第26話「ルナの想い」

妥協だきょうとは?」


 そう尋ねたのは、莉音に言われたルナではなく、アイラちゃんだった。

 ルナは温和な笑みを浮かべており、まるで《そうおっしゃられると思っておりました》とでも言わんばかりの、余裕を見せている。


「だって、そう思ってもおかしくないでしょ? アルカディアさんは婚約をする代わりとして旅行をさせてもらい、そこで自分の運命の相手を見つけるつもりでいた。でも、普通に考えてそういう機会はそうそうないし、護衛の目を盗んで抜け出すことでさえ一度が限界でしょ? だから、助けてくれた聖斗を運命の相手だと無理矢理思い込んで、妥協しているのじゃないかしら?」


 莉音がそう思うのも無理はない。

 なんせ、俺とルナでは立場も、家柄も、そして見た目も全く釣り合っていないのだ。

 それなのに、ルナが俺を婚約者に選んでいることは、誰の目から見てもおかしい。


 ルナがどういう状況だったかを知った今となっては、自分で婚約者を決めたい彼女が、決まっていた婚約者と結婚しないで済むように、俺を選んだようにしか見えないのだ。


 もし運命の相手が見つからないままアルカディアに帰ることになれば、もうルナに婚約者を自分で決めるチャンスはなかっただろうから。


 そこが俺も引っかかっていた。


「ルナ様は、そのような御方では――」

「アイラ、控えてください。わたくしの口から説明をさせて頂きます」


 アイラちゃんが不服そうに否定しようとすると、それをルナが手で制した。

 ここからは再び、彼女自身が説明してくれるらしい。


「莉音様はご存じありませんので、そのように仮定をなされるのは当然かと存じます」


 ルナはそう言うと、チラッと俺の顔を見てきた。

 そしてニコッと笑みを浮かべたので、莉音だけでなく俺も同じようなことを思っていることが、バレていたのかもしれない。


 莉音は知らないから仕方ないけど、あなたは知っているはずですよ、と笑顔で言われた気がした。


「と言うと?」

「まず、私は自ら連絡をし、アイラたちに迎えへとこさせました。つまり、その気になれば、私はまだ運命の相手探しを継続することができた状況にあったのです」


 確かに、ルナは自分から電話をかけていた。

 あれは、キンキンキャンキャンと電話越しに叫んでいたので、アイラちゃんではなくもう一人の眼鏡をした女性だったはずだ。

 それまでルナの場所はバレていなかっただろう。

 バレていたのなら、すぐに連れ戻しに来ていただろうから。


 ……まぁ、最初からルナの息がかかっていたアイラちゃんは、万が一のためにルナの場所を知っていた可能性はあるのだけど。


「だから、聖斗を選んだのは妥協ではないと? でも、運命の相手がそう簡単に見つからないことは、アルカディアさんもわかっていたはずよ。それで、助けてくれた聖斗でもいい、と妥協したという可能性は残るわ」


 莉音はまだ納得していないらしく、ルナの主張は正しくないと言う。

 俺も莉音側の心境だったので、余計な口は挟まずに傍観ぼうかんすることにした。


「聖斗様は、体格の良い男性二人に取り押さえられている私を、迷いなく助けに来てくださいました。そして、身分もわからない怪しい私のことを疑わず、お願いを聞いてかくまってくださったのです。それだけで、聖斗様の人柄はとても評価できるものだと思います」

「それは、アルカディアさんがかわいかったからじゃないの?」


 かわいい女の子だから、俺は助けて匿った、と莉音は主張する。

 しかし――。


「莉音様は、聖斗様は相手によって助けるかどうかをお変えになる御方だと、お考えで?」


 莉音の質問に対し、ルナは笑顔で質問を返した。 

 それにより、莉音は息を呑んだ。


「それは……思ってないけど……」

「私もです。下心がある御方は、すぐにわかるものですよ。しかし聖斗様は、純粋なお気持ちで私を助けてくださいました」


「そんなの、わからないじゃない……。私は、長い付き合いだから知っているってだけで……」

「いいえ、わかります。先程アイラが申し上げました格好――彼シャツ姿でいる私に、聖斗様は手をお出しになりませんでしたから。私は、何日も一緒に寝ていたのにですよ?」


 ルナがそう説明すると、莉音の物言いたげな視線が俺に向く。

 アイラちゃんはこのことを言っていなかったので、莉音は今初めて知ったはずだ。

 おかげで、また俺が怒られる種が増えてしまった。


「それだけではございません。体の洗い方がわからず、私がバスタオル一枚で聖斗様の前に顔を出しても、聖斗様は私を襲う素振りを見せてすらいませんでした。それにより、聖斗様には下心がないことは証明できるかと存じます。そして私は、一緒に過ごさせて頂く間に、聖斗様はとても素敵な御方だと思い――婚約者になって頂きたいと考えたのです」


 どうやら俺は、ルナに試されていたようだ。

 天然そうに見えて、やっぱり抜け目がない子だったらしい。


 ……よかった、ルナの誘惑に負けなくて……。


 正直、一緒に寝ていた時は危ない場面もあった。

 こんなにもかわいい子に彼シャツ姿で抱き着かれて、男の欲望が刺激されないはずがないのだから。


「聖斗を試すために、王女様が彼シャツ姿やバスタオル姿になるのは、やりすぎじゃないかしら……?」


 莉音はほんのり頬を赤く染め、責めるような目でルナを見つめる。

 クールなくせにえっち方面には耐性が皆無なので、こういう話をすること自体が恥ずかしいのだろう。


「彼シャツには私の個人的な憧れがあり、バスタオル姿に関しましても洗い方がわからなかったのは嘘ではなく、やむを得ず――ということでしたので、試すためだったわけではございません。結果的に、そうなったというだけのお話です」


