第6話 揺れる王都の辺境伯

 王宮の一角、以前は若手の中堅官僚のたまり場だった部屋は現在成り上がり貴族達の秘密の会合の場所になっていた。


 成り上がり、と他者から揶揄されているわけてはない。流行病の猛威のお陰で実家の爵位をまさかの繰り上げで継承してしまった。そんな彼等が自虐的にそう呼んでいるにすぎない。


 外は昨日からの雨が降り続いていた、この季節には珍しく乾いた王都を潤している。


 浄化の雨だ、昨日の賢者ミルファー辺境伯の国家鎮護の修法の影響だと誰もが感じていたが口にする者は居ない。少なくともこの部屋に集まる者達にとっては彼を讃える言葉は禁句だった。


 見事な作法だった、本来ならば十数人の魔導師が命がけ行うものだ。ふらりと現れた辺境伯は事も無げに絡みつく魔毒の畝りを祓い清めながら巨大な結界魔法を完成させた。


 圧倒的な力が憧れを恐怖に変え嫉妬と憎悪で判断を曇らせる。賢者リクーラン・ミルファー辺境伯はある意味残酷な支配者だ。彼が怠惰で無欲な人間だとは誰も信じない。


 「これ以上あの方に歯向かうなんてできないよ。」


 いつものようにオドナル子爵の逡巡する泣き言から話し合いは始まる。


 「いや、見ただろう魔毒は確実に奴の体を蝕んでいる。」


 「いきなり田舎男爵が天下の大辺境伯様を奴呼ばわりか、下っ端官吏上がりが何様のつもりだ。」


 「フェンティ、止めてくれ君が辺境伯を敬愛しているのは知っているが我々の意見は一致しているはずだ。」


 「我々の意見など一致しない。ただ、厄災と流行病で転がり込んできた爵位と猫の額ほどの領地を失うことに怯えているだけだ。」


 「それでいいではないか。」


 「ハルヴァ、その手段がミルファー辺境伯降ろしか。」


 ミルファー辺境伯の手にする莫大な金と権力は王家に匹敵している。更に王の戴冠の儀を執り行い。一人では不可能と言われた国家護国の法を完成させた。


 その偉大な魔導師の力を削いで野心を起こさぬよう制御する。


 馬鹿げた幻想だと分かっていた。転がり込んで来た幸運に身の丈にそぐわない大望を抱いた。大国であるマクダエル王国ひいては大陸全体の安全が自分たちの行動次第だと勘違いしてしまった。


 「もうとっくに気がついてると思うけど、僕たちは大変な過ちを犯してしまったよね。」


 そう言ったオドナル子爵は小刻みに震えていた。流行病で急死した魔法省大臣ライナー伯爵が遺した書きかけの指令書を改竄し王都を守護する魔導師の多くを国境地帯に派遣した。


 その結果、王都の結界をミルファー辺境伯に肩代わりさせ大きく力を削いでいる事になっている。稚拙な謀だが彼らの思惑通り魔毒は確実にミルファー辺境伯の心身を蝕んでいるように見て取れた。

 


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 国家鎮護の習法から一週間後


 王都ヴァルとミルファー辺境伯領ソランは陸路で十日、川船を使えは三日、危険を冒せば二日で移動できる。早船が到着したという知らせに辺境伯館は緊張が走る。


 ヴァレリー第二夫人は賢者リクーラン辺境伯の呼び出しに足取り重く執務室へ向かっていた。自分の犯した失態の数々を思い浮かべながら。


 幼い頃からの憧れである辺境伯様と公爵家のありとあらゆる力を使って婚約者に納まることができた。エレオノール様という大切な方がいることを知っていながら家格からいって自分が第一夫人になれると信じていた。


 だがエレオノール様は信じられないような功績を積み上げ王国に莫大な富をもたらし、やがて剣聖を顕現して剣聖伯爵となった。今大陸中に猛威を振るっている流行病に王国の経済がが耐えられるのは彼女のもたらす魔石のおかげだ。


