第10話「妹の気持ち」

「――ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」


 お昼ご飯を食べ終えて両手を合わせると、莉音は素っ気ない態度で返してきた。


「相変わらずおいしかったよ」

「当たり前でしょ、私が作っているんだから」


 それを当たり前と言い切るところが凄い。

 相変わらずの自信家のようだ。


 ――しかし彼女は、自信過剰というタイプの人間ではない。

 冷静に自分を見て、できることはできる、できないことはできないと言い切るタイプの人間だ。

 だからこそ、親しい人たちからの信頼が厚い。


 まぁ主に女の子たちに――なんだけど。

 男子だと自分に近寄らせないところがあるからな、莉音は……。


「――洗いものが終わったら、どうしようかしら?」


 二人で手分けをしながら台所で食器を洗っていると、莉音がチラッと視線を向けてきた。

 まだ帰るつもりはないらしい。


「やることないでしょ……?」

「そうね……のんびりさせてもらうわ」


 なんで帰らないんだろ……?

 聞いたら怒るから、聞かないけどさ……。


 振られた相手と一緒にいるのは気まずいんだから、その辺空気を読んでほしいと思った。

 まぁ彼女の場合、わかっててあえて読まないのかもしれないけど。


 食器を洗い終えて棚に戻すと、莉音は持ってきていた鞄をゴソゴソと漁り始めた。


「洗面台ってあっちよね?」

「そうだけど……新しい歯ブラシはないよ……?」


 洗面台がある方向を指さした莉音に対し、俺は頬を指できながら答える。

 ご飯を食べたから歯磨きをしたいというのはわかるのだけど、莉音に使ってもらう歯ブラシはない。


 ……歯ブラシ……?

 やばっ……。


 俺はあることを思い出し、ツゥッと冷や汗が背中を伝う。

 莉音が鞄を漁っていた理由が、俺の予想と異なることを祈るしかなかった。


 しかし――。


「もちろん、ちゃんと家から新品を持ってきたから問題ないわ。今みたいにここで食事をすることはあるでしょうし、泊まることもあるでしょうから」


 最悪なことに、俺の予感は当たっていたようだ。

 その上、莉音がとんでもないことを言っていることに気が付く。


「泊まるの!?」

「お父さんたちの了承は既に得ているわ」


 ました顔で、やばいことを平然と言ってくる莉音。

 年頃の男女が一つ屋根の下で過ごすなど、許されることじゃない。


 ――いや、俺が言えたことじゃないのはわかっているけど……!


「なんで父さんたちはオーケーしたの!?」

「妹が兄の部屋に泊まるのに、なんの問題があるっていうの?」

「それは血が繋がった兄妹の話でしょ!?」


 少なくとも、幼い頃から一緒の家で過ごしてきた兄妹の話だ。

 家族になって一年ほどの兄妹がすることじゃない。


「お父さんたちは、私たちのことを幼い頃から一緒に育った兄妹としか思ってないわよ。私だって、あなたのことを手のかかる弟って思っていたし」

「もうツッコミたいことが山積みだよ……」


 父さんやおばさんがそういう目で俺たちのことを見ていたのは知っている。

 というか、再婚の時にそういうことを直接言われた。


《兄妹みたいに育った二人は、一緒に暮らしても問題ないよな》と。


 だけど、それは父さんたちの勝手な思い込みで、俺は兄妹みたいに育ったつもりはない。

 莉音がそう思っていた、というのは意外だけど……。


「兄妹のように思われていたことにも言いたいことがあるけど……実際は、俺が兄だよ……?」

「なんで、私のほうが誕生日遅いのかしらね……。絶対、私のほうが姉なのに」


 どうやら莉音は、妹という立場に不満があるようだ。

 彼女のほうがしっかりとしているし、俺より遥かに頭もいい。

 その上、中学時代には生徒会長をしていた。


 そして高校でも、十月に行われる生徒会選挙に立候補をするという噂が流れているくらいには、学校の生徒たちが莉音に注目しているし――俺より上だというのは、誰の目から見ても明らかだろう。


 だけど、誕生日が俺のほうが早かったんだから、文句を言われてもどうしようもない。


「話を戻すけど、父さんたちは本当にオーケーしたの……?」


 いくら父さんたちでも、莉音が俺の部屋に泊まるのは駄目って言いそうな気がするけど……。


「わからないの? みんな、あなたが一人暮らしをしていることをよく思っていないの。私が泊まることで家族としての繋がりが維持されるなら、お父さんたちはそっちのほうがいいと思っているのよ」


 ここに来てからの発言で、莉音が俺を連れて帰りたいのはなんとなくわかっていた。

 父さんたちも条件を出していたくらいだから、俺の一人暮らしに肯定的じゃないのもわかっている。


 とはいえ、家族の繋がり云々うんぬんの話をされるとは思わなかった。


「別に……一人暮らしをしているからって、家族じゃなくなるわけじゃないのに……」


「私とお母さんからすれば、私たちが家族になったせいであなたが家を飛び出したようにしか見えないの。要は、追い出してしまったと思っているのよ。少なくともお母さんはね。お父さんだって、似たようなものだと思うわ」


 どうして莉音が俺を連れて帰りたいかわかった。

 確かに言われている通り、莉音たちの立場からしたらそう見えてしまうんだろう。

 実際、俺は莉音との関係が気まずくて家にいたくなかったので……間違ってはいない。


 莉音から目を逸らしていた俺は、相手がどう思うかまでは考えることができなかった。


「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ……」

「あなたにそのつもりがなくても、そういうふうになってしまうの。わかったなら、家に帰ってきたらどうなの?」


 父さんやおばさんのことを考えるなら、莉音の言う通り戻ったほうがいいんだろうけど……今は、戻ることができない。

 ルナが帰ってきてくれるなら、俺はこの家で待っておかないといけないのだから。


「ごめんね、まだ帰ることはできないんだ」

「…………」


 断ると、明らかに莉音の表情が不機嫌なものになる。

 ジッと睨まれて、今すぐに逃げ出したい気持ちに襲われた。


「えっと、歯磨きがしたいんだよね? 俺もしたいから、ちょっと待っててくれるかな?」


 これ以上莉音を刺激しないほうがいいと思い、泊まる云々については触れるのをやめて、俺は洗面台のほうに逃げた。

 そして、莉音が追いかけてこないことを確認すると、すぐにルナの歯ブラシとコップを棚に隠す。


「危なかった……これを莉音に見つかったら、問い詰められるところだったよ……」


 俺が冷や汗をかいた理由は、これだった。

 一人暮らしをしているのに、二人分の歯ブラシとコップ――しかも、明らかに女性ものが置かれていれば、誰だって怪しむだろう。

 それがあの追及の鬼である莉音が相手なら、なおのことだ。


 一度疑いを持つと、自分が納得するまでやめないからな、彼女は……。


「ルナが本当に帰ってきたら……莉音たちに、どう説明したらいいんだろ……?」


 俺は新たな悩みの種が増えてしまい、頭を抱えるのだった。


 ――なお、莉音は今日泊まることはなく、今後泊まる可能性があるというだけだったようだ。


 その後は何事もなく日々は過ぎていき――結局俺はルナと再会出来ないまま、夏休みを終えるのだった。


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