第9話 血縁者
書庫内に窓というものはなかった。時間は経っていただろうが、閉じ込められた二人に正確な時間までは分からなかった。
ようやく時間を知れたのは、ルチアーノが再度書庫を訪れた時であった。
「あら、意外と片付いたものね」
カロムとデリーは既にクタクタで、椅子にもたれているか、机に顔を伏せている状態であった。片付いた、といってもまだ紙の山は床にも置かれている。
「お疲れ様。ここまで作業が早いとは思わなかったわ」
「……二人でやらせるものじゃないですよ」
「…………それには、僕も同意見です……」
次はデリーも賛同の声をあげた。それ程に参っているのだ。
「仕方ないじゃない。二人は護衛でもあるけど、私の下っ端なのだから。私を楽にさせることも一つの仕事よ」
正論のようなことを言うから、疲れ切った二人は返す言葉もなかった。言葉を考えることを放棄したくなっていた。
ルチアーノは疲労困憊状態の二人をクスクス笑いながら、カロムの横に置かれた白い紙に気付き、目で確認した。
「とりあえず今日は一度部屋に戻ってもらって結構よ」
ルチアーノの少し偉そうな言葉を聞いてから、二人はフラフラと椅子から立ち上がる。
「……デリー君。貴方は先に部屋に戻っていて。カロム君、貴方はこの資料だけ片付けてしまいなさい」
「……は!?」
「……あぁ……、頑張ってくれ、カロム……」
カロムの横にある一枚の紙を指差してルチアーノは、微笑んでそう指示すれば、デリーはヒラヒラと手を振って書庫を出た。
友人に裏切られるように残されたカロムは、また椅子に腰を下ろす。
「……勘弁して下さいよ……、明日でもいいでしょ……」
疲れ切ったカロムは、ルチアーノに軽口を叩くことも出来ず、弱々しく強請る声を上げる。
「……貴方、これ。ジェラルト王子のものよね。……どうしてこれだけ寄せておいたの?」
「……ん、あぁ……」
ルチアーノは紙に指先を置き、視線をカロムへと向ける。
「…………別に、今日じゃなくても良かったんですが……」
意味ありげに言葉を放ったカロムは「丁度良い」と続けてから、だらけた姿勢を戻して机に肘を置く。そして、ルチアーノを見上げた。
「……貴女の知っていること、教えて欲しいんですが」
「……初めて、下手に出たわね……」
カロムはルチアーノに頼み事をするような物言いをした。それにルチアーノは思わず笑ってしまった。
笑みに少し機嫌を損ねたが、言葉を続けようとしたカロムにルチアーノは、人差し指を彼の唇につけ、制止させる。
カロムは彼女の行動に驚き、椅子を後ろに引きずって後退りする。
「……っな」
「……ふふっ、カロム君。私はね、こちらに利益がなければ頼まれ事を受け入れることをしないわ」
「…………なんて御方だ。教える気はないって?」
「そんな事一言も言ってないじゃない」
カロムは一度冷静を取り戻し、彼女の言葉の意図を汲む。そして、眉間に皺を寄せ、チラリと彼女に視線を向ける。
カロムは状況把握が早い。そして、他人の真意を見抜くのも中々に早かった。
「……本当に懲りないですね」
「言ったでしょう? ヘリヴラム家との関係に関しては、『今度』聞くって」
「……それが貴女にとっての利益とやらになるんですか?」
「それは内容次第ね。……でも聞いてから教えない、なんて狡いことを言う気はないわ」
「貴女にとって利益のある内容ってなんですか。俺とヘリヴラムの関係を知ったとして、何の意味もないと思いますよ」
「……そうね。利益、では無いのかもしれないわ。……私が本当に欲しいのは、利益なんてものじゃなくて、真実と、信用出来る存在なのかもしれない。だからね、カロム君。嘘なく教えて欲しいの。……国が、国の王が何を隠しているのかを」
またルチアーノの瞳は、漢らしく強い眼差しに変わる。カロムはやはり、その時ばかりは彼女に目を奪われる。
ゴクリと一度唾を飲み込み、カロムは口を開いた。
「……今から話すのは、俺の知っている俺のことです。本当かどうか、科学的根拠なんてものもない。……それでもいいのなら話します」
「ええ。問題ないわ」
「……分かりました。その代わり、貴女も貴女の知る情報を教えてください」
「そんなに私って人を騙すように見えるかしら?」
カロムは現状、彼女自身が実父と王家の人間を騙していることを忘れているのか、と呆れた表情を晒す。彼女は忘れているわけではなく、ただの笑い話にしただけなのである。
「……俺は、ヴィンセント家の養子。つまり、実父母は他にいます。……昔、父と母に聞いた内容です。確かな根拠はない……が、俺はヘリヴラムの血縁らしい」
「やっぱり、そうなのね」
「貴女は最初から知っているような口ぶりでしたね」
「貴方の出生が不明だったからよ。養子とされていたのは知っていたけれど、元の親が生きているか死んでいるか、何故貴方を養子としたのかは調べても出てこなかった。……それに、ヴィンセント夫妻は貴方を隠している素振りが過去に数回見受けられたわ。……存在を周囲から隠すように、ね」
