第13話 マーギュリス 黄昏の教団

 着衣から見て貴族なのだろうが黒い靄をまとったような男が近づいて来る。従者も連れず足下も危うい。帯剣すらしていない。黄昏の教団の象徴である天空の大聖堂の正門を守護する若き聖騎士は"来るな!"と祈るが願いは届かなかった。ここは教団の最高責任者である予見師が星を読む場所だ。一般の信者は入れない。


 「俺はプレアデスの弟子だが、リンファーン・マーギュリスを頼む。たまには茶でも飲みに来るよう誘われているのでな。」


 若き聖騎士は腰を下ろし抜剣しようとする。教団首席予見師を呼び捨てにして、茶を飲みに来たなどとふざけるとは、いい度胸だと。


 だが、その剣は抜かれることはなかった。


 「辺境伯様いたずらが過ぎますぞ。」


 二人の間に割って入ったのは平服の聖騎士団長ガレス・ツィーゲ、偶然にしては出来すぎたタイミングだった。


 「顔見知りがいたか。」


 残念そうに辺境伯はそうつぶやく。ひと悶着起こしてそのまま追い返される予定だったリクーランは舌打ちをする。


 「帰って良いか?」


 「御冗談はお止め下さい。」


 「うまく煙に巻くつもりだったが失敗したな。」


 「あなた様でも逆らえぬものがあるということ。」


 「まるで黄昏の信徒の様な物言いだな。」


 「、、、立ち話はこの辺にして、猊下がお待ちです。」


 この男を見かけや言動で判断してはいけない。東方人のツィーゲは知っている、魔の森の凄まじさを、この男の強さを。昨今の魔毒中毒の噂も聞いてはいるが元々ズレまくっているのだ。まともに彼を理解しようとする方が間違っている。と失礼な事を考える。


 だが、かわいそうなのは門番をしていた、若き聖騎士だ。同じ東方人として憧れのミルファー辺境伯との邂逅を台無しにしてしまい唇を噛んでいる。魔の森での訓練が再開したら遠征に加えてやろうと記憶する。


 ミルファー辺境伯が素早く若き聖騎士にサインを送った。口の前に拳を当て手のひらを開く古い挨拶だ。聖騎士は胸に手を当て心臓を掴むサインを送り返した。


 やはりこの男は油断出来ない。狂気を纒いながら屈強の戦士を誑し込んだ。


 聖騎士団長ツィーゲは大聖堂の大扉を押し開き辺境伯を招き入れる。何も支えていない石造りの円柱が無数に並び行く手を遮っている、迷路のようだ。


 ツィーゲの後を歩くリクーランにはその仕組みが見えてきた。それと同時によくわからない黄色い何かが目に入る。


 「転移魔法か、研究させてもらえるなら、もっと面白いものが作れるなぁ。」


 「なっ、何を仰せられます。」


 「まぁ、仕掛けは所詮五感に過ぎない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚をそれぞれ行使する事で転移魔法が発動し任意の場所に導かれていく。次はその柱を舐めるのかな。」


 「何をどう持ってすれば、そんな情報が得られるのか全く理解できませんな。」


 そう言いながら聖騎士団長は指先で唾液を掬うと柱をなぞった。


 「形式的には渡り鳥が夜空の星座を読みながら旅するやり方に似せているが。唯の個別認識だ。登録されているツィーゲ卿の個体情報を確認して転移させているに過ぎない。まあ、もちろん相手に気づかれずに転移させるっていう部分が凄い事なのだが。」


 「安全保障上、貴方をこのまま此処から返すわけにはいかなくなりますぞ。」


 「それは卿を意のままに操ることができるという前提での話だ。それに私は忙しい、できればもう帰りたい。」


 と言いながらリクーランは先程からチラチラ見え隠れする、"何"かを視線の端に漸く捉えた。そして聖騎士団長が最後の柱に触れる一瞬前に捕まえた。


 転移したのは奇を衒う黄昏の教団には珍しく落ち着いた家具に囲まれた。暖炉のある広い応接間だった。首席予見師リンファーン・マーギュリスの私的空間なのだろう、挽いたばかりの珈琲の香りで満たされていた。


