第9話「来客」

 心に穴が開いたような感覚だった。

 ルナがいなくなってから、どれほど経ったのだろう?

 彼女がいなくなった喪失感は、思った以上に大きかった。


 ルナは戻ってくると言っていたけど……いったいいつ帰ってくるんだろ……?

 そもそも、本当に帰ってくるのかな……?


 ずっと、こんなことばかり考えていた。


 ――ピンッポーン。


「――っ!?」


 突如鳴ったインターフォン。

 俺はベッドからガバッと体を起こし、玄関へと急いで向かった。


「ルナ――!」

「はっ……?」

「…………」


 ドアを開けた瞬間、上品で優しい笑顔が見られるかと思いきや――氷のように冷たい、軽蔑したような目が待っていた。


「り、莉音……?」


 ドアの向こうに立っていたのはルナではなく、黒くて綺麗な髪をまっすぐと下に伸ばしたクール美少女――妹の、莉音だった。

 見た目通りというか、結構毒舌で厳しいところがある子だ。

 そんな彼女は現在、ゴミでも見るかのような目で俺を見上げていた。


「ルナって誰よ……?」


 普段の彼女のトーンよりかなり低めのトーンで、莉音は俺に尋ねてきた。

 小首を傾げているのだけど、その様子からはかわいらしさではなく半端ない威圧を感じる。

 どうやらかなり不機嫌のようだ。


「い、いや、寝ぼけていただけで……アニメのキャラだよ……」


 ルナのことは当然家族に話しておらず、知られることも避けたい。

 特に莉音には知られたくなかった。

 家に連れ込んで泊めていたなんて言ったら、どんな非難をされるかわからない。


「現実と二次元を混同しだしたら、終わりなんだけど……?」


 莉音の機嫌は直らず、相変わらず軽蔑したような目を向けられていた。

 間違いなく、アニメオタクと認識されたようだ。


「えっと、どうしたの? 何か用事?」


 居心地悪い空気になってしまったが、俺は彼女が来た理由を尋ねる。

 ただでさえ気まずい関係だったのに、更に気まずくなった気がした。


「用事がないと来たら駄目なのかしら? そこまで遠いわけではないのだし、家族の様子くらい見に来るでしょ?」


 幼馴染ではなく、家族――その言葉に、関係の変化を思い知らされる。

 もう一年ほど経っているのだから、慣れないといけないのだけど……。


「わざわざありがとうね。こうして元気にはしているから」

「えぇ、どうやら自堕落な生活をしているようだけどね?」


 先程の発言によって、毎日アニメばかりを観て過ごしていると思われたようだ。


 ……間違ってはいないので、否定はできないのだけど。


「自堕落ってほどでもないけど……」

「一人暮らしだからって、好き放題しているんじゃないでしょうね?」


 冷たい目を向けてくる莉音は、当たり前のように部屋の中に入ってこようとする。


「ちょっ、何してるの……!?」

「部屋の中を確認するのよ。ゴミ溜めになっていないか、をね。何、わざわざ来た妹に対して、まさか部屋にも入れず帰れって言うんじゃないでしょうね?」


 莉音は有無を言わさぬ態度で、俺を睨んでくる。

 昔からクールな子ではあったけど、こんな強引なことをする子ではなかった。


 これは――よほど、怒らせているな……。

 心当たりがありすぎて、文句も言えない。


「部屋は綺麗にしているよ」


 止めることができなかったので、ズカズカと部屋に入ってきた莉音に溜息を吐きながら答える。


「……そのようね。ゴミ溜めになっていたら、無理矢理にでも連れ帰るつもりだったけど」


 莉音はリビングと寝室を見回すと、納得してくれたようだ。

 連絡もなしに来たのは抜き打ちチェックだったんだろう。


「問題ないなら、帰って――」

「は? まだ帰らないけど?」


 帰るよう促そうとすると、とても冷たい目を向けられてしまった。


 めちゃくちゃ機嫌悪いな……。


「他に何か用事でも……?」

「宿題は終わったの?」

「終わってるよ」


 夏休みの宿題は、ルナと出会う少し前に終わらせていた。

 子供の頃から莉音と一緒にやることが多く、早い段階で終わらせる癖をつけられていたので、今回も終わらせられたのだ。


「そう……」


 莉音は不満そうに顔を背ける。

 なんで終わらせているのに、不服そうな態度を取られないといけないんだろう……?


「お昼ご飯はもう食べたの?」

「それは……まだだけど……」


 お昼ご飯どころか、朝ご飯すら食べていない。

 ルナがいなくなってから何をするのも億劫おっくうで、必要最低限の食事しかしていなかった。


「よかった、私もまだだから。料理作るわね」


 どうやら莉音がご飯を作ってくれるらしい。

 お互いの親が仕事で忙しかったことで、小学生の頃から莉音と一緒に料理をしていた。

 というか、俺に料理を教えてくれていたのが莉音だ。

 当然、俺よりも料理が上手だったりする。


「食材、何もないけど……」

「なんでないのよ。外食やコンビニ弁当ばかり食べているんじゃないでしょうね?」


 冷蔵庫に食材がないことで、不満そうな表情を向けられてしまった。


 仕方がないじゃないか、料理をする元気がないんだから。


「たまたま切らしてただけだよ」

「本当でしょうね? 自炊をするってことが一人暮らしの条件に含まれていたんだから、できていないならお父さんたちに言うから」


 莉音は疑うような目を向けてくる。

 彼女の言う通り、一人暮らしをさせてもらう条件として、自炊は言われていたものだ。

 お金が理由ではなく、栄養管理をちゃんとしろということだった。

 それができないのなら、一人暮らしは認められない――ってことで、父さんたちにチクられると家に帰ってこいって言われるだろう。


 正直、ルナと別れた後からは自炊ができていないから、微妙なところだけど……。


「ちゃんと自炊はしているよ」


 それまでは自炊をしていたんだ。

 これは嘘ではない。


「……まぁいいわ。スーパーに行くから着替えて」

「俺も行くの……?」

「…………」


 一応聞いてみると、無言で睨まれてしまった。

 ついてくるのが当たり前だ、ということだろう。


 俺は告白の件を引きずっているというのに、莉音の俺に対する態度を見る限り、彼女は気に留めてすらいないようだ。


 いい加減、俺も割り切らないといけないよな……。

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