第10話 噂と母親
書庫内が静まり返る。カロムもルチアーノもどちらも口を開く気配はなかった。
どちらも口を開こうとした時であった。
「また、ジェラルト様が……!」
「誰が今回は宥めるの!? 私は嫌よ!」
「ルチアーノ様をお呼びして……! そうすれば、二人、男の使用人も来るわ!」
廊下が突然騒がしくなる。
メイドたちの声が、あちこちから聞こえ、足音が増える。彼女たちが探しているのは、紛れもなくルチアーノ、カロム、デリーの三人である。
「まさか、ジェラルトが癇癪を起こしたのか……?」
「そのようね。一旦、向かいましょう」
書庫から飛び出せば、メイドたちが「やっと見つけた」という顔をして、ルチアーノを導くようにして、ジェラルトの部屋へと向かう。
カロムは一度、デリーのもとまで駆け付け、すぐにジェラルトの部屋へと向かった。
メイド数人と、ルチアーノは二人をジェラルトの部屋の前で待つかのようにして、立ち止まっている。
室内が異様な程に騒がしい。聞こえる声は男のものだけである。
「やめろっ! しかし、いやだがっ……! いいから……!!」
声の主は紛れもなくジェラルトであった。先日聞いた声質と似ている。
しかし情緒が彼とは全く違っていた。何より、一人の声でありながら、一人では無いような言葉の使い方ばかりしている。
「どうしよう、もし中で剣を振っていたら……!」
デリーは怯え、青ざめた顔をしながら、最悪の状況を想像しているようだった。だが、二人の務めはそんな状態になった彼を止めることだ。青ざめて、足をすくめている場合ではない。
「……開けるわよ」
ルチアーノがカロムにだけ向かってそう告げた。
剣術の才能が全くないデリーよりも、ヘリヴラムの血縁者の可能性の高いカロムがジェラルトに立ち向かう方がマシであると考えたのだ。
カロムは一つ頷く。
それにカロムは少しだけ好都合であるとも感じていた。謎多きジェラルトの本性に触れることが出来る一つの機会があったということに。
何にしろ足を踏み入れてしまえば、ここから出るためには、ジェラルトの癇癪を止める方法を見つけなければ事は進まない。
(ジェラルトの癇癪癖は昔から……。もしかしたら、出生に何か関わりがあるかもしれない……)
ルチアーノは部屋のドアノブに手をかけ、勢いよく押した。メイドたちは、逃げるかのように部屋前から遠ざかる。
足を震わせているデリーは、動ける状況ではなさそうだった。
結果的にジェラルトの部屋の中に足を踏み入れていたのは、ルチアーノとカロムの二人だけであった。
「や、めろっ! 殺す必要はないっ、もう、沢山だ!!」
荒らげる声を出して、床に頭を抱えて蹲る情けないジェラルトの姿がそこにはあった。剣のような武器を手にはしていないことに、二人は小さな安堵をした。しかし、この状態の彼をどうすれば良いかは誰にも分からない。
「いつもは、付き人たちはどうしてたんだ」
「窓の鍵を閉めたり、室内の刃物を外に出してから、落ち着くまで見ていただけと聞いているわ」
あまり手を加えるべきでは無いと、カロムとルチアーノは互いに承知した。前例もそれで事が収まっていたのなら、そうするのが良いのだろうという考えだ。
「もう、殺せ! そんなっ、できない!」
(確かに癇癪……にしては、異常な気もするな)
一度しか話したジェラルト本人を見たことがないが、その時の話口調とはまるで違っていた。あの時のジェラルトは確か、カロムたちと同い歳の者よりは、大人びた雰囲気があり、礼儀も弁えている男だったはずだ。
それが今、二人の前にいる彼は、蹲り何かを恐れるように頭を強く抱えて、独り言とも捉えにくい言葉を発してのたうち回る。
「まるで、何かを嫌がる子供のようね」
ルチアーノの見解には頷くことが出来る。異常事態が起こりながらも、冷静なルチアーノに、扉からコソコソと覗き見るメイドたちとデリーは驚いている。
彼女の隣にいる男もまた冷静な面持ちで、何かを考えている。
「おわ、り……っ、どう、して……! もどっ、れっ! 消えろ!」
どうしようか、と戸惑う廊下にいる野次馬と化したデリーとメイドたち。隣のジェラルトを静かに観察するようにする男を黙って見守るルチアーノ。ジェラルトの理解し得ない言葉を聞き取ろうと、耳をすませたカロム。
「も、う……じか、ん……が……っ!」
(…………時間……?)
