第9話 ガルデジャインの浅瀬

 領都ソランの北東へ伸びる隧道をいずれ剣聖伯領の領都に成るであろうサラル・ファソの開拓村へと愛馬を走らせる。床に敷かれた木片はトレントのチップで魔素を含んでいるため道は淡く輝きどこまでも真っ直ぐに続いていく。エレオノールとリクーラン以外誰も知らない道だ。


 「剣聖伯爵を受爵した時、彼が造ってくれたのよ。」


 戦場へと馬を走らせているにもかからず、二人の会話は女子会そのものだった。鐙が無いとお尻が痛いだろとマリスは横抱きにされたままだ。


 「私は予言を成就するためにデザインされた人間だとお伝えしましたが、それは間違いです。私は一人の男のために自分を再構築してきました。」


 「まあ、本当に拗らせているわね。」


 「私には転生の記憶があります。何度も何度も生まれ変わっては己の未熟さゆえ、彼を失ってきました。人の魂を食料とする者に私達の存在は知られているのです。」


 「貴方達が成熟する前に摘み取られて来た訳ね。でも、リューガに間違い無いのかしら?」


 「前世の私は呪いでまともに身動きの取れない生きるだけで精一杯の哀れな女でした。そんな私を支えてくれたお方を忘れられましょうか。」


 「ひぃ~つくづく重たい女ね。リューガは大丈夫かしら。」


 「自由に生きていただきます。」


 「自信があるのね。」


 「いえ、些細な事だと言う事です。我儘で面倒臭い女でしたから。何世代も何世代も迷惑ばかり掛けて捨てられたのです。」


 「エッ、捨てられちゃったの?」


 「彼が意図したものではないと信じたいのですが、彼は記憶を失ってしまいました。」


 「片想いになっちゃったのね。応援するわ、てか、もう婚約者だし。」


 いつもながら何処かずれた、エレオノールの感覚にマリスは微笑む。この方がいれば大丈夫だと心からそう思える。数式などいらない、答えを一気に導く力があれば。


 この人は裏切らない。もしこの人が彼女を裏切ることがあるならば、それは自分自身の責任だと。マリスは深く心に刻み込む。すでに、とんでもないこともペラペラおしゃべりしてるし。エレオノールが噛み砕き解釈し結論づけた事を事実として心に配置して行くことにする。


 「次元流、剣士ベルナルドの直伝も嘘では無いようだし。」


 「もう嫌というほど、何度も何度も叩き伏せられました。何世代もの間、私を鍛え上げてくれた。悪夢のような存在でしたが強くあれと私を支えてくれた頼もしい方でした。」



 「それは良い子ちゃんの発言よ。噛み合ってないわ。」



 「そうですね。目的の為には手段を選べない。悲しい方でした。」


 「それらしいわ、最強の剣士と呼ばれる由縁ね。」


 「見果てぬ夢を追い求めるように一人のお方を探し求めていました。」


 「師弟で拗らせるって有りなのかしら?」 


 「もちろん有りですよ。転生の時間的錯綜方法の解析とか呪怨に依る影響と効果の割出しもそうですし。怪しげな治験のような繰り返しでしたが随分助けられました。エレン様のご先祖に当る大賢者プレアデスにも輪廻や因果好きの悪魔こちらで云うソウルイーターとの交渉方法など教わりました。」


 「ラナトゥまで知ってるの?さらっと凄いことを言ってるわよ。」


 「いつもは、私が十四才で彼が二十八才役立たずの子供ちゃんだったのですが逆転出来ました。前世を呪いで潰した甲斐が有りました。」


 「とことん病んでるわね。このこじらせドロドロ娘は。」


 「たった一人で生き残り絶望の中、余生を送るとこうなるんです。」


 「今度ゆっくり話を聞きます。ヴァレリーも知らない事なのでしょう?」


 「ひっ、調子にのってペラペラしゃべりすぎました。」


 「貴女どんどん聖女から遠のいて行くわね。」


 「それは単に勝手に認知された聖女の幻想です。個性まで統一することはできません。」


 「まあまあ本物っぽいわ。」


 「本物です。」


 くだらない会話と緩やかに流れる時間、相手は違えど二人が欲していたものだ。だが、戦場は刻々と近づいてくる。


 先方を遮る光る壁を突き付けると、二人は森の中にいた。すると大木の影から百人ほどの女、子供達が現れ、彼女たちの前に跪く。


 「エレオノール様。」 


 開拓村の責任者の一人アカバは元冒険者で引退して夫と共に入植した。彼女に抱きついている子供は開拓村初めての子だ。 


 有事の時は此処に集まるように伝えてあった。だが視線が可怪しい。皆エレオノールに横抱きされている"可愛らしいもの"に注がれている。


 「ビ、、ビバ マリス!」

  

 「ビバ、ビバ」 

 

 「ビバ、マリス」

 

 「ビバ、マリス、ビバ!」


 

 魔の森で大きな声を上げることは当然ながら禁止されている。しかし、感極まった深緑の信徒達は初めて拝見する聖女の尊顔に喜びの声を上げた。サラル・ファソの開拓民は皆深緑の信徒だから仕方ない。とエレオノールは自分の落度だと受け入れた。


 「挨拶は後にしましょう。アカバ説明しなさい。」


 「失礼しました。二時間程前ガルデジャインの浅瀬付近から定期船の救難信号が上がりました。直ぐに駐留中の騎士団と自警団併せて百名が救援に向かいましたが座礁した船には三百以上のラプタートが取り付いていたとのこと。通りかかった早船の援護で一時的に押し返しはしましたが興奮したラプタートがその数を増やしているようです。男達は全員最終防護線で迎え撃つ準備をしています。」