 挙句の果てに子供の件だ。初子は可愛いものだと言う周りの話にほだされて第一夫人を差し置いて子供を産んでしまった。それが後々の災いの元になることを知りながら、辺境伯様に彼女は恥ずかしげもなくおねだりしてしまったのだ。ヴァレリーは自分の愚かさを呪いながら執務室の扉の前で固まっていた。 


 「ヴァレリー様どうなされました?お入りください。」


 突然目の前の扉が開かれ中から声をかけてきたのは辺境伯領家令のマゼランだった。ヴァレリーは恐怖で縮み上がる。彼がここにいるということは領地で重大な事が起こったということだ。彼女の頭の中にある最悪のことを思い浮かべる。

 

 「旦那様。」


 「ああっ、ヴァレリー、突然呼び出してすまないね座りなさい。」


 漆黒の髪と鳶色の瞳、彫りは深くはないが王国北西部人の特徴を持つ辺境伯は武家の頭領でありながら美しいと表現できる男だ。だが、騙されてはいけない。彼の柔らかい雰囲気に煮え湯を飲まされた冒険者は数え切れない。


 「どうやらリューガは危険な時間を乗り越えたようだ、心配かけたね。」


 辺境伯はもったいつけずに第二夫人の様子を伺うこともせず穏やかにそう告げた。その優しさにヴァレリーは礼をとる。


 「君も色々考えるところがあると思うが考えすぎないことだ。」


 「只々、己の未熟さや無能さに唖然とするばかりでございます。」

 

 噛み合わない夫婦の会話にマゼランは心でため息をつく。エレオノールとヴァレリー、見かけも出自も能力も周りの評価も全く異なる二人だが本質的なものは同じだとマゼランは考えていた。この気難しい頑固で偏執的な辺境伯が愛する女だ、大きな違いを求める方が難しいだろう。ただ、エレオノールは彼から愛されていることを知っている。だが、ヴァレリーは受け入れられない、自分に自信がないから。出産後の鬱が彼女を苦しめていた。


 「本題だが少し早いとは思うが君達を辺境伯領に送ろうと思う。」


 不意打ちのようなリクーランの言葉にヴァレリーは凍りつく不可能なことは解っている。だが何千何万回と断りの言い訳を考えてきたことだ。


 「あっ、の」


 だが、それは出て来ない。


 「決まったいたことだと思っていたが?。」


 冷たく言い放つ辺境伯に第二夫人はうつむき震えながら涙を流す。しかし、なぜか辺境伯はそれを見て狼狽える。


 (えっ、なんで?)


 「リクーラン様、ヴァレリー様は誤解されているのです。」


 堪らずマゼランが口を挟んだ。第一夫人エレオノールが主体に辺境伯の子供たちの教育をする事は決まっていたことだ。それを拒否するということはある意味重大な契約違反になる。


 「エレオノールには様々な噂があるが君が失礼なことを考えていない事を祈るよ。」


 それを聞いたヴァレリーは周りに憚ることなく声を上げて泣き始めた。


 戸惑うリクーラン、マゼランを一瞥すると悪いのは貴方だと言っているかのように片方の眉を上げられた。


 彼女は決して愚鈍な人間ではない。公爵家の中でも最大級の魔力制御を誇り頭脳明晰、首席で王立学院を卒業し辺境伯家へ輿入れ。双子の母となるがまだ19歳、出産後は多忙を理由に辺境伯からは放置状態が続いていた。一人辺境伯家、主に第一夫人のとんでもない噂話に心惑わされる娘に過ぎない。


 リクーランはヴァレリーを抱き締め謝罪する。


 「すまないヴァレリー私が悪かった。ちゃんと時間を取って君とゆっくり話をするべきだった。」


 「いいえ悪いのは私です。噂話に心惑わされ旦那様のお選びになったエレオノール様を恐れるあまり逃げることばかり考えておりました。何もお役に立てない無価値な私などが、、、。」


