第11話 後宮
定例会議を知らせる鐘を聞きながらワルトシュタット・ニコランデル公爵は人目をはばからず深いため息をついていた。上位貴族の多くは流行病の感染を避けるため自領から王都に在っても屋敷から出て来ようとしない。今ここに居るのは本来ならば出席も許されない下級貴族ばかり。それも当主や嫡子を流行病で失い幸運にも爵位を継いだ半端者達だ。
陛下へ直接話し掛ける事も憚れる身分なれど気さくな、というか同じ様な経緯で王位に就いた陛下は冒険者上がり、そこら辺の自覚が少々足りないようで侍従長のしかめっ面もお構い無しだ。
だが今日の陛下は明らかに不機嫌だ。
「お前達の話はいい黙っていてくれ。」
入室して来るなりそう言い放ちニコランデル公爵に近づいて行く。
「ワルトシュタット、ミルファー辺境伯が会いたがっている。」
王アレンバークはそう言いながらドアに視線を移す。
「ニコランデル公爵危険です、私がお供します。」
(……馬鹿が、)緊張に耐えきれなくなった例の若手貴族の一人が声を上げ、さらに王権派、貴族派、入り乱れ数人が愚かにも賛同して前に出る。黙っていろ、と云う王命すら理解出来ない者達は控えていた近衛兵に引き摺られて退出差せられて行く。喚き散らすことで罪を重ねながら。
公爵は言葉を発することなく胸に手を当て礼をとると出口へと向かう。途中王権派のバーセア侯爵の姿を探すが見当たらない。古株の貴族派達の顔も強張り何が起こっているのか理解出来ないようだ。
重く長い一歩を踏みしめ謁見の間から退出した公爵を一人の女が待ち構えていた。
黒髪を眉の上で切り揃えたおかっぱ頭、白のチョーカーとぴったりとした上着に手袋をはめ、ふわりとした短めのスカートと踵の高い靴を履いたおよそ宮廷では見ることのない女。特に奇抜で派手めのメイクは元の顔の印象をわざと消すためのものだ。
前ミルファー辺境伯夫人達が鍛え上げた女性戦士集団、通称戦闘メイドと言われている女だと公爵は推測する。
「私に暗殺命令でも出ているのかね?」
「まあ、そんなもの出ていませんわ。それに誤解なさっているのかもしれませんが戦闘メイドは暗殺者ではありませんの。」
そう言ってにっこりと笑う、公爵はその声に聞き覚えがあると首をかしげる。
「リュ・パールか?」
「はい伯父様ご無沙汰しております。」
彼女の名はリュ・パール・ミルファー、第三夫人ナナリットの娘。辺境伯家の戦闘狂の遺伝子を最も濃く受け継いだと言われる鬼の末娘だ。しかし、公爵が彼女の事を良く知るのは貴族同士の付き合いからではなく個人的なものだ。
彼女はヴァレリーの双子の弟、ニコランデル公爵家の嫡男カサンドロスの学院時代からの恋人であり結婚しない女として公爵家の未来を脅かす存在だ。息子は何度言い聞かせてもこの女と別れようとしない。
「伯父様急ぎましょう、皆様お待ちです。」
「皆様?辺境伯殿ではないのか?」
「もちろん兄様もですが、大変ですよ伯父様。」
「そうなのか?だが、お前が私の前に現れたのはなぜだ?」
僅かではあるが恋愛は許されている、貴族社会でも。災厄の時代と呼ばれる今、特に顕著になってきた。不安定な世情に人は自由を求め出会いを探がす。そしてニコランデル直系の長女も嫡男もミルファーの血に魅了される、ある意味仕方のないことだとワルトシュタット・ニコランデルは考えていた。そして流石だとも。
「この世界の歴史模様の中心はミルファーにあります。傲慢だとお笑いになりますか?」
「いやその通りだ。ミルファーの大陸中に張り巡らせた情報網が無ければ全てにおいてもっと酷いことになっていただろう。」
「伯父様、わたくしは一番良い場所で変革の時代を生きているのです。」
「ニコランデル家に入り子を産み母として生きるつもりは無いと云うことか。」
「わたくしの望みはカサンドロスをその輪の中に引き込みたいのです。そのための犠牲だと考えていただけませんか?」
「ははっ、まいったな。」
一歩先をゆくミルファー家の末娘の考えに自分の度量の狭さに公爵はギリッと奥歯を噛みしめる。
「まずは公爵様に御苦労お願いしたいと思いこのお役目授かって来たわけでございます。」
わかった、とだけ答えて公爵は前に進む。だが彼はミルファー家の本当の姿と時代の流れの凄まじさをまだ知らない。この完璧に見える辺境伯家の末娘が数時間後には涙目で子供を産みたいと言い出すなどとは想像もできない。
会話をやめて思索の森を彷徨っていた公爵は立ち止まる。廊下の色が変わっていることに気づいたからだ。危うく踏み越えるところだった。この先は後宮だ、たとえ公爵であろうとも許可なく立ち入ることはできない。
「許可は 降りています。そのままお進み下さい。」
突然左右から二人の戦闘メイドが現れた、髪の毛とチョーカーの色以外見分けがつかない。物陰から動かなければ気配すら感じなかった。暗殺者では無いと言ったリュ・パールの言葉が信じられなくなる程の隠密性にニコランデル公爵は舌を巻く。
