第15話 腹違いの義兄弟
「どうして、もうっやめろ! ころせ、ころせっ! あんな奴! だめだっ」
一人で会話をするジェラルトを見て、デリーはヒュッと息を飲む。異常状態のジェラルトを目の当たりにした、動揺するのも仕方がないことであった。
横に常にいたカロムとルチアーノがおかしいのである。
「もう、ないん、だ! 時間がっ! だめだ、ころ、すな!」
「すっごく物騒なこと言ってるけど!」
デリーは半泣きしながら、カロムに訴える。しかし、カロムはジェラルトの叫ぶ声に耳を傾けるだけである。そして、にやりと小さく笑う。
「何よ、その顔」
「少し、確信が持てました」
何かに確信を持ったと、ルチアーノに告げたカロムを彼女は見つめた。その話が、前話したことの続きであるのか、そう問う時間はなかった。
デリー騒いだ声に反応を示すように、ジェラルトの暴れと叫びは一度ピタリと止んだ。
「こ、ろす、そう、しなければ……」
蹲って転がっていた駄々っ子のようなジェラルトは、もう床にはいなかった。ゆっくりと、足元をふらつかせながらも立ち上がったのだ。両足に均等に力を込められず、ふらりふらりと何度か左右に揺られていた。
明らかに前回見た癇癪時とは違っていた。恐らく、それまでに他の付き人だった人間たちが見てきたものとも違うだろうとカロムは思った。
立ち上がったジェラルトは、騒ぎ立てなくなった。顔を下に俯かせるようにしていた。
陽が落ち、ジェラルトの部屋のカーテンは閉まっていた。部屋の扉も閉め切り、高級な吊るされたシャンデリアは意味をなさず、暗いままであった。
起き上がるように、ジェラルトの顔が徐々に上を向き始め、こちらに背を向けた。ガクン、と天井を見上げるように後頭部が後方に倒れた。
デリーの震えている手で触れた剣が、音を鳴らす。彼がそうなることも無理はなかった。カロムも、ルチアーノも、ゴクリと喉で大きく唾を飲み込む程には、動揺し始めたのだから。
少しずつ、顔面が後ろ、三人のいる方へと傾いてきた。チラリ、と見えたジェラルトの瞳は、光った。
しかし、そこに生気なんてものは、誰も感じ得なかった。王宮に来てからというもの三人が彼と顔を合わせたのは、二回。
付き人という役目を授かったはずのルチアーノですら、ジェラルト本人から一度も声がかかることはなかったのだ。
そうなれば、彼女もジェラルトと顔を合わせることはなかった。食事も他の支度も彼は自身でやると、誰かを部屋に入れることもそうそうなかったらしい。
三人が二度会ったその人物とはまるで違っていた。
普段の彼でもなければ、以前癇癪を起した姿とも違っていた。ジェラルトの瞳は狂気だった。こちらに殺意を向けているようにしか、三人には思えなかった。もちろん、三人が何かをしたなんてことはない。
原因は分からなかったが、カロムは自身の曖昧だった仮定を確信に変えつつあった。
(しかし、これだけじゃ、まだ確証には至らない。もっと……決定的な、何かが欲しい)
目の前にいる男は、腹違いではあるが、一応ヘリヴラムの血を持つ兄弟ということになる。それに何も感じなければ、剣を持った姿に動揺はすれど、恐怖はなかったに等しかった。
自分がヘリヴラムの血縁者だからという理由ではない。それはジェラルトも同じであり、彼の方が剣術の歴や、培ったものはある。
恐怖などを打ち消す位くらいに今のカロムには、国が隠した出来事を知りたいという欲が強まっていたのだ。何もそれを知ってどうしようというものではなかった。ただの幼児期から押さえつけていた好奇心、探求心の爆発に近いのかもしれない。
そして、何も知らない、知らされない哀れな次期国王への同情心も多少は混じっていたのかもしれない。
「…………だれ、だ」
ルチアーノとデリーは、ようやく静まり言葉を口にしたジェラルトに大きな違和感を覚えた。暗闇の中だから顔が認知出来ずに、そんなことを尋ねたのか、それとも先日のことを忘れているのかと二人の頭に疑問が過る。
しかし、そんな疑問が一気に吹き飛んだ。
ジェラルトは自身の腰に巻き付く、剣を鞘からゆっくりと見せつけるかのようにして抜いた。三人の視線が暗闇の中で不気味に光る矛先に向かう。
「ひっ」
デリーが小さく情けない悲鳴じみた声を吐き出した。冷静を装うルチアーノも、数ミリ程度顔を後ろに退かせる。
カロムの指先も少々震えていたが、迷いなく十数年ぶりに剣の柄に静かに触る。
足の裏を床に押し付けるようにして踏み込む。
ヘリヴラムの血液のせいか、確かな剣術に触れたことはないが、勝手にカロムの身体はそうすることが正しいと、判断しているようだった。
腰を僅かに落とす。この時のカロムには、どうすれば良いか、などと考える暇はなかった。
