第14話 その時

 国も国上層部も、王宮内も慌ただしさが増していた。国王交代まで、ジェラルトが二十歳を迎える四日前まで迫っていたのだから。


 ジェラルトの前では誰も、彼の癇癪癖に関しては話せない。話してはいけないのだ。

暗黙の了解というやつである。

何故なら彼自身はそのことを知らないのだから。

 変に使用人からその話を聞けば、侮辱と見なされると、王宮内の使用人は怯えているのだ。

ジェラルトの性格からして、無闇矢鱈に制裁を加える人間ではないだろう、とカロムは、そんな話を聞いて呑気に考えていた。



「貴方の言っていた、また、は、まだこないのかしら」

「そのうちきますよ」

「また二人で意味の分からないことを」


 今日も書庫内でルチアーノに課された仕事をこなしているカロムとデリー。それをただ見物し、話しかけてくるルチアーノは、ふてぶてしい顔でカロムを見ていた。

そんな日が数日間続いていた。

 依然として、デリーは蚊帳の外である。彼だけが、会話の意味を理解出来ていない。

「君たち、僕に隠れて何を話しているんだい?」

「大したことじゃない」

「じゃあ、どうして僕にそれを教えてくれないの!?」

 カロムは努めて、何でもないという雰囲気を出すが、デリーには逆効果だったらしく、彼らしからぬ大声を出す。

(デリーが変に噂を流すとは思えないが……)


 カロムがデリーに、自身のことを話さないのは、何も彼の口が軽いなどと評価しているからではない。カロムにも良心はある。自分を友人と称してくれる彼に隠し事をするのは、少々罪悪感を持たされる。

 しかし、デリーの性格故、自身がヘリヴラムの血を持つと知れば、身分の差が急激に開き、今まで通りの関係ではなくなってしまう。恐らく、デリーはカロムを敬う存在と、考えてしまうだろう、そうカロムは推測していた。

 何もカロムは一匹狼をしている訳ではない。友人を特別欲しいとも思わなかったが、居たら居たで良いものだった。そんなたった一人の友人との関係を、血縁関係のせいで壊されることは癪であった。

 膨れっ面をしたデリーは、ブツブツと文句を言っていたが、それを少し笑ってやることしか、今のカロムには出来なかった。


 機嫌を損ねていたデリーだったが、次のまとめる資料に手を伸ばそうとすれば、空振りをした。彼の前にあった紙の山は消えていた。一気にデリーの顔は晴れた。そして大きく伸びをして、大口を開けた。

「終わったー! ようやく終わったね! カロム!」

「あ、ああ。そうだな」

 ルチアーノに手渡された大量の紙をまとめ上げ、彼らは課された仕事を数日かけて終えたのだった。ほとんど監獄のように閉じ込められ、同じ作業をしていた二人は解放されたのだった。


「あら。案外早く終わったのね。お疲れ様」

「本当に僕ら二人は王宮に何をしにきたのか分からないね!」

 仕事を終えたことへの解放感なのか、満面の笑みを作り隣で笑うデリーに、思わずカロムは微笑んだ。

 疲れた、疲れた、と言うデリーは、椅子から立ち上がる。終わったと言っても、今日ももう既に陽は落ち切った時間であった。朝から晩までかけて、ようやく終えることが出来たのだ。あとは自室に帰って休もうと、カロムとデリーは考えていた。ルチアーノもそれを止める気もなかった。



 しかし、普段誰も訪れない書庫の扉を荒々しく、強くノックする音が聞こえ、三人は思わず振り向く。バタバタと廊下が騒がしい。メイドたちの走る音だ。


「ルチアーノ様! お取込み中申し訳ございません! ジェラルト様が!」

 若いメイドが書庫の扉を勢いよく開ける。そして、ルチアーノを呼びかける。その理由は、彼女の飛び出た一言で明確となった。

(……ジェラルトの、癇癪か)

 そう理解したカロムの口角は少しだけ引きあがった。そして、黒い彼の瞳はキラリと一度だけ輝いた。



「何でっ、ようやく、仕事が終わったと思ったのにぃ!」

「こっちが本題だろ」

 泣き面を見せながらジェラルトの部屋前まで来た三人。メイドたちは近寄ろうともしない。

中での騒ぎ声は、間違えなく、男一人のものである。


「もういい! よくない、やめろっ! 殺せ!」


 誰かを正すように、諭すように、怒るように。

物騒な文言が飛び交っている。まるで一人の男がままごとでもしているかのように、口調を変えているのだ。


「開けるわよ」

「ああ」

「……うん」

 前回自分だけが遠巻きに観察していただけのことが、いたたまれなくなったのか、弱気なデリーも扉の前に立ち、返事をした。

 カロムとデリーは腰に巻き付けた剣を手で確認すると、ルチアーノは扉のドアノブを押し、部屋へと入る。前と同じように蹲って独り言を叫ぶジェラルトは、本来の彼の姿の面影もない。頭を抱えて、怒号のようなものをぶつけるばかりだ。


「扉、閉めた方が良さそうだな」

「え、何でっ」

 カロムは冷静な口調で、ルチアーノに扉を閉めた方が良いと指示を出す。それにデリーは驚く。そんなこと前回は言わなかったのだから、そう思えて当然である。

「……! そのようね」

 カロムとルチアーノは、二人とも蹲るジェラルトの腰部分の膨らみを見ていた。その視線の先に、デリーも気付き、彼も視線を向かわせると、意味を理解し、顔を青くした。

「あ、あれ……」

 小刻みにデリーは震え始め、また腰についた剣の柄の部分を冷たく震える手で確認した。まだ鞘に収まっているであろうが、ジェラルトの腰にも二人と同様、剣が巻き付いているのだ。

「……剣術の稽古終わりか?」

「そんな時に癇癪を起すなんてね」

「ど、どう、するのっ、僕たちで太刀打ち出来ないよ!」

「どうもこうも、剣を抜いたら俺たちも剣を抜くしかないだろう」

「何で君はそんなに冷静でいられるんだ!」

 冷めた声でデリーを諭せば、さらにデリーの声は高まった。カロムはデリーに言われたように、冷静だった。恐怖、という感情はあまり持ち合わせていなかった。


(やっと、きた)


 それ以上に何処か嬉しそうな表情を浮かべる。それを見たデリーとルチアーノは驚いた。精神がおかしくなったのかもしれないと、デリーはカロムを心配した。

 もちろん、彼はこの状況を前に精神がどうかしたのではない。

 事実、彼は嬉しかったのだ。この状況を再び目の当たりに出来たことが。

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