 「リクーラン久しぶりね、お茶でも飲みに来るように言ったのは十年も前の話よ。」


 「貴方にとって十年ぐらい三日前の話でしょう。」


 まあ、それはそうねと納得するハイエルフの彼女は美しい顔少しかしげる。


 「ところでそれは何かしら?」


 リクーランが片手で抱える黄色いものを見て彼女は問いかける。


 「これはさっき捕まえた。ひよこのようなものです。明日息子が領地からやって来ます。遊び道具に持って帰ろうと思いますが宜しいですか?」


 黄色いものは、ひぃ~と言いながら足をバタバタさせる。一緒にやって来た聖騎士団長もあっけに取られて言葉が出ない。


 「困りましたね。そのものはご子息というよりも、貴方自身に愛でていただきたいので、もう暫くお待ちください。出来上がり次第お届けしますので今日のところは離してあげてください。」


 少し不満そうに手を離すリクーラン、どたっと床に落ちた黄色いものはすぐさま起き上がると声を上げた。


 「リクーラン、酷いです。酷すぎます。」


 「おおっ、これはアリステュース先輩ご無沙汰しております。いやぁ、見違えました。何故かご成長していないご様子、若返りましたか?」


 「圧倒的に酷いです。私はハーフエルフですよ。もう二、三年もすればリンファーン様並にボンボ〜ンです。」


 「ああ、そうですか。それは楽しみですね。」 


 「リンファーン様駄目です。この男の頭の中は"さっさと終わらせて家に帰りたい"しかありません。」


 よくわかったな、とリクーランは興味を黄色いドレスを着た先輩に戻す。学院時代の二つ年上だった生徒会長は優秀だったが見た目が妹のエルデリックスやリュ・パールよりも幼く心の中でひよこ先輩と呼んでいた事を思い出す。理解の難しい彼の心理を読み解く事が出来た、唯一の先輩と言える存在だった。


 「気をつけてください。食べ物で女心をコントロールするのがとても巧みな男です。」


 聖騎士団長が慣れた手つきで引いたコーヒー豆にお湯を注ぐ。部屋の中にアロマが加算された。それに合せるように箱を取り出したリクーランがテーブルに置いた時アリステュースがそう言った。が、ちゃっかりリクーランの隣りに座った彼女は嬉しそうに箱の中を覗き込む。


 「先輩、言動に矛盾がありますが?」


 「もちろんです。ですが、あなたに女心を理解していただこうなどとは思っていません。」


 「あー、なるほど。確かに。」


 そんな会話を聞きながら聖騎士団長は再び驚かされる。普段は滅多に口を開くことの無い予見師アリステュースが楽しげに会話をしている。それも要塞の様な守りの固い辺境伯と。


 確かに今朝、彼女から「大切な方が訪れるでしょう。」と粗相の無いように直々に仰せつかった。恐らく予言の類いだ、誰も辺境伯の来訪など知らなかったはずだ。そのことを主席様に報告し、平服で門に降りたのは半刻前のことだった。


 「黄昏の教団領地ジャプアの高山珈琲に勝る物無し。先輩、へそ曲がりの私も賛同しますよ。」


 「それを言うならミルファー辺境伯領の氷結カカオのチョコレート程乙女の心を溶かすものはないわ。」


 あながち例の噂は真実なのかもしれないなと。聖騎士団長ガレス・ツィーゲは心の中でにやりと笑った。



――――――――――――――


 「昨日ニコランデル公爵夫人のご要望通り黄昏の教団首席予見師リンファーン・マーギュリス猊下にお会いして来ました。」


 「まぁ、よくお会い出来ましたね。」


 「夫人からの連絡がちゃんと通ってましたよ。正直、気乗りがしなかったので逃げて帰るつもりでしたが、天空の大聖堂の入口でツィーゲ卿が待ち構えていて捕まってしまいました。」


 ステリーナ・ニコランデル公爵夫人は首を傾げる。


 「いえ、私は連絡などしておりません。それに天空の大聖堂には予見師と聖騎士以外入ることなど不可能です。」


 「えっ、あの大きな青いドーム屋根の建物ですよね?聖騎士団長の案内でリンファーン・マーギュリス猊下の私室で歓談しただけですよ。」


 公爵夫人は信じられないという顔で答える。


 「猊下の私室など、その存在すら知られておりません。」


 "ヤバいな、"リクーランは大聖堂での一件が口外してはいけない部類の事だと、ようやく気付いた。だが、預かってきたものをお渡しするのは当然だし問題ないだろうと懐から取り出そうとすると。