 「止めなさいヴァレリー君は無価値なんかではないよ、君の活躍の場を用意できなかった私の責任だ。これが良い機会だと思って話を聞いてくれ。」


 リクーランの腕の中で少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるヴァレリーは小さく頷いた。

  

 " 面倒くさい、突然心の中に湧き上がってくる薄暗い気分にリクーランは抵抗力を失い意識的に浸ってみる。


 ざわついていた、


 このぬるま湯のような状態が嫌だと叫びたい。


 何も知らないくせに文句ばかり言う奴ら斬り刻み魔物のエサにでもしてやりたい。


  このいい匂いのする可憐な少女を好き勝手に犯し孕ませ大きくなっていく腹をニヤニヤして見ていたい。


 あーそれはもうやったことだった。"


 魔力は字の如く、魔の力だ、制御できなければやがて取り込まれ狂気に支配される。強力な力を求める貴族の宿命で主にその兆候は男子に現れる。


 一族によってその災いの質は異なるが歴史上様々な悲劇を生み出して来た。強力な魔力を保持して管理する。それこそが貴族家の最大資質だといえた。

 

 王都に魔導師が不足している。特に都を守る結界を維持するためリクーランは四人の魔導師六時間分の魔力を供給していた。



 賢者に成って辺境伯家の魔導師の血に潜む狂気に向き合った。父がなぜ戦場を渡り歩き家族の元に帰ってこなかったかも理解した。


 強力な魔力を求めた結果だということも。そして今彼の中で魔毒中毒が進行していると言うことも。


 リクーランの母、前辺境伯第一夫人は王家の血を引く魔力豊かな女性で薬学を修めていた。辺境伯の間には三人の息子に恵まれたが彼女は子育てを放棄した。正しくは第二、第三夫人の生んだ女子を引き取り嫡子であるリクーランと次男は第二夫人が末っ子の男子は第三夫人が育てることになる。


 薄暗い狂気の侵略を押し返したリクーランはそう語り始めた。第二夫人と第三夫人は協力して男三人を鍛え上げた。大陸一の女冒険者と云われた第二夫人は戦う術と生き残る術を、第三夫人は自由貿易都市連合バルザの元公女として貴族社会での立ち振る舞いを国際社会での柔軟性を教え込んだ。


 王国のエリートとして斬新な教育方法で最強の貴族家として成長発展するミルファー辺境伯家だが、当時いくつかの問題を抱えていた。


 「その問題の一つが嫡男として生まれた私が辺境伯家を継ぐ気持ちがなかったということだ。」


 「とても信じられません。」


 そう言うヴァレリーにリクーランはもっともだと頷いた。だが、それが多くの問題を解決したと話し続ける。


 「王立学院を卒業した私はまだ一年生だったエリオノールをつれ冒険者となった。各地のダンジョンで力を付けて魔の森に挑む頃にはアレンバークとロアサがパーティに加わった。それまでに稼いだ大量の魔石が第三夫人ナナリットの才覚で戦費で逼迫した辺境伯家を潤した。」


 「私の浅はかな思い違いで旦那様の心を煩わせたことをお許しください。」


 「もうそのことは終わりにしよう。私も早く君の不安を取り除くべきだった。ただ、エレオノールが魔の森で受け継いだものは血の繋がりだけでは託せない複雑で価値あるなものだ。」


 " 女が小さく微笑んだように見えた。それはそうだろう、災厄が続き流行病が蔓延する大陸でこの家は唯一希望が垣間見える場所だ。あの傲慢な公爵が目の中に入れても痛くないお気に入りの愛娘を差し出してまでおこぼれに与ろうと必死になる程だ。


 ――薄暗い気分に浸るのはやめるんだ。――


 彼女は真に辺境伯家の一員になれた事を喜んでいるだけだ。リクーランの背後から忍び寄っていた黒い狂気が霧散する。"


 「君には一つ仕事を頼みたいと思っている。それが終わったら子供たちを連れて領地に一度行ってみてくれエレオノールも三人の母親達も君を待っているよ。」




 

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