 「分かりました。安心しなさいもう大丈夫です。貴方達は村に戻りなさい、直に騎士団も到着するでしょう。伝言をお願いします。」

 

 「ありがとうございます。」


 「騎士団は最終防衛線で待機、大きな爆発音を確認して突撃とリヴォク騎士団長に伝えて下さい。」


 そう言い残し。エレオノールは再び馬を走らせる。


 「ところであれは何だったのです?」


 「何のことでしょう?」


 「あの、ビバ、ビバですよ。」


 とぼけるマリスに容赦するつもりの無いエレオノールが問い掛ける。


 「…聖女として教壇に入ったばかりの頃です。家族から切り離され話し相手もいない私は一人自室で前世の歌を歌いながら踊っていました。それを掃除をしていた侍女に見られて噂が広まったというわけです。いつしか私への挨拶になっていました。」 


 「その噂がこの辺境の開拓村までたどり着いたというわけね。」


 「そのようです。大変驚きました。」


 「どういう意味なの?」


 「万歳とか生きててよかったって感じです。」


 「まあ、聖女様はご苦労をなされているのね。」


 「、、、ひどいです。」



_________________________________


 

 穏やかな船旅は突然終わりを迎える。辺境伯家の旗を掲げた船がラプタートという魔物に襲われていた。ガルデジャインの浅瀬と呼ばれる難所は馬蹄形に大きく曲がる川底の浅い場所で船足を極端に落とさなくてはならない。魔石を狙った魔物が襲撃してくる可能性が最も高いと王立学院の教科書にも載っていた。


 「ヴァレリー様船室にお戻りください。」


 「何を言われます。マゼラン船長領友の危機です。私もともに戦います。」


 感情を全く表に出すことのない男。マゼランは心の中で笑っていた、あの辺境伯が受け入れた女だ。まともなはずがない。ゆっくりとした船旅に拗れていた心も解放されつつあるのだろう。


 炎を司る公爵家の中で最も高温の炎を操ると言われる彼女が戦闘狂なのは当たり前だ。猫をかぶるのもご令嬢の嗜みだとマゼランは心の中で大声をあげて笑う。


 「ではこちらに、ラプタートは水の斬撃の魔法を持ち強力な手足の鉤爪を武器とする魔物ですが個々の能力は高くありません。ただ、優秀な指揮官が局面において戦術を変化させることができるので、厄介な敵でもあります。」


 「楽しみです。」


 「今、領船は舵を壊され浅瀬に乗り上げておりますが、決して危険な状態ではありません。前方の魔法障壁を強化し、弓と槍でラプタートを追い返しているところです。」


 「あわてる場面ではないということですね。」


 「開拓村から応援に駆けつけた騎士団と自警団も船へ敵の戦力が集中しないよう牽制してるだけで無理な戦闘は行っていません。」


 「なるほど。こちら側から罠を仕掛け直しているということですね。」


 マゼランの心の中の高笑いは止まらない。不遜ながら予想以上の女だと腹を抱えて笑う。


 「敵の最大戦力が整ったところで一気に叩きます。おそらく今頃は魔の森の女王様と騎士団長が先陣を争って駆けていることでしょう。」 


 「では、我々も手の内は晒さず、少し敵の数を減らしておきますか。」


 マゼランの合図で早船も浅瀬に乗り上げ迎撃を開始する。マゼランは得意の槍を振るい。ヴァレリーは灼熱した岩を作るとらが密集した河に投げ込んでゆく。すると一瞬で沸騰した水の中ラプタート達は高温の水蒸気で肺をやられ、のた打ち回りながら茹で上がっていく。


 「効果的だけど美しくないわ。だから炎の魔法は、、、」


 ヴァレリーはそうブツブツ言いながら何回か繰り返すと手を止める。


 「マゼラン船長、対岸の森の中からこちらの様子を伺っている者達がいますが、お気づきですか?」


 「分かっております。おそらくこの事件の首謀者でしょう。」


 「事件なのですか?」


 「貴方様を狙ったかどうかは分かりかねますが、エレオノール様や騎士団長を呼び寄せる為の陽動ですな。領都ソランに災厄の魔の手が忍び寄るというわけです。」


 「え、大丈夫なのですか?」


 「問題ありませんな。ミルファー家には優秀な者たちが揃っております。」


 「まあ素敵ね。」


 「ヴァレリー様貴方様もその一人ですよ。」


 「ダメ!吐きそう。」 


 「クックック、お仲間ですな。」


 「そのようですね。」


 その時、角笛が鳴り響く。


 「騎士団、自警団は最終防衛線まで速やかに撤退。エレオノール様です。」


 風になびく小麦畑のように輝く髪の女が黒馬に跨り現れた。素早く船に向かい手話でサインを送る。


 「魔法防御全開。」


 マゼランが叫ぶ。


 「聖女マリスを抱えています。餌?」


 数を増やしたラプタートは三千を超えていたが剣を振るうエレオノールの妨げには成らない。指揮官を護るように密集する中央部へ到着すると。聖女マリスが天に向かって魔法陣を展開させた。


 次の瞬間轟音とともに赤、青、白の光の粒が直径三百メートル程に広がっていく。花火と違うのは音速の二倍の速さで広がる一つ一つの粒が高温に熱せられた金属片でラプタートの体に穴を開け、切り裂いていく。


 同じタイミングで早船から打ち出された二つの魔法が対岸で炸裂する。


 仕留めるにはいたらなかっただろうが、肝を冷やすことは出来たはずだ。


 ミルファー家の戦い方を垣間見ることができて、ヴァレリーは穏やかに晴れ渡った己の心に対面する。久方ぶりのことだ、早く来ればよかったと。姉と呼びたい存在と妹に大きく手を振った。

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