 「黄昏の教団と云えばもう一人大切な方がいらっしゃるのだけど、お会いしなかったのかしら?」


 「アリステュース先輩だろ、お会いしたぞ。」


 「あら、何故おっしゃってくれなかったの?マリスちゃん、これってどういうことなのかな?」


 「浮気です。」


 突然始まった糾弾にリクーランは慌てて否定する。 


 「いや、待ってくれ。マリスちゃん君はまだ大人の言葉を理解していないのかな?」


 「私は現在知り得る情報を精査して答えを導き出しました。関係のあった昔の女と再会し、そのことを妻に伝えないということは浮気です。」


 「私は先輩と不適切な関係を持った事は無いし、あのひよこ先輩と将来そんな関係になる事もないぞ。」


 「不適切な関係がどんな関係だかは存じませんが、学院時代アリステュース様はお義父様に"女にされた"と言うお話でしたよね?」


 「確かにそんな騒ぎにはなったことがあるが、事実ではない。」


 「エレン様お義父様はとてもたちの悪い賢者様なのですね。」


 「えぇ、最低最悪の私の父以上に性悪。都合の悪いことには目を向けないの。おまけに変態よ。」


 「レオ、やめてくれ。もう理解したからこの辺で勘弁してくれ。」


 「何をご理解なさったのか、ご自分の口で説明していただけますか?」


 「エルフの血を引く女が"女にされた"と言うのはその男の子が産みたいと直感した時に発する言葉だと調べて分かった。昨晩のことだオルティアから聞いた。ここでお名前を拝借するのは気が引けるが、ニコランデル公爵にその類いの話があったらしい。」


 オルティアとは王都ミルファー家の女執事で戦闘メイド上がりの情報収集者は特に(王都のスキャンダル)に精通している。ニコランデル公爵とマリスの母親との物語に出て来る逸話だ。


 「もうその辺にしておきなさい。」


 流石にニコランデル公爵まで飛火してはまとまる話もまとまらないとリズタンテが静止した。


 「辺境伯、ミルファー家当主は第三夫人まで娶る義務がある事をご存知のはずです。」


 「義務なのですか?慣習ではなく。」


 「義務です。」


 「なぜアリステュース様の名前が上がってくるのです?」


 「彼女はお父様も認めた貴方の正式な婚約者です。」


 「初めて知りました。なぜ私が知らなかったのです?」


 「貴方が魔の森に入り浸り帰ってこなかったからです。アリステュース様が予見師に選定される前に婚約させたいとマーギュリス猊下から打診があり、お受けしたのです。」


 「レオ知っていたのか?」


 「ええ、 もちろん。学院時代に第三夫人で良いからそばにいたいと懇願をされたわ。お立場的には第一夫人で良いのではとおすすめしたのだけど、年上の押しかけ女房にその資格はないと固辞されたのよ。」


 「そんな以前から、俺だけ蚊帳の外だったのだな。」


 「いいえ、違うわ。あなたが蚊帳の外へ出てこなかっただけよ。そして、誰もあなた蚊帳の中に入れようとはしなかった。私は入れるわ。でもヴァレリーは入れなかった。アリステュース先輩も外から覗き込むだけ。」


 「その通りだ。俺が悪かった。」


 「本気でしょうね?」


 「何でもかんでも背負いこまされて嫌気がさしていた。無関心で生きることが唯一の抜け道だった。たいして力のない私には重すぎる。そう感じていたんだ。」


 「この世界で最高峰の魔導師の言葉とは思えんが辺境伯の虚しさは理解出来る。戦うことでしか幸せが守れない構造上の問題だな。」


 ニコランデル公爵がここで口を挟んできた彼も満を持してることであろう。


 「よろしいのですか?」

 

 「今見せられたのが、唯の夫婦喧嘩ではないことぐらいわかっている。彼一人に重りを背負わせたのは我々だ。人間性の欠如についての責任も然りだ。だが、その前に我がニコランデル家とパスコワル家の裏の歴史を語らなければならない。」


 公爵は良いかなと妻ステリーナに確認する。


 むっとするほど濃厚な薔薇の香りに満たされていた部屋でのことだった。

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