「陛下のご依頼でロアサ姉様の護衛を任されている者達です。」
白御影の石の廊下から薄い緑色のハトルジャモンと呼ばれる大理石の廊下へ入る。微弱な魔力を感じ公爵は顔をしかめる。鑑定魔法で読み取られたらしい。大貴族の当主に対して失礼に当たる行為だが陛下の名前が出た以上致し方無いとそのまま歩み続ける。
懐かしい場所だ、たった一度しか来たことはなかったが。前ミルファー辺境伯第一夫人リズタンテが第二王女だった頃、婚約が決まったニコランデル家の嫡子だった彼と王女の後輩パスコワール大公の孫娘ステリーナの婚約を祝って開いてくれたお茶会だった。
廊下の向こうから近づいてくる扉の先には薔薇の十字路と呼ばれるグランドテラスの庭園だった。色とりどりの花々に囲われたハウスでの一時は今も公爵の心に潤いを与える思い出の一つだ。
出来れば荒れ果てた茶色い庭園など見たくはないが災厄で国全体が疲弊した今贅沢は言ってられないだろう。と荒廃した景色を彼は覚悟する。
だが、開いた扉の向こうにから彼の目に飛び込んで来たのは輝く様な色彩の洪水だった。あの時見た風景がそれ以上の光に包まれ広がっていた、テラスハウスにはリズタンテがその横には彼女の親友である深緑の聖女となったワーデル、その隣りには彼の婚約者ステリーナ。そして何故かその場には居なかったはずの剣聖エレオノールが談笑しながらお茶を飲んでいた。
夢かはたまた現実か?むせ返る様なブラディアールローズの香りが公爵の意識を混乱させる。
「お父様ご無沙汰しております。」
と、彼をこちら側の世界に引き戻したのは久しぶりに会うもう一人の娘の声だった。
「あぁ、マリスか久しいな。」
しかし、まだ十代前半の子供にしか見えない娘が赤子を抱いているのを見て再び混乱しそうになる。
「伯父様、リューガよ。お兄様と剣聖エレオノール様の第一子。そして、お二人は先程正式な婚約者になりました。」
再び彼を混乱の渦の中に突き落としたリュ・パールは笑いながら座り心地の良さそうなソファに案内する。
”伯父様大変ですよ"と云う言葉が公爵の頭の中で木霊していた。
「舅殿申し訳ない、色々と報告が遅れたことをお詫びする。」
そう言いながら向かいのソファーから体を起こしたのはリクーラン・ミルファー辺境伯その人だった。
「リクーラン殿顔色が優れぬが大丈夫かね?」
そう言いながらニコランデル公爵は愕然とする。魔毒中毒が進行しすでに人前に出る状態ではないという噂は本当だったんだと思いながら。
「あぁ、ご心配要りません。記憶の混濁から抜け出したところで……月桃の森の思い出の中が安全なのですよ。」
やはり、よくわからない。確かに顔色は良くなってきたが公爵の不安は拭えない。
「突然のお呼びだてご足労いただき感謝いたします。」
「陛下を呼び出しに使うとは、、、まあ良いお主たちの関係は身分では変わらないと云うことだな。」
「魔の森で生き残るためには観念的に解決したほうが上手く行くのですよ。間違っていれば仲間の言葉に耳を傾ければよいのです。」
「そこ迄の信頼関係は簡単に築けるものではないがな。」
「その点は魔物を見習うべきかと、彼等は敵も味方も裏切りませんので。」
恐ろしい言葉だ、どれほど多くの命のやり取りを魔物とすればそんなことを実感出来るのか公爵には想像もつかない。
「さてマリス嬢と息子リューガの婚約が正式に整いましたことを遅ればせながらご報告申し上げます。」
「いったいどのような経過でそうなったのか説明してもらえるかね?」
「魔力共鳴です。お互いの魔力波動が共鳴してかけがえのない存在になってしまったというわけです。」
まあ少し違うが間違ってはいないとリクーランは考えている。出会ってしまった二人の魔力波動が同等だったという偶然はありえない。彼とエレオノールの出会いが必然的であったように彼等もまた然りだ。神眼持ちのリューガが全鑑定でマリスの魔力を吸収し、その知識を持って無意識に近い状態で魔法を発動している以上共鳴だと断定すべきだと。
ただ、早朝到着したエレオノールとの半年ぶりの再会と早口で語られた冒険譚は濃厚で消化しきれていない。リューガとマリスの摩訶不思議な関係もゆっくり考察したいところだ。
「しかし、マリスは深緑の聖女、おいそれとは解放して、、、イヤまて。」
先程遠い日の思い出かと目を疑ったガラスの向こうのテラスハウスには確かに談笑するあの女達がいる。赤子を抱きかかえ辺境伯の隣りにもじもじと恥ずかしそうに座る娘を見てニコランデル公爵は言葉を失い深く息を吸い込む。歴史が今、目の前で作られているのだと漠然と受け入れながら。
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