第10話 月明かりに照らされる追憶

 王の私的空間イリカエの間には四人の人間しか入室を許されていない。王アレンバーク、賢者ミルファー辺境伯、コンキュバイン・ロアサ、そして今は不在の剣聖伯エレオノール。彼等は冒険者パーティを組み、魔の森や各地のダンジョン深層を攻略してきた王立学院以来の仲間だった。


 「ここは腐った果物の匂いがするな、高級な果物だね、人によっては好きな匂いかもしれない。」


 「リクウ……リクウ……」


 「どうしたアレンもう腹が減ったのか?まだ早いがロアサに聞いてみよう。」


 戴冠から一年、先日行なわれた国家鎮護の修法で賢者リクーランは再び深い魔に混みれた。本来ならば数十人の魔導師によって執り行われる儀式だが厄災、流行病、この国は今人手不足だ。王族も大貴族もギリギリまで力を削り取られ、賢者リクーラン一人にその責務の多くを背負わせざる得ない状態だ。狂気が友の精神を蝕んでいることは明らかで王は自分の不甲斐なさを呪うことしかできない。


 「すまんリクウ俺の力不足でおまえに迷惑ばかりかけて……」


 頭を下げ続ける王にリクーランは控えめだが声を上げて笑い続ける。


 「やめろよアレンお前の不甲斐なさは昔から変わらないさ。なあ、ロアサそろそろ飯の用意をしてくれ。」


 機嫌よく狂気の中を漂う友人をこちら側に引き戻すため言葉を探していたロアサはようやく口を開いた。


 「あなたが大陸を平定し伝説の皇帝になられるつもりならばお力添えしますよ。でも食事はレオンが戻ってからです。」


 レオンとはエレオノールがアレンバークとロアサに呼ぶことを許した呼び名だ。


 「やめてくれよ辺境伯領だけでも投げ出したいのにとんでもない。しかし、レオはどうした?しばらく見てないぞ。」


 「彼女は狩りに出かけましたよ、あなた方男性の言う、美味そうな肉を抱えて帰ってくるでしょう。」


 「アレンやったな、うまい肉が食えるらしいぞ。」


 「ところで、ここはどこですか?」


 「バオアオの変形二階層ダンジョンの西、月桃の森の入口付近だ。月夜の晩だ、もうすぐ花が咲き始める。」


 彼が居心地の良い月明かりの追憶の中を彷徨っていたことを知りロアサは胸を撫で下ろす。自分達が偉大な仲間の楽しい思い出の一部だと誇らしくもある。だがいつまでも彼に引きこもっていられては先に進めない。


 「リクウあなた一度辺境伯領へ戻っては如何です?」


 遥か遠くを見つめているような、そんな目をしていたリクーランは身体をびくりと震わせ瞳は正気を取り戻す。重要な儀式はもう一つ、この最後の儀式は延期も有りだとロアサは考えていた。事前に調べておくべきことがある。


 「いいのか?」


 「妾たち四人と辺境伯領、魔の森があればこの国が崩壊しようとも立て直しは可能です。」


 「ロアサ!」


 「アレンここはリクウが言うように魔の森、それも私たちが到達した最も深い月桃の森ですよ。あなたも本音で話しなさい。」


 「まあ、国が滅びるのはちょっとあれだが最後の儀式は王家から貢献度の高い貴族や大商人たちへの祝福の儀だ。特に俺がお世話になったやつもいないし、なんなら中止にしてもいいぞ。」


 そうそう、やればできるじゃないかとロアサは愛人である王アレンバークの髪を優しく撫でながらリクーランの様子を心配そうに伺う。 


 「すまんな、心配かけた。居心地のいい思い出の中でまどろんでいただけだ。」


 「あなたが謝ることなど何もありませんわ。アレンの言う通り祝福の儀は日を改めることを前提に詰めていきましょう。」


 さすがロアサだとリクーランは心から感心する。全てを失い王の愛人を名乗る亡国の姫君は研ぎ澄まされたナイフのように良く切れる。祝福の儀に紛れ込んだ危険な落し穴を察知しているようだ。


