第7話 大河へと
ヴァレリー辺境伯第二夫人の領都ソランへの船旅が始まろうとしていた。
彼女達の乗船する魔導帆船は早船と呼ばれる魔石運搬を専門とする高速船で辺境伯一族の御座船でもある。マゼラン・ロンサールの早船と妹である聖女マリスが乗船したドラン・ディエル船長の船と二隻は元騎士団副団長の船で速いだけでなく強い船だった。
領都ソランから情報と大量の魔石を運んで来たマゼランの案内で初めてのお国入りとなるヴァレリーと子供達には四人の戦闘メイドと二人の乳母、五人の護衛を兼ねた従者がつけられた。輿入れのおり公爵家からやって来た者が主で不安がないようにと辺境伯自ら戦闘メイドを多目に選んでくれた。
王都生まれで王都育ちのヴァレリーは実家の公爵領すら知らない筋金入りの箱入り娘で、ただ、ただ物珍しく甲板に立ち、風魔法て徐々に膨らんでいく帆を見上げていた。小さく屋敷の中で縮こまっていた数日前の自分が遥か遠い過去の出来事のように感じながら。
"もし、第一夫人エレオノール様の子リューガ様が逝去すれば第二夫人ヴァレリーは自分の子供達は殉死を命じられると信じて疑わなかった。それが怖くて怖くて妹である深緑の聖女マリスに頼み込み、魔法での治癒が不可能だと知りながら、すがる思いで説き伏せた。妹の探求心をくすぐり罠に嵌めるようなやり方で。
(最低の姉だ、舌を噛んでこのまま川の中に身を投じたい。)
子供がいなければ、、、いや違う、受け継ぐ者がいるから強く成るようにと旦那様から言われたばかりだ。ニコランデル公爵家の特徴の一つである赤髪が風に舞い燃え上がる様に見えた。マリスは納得して辺境伯領行きを受け入れてくれた。その結果が今回の出来事に繋がったと考えることにしよう。
妹マリスが教団を脱退し辺境伯家に入ることになったという。了解を得るため教団との交渉をヴァレリーは任された。いったい彼女に何が起こったのか信仰と魔法の探究以外何の興味も持たずに生きていた妹にどんな変化が訪れたのか想像もつかない。"
ヴァレリーはそういったことを考えながら折り合いをつけていく。はっきり言ってミルファー辺境伯家は異常だ、ただの貴族家ではない。その本質に早く近づかなくてはいけない、できなければ淘汰されるだけだ。第一夫人に嫌われた第二夫人だから消されるのではない、無能だから自然と消滅していくだけなのだと心に刻み込む。
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"教団"と呼ばれる大陸統一の宗教団体は独立した三つの組織からなる。その一つである深緑の信徒は、 知識と均等をもって救済とし創造神を信仰する。
厳格と秘密主義、とっつきにくい面もあるか医療技術の発展に寄与しているため幅広く人気がある。ただ大貴族家の後ろ盾が無いため資金力、政治的発言力は低い。
ニコランデル公爵家、ミルファー辺境伯家の名前を使う必要はない。仲の良かった妹マリスが聖女に名を連ねる場所だ、絶大な人気と権力を誇る聖女一位ワーデルとも交流がある。
事前に訪問の趣旨は文章でお知らせしてある。後はどう切り出し互いに納得できる合意点を探り合う話し合いだ。
挨拶は重要だがほどほどに本題に入る。
「この会談の最後に私が言うであろう言葉から始めてもよろしいかしら?」
聖女ワーデルは40代半ばの美しい女性だ。特に憂いを秘めたその瞳の奥を男なら誰もが覗き込みたいと思うだろう。
ヴァレリーはゆっくりとしっかり頷いた。
「あの可愛らしかった公爵家のお嬢さんがわたくしの悲しみの元凶を取り除いてくれるとは思いもしませんでした。」
聡明な方だ、ヴァレリーは舌を巻く。今この大陸で飛ぶ鳥を落とす勢いのミルファー辺境伯家と事を構えるのは最悪の選択だ。だからといって言いなりになることは許されない。全てのものが納得する条件を提示せよと言っているのだ。
「私が提案できることは二つです。一つは古都モーヴの大聖堂の件、もう一つは流行病の事となります。聖女ワーデル様のお心を乱せしものだと考えますが、いかがでございましょう?」
今この大陸は大きな災いの渦の中にあり人々は希望を失い喘いでいる。
厄災と呼ばれる天変地異は一発の落雷から始まった。場所は古都モーヴ、五年前のことだった。大聖堂の老朽化した避雷針を取り替える作業のわずかな時間、流れてきた小さな黒雲から放たれた一発の雷が大聖堂を貫き火災を起こし大火を招いた。
俗に言う"バジリスク・ラグ・モーヴの悲劇"だ。そこから大陸は地震、津波、火山噴火、天候の不良にみまわれ流行病と呼ばれる熱病が蔓延している。ピークは過ぎたと言われているが復興への動きは緩慢だ。
「分かっているとは思いますが、あなたが今から発言されることは、とても重大なことですよ。」
聖女ワーデルの何故か悲しみの顔にヴァレリーは息を飲む、その美しさに聖女の凄みを垣間見たような気がした。