 俺の思ったことは早とちりだったようで、ルナは試すわけではなかったと主張をした。

 それにより、続けてアイラちゃんが口を開く。


「ルナ様は、ご結婚なさるまで夜のいとなみは禁止だとお考えの御方です。当然、無闇やたらに肌を男性に晒すようなことはなく――彼シャツ姿になった時点で、ルナ様はとても聖斗様をお気に召されておられたということになります。妥協した相手でありましたら、そのようなことは決してなさらなかったでしょう。そもそも、好意がある相手の服でなければ、彼シャツは意味がありませんしね」


 そうアイラちゃんが補足したことで、俺は記憶を辿たどる。


 ルナが彼シャツ姿になったのは、初日のお風呂を上がった後だから――ということは、バスタオル姿が先だよな……?


 ――と、アイラちゃんの説明と辻褄つじつまが合わないと一瞬思ったけれど、よく考えたらルナがワイシャツを持って行ったのはお風呂に入る前だ。

 つまり、バスタオル姿を晒す前から、ルナは俺のことを気に入ってくれていたんだろう。


 食事とかを一緒にしている間に、気に入ってもらえたというわけか……。


「まぁ、いろいろとツッコミたいところがないわけではないけど……聖斗に関して、妥協じゃないということはわかったわ」


 莉音はもう満足したようで、そう言うと俺の顔を見てきた。


「それで、あなたはどうするの?」

「えっ……?」


 莉音の問いかけがわからず、俺は思わず首を傾げてしまう。


「相手は準備万端。うちの親も了承している。でも、婚約者に関して聖斗も知らなかったのでしょ? あなた自身の気持ちは、どうなのかと尋ねているのよ」


 確かに、今は外堀を完全に埋められた状況で、俺の意思は何も聞かれていなかった。

 だから莉音は、わざわざ聞いてきたんだろう。


 俺は目を閉じて考える。


 莉音への気持ちは、正直まだ整理がつききってはいない。

 だけどルナの存在は、いなくなってから再会するまで引きずるほど、俺の中で大きくなっていた。


 王族とかの問題には巻き込まれたくないけど、ルナと幸せな日々を送れるなら、婚約者になることは――。


「そうだね、俺はルナと婚約者になれることを、嬉しく思ってるよ」


 これで完全に莉音への気持ちも整理がつくかもしれないと思い、俺は笑顔で頷いた。

 それにより、ルナの表情がパァッと明るくなる。


「聖斗様……! よろしいのでしょうか……!?」

「うん、俺もルナのことをずっと待ってたし、願ってもないことだよ」


 俺なんかでいいのかな、という気持ちや、本当に妥協ではないのかな――という気持ちはあるけど、わざわざ口にすることではない。

 今はただ、ルナに笑顔を返しておくのが正解だ。


「そう……なら、私からもう文句はないわ。婚約、おめでとう」


 莉音は澄ました顔でそう言うと、立ち上がって帰り支度を始める。

 先程まで追及をしていたのに、態度が変わりすぎて逆に怖い。


「兄ぎみが婚約をなさるというのに、随分とあっさりとされたものですね?」


 アイラちゃんも疑問に思ったらしく、小首を傾げて莉音に尋ねる。


「だってこれは、聖斗の問題でしょ? 騙されていたり、望んでいないのに外堀を埋められているなら反対をするけど、そうではないとわかった以上、私から言うことはないわ。聖斗が幸せになってくれるなら、それでいいのだから」


 莉音はそれだけ言い残し、部屋を出ていった。


 あんなことを言われて、俺はどう思ったらいいんだろうか……?

 昔と変わらず根は優しくて世話焼きの幼馴染に対し、既に振られている俺は複雑な感情を抱いた。


「それでは、お話がついたようなので私もこれで」


 そうしていると、アイラちゃんまで部屋を出ていこうとする。


「あれ? もう帰ってきたなら、晩御飯も一緒に食べたらいいのに」


 同級生とはいえ、おそらく年下の彼女を夜外に出すのはあまり好ましくない。

 そう思って声をかけたのだけど――。


「ルナ様のお気持ちもお考えください。聖斗様と再会されるために沢山頑張りになり、こうしてやっとの思いで再会をなされたのです。初日くらいは、二人きりで過ごしたいものでしょう?」

「あっ……」


 だから、昼もアイラちゃんは一緒に食べなかったのか……。

 ただ莉音を連れ回して、時間を稼いでいただけじゃなかったんだな……。


 チラッと俺はルナに視線を向けてみる。

 莉音がいなくなったからか、いつの間にかルナの凛として大人おとなびた表情は鳴りを潜めており、甘えたそうな上目遣いでソワソワとしていた。

 どうやらこの姿は、アイラちゃんには見せていいらしい。


「私は部下と共に食事を済ませますのでお気遣いなく。明日からは、ご一緒させて頂きます」


 アイラちゃんはそう言うと、本当に俺の部屋から出ていってしまうのだった。

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