 「ロアサのことだ貴族やら大商人やらこの国のために頑張ってるふりをしている奴らなどまとめて殺してしまいなさい、とか言うじゃないかとヒヤヒヤしていたぞ。」


 的外れなことを言う王に苦笑する二人、だがこの王は特別だ。手を汚させてはいけない。この部屋の中ではからかわれたり小馬鹿にされたりするが王位継承権の低かった彼が一気に王位を手にしたのは偶然では無く必然だとリクーランもロアサも考えていた。


 「アレン俺は貴族や大商人たちが腰を抜かすようなすごい祝福を送ってやろうと思ってるんだ。」


 自分の考えとは真逆のことを言われたアレンはロアサを見る。話の続きは彼女にお願いしてリクーランは考えをまとめることにした。


 エレオノールからの手紙は既に四通、先ずはリューガの流行病が癒えたこと、その助けとなった聖女マリスを教団から引き抜く為の大量の魔石が送られてきた。流行病の治癒方法を深緑の聖女一位ワーデルに譲渡する内容の証書が母上達のサイン入りで、さらに聖女マリスはリューガの婚約者に昇格との報告があった。母上達の手紙には深緑の聖女ワーデルとの交渉にあたりヴァレリーの母親ニコランデル公爵夫人に助言を求めるようにと書き添えてあった。


 そして問題は最後の手紙だ。信じ難い事だが生後一ヶ月にしてリューガはオリジナル魔法を使うという。聖女の使うエリアヒールの進化系で肉体的、精神的に三年から五年の若返り効力があると母上達のお墨付きを得ている。驚く事に恩恵を受けた同席の、あの冷徹な戦闘メイド達が跪いたという。


 面白くなってきた、いや俺の知らないところで何楽しそうなことやってるんだ。――――


 「リクウすまん。おまえにばかり負担を掛けてしまって。」

 

 ロアサの説明が終わったようだ王アレンバークは再び深々と頭を下げた。


 「アレン俺は誓ったはずだ、お前を偉大な王にすると、己の誓いを成就させるための努力は負担などではない。祝福の儀が成功すれば奴らは三年から五年お前に歯向かうことはないだろう。その間にできるだけ力をつけるんだ。なんなら後継者作りも出来るぞ。」


 「えっ、そうなのか?」


 「やめてくださいリクウ、彼をそそのかさないで下さい。妾にはそんな時間ありませんわ。」


 「待ってくれよロアサ、その件については俺に考えていたことがあるんだ。」


 冗談で済ませてしまおうとしたロアサに珍しく彼は食い下がる。


 「実は俺の知り合いに子育て上手な辺境伯家があるんだ。そこに預かってもらうっていうのはどうだろう。王都王宮と言えども本当に安全なのはこの部屋の中だけだ。義母さん達の後ろ盾があればこの先どんなことがあっても大丈夫なはずだ。ロアサ、君の同朋達の希望にもなる。」


 ずっと考え上手く伝えようと温めてきたのだろう。もちろんそれはミルファー辺境伯家のこと。王立学院生の頃から二人共親密な関わりを持ってきた一族だ。その頃はまだ王位継承権七位だったアレンバークなどは可愛げのないリクーランよりも息子の様に扱われていた。

 

 ロアサに於いても母上様達に彼女に残されたすべてを預けている状態で密に連絡を取っている関係だ。


 三年前、大陸南東部で起こった大地震はロアサの祖国ファオンロアサを国土である半島ごと海に沈めた。わずかな生存者と国外で活動していた者たちが集められ辺境伯領都ソランの一角にコミューンを形成し難民として手厚く保護を受けている。


 「リクウ笑って下さい。情けない妾を、この男が居ないと駄目になってしまいそうな妾を。」


 「心配するなロアサ、おまえが居なければこの男はとっくに魔物の腹の中だ。」


 此の世界は善と悪の均衡で保たれている。精神世界が及ぼす現世への影響力を語る上で外せない概念だが不確かなものだ。なぜならグスが何処にでも居るように善も存在する、だが得てして善は力を持たない。力を手段としないから善良だと言えなくもないがそれだけでは均衡を保てない。その為の魔力で不確かなものだ、穢れた力だがそこに善悪はない。均衡を保つために生じる歪みが狂気を加速させる。