そして、ジェラルトに打ち勝てるとも思ってはいなかった。
そうしている間にも、剣の柄部分をジェラルトのゴツゴツした手が握っていた。無駄な力は入れずに、持つべき最低限度の力で握っている。
一度自身の胴体の前に握った手を出し、剣を床と垂直な形に立てる。天井を矛先が向いている。
低音な息が微かにカロムの耳に入る。それだけで、力んでしまう。それがダメだと、身体は理解しているが、カロムの脳がジェラルトの持つ剣の矛先への僅かな恐怖を打ち消すことが出来ない。手に力を籠めろと信号を出してしまった。
ギュッとジェラルトの高価な靴が床を押し込み、へこませた。
瞬間、カロムはまずい、と前のめりになっていた姿勢を戻す。
両隣にいるルチアーノとデリーは身体を固まらせている。デリーに至っては、腰を抜かす寸前のような状態である。
それを見た今のジェラルトが加減などをしてくれるとは、到底思えなかった。
ジェラルトは一気に踏み込み、三人の方へと身体を傾かせたまま剣の矛先を斜め上に向け、素早く間合いを詰めてきた。
進んだ先にいたのは、剣に触れたカロムでも、腰を抜かしそうなデリーでもない。
武器を一つも持たないルチア―ノであった。
向かった先を見抜いたカロムは、剣を抜かずに片足でデリーの腰を蹴り、片手でルチアーノの首の後ろ側にある服の襟を掴む。
(対等に剣を交えて勝てる相手じゃない)
男らしく剣を抜き、ジェラルトの剣に自身の剣を当て、防ぐなんて芸当など、二人を気にしながら出来るはずもない。
カロムは多少の恐怖は覚えても、決して冷静さを欠かなかった。頭の片隅に常にそれを持っていた。それも血が関係しているのかなど、カロム自身にも分かりはしなかったが。
「うあっ!」
デリーはカロムに蹴飛ばされると思っておらず、一切受け身も取れず、ドテッと蹴られた方向へと倒れた。
ルチアーノも首根っこが捕まれ、カロムの身体へと吸い寄せられるような動きをするとは思っておらず「けほっ」と、首を絞められたことにより、一度咳をした。
デリーとカロム、ルチアーノ二人の間にジェラルトが剣を一振りした後の体勢で立っている。一度下に向いた矛先を正しい方向に戻すように、手を返した。
次、ジェラルトがどちらに矛先を向けるのかは分からない。彼の考えと気分次第である。しかし、カロムはそんな運など信じてはいない。
「いきなり女の方に行くのは、卑怯じゃないですか」
挑発した口ぶりでカロムは、ジェラルトに問いかける。
「剣を持つ相手を前にして、突っ立っている者が悪いだろう」
ジェラルトの声ではあるが、以前聞いた声よりも更に音の低さが増しているように感じられた。
「何も、女……、それに国上層部の娘に斬りかかることはないでしょう」
確かにジェラルトの視線は、ルチアーノを仕留めていたし、向かった先からして彼女を真っ先に斬り刻もうとしていたのは周知の事実である。
「それに、何の問題がある?」
「問題、と言われれば、ないのかもしれませんが、普通は男を先に仕留めるべきでしょう」
「……お前の普通に興味はないな」
剣を手にする二人が、それを振ることなく口で言い合いをし始める。
デリーは既に腰を抜かし立ち上がれる状態ではない。ルチアーノもカロムに引き寄せられたまま、放せと撥ね退けることも出来ないでいた。
冷ややかなジェラルトの視線は、カロムの瞳を刺した。カロムの額に薄っすらと汗が浮かぶ。こめかみ辺りから、水滴が垂れてきたことを彼は感じた。
(こんなに焦ったこと、今までないぞ……)
面倒事を避け、剣術も怠けたカロムはこんな状況に出くわしたことがなかった。それに前に剣を持つのは、優秀なヘリヴラムの血を持ち、稽古も絶やさない努力家な男なはずだ。
初めて自分が真剣を抜く相手が、そんな男なんて不幸でしかなかった。
それでもカロムの口調が変わることはない。ジェラルトは負け惜しみのような情けない男の発言だと受け取り、嘲笑するように小さく口角を上げた。そして、カロムに憐れんだような目を見せた。
「可哀想に。こんな情けない男を晒して死ぬなんて」
「情けないのはどちらですか。男に斬りかかる余裕、なかったんでしょう」
カロムは減らず口を叩くが、本心では微塵もそんなことを思ってはいない。ジェラルトにしてみれば、三人全員がわざわざ殺されにきた鼠にしか見えていない、と知り得ていた。
「本当に、そう思っているのか? だとすれば、自意識が高過ぎるな。誰を先に殺しても同じだ、順番など関係なかろう」
「思いますね。国の男たるもの、先に斬ろうと向かうべき相手も選べないなんて、可哀想としか思えません」
ただの負け惜しみを言うカロムに、デリーは震えた唇で小刻みに呟いた。
「やっ、やめろっ! これ以上挑発するなっ」
