第12話 薔薇の十字路

 ワルシュタット・ニコランデル公爵は、いつの間にか激流に削られ、どんどん小さくなってゆく河の中洲に今の自分の居場所を重ね合わせる。


 開放された薔薇の咲き乱れる広大な空中庭園から記憶の中よりも少し歳を重ねた女達が入って来た。妻であるステリーナが何故ここに居るのか問い正したいところだが

その欲望を抑え付ける。無言で頷くことが公爵としての威厳を保つ唯一の方法だと経験が彼に告げていた。


 「昔のようにシュタットと呼んでも構わないかしら?」


 あくまでも優雅に元第二王女はそう尋ねてきた。同じ歳の筈だ、目の前に座るミルファー辺境伯の実母とは、とても思えない。二十五年の歳月などなかったかのようだ。


 ニコランデル公爵は自らの意思で激流に飛び込む決意をする。  


 「もちろんです、アレンハーグ陛下とミルファー辺境伯の関係が変わらぬようにリズタンテ様と私の立場も変わらぬこと。」


 その言葉にリズタンテは小さくため息をつく。食えない男だ、今も昔も。と考えながら。 


 しかし、皮肉と恭順の意を抱き合わせにする公爵の僅かな抵抗に言葉を返すことはなかった。


 「我が公爵家の未来は既に辺境伯家に絡め取られている。ご存知の筈だ。」


 己の身を守るため、一族を守るため、領地を守るため、貴族家には強力な魔法が不可欠だ。魔毒の弊害から逃れることはできない。


 ニコランデル家の男子は遺伝的に魔毒による狂気に身を滅ぼす事は無かった。が、子が出来にくい、という大きな問題を抱えていた。


 王家に連なる公爵家の嫡男であるワルシュタットの婚姻相手を決めるに当たっては難航を極めた。過去の血縁における数値情報や属性魔力の相性はもちろん占いに至るまで歴代当主の苦労はニコランデル家の伝統と呼ばれている。大勢の側室を持つことが大きな混乱を招くことをすでに何度も経験しいたるからだ。

 

 だが、以外にも最終的に選ばれたのは身近な女性だった。古都モーヴの大公主パスコワル家最後の血縁ステリーナ・パスコワル。彼女は王立学院でワルシュタットの隣の席で学ぶ可憐な花束のような、甘い色とりどりのお菓子のような少女だった。



 長女は執拗に辺境伯を求め第二夫人に納まった。彼女の双子の弟である嫡男は辺境伯家の次女にご執心で頑なに縁談話を断り続ける。


 挙句の果てに奇跡的に授かった末の娘は聖女として深緑の教団で密やかに成長していたはずなのに。婚約の儀が整ったと言う。それも辺境伯家の生まれたばかりの赤ん坊と。 


 「面倒くさい人間関係なんてほったらかしてどこか遠くに行きたいな。」


 辺境伯のあまりに惚けた独り言にニコランデル公爵は毒気を抜かれ、ここまで出かった言葉を飲み込み答えた。


 「全くもってその通りだ。」


「舅殿もそう思われますか。」

 

 「床の中で縮こまり何も考えたくないな。」


 「私は舅殿をその煩わしいしがらみから解放しつつ、希望をちらつかせながら、難しい選択をしてもらわねばなりません。」


 「これ以上混乱させるのはやめてくれ、質問には答えてもらえるのかな?」


 「もちろんです。ただ、私は嘘はつきませんが空白の部分はご自身の判断でお埋めください。」


 "パパンは凄いな"と赤ん坊のリューガは機嫌よくマリスの腕の中でキャッキャしていた。


 無防備な心の一方を突いて相手の思考を誘導する。賢者の能力なのだろう、それも作為的では無く無意識に。


 ママンも凄いけどパパンも大物だ。年老いた荒ぶれた魂を持つリューガは知っていた、特に対人で作為を消すことの難しさを。そして自身の痛手も厭わない強い意志を貫き通せる精神力も凄まじいと感心するのだった。