 混沌の時代に良き王が現れる、或いは良き王が混沌をもたらすのか?何れにしろ数千年に一度の事なので詳しい事など解らない。"その時代に生まれたことを心ゆくまで楽しみ野垂れ死にたまえ"と言い残し姿を消した師のエレオノールに似たサファイアブルーの美しい瞳を思い起こす。誇らしげに狂気をマントのように纏っていた彼は今も魔の森の奥深くを彷徨っているのだろうか。


 遠くから定例会議を知らせる予鈴の鐘が三回半、名残惜しそうに王が立ち上がる。


 「アレンひとつ頼まれてくれないか?」


 「もちろんだ。」


 「王を使い走りして悪いのだがニコランデル公爵の耳元で囁いてくれ、三日後の定例会議が良い。俺が会いたがっていると。」


 「いつもながらのことだが、それは揉め事の予感しかしないな。」


 「まずは王権派を解体するつもりだ。」


 「彼らは仲間ではなかったのか?」


 リクーランがテーブルの上の書類を片付けてくれていたロアサに目をやると話を受け継いでくれた。


 「あなたの叔父上であられるバーセア侯爵一派を除けば数合わせに集めた烏合の衆です教育が必要なのですよ。」


 素晴らしい、ロアサの言葉選びにリクーランは感心する。一時的ではあっても仲間と認識していた者達の排除、粛清だと王アレンバークの心に影を落とす。教育と云う言葉一つで彼を納得させた。


 さらに言えば、この女はとても良い尻をしている。数日前久しぶりに味わったヴァレリーの尻も格別。恥しがる公爵家令嬢の足を無理矢理開かせるのは中々の快楽だった。


 足元にからみつく黒い波のような狂気をリクーランは踏みつけながら立ち上がる。かつて彼の師がそうだったように至って冷静に。以前ほどの恐怖はない、大量の魔力を使えば使うほど狂気と親密になれる、そんな感覚が今は勝っていた。


 ただ心配そうな友の困り顔には慣れることは、ないな、と思いながら。


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 広大な王宮の平治では大貴族達の交流の場であるサロンに人影はない。灯も点っていない薄暗い控室での会話が怪しく流れていた。

 

 「ソランへの破壊工作は失敗の様です。根こそぎ全員捕縛され鉱山奴隷です。魔の森で魔物を煽っていた奴らも大怪我で使い物にならないらしいですよ。」


 この若い男が如何にしてその情報を手に入れたのか知りたいところだが簡単には口を割らないだろう。今はそんな事に時間を割いている暇もない。


 「貴殿は変わらぬな、同じ暗闇の信徒だそ。」


 「やめてください。漆黒の司祭様が憐憫の情ですか?それこそ駄目なやつでしょう。それ以前に情けは不要てすよ。所詮我らは暗闇の信徒、失敗したらさようなら、で良いんじゃないですか。」


 「成る程、それが貴殿の望むところか。」


 「お分かりいただき幸いです。僕は怒りや憎しみという感情でしか人と接することができないんです。だから暗闇の信徒になったんですよ。だって誰が死のうが潰されようが知ったことじゃない。人間としてクズばかりでしょ暗闇の信徒なんて。思い悩む必要のないということです。」


 "まあいいだろう。彼の言うことにも一理ある。不平等やら不条理という罠にはまり闇堕ちした者たちの集まりに違いない。苦しみを他人に擦り付けたいのも真実だろう。だが、彼は勘違いをしている。そこは漆黒の司祭として正すべき事だろう。"


 年かさの男はそう考えながら威圧を強める。


 「貴殿の自信の裏付けが逃走経路にあるのなら諦めよ。」


 「どういうことです?」


 男が表現したのは動揺ではなく殺意だった。


 「それそれ、貴殿には期待しておるのだよ。」


 「試されていたわけだ。」


 「裏切りが奨励されているわけではない。それと人間は大事な資源だ。大切に使わないとな。」


 「例の覚書必ず手に入れてまいりますので、今回の件チャラにしてください。」


 「元よりそのつもりだ。」


 "絶対信じちゃいけないやつだな"男はそう思いながら、ほっとした笑顔を見せた。

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