聖女は古都モーヴの出身だ、幼い頃からその大聖堂で修行を積んで聖女を顕現する。第二王女リズタンテの学友として王立学院で学問を修めた。復興への思いは人一倍なのだろうが時勢がそれを許さない。寄付が集まらない、教団としてもおおっぴらにお金を出すこともできない。聖女ワーデルは聖女一位を辞して故郷に戻り復興の先頭に立ちたいと常々周りにもらしているとマリスから聞いていた。
「バジリスク・ラグ・モーヴの再建をミルファー辺境伯家にお任せください。ニコランデル公爵家の協力も取りつけてあります。我が妹マリスは深緑の聖女三位と云う立場ではございますがその力をミルファー家にお与え下さいますよう、お願い申し上げます。」
聖女ワーデルは小さく小首を傾げ考えを巡らせる。モーヴの大聖堂を一から建て直そうと言っているのだ。一体どれぐらいの予算を考えているのだろう。ニコランデル公爵夫人ステリーナ様は今は無きモーヴ大公最後の血筋だ。相乗りする様な下世話な者達の寄付など一切受け付け無いだろう。
"恐るべきは辺境伯家の嗅覚と言うべきか、見事な手際で最も重要なカードを引き当てた。聖女マリスは無くてはならない切り札の一枚だ。もしかしたら辺境伯家は既に彼女と対を成す最強のカードを手にしているのかもしれない。"
それは予言の話だ。荒唐無稽な冒険譚の断片をつなぎ合わせた。まるで曖昧な夢を見るような物語だ。だが、第十七創世記は独白と追記のアズィーザ伝を除けば、心象を音楽で表現したように時の流れの中に浸透している。
予言は日々成立しているのだ。
黄昏の教団は予見師と呼ばれる教団トップが代々受け継ぐ夢見の法で十七創世記で仮定された終末の回避を試みる。単純に言えば選択肢を増やし、ましな未来を導こうとしているのだが思惑通り上手くいくとは限らない。
「マリスは黄昏の教団筆頭予見師マーギュリスの血縁でもあります。詳しいことは私の口からは言えませんが、いずれあなたのお母様からお話があるでしょう。」
その言葉にヴァレリーは愕然とする、知らなかった。あの小さいダークエルフの半妹にそんな秘密が有るとは考えもしなかった。神聖魔法を得て聖女になれた事を喜んだ、それだけだった。そしてわずか数日でその可能性を見破ったエレオノール第一夫人の洞察力。ヴァレリーは再び奈落の底に突き落とされた。未熟な自分に何も見えていなかった自分に失望する。
「まだ時間が必要だと思われますが流行病の治癒方法が辺境伯家で確立された場合その権利はワーデル様個人に譲渡されます。」
そう言いながらヴァレリーは一通の書類をテーブルの上に置いた。深緑の信徒の王都にあるヘッドクォーター、綺麗に手入れされてはいるが高位貴族家の者を饗すには質素な部屋だ。
「まあ、それは気前の良いことですね。」
と言いながら書類を検める。
「マリスの希望を先代辺境伯の御婦人方、並びに第一夫人エレオノール様のご承認えて正式な契約書になっておりまはす。」
挫けそうになりながらも必死で務めを果たそうするヴァレリーに聖女は目を向ける。
「書類に不備がありますね。確認はしなかったのかしら。」
渡された書類をみると確かに余白がある。よく確認するとそれはエレオノールとマリスのサインの間に自分のヴァレリー自身がサインする余白が残されていた。
喜びと悲しみと情けなさと誇らしさとが複雑に交ざりあい膨れ上がり涙としてヴァレリーから溢れ出す。
気がつけば聖女ワーデルの腕の中にいた。優しく頭を撫でられ心地よくて眠ってしまいそうだった。
「あなたに必要なのは経験です、第二夫人様その才能を無駄にしてはなりませんよ。」
「私はただの使い走りにしかなりません。」
「事の始まりはそういうものです、あなただから、わたくしはこの会談を受け入れたのですよ。」
「わかりません、なぜ私のようなものに。」
「公爵家のご令嬢が言う言葉とは思えませんね。」
「も、元です。私はリクーラン様の、、、」
「分かっていますよ、ではこういうふうに考えてはいかがでしょう。あなたはご自分を成長させる最高の環境にあると。」
「私は辺境伯領に行くことを、とても恐れていました。」
「わたくしは前辺境伯第一夫人リズタンテ様の学友で学院時代を共に過ごしました。崩御された前国王様の末妹であった彼女は今のあなたと同じようなお立場だったと思います。王国一の武を誇る辺境伯の第二夫人は最高の冒険者と謳われたダレン・グーナ、第三夫人には異国の知識と優雅さを身に纏うナナリット。彼女たちの学院での話はあなたもご存知だと思います。リズタンテ様はこの国の王女でしたがご自分が世間知らずの小娘に過ぎないことをご存知でした。リズタランテ様はご自分の才能に磨きをかけ、魔法薬学を極めることで、今の地位を築き上げたのです。」
辺境伯家専用の船着場から王都をめぐる運河を巨大な城壁をくぐり抜け大河ガザルデへ。わずか一週間ばかりの間に起こった様々な出来事を思い巡らせるヴァレリー辺境伯第二夫人の旅は始まった。
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