 すでに二人は英雄の位を手にしている。そんな両親なら生まれた圧力に抵抗する手立ては一つ、情報収集だ。何処か見覚えのある心の輪郭を持つ美少女と婚約とか今は横に置いといて、最善の道を模索していくしかないと覚悟する。"



 「貴方には何度もご相談があると連絡差し上げていたのですが、ご返事がいただけなかったので勝手に話は進めさせていただきました。」


 妻ステリーナの言葉にニコランデル公爵は無言で頷く。彼女は公爵の横に座ると話を続ける。


 「ミルファー辺境伯家の交渉はヴァレリーが執り行いマリスは深緑の教団から開放され辺境伯家に入りました。その後のことは先程貴方がお聞きになった通りです。」


 「ヴァレリーが?そうか、、」


 「その代償の一つとしてミルファー家はバジリスク・ラグ・モーヴの完全再建をお約束になったようです。」


 公爵はそう言った妻の真意に気付くと辺境伯に問い掛けようとする。そこへ、深緑の教団第一聖女と新たに現れたロアサ、剣聖伯エレオノールの華やいだ声がグランドテラスに設けられたお茶会のテーブルから聞こえてくる。


 「パスコワル家の霊廟と礼拝堂の復旧は、」


 と言いかけて言葉を飲み込む。確認を怠っていた妻からの手紙の内容が想像出来たからだ。


 「ニコランデル家の窓口はステリーナに頼みたいが良いかな?」


 「感謝いたします。悲願のパスコワル家の礼拝堂と霊廟の復旧を娘と一緒に出来るとは夢のようです。ヴァレリーは既にダレン・グーナ様ナナリット様の教えの元資材調達を開始したとお聞きしました。」


 あー、俺も早く魔の森に帰りたいなと心から思いながらリクーランは付け加える。


 「我々が既に王家に献上している古代遺跡で見つけた神聖な祭具を王家から、とモーヴ市民の少額な浄財以外は受け入れるつもりはありません。」


 十年を超える復興事業に成るだろう。だからといって便乗する貴族や商人にその名誉を分け与えるつもりは無いと宣言する。


 「感謝する。この借りは大きいがいずれ。」


 「舅殿、私はここに集った人達を仲間として遇するつもりです。困っていたら、手を貸そうかとおっしゃってくださればいいのです。」


 もちろん、それぞれの柵や心の奥底の複雑な思いを考慮しつつ。とリクーランは言葉にはせずに付け加える。


 そして、その無言の部分を解釈しつつ頷いた公爵の前に丸薬の入った小瓶を置いた。


 「これは魔毒を中和する薬になります。精神的な副作用はありますが、魔毒は確実に抑え込めます。」

  

 小瓶を手に取る公爵の脳裏に情報が流れ込む。この丸薬自体が驚愕の事実ではあるが、そこから溢れるように憶測や想像でしかなかった案件の答えが次々と導かれていく。


 「公爵様、この男を良い方向に解釈しないで頂きたいですわ。」


 突然現れたエレオノールが辺境伯の後ろから彼の首に腕を巻きつける。もともと悪かった辺境伯の顔色がさらに青ざめていく。


 「やめろよ、レオ、皆様の前で。この魔法薬の検証もできたし。」


 首に回された腕が少し締まる。


 「分かってる。分かってる。そんな問題じゃないって。」


 エレオノールはもちろん知っている。この男の本質を熟知している。多重人格者だ、今も慌てている自分を冷静に観察している。 

 

 魔毒に浸りながら快楽と苦痛を棲み分けていた。驚くべき処は薬を使わず薬効を体現していた。

 過去の自分へ逆行する意志で魔毒を中和或いは排泄する。こちらの世界には無い免疫力の精神強化と云う概念を可能にした奇跡の薬をこの男は魔法で再現していた。

 自分の精神と肉体を危険に晒して実験を愉しんでいた。快楽と苦痛の狭間を彷徨いながら。


 恐ろしいのはこの男が笑いながら自分の死を受け入れる日が来るのではないかということだ。目を離すとこの有様だ、エレオノールがマリスの気持ちをあらためて理解する事になった。