数十分程、のたうち回ったジェラルトは、身体の動作を小さくし、その場に静まった。息が荒いが、気を失うというよりは、疲れて眠るかのようだった。
「やっぱり、一度精神科に行かせるべきよ……」
「一度精神科医が訪れたらしいけど、原因も分からず終いって話よ……」
隠れるようにして、噂話をコソコソとし始めたメイドたちの話をカロムは聞き止めた。
「……初めて見たけど……、本当に癇癪を起こすんだね……。一週間は何もなかったから、嘘かと思い始めてたよ……」
安全と分かったデリーも室内に足を踏み入れれば、汗を垂らし、静かに床に伏せているジェラルトを見下げ、一言呟く。
「……癇癪、か……」
「……何か気になることでもあるの?」
「いや、比べるものがないから何とも言えない、が……」
「歯切れが悪いわね」
隣に並ぶカロムとルチアーノは互いにしか聞こえない位に小さな声で会話をする。訝しげにジェラルトを見ながら、何かを考えるカロムを横目にするルチアーノ。
「ジェラルト王子、ここに居させるわけにいかないよね」
デリーの言葉に二人は、ハッとして「確かに」と共に頷く。こんな所で力仕事、という名のものをするとは、カロムもデリーも考えてはいなかった。二人は疲れ眠るように横たわるジェラルトを持ち上げ、彼の寝室へと運ぶ。
「二人とも、今日はもう休んでもらって結構よ。このことは私が上に伝えておくわ」
ルチアーノが青い顔で目を閉じるジェラルトを見てから、カロムとデリーに言った。
「行こう、カロム」
「ああ」
従うようにデリーの呼びかけにすぐ応じ、彼の後ろをカロムは追った。
しかし、一度ルチアーノとジェラルトのいる方に振り向く。彼の視線は、ジェラルトに向かっていた。
目をキュッと細め、表情を曇らせてから、またすぐにデリーを追って部屋を出た。
少し遅れてきたデリーは、カロムを見る。カロムは自身の頬に手を当てていた。
「? カロム? どうかしたのかい?」
「……いや、何でもない」
そう言えば、デリーは「そう?」とだけ返して、カロムから視線を外し、廊下の先を向いた。対して、カロムは廊下にある大きな窓が自身を反射させていることに気付くと、ジッと透明な硝子に映る自分を見つめた。
(似ているだろうか……)
彼の頭の中には、青い顔で目を閉ざしていたジェラルトの顔があった。
自分の顔を見て、彼の顔を思い起こしてみるが、似ているとは思えなかった。どちらもヘリヴラムの血縁者であるならば、血筋は同じ。ルチアーノの言う通り、ヴァルゼル=ヘリヴラムの血を受け継いでいることは間違いない。
腹が同じかは断言出来ないが、王の血が混じっているのであれば、それはカロムとジェラルトは兄弟ということになる。容姿の何処かが似通っていても、おかしくはない。
だが、カロム自身では全く分からなかった。ジェラルトは、ただの他人にしか見えなかった。
(同い歳……、生まれ年は一緒か……。腹違いの可能性の方が高いだろうか……)
考えられる可能性はいくつかあった。
一つは、カロムとジェラルトの両親が同じであること。
一つは、カロムとジェラルトが母親が違うこと。
自身がヘリヴラム家の子というのは、ヴィンセント夫妻の嘘であった、などという真実が正しいことが彼にとっては、一番嬉しい話限りであった。
そんなことを考えている自分が馬鹿らしくなり、カロムは思わず一人で笑ってしまった。
「? どうしたんだい、カロム」
「すまない、何でもない」
先を行くデリーにも聞こえたのか、彼が振り返り小首を傾げたので、考えることをやめて、彼の隣を歩くことにした。
カロムとデリーの寝泊まりする部屋までの廊下の途中には、一人の女の部屋があった。
カロムは思わず一度、その扉の前で立ち止まってしまう。デリーはそれに気付き、慌てて彼の手を引っ張った。
「カロム! エリザベス様の部屋で立ち止まっていたら、怪しまれるぞ!」
「……あぁ、そうだな。悪い」
兵士育成学校に入学する前も、してからも、カロムは自身の実父母など、どうでも良いと考えていた。
しかし今更ながら、同い歳のヘリヴラム血縁者、ジェラルトを前にすれば、考えてしまうことがある。
(どうして、ジェラルトを残し、俺を殺すことなく、ヴィンセント家の養子にしたのだろうか)
先程立ち止まっていた部屋の中にいるであろう主に聞いてみたくなった。
──────『貴女は、俺の母親ですか』と。
カロムは一度、幼い少年の哀しそうな表情を浮かべる。
持病で中々外に出ることの無いという王妃、エリザベス=ヘリヴラムに、そう問いかけたかったのだ。
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