これはデリーなりのカロムへの優しさである。相手は挑発して腹を立てないような人間ではないと、誰も状況から見れば分かることだった。少しでも、カロムを長生きさせようとそう声をかけたのだ。
「カ、カロムくっ……」
カロムの顔の斜め下で、瞳だけを見上げるようにしたルチアーノもまた、カロムを心配するように名を呼ぶ。首根っこを掴まれ、息苦しいがそれに対して彼に何かを言うことも出来なかった。
「時間の無駄、だな。そこまで言うなら、お前から切ってやろう。……見るに、剣術もそこまで施されてはいないのだろう。それなのに、口ばかり出過ぎる……。ギルス国の男が聞いて呆れるな」
言い終えたジェラルトは、また剣の矛先を天井に向かせる。そして、カロムの身体をどう切り裂くかを思案しているように、目を細めた。
「カロム君、このままじゃ」
ルチアーノのか弱い少女らしさのある声が、カロムの耳の鼓膜を揺らす。カロムはまた自身の剣に片手を触れさせた。そして、やっと鞘から銀色の部分を見せ、全てを引き抜いた。
「意味のないことを」
カロムの死体を未来予知したのか、ジェラルトは生気の宿らない瞳を細め、渇き切った笑いを見せた。
「意味があるかどうかは、まだ分からないでしょう」
「閉じない口だな、もういい」
諦めたように言い切れば、「はぁ」と一息、また低い溜息が聞こえた。先程よりも随分と近づいたジェラルトとの間。次は先よりも矛先がこちらに振りかかることが早いのは、必然であった。
カロムはルチアーノの首根っこから手を放し、彼女の背後に腕を回してから首横で肘を曲げる。そして彼女の首前に手を通し、鎖骨辺りに手を当てた。
(こちらを向かせたはいいが、またこいつに斬りかからないとも言えない)
カロムはジェラルトの矛先を自分の方へ向けされるように言葉と口調で、彼を操った。腰が引けて動けないデリーに先に剣を振られれば、彼がそれに対応出来るなど到底思えなかった。
剣術の才能はあるが、実践がないカロムと、剣術の才能が皆無で、実践に熱心に取り組むデリーを彼の頭の中で天秤にかければ、自分に剣を向かせた方がまだ、時間を稼げると思えた。
(自意識、は高いのかもしれないな)
笑む表情を浮かばせる隙も与えてはくれなかったが、カロムの頭にそんな呑気な言葉が浮かんだ。
ジェラルトが足を浮かせ、二人にまた近付く。
カロムは何とか、自分の見る先とそこから正しく動こうとする自身の反射神経を褒めてやりたくなった。数歩足を後ろに引きずらせ、僅かにジェラルトから遠ざかるようにする。まだ、彼は剣を振ろうとはしなかった。ルチアーノを連れて、逃げただけである。
床に敷かれた真っ赤な絨毯に、ジェラルトの矛先が刺さる。それを軽々しく持ち上げると、赤い糸が散った。
次は話す隙すら与えず、瞬時に剣を持ちなおし、間合いを詰められる。やっとの思いで、足を後ろへ、身体を僅かに傾かせで剣から逃げるカロム。冷や汗が飛んでいた。
「逃げるだけじゃ、何にもならんぞ」
正論を言ってのけるジェラルトは、口を開きながらも攻めてくることを止めることはない。何度も絨毯に突き刺さる剣先。時より、斬り裂いていく。どちらも動けば疲れるものの、経験の差とでも言うように、先に息を上げていくのはカロムである。
「カロム君、私を放しなさい!」
横にいるルチアーノは慌てるようにして口に出す。それは自身の身を心配して発したのではない。彼女を連れて動く方が、カロムを無駄に疲れさせることは明確だったからだ。
しかしカロムは、それにうんともすんとも言うことはなく、ただ、目の前を通る矛先に集中し、何とか避けているだけである。
「カロム君!」
「……無駄なことばかりする餓鬼だなっ」
堪忍袋の緒が切れた、と言わんばかりにそう小さく呟き、ジェラルトは剣の持ち方を変えた。上から下へ縦に振り下ろす形を止める。
自身の肩と平行になるように剣を持つ。ダンッと荒い音をさせて踏み切れば、先程よりも近付くスピードが速まる。後ろに退くように動き、距離を取っていたが、近付く距離の方が長い。加えて上回る速さで詰められれば、カロムは避けきれるかが曖昧なものであった。
ヘリヴラムの血のおかげと考えてしまえば、癪に思えるが、そのおかげで何とか矛先が肉に食い込むことを防げている。
同じやり方で避けようと後ろに身体の重心を動かす。しかし、カロムはハッとした。ジェラルトの口角が片方だけ上がっていること、彼の目線は自分には向いていないことが瞳に映る。
隣にいる少女にジェラルトの鋭い視線は向かっていた。
何度もカロムの身を案じ、呼びかけるルチアーノをまた狙ってきた。
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