「それだけで、俺がヘリヴラムと関係があると?」
「国の上層部に置かれた資料の中にもなければ、私が探しても見つからない。そう簡単に不明な物なんて、存在する訳がないのよ」
彼女は自身への評価が高いのか、自信満々に、自分の調べで出てこない物はほとんど無いと主張する。それにカロムは呆れ果てたが、それが事実であることに溜息が漏れる。
「そうなれば貴方の出生についてを隠したのは、一般人ではないと考えたわ。もっと上、国からも情報を揉み消せる程の存在ということになる。それにヴィンセント夫妻の怪しげな行動に、カロム君、貴方の剣術を見せようとしない姿勢と例の噂から、信じ難いことだけれど、察しはついたわ」
彼女の中では、カロムとヘリヴラムの繋がりがあるのは、確実としていたらしい。
「だけど、ヘリヴラムの消した情報を復元するのはさすがに出来なかったわ。……だから、直接貴方を尋ねたのよ」
「……そのせいでこんな状況になってるなんてね」
周りに散乱した紙束を見て、カロムの口から渇いた笑い声が出た。
「幼い頃に、父と母が俺に剣を持たせた。その日が初めて俺が剣を握った日で……、最後に握った日です」
カロムは自身の腰に巻かれた鞘に収まる剣に視線を落として、そう説明を始めた。
「才能が開花した……、というより、遺伝子や血がそうさせたんでしょう。剣を使う才能は最初から持っていた。ヘリヴラムの子は、剣や知世が冴えている。俺にもそれが当てはまった。父と母のその時の顔は今でも忘れない。呆気に取られ、渋く、悲しい顔だった」
「やはり、ヴィンセント夫妻は貴方をヘリヴラムの血縁者だと、国には知られたくなかったみたいね」
「恐らく二人の行動からして、そうでしょう。剣を握る場所を遠ざけ、知識を学ぶ場へも行かせなかった。……直接言われなくても、年月が経てば理解は出来たことです」
「聞かなかったのね。自分がヘリヴラムの子かどうか」
「必要も無かったのでね。俺はヘリヴラムの子ではいたくなかった。ヴィンセントの子でいたかった。そして、父と母も同じく俺をヘリヴラムの子として育てたくなかった。聞いて、誰にも何の得もありません」
カロムはヴィンセント夫妻を思いながら、優しい目を見せる。
ルチアーノは「そんなものかしら」と微笑んで返した。
「最後まで二人は俺を心配していました。兵士育成学校なんてものに行けば、剣術は課されて当然。ヘリヴラム家の血縁者とバレるリスクもある。……が、十八の男がそこに行かない、行かせないと国に知られれば、罰が下るのは父と母だ。それは絶対に避けたかった」
「だから貴方は入学をした。けれど、剣術を見せる実践授業に参加することは無かったってことね」
カロムは瞼を閉じて、小さく一度だけ頷いた。
「俺の知る俺はこの位です。血液検査なんてする訳もないし、本当にヘリヴラム家の血縁者であるなんて確かな情報もない。これ以上は全部想像にしかならない。そんな話、聞きたいですか?」
「そうね。理想や根拠のない仮定を聞いても意味は無いわね」
目をゆっくりと開いたカロムは、次は自分だと、口を開く。
「……じゃあ、貴女の知っていることを話してくれますか」
「ええ。分かることなら何でも」
ルチアーノは「ふっ」と小さく声を漏らしてから、両手をあげて「どうぞ」と示した。
「ジェラルトの資料を見たことは?」
「ええ、もちろんあるわ。でも、残念ながら貴方と一緒で、これしか見たことはないわ」
ルチアーノはカロムの横にある紙に視線をやって、そう話す。
「しかし、ジェラルトを取り上げた助産師や、医師は存在したはずです。それは誰か知っていますか」
「知らないわ。私も貴方と同じように考えたわ。ジェラルト王子の出生に関しての資料は少な過ぎる。……まるでこれも揉み消したようにね」
「王家の子供の出産は、必ず王宮の中で?」
「そうね。私は目にしたことは無いけれど、過去の資料で、前王も、その前も、毎回この王宮内で取り上げられているわ」
「取り上げた助産師、医師は全く関係ないのですか? 普通であれば、同じ病院や医師に頼むと思いますが……」
カロムの言う「普通」は、一般国民におけることであった。王家がそれに当てはまるかどうかは分からなかった。
「過去の資料では、同じ病院の医師、助産師に頼んでいるようだったわ。だから、私もその前例の病院を調べたし、他にも可能性がありそう所は調べた。でも、何処の医師も助産師も、ジェラルトの出生については『知らない』、『関係ない』としか言わないわ。それが本当かどうかは分からないけれどね」
「病院まで、ジェラルト出生時については、揉み消そうってことですか」
「分からないわ。だけど、ここまで出てこないとなると、これも王家の手が加わっていることは確かね。……貴方と一緒よ」
「一緒……」
ポツリとカロムは呟く。そして、もう一度空白まみれの資料に目を戻す。上から下まで見ても、ジェラルトの名前と、ヘリヴラム家が出生場所とだけが記されている。
