら念入りに手を洗う。


「フゥ……」


 一息ついて天を仰ぐ。これは確信を持って言える。

 ──今日はツイてない。

 なんなんだこの天文学的な確率の運の悪さは……。


 今度こそ肩を落としながら教室へと戻る。

 すると白守さんがハンカチで俺の机を拭いてくれていた。


「え、あ、あり──」


 ついつい出そうになった言葉を飲み込んでしまう。

 やばい、落ち込んでいる状況に他人の優しさは妙に染みる……。

 一瞬、白守さんが女神に見えてしまった。実際、そんな感じだが。


「どういたしまして」


 俺の言いかけたセリフが分かったのか満足そうな笑顔でそう言って雑巾とハンカチを持ってどこかへ行った。

 多分、近くの水道まで洗いに行ったのだろう。よく見ると椅子や床まで拭いてくれていたようだ。

 クラスメイトの異様な視線を感じたのでそれを遮るように教科書を読むふりをする。


 ***


 放課後、落ち込んだ気持ちも少しは楽になった。6時限目は特にこれといった不幸な出来事はなかったからだ。

 ホッと胸を撫で下ろしながら教室を出る。

 ふと、俺を追う気配を感じた。

 ──もしかしなくても白守さんだ。


 机を拭いてくれた恩があるとはいえ、また白守さんと行動していると何言われるか分かったもんじゃない。

 早足で廊下を歩く。やはり白守さんもついてくる。

 廊下を歩く、たむろする他の生徒を様々な動きで避ける。ちょっとしたアトラクションのように感じてきた。しかし今はそんな場合じゃない。


 混雑する昇降口付近、さっきより避けるのは少し大変だが、気を付けていればぶつかることはない。

 急いで自分の下駄箱に到着して靴を履き替える。

 近くの扉から飛び出す勢いで外に出た。白守さんはがあるので少し遅くなるだろう。自転車置き場までのんびりと歩く時間はある。


「よし、いっくぞー! 〇える魔球」

「バーカ、消えてないって」


 元気な笑い声をあげる野球部員らしき男子がキャッチボールをしてる。

 高校から硬式だから慣れさせるって意味もあるのだろう。なんて考えながら近くを通り過ぎる。


「ジャイロボール! あ、すっぽ抜け──」


 なんともこの状況で聞き捨てならないセリフが聞こえた。

 下校中の生徒がたくさんいる状況だ。誰かに当たらないといいんだが。


「そこの人〜、危ない!!」

「避けて避けて!!」


 切羽詰まった声が俺の耳に入る。なぜか俺へ向けられているような──

 鈍い音とともに俺の頭に衝撃が走った。

 『向けられているような』ではなく『向けられていた』ようだ。


 意地で前に進もうとしたが硬式球の威力はその意地ごと俺の意識を刈り取った。


 ──意識が閉じる瞬間、泣きそうな顔の白守さんが見えたような気がした。

 まさか──な……。


 ***


「いってて……」


 鈍痛と目に染みるような夕日に起こされる。

 ここはどこ私は誰。

 ここは保健室だと思う、俺は寺川恭平だ。よし、OK。


 痛みを感じる部分を触るとたんこぶが出来ていた。

 保険の先生に声でもかけて帰るとかとベッドから出ようとすると視界の端に誰かがいるのが映る。


「すぅ……すぅ……」


 規則正しい寝息を立てて白守さんが眠っていた。

 もしかして心配してお見舞いに来てくれたのか?


 起こさないように気を付けながらベッドから抜け出すと保険の先生が俺に気付いてこっちに来た。


「大丈夫だったかしら?」

「まだ痛みますが問題ないです。んでその、白守さんがなんでここに?」


 寝ている白守さんを指さすと先生は恥ずかしそうにニヤニヤする。

 その様子に意味が分からず首を傾げてしまう。


白守さんあの子ね。アナタを背負ってここまで来たのよ。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらね」

「へ?」


 訳が分からなかった。明らかに白守さんより俺の方が重いはずだ。あんな華奢な体で……。

 少し涙が出そうになった。俺なんかのために涙まで。


「それにボールぶつけた子達がいくら言っても『触らないで』って言ってたのよ」

「そうですか……」

「とりあえずボールぶつけた子達は生徒指導室でこってりしぼられながら待ってるから行ってあげなさい」

「は、はい。その前に少しだけいいですか? すぐ戻って来ます」

「私は待ってないからいいわよ~!」


 なんてこと言うんだ、と思いながら財布を持ってひとっ走りする。

 心臓の鼓動に合わせてたんこぶが鈍痛を伝えてくるが無視して自動販売機に走った。


 ***


 買い物を終え保健室に『お礼』と『メッセージ』を置いた。


「あの子、ここに来た時、苦しいそうな顔してたりぐちゃぐちゃな顔してたりだったけど今はこんな穏やかな表情かおで寝てる」

「そうですね」


 まだ、静かな寝息を立てて寝ている白守さんを見てそう返す。

 先生は母親のような顔をした、がいきなりその顔がニヤニヤし始める。


「アンタ、こんな可愛い子なんだから守ってあげなさいよ!」

「え、いやぁ……」

「唯一触れるんでしょ? この子にはアンタしかいないのよ」

「俺の代わりなんて今後出てくるかもしれませんよ?」

「そうね。その時は諦めなさい」


 そこは『諦めずに戦いなさい~』とかじゃないのか? 白守さんの将来のことだ、今の俺には関係のないことだ。


 先生に挨拶をして保健室を出る。その足で生徒指導室に向かった。保健室から近いので新入生の俺でも迷わず行けた。

 生徒指導室に入るとキャッチボールしてた男子が頭を勢い良く下げる。その横で生徒指導の先生が腕を組んで仁王様のような形相で立っていた。


 俺は少し別のことに気を取られいてこの後のことはあまり覚えていなかった。

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