 「レオ、俺はお前をこの子達を置いて何処にも行かないよ。約束する。」


 と言いながらリューガとマリスの頬をリクーランは優しく撫でた。統一された意志での約束だとエレオノールは受け入れる。ちょろい女だと思われるかもしれないが此処から先は二人だけの問題だと。


 「というわけで、公爵様のご推察通り、敵を欺くためにはまず味方からという考えでお勧めください。」


 一体何を見せられたのだと困惑する公爵だが疑問の根幹を成すものが在る事を彼は知っていた。その事を考える度、触れてはならぬ、と戒めの声が聞こえるほど危険なものだ。


 「とんでもない選択を強いられたものだ。」



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 ハルヴァ、フェンティ両男爵は離れた場所に座りながらも互いに睨み合っていた。王権派、貴族派と異なる立場で自称若手成り上がり貴族を掌握し総意の形で一発言権を各領袖から得ていたつもりでいたが、思い上がりも甚だしかったと今は自覚してた。だが、それでも生き残りの道は模索しなくてはならない。


 ここに集められたのは男爵だけだが十二名の貴族が居る。王立学院を卒業し、次男三男それ以下であったため、爵位は継げずに官吏となったり、各機関で研究者として働いていた経験を持つ。どちらかといえば使える奴らだ。フェンティが頷いた、覚悟が決まったのだろう。ハルヴァが立ち上がる。


 「このまま行けば、俺たちはジリ貧だ。なんだかんだと理由をつけられ粛清されるだろう。どうだフェンティ。」


 「お前は最高にいけ好かない奴だが。ここで知恵を出し合うのは吝かでない。だが裏切るなよ。」


 「もうそんな茶番やめてください。お二人がつるんでいることぐらい皆知ってるんですよ。」


 「それがどうした?一人でも多くの者が生き残るための策だ。お前たちも知っていて同調していたのなら覚悟を決めたらどうだ。」


 「もちろんですよ。私は茶番はやめてくれと言っただけです。もうお二人には任せておけません。そういうことです。」


 「オドナル子爵がいなければまともな意見も出せない、喧嘩ばかりしている、お前達は黙っていてくれ。」


 「なっ、」


 突然主導権を失った二人は言葉も出ない。いつもは黙って頷くだけのサンリ男爵は内務上がりの切れ者との噂で強面のタネル男爵は元冒険者。二人共、定例会議では騒ぎを起こした者達を諌めようとして一緒に此処に連れて来られた。


 「ならばお二人に策はあるのか?」


 主導権を奪取した二人は間一髪入れず話始める。


 「ミルファー辺境伯が血眼になって探している覚書があります。内務省時代の同僚からの情報なので間違いありません。」


 「なんです。その覚書とは?」


 「亡くなった前魔法省大臣ロイター伯爵の覚書です。」


 聞き覚えのある名前にドキリとする二人だったが、失意の表情は崩さない。


 「それはどのような?」


 「魔毒中毒で収監されている元貴族家当主の方や縁者の方の名簿です。」


 そこでタネル男爵が口を開いた。


 「新王即位の儀の最後、祝福の儀に当たり恩赦に相当する者達の名簿と上奏書の下書きだと思われる。」


 「ミルファー辺境伯は早々に儀式を完結させたいと考え上げているのではないかと。もちろん、私の個人的な推測ではありますが。」


 「覚書を揉み消すとお考えか?」


 「さて?私ごときに、ただ、もし幸運にもこの覚書を手に入れることができたとしたら、いずれの道を選ぶかということです。」


 ミルファー辺境伯に媚びを売るか、名簿に乗った貴族家に注進して後ろ盾になってもらうか。


 その時近衛兵から外部から堅く封じられていた扉が開き、王権派の領袖バーセア侯爵が入室して来た。


 「二度目はないぞ。陛下のお許しを今回は得ることができた。定例会議への出席は禁止。明日からは貴族の礼節を暫くの間再教育だ。つるむ事も許されぬ。わかったら今回は口を閉じ黙って出て行くように。」


 近衛兵の鋭い視線に目配せも出来ないまま、一人一人連れ出されて行く。そのうちの最低二人は愚かにも時間的猶予が与えられたと勘違いしているだろう。

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