他は全て空白であった。それは何度見ようと変わらない。
「……揉み消したいこと…………」
カロムは顎に手をあて、悩む仕草をする。
自身もジェラルトも、ヘリヴラム家にとっては同じような存在なのか、と考えれば決してそうではないという結論に至る。
ジェラルトは存在を世間に知られている、ほぼ国全ての人間に。変わってカロム自身は、ヘリヴラム家の子供であること自体を隠されている。
しかし、どちらも決まって出生時に関しての情報は、ほとんどなかった。
ジェラルトとカロムに何の違いがあるのか。考えようと思えば、いくつもの根拠など道は見えてくる。
暫くブツブツと呟いて、紙を見つめるカロムに、敢えてルチアーノは声を掛けることはなかった。彼が何かを考えていることは目に見えて分かっていたし、彼のそこから導いた考えに彼女も興味があった。紙を何度も上から下まで指でなぞって、視線を落とし、上げるを繰り返す。
ある時、ピタリと指が止まり、目を見開いたことにルチアーノも反応した。
「……? どうしたの?」
「……何故、王の名も、王妃の名も記載されていないのか、知っていますか?」
「さぁ。皆知っていることだから書かなかったんじゃないかしら」
空白となった生みの親となる両親の名。
それは間違えなく、ヴァルゼル=ヘリヴラムと、エリザベス=ヘリヴラム。
「王妃、エリザベス=ヘリヴラムは、今、この王宮内に?」
「え、ええ。でも顔を出すことは無いわね。何でも持病で外の空気に、触れることが良くないらしいわ。私も彼女と顔を合わせたことは一度もないわ」
「一度も、か……」
「異様にウイルスに敏感なようでね。他人と会うこともほとんどないらしいわ」
カロムは自身の顎に片手を持ってきて、何か深く考え込む仕草を見せる。目を細め、彼らしくない面持ちで考え事を始めた。
「カロム君?」
「食事は、王妃の食事はどうしているのですか? さすがに全く人を介さず彼女が食事も取れるとは思えませんが……」
彼の中で一つの仮定の話が徐々に芽を出した。
ルチアーノも何となく彼の考えを察したが、その時に「残念」と告げるように渇いた笑い声を漏らす。
「彼女には毎日三回。食事を運んでいる使用人がいるわ。しっかりと食器も空になって返ってくる」
「その使用人が隠れて食べた可能性は?」
「ないわね。食事を持って、王妃の部屋に入室後、一分も経たずに外に出るわ。女性一人でそんな短時間で平らげるのは不可能よ」
カロムの推察はへし折られる。
姿を見せない王妃が、存在しておらず、ジェラルトが王と王妃の間に出来た子供ではないとすれば、作り上げた意味があるのか、ないのか分からないこの資料に、わざわざ二人以外の名前を書く必要はないだろう。
しかし、逆に誰がマジマジと見る訳でもない資料に嘘を書く意味もそこまであるとは思えなかった。故に、両親の名も記載されず、彼の出生に関する内容はここまでで留められた。
このような一つの予想を立てたが、どうにもルチアーノの口振りからして違うように思えた。王妃は確かに顔は見せず、表に出ることもほとんどないが、存在はするらしい。
「何にせよ、ジェラルトの出生に関して国……、もしくはヘリヴラム王が何らかの事実を隠したいと思っているのは間違い無さそうですね」
「そのようね。あと、《もう一つ》のことも」
話を切り上げようと、カロムは話をまとめ、椅子から再度立ち上がる。早くデリーのいる自室に戻りたいとでも訴えるように、その行動は早いものであった。
しかし、ルチアーノは話をそこで止める気はなかった。
カロムは意味ありげな言葉を続けたルチアーノをジッと静かに見る。彼女の伝えたい内容は分かっていた。
「貴方、カロム=ヘリヴラムの出生についても隠したいことは多くある、当然の話よね」
「……ああ、そうでしょうね」
出生内容に関して深く隠されたのは、何もジェラルト一人ではない。
もう一人。世間の目には触れないように、存在自体をないとされていた男も一人、ここにいた。
「貴方自身は、本当の自分を知りたいとは思わないわけ?」
「カロム=ヘリヴラムは、生まれながらにして死んだ。そこで代わりとなって生きたのが、カロム=ヴィンセント。そう考えて生きてきた。今更、またカロム=ヘリヴラムを生き返らせようとは思いません」
「ヘリヴラムの血縁者である可能性があるのなら、貴方の実父はヴァルゼル=ヘリヴラム以外にいないわよ」
「…………」
カロムは口を閉ざした。ルチアーノの言葉は核心をついているし、それが事実以外の何ものでもないことは、カロムもよく分かっていた。何年も前から。
分かりはするが、信じたくはなかった。
自身の嫌った国のあり方を先導しているのは、間違いなく実父とされるヘリヴラム王なのだから。
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