第8話 仕事
「ジェラルト王子、癇癪なんて起こさないじゃないか……。というか、付き人に何か頼むことも少ない……」
「良い事じゃないか。癇癪癖がなくなったのかもしれないし、仕事が増えない」
「……学校に行かない分、何かをしていないといけない気がしてしまうんだよ」
「お前は本当に真面目だな」
カロムとデリーに用意された使用人用の部屋で二人は駄弁っていた。
ジェラルト王子の癇癪癖については、世間に出回る程大きな噂になっているが、三人がヘリヴラム家に訪れてから、一週間経ったが、そんな素振りは一切ない。
使用人たちが嘘の噂を垂れ流していたのではないか、と考えてしまう。
「平和が一番だろ?」
「ん、まぁ、そうだけどさぁ……」
カロムはヘリヴラムの王宮に足を踏み入れることは、最後まで嫌がったが、それでは自身の大切な人たちの身に何かあると分かれば、そうは言っていられない。
彼は聖女の皮を被った悪女、兵士育成学校の生徒会長と名だけある、ガーネット家の娘、ルチアーノ=ガーネットに脅されているようなものである。
「剣を使うことがないのは嬉しい限りなんだけどさ」
「ジェラルト王子に勝てるとは到底思えないからな」
最悪な事態は、癇癪を起こしたジェラルトが、剣を持ってルチアーノにその矛先を向けることだ。
仕事として、カロムとデリーは身を呈してでも、ルチアーノを守らなければならない。
上辺では、二人とも剣術が皆無な程出来ないとされている。
デリーはその言葉通り、どれだけ真面目に実践授業に出ようと、多少の個人練習をしようとも、成果が目に見えて出ない。本当に根本から剣術の才能がないのだ。
変わって、カロムは紛いなりにもヘリヴラムの血縁者。しかし、現状、自身でも剣術がどれ程出来るかは知らない。彼が五歳児以降、剣を握っていない事実もある。
対して、向こう、ジェラルトはヘリヴラムの血を持ち、剣の稽古にも勤しんでいるとルチアーノが語っていたはずだった。
二人でかかろうと勝てる未来が想像出来ない。
「でもさ、おかしな話だとは思わないかい?」
デリーから突然、疑問が投げかけられた。カロムは「んぁ?」と、自身のベッドの上で横たわりながら、デリーの方に顔を向けた。
「ヘリヴラム王に一言も挨拶なしに僕らが王宮に入れるなんて……。普通なら、最初に顔を見せなければならないよね? 礼儀として」
「……言ってただろ。今、その王が忙しんだって」
「でもさぁ、わざわざそんな時を選んで僕らが足を踏み入れていいのかな」
デリーは疑問だらけのまま、この一週間を過ごしていたらしい。
大真面目な男だ。一端の礼儀なども少しは気にしている。カロムは、呑気にそんな彼を偉いと思った。
(……そもそも、多忙だなんて、あの女のまた適当なはったりに過ぎないだろうな)
デリーの方から、目線を離したカロムはふと、ルチアーノの悪い笑みを浮かべた姿を想像しながら、眉を下げた。
何も知らず、巻き込まれただけの友人デリーを哀れに思えた。
国の上層部、ルチアーノの父の考えを全て知り得た訳では無いが、今のところ彼がカロムとデリーを王の前に出すことは無いようにしろと、娘に命じているのだと、カロムは踏んでいた。
国や王家に関わる者で、二人の名前まで知っているのは、ルチアーノ、セルラルド=ガーネット、ジェラルト=ヘリヴラムの三人だけであろう。
(……うち、二人はあの悪ガキ女に騙されていることにもなるが)
笑えた話である。
挙げた三人の中で一番媚びへつらう立場のルチアーノが、上二人を騙して、弄んでいるのだから。
承諾する権利がある側が、必ず優秀な方とは限らない。どちらの方が踏み入った考え方を出来るか、それを行動へと正しく移せるか。
ルチアーノの方が、二人よりそれらの力が上だった。だから、現在こんな一般国民が、王宮に堂々と住み込める状態となっている。
カロムとデリーの寝泊まりする部屋に、三度ノック音が響いた。わざわざ王宮の誰かが、二人のもとを訪ねる理由は無い。
扉の向こうに誰が立つかは、室内の二人もすぐに分かった。
「暇そうね」
予想通りの人間であった。
ルチアーノは二人の返事を待たずして、扉を開けた。二人の姿を確認し、すぐに彼女は一言だけ言った。
「わざわざ護衛をする機会も、力仕事を要求されることもないんでね」
ベッドから起き上がり、カロムは彼女に一言返す。デリーは未だに、ルチアーノと話すことが恐れ多いと感じているのか、言葉数が少ない。
「ふふ、それもそうね。貴方たちが暇と言って王宮の中をうろつく訳にもいかないものね」
「その通り。……会長様みたいな御方とは訳が違いますから」
嫌味混じりにカロムはルチアーノを挑発する口調だった。彼女はそれに「あらあら」と笑いながら子供じみた顔をする。
「……じゃあ、そんな暇人な二人にお仕事よ」
「……えっ、ジェラルト王子に何かあったんですか? それとも力仕事ですか?」
デリーはジェラルトの元に行くのは乗り気では無い。それは、いつ彼が癇癪を起こすか分かったものではないからだ。
「いいえ。……二人ともついて来て。仕事場に行くわよ」
カロムとデリーは顔を見合せ、ベッドから腰を上げる。護衛用の剣を腰に纏わせ、カチャンと鞘に収まるそれらが揺れて音を鳴らした。
「ここは古い資料が置かれている今はあまり使われていない書庫よ」
てっきりジェラルトの部屋か、重荷の積まれた場所に連れていかれると予想していたカロムとデリーは、口を少し開いたまま、一つの部屋の前に立つ。
ルチアーノは、書庫と言ったその部屋の扉を開くと、二人を手招く。
「……俺たちに、ここで何をしろ、と?」
カロムは歯切れ悪く、彼女に問いかける。
彼の嫌な予感はよく当たるのである。
「ここには、王家、国家内にいる人間についての資料があるわ。それをまとめて欲しいだけよ」
そう言われ、書庫内に置かれた机の上には、びっしりと紙束が山になり、机一面を埋めている。床にも同じように山が置かれていた。
「……資料って……、そんなの俺たちに見せていいんですか?」
「大丈夫よ。そんな大した物じゃないわ。出生とか、軽い生い立ち程度の物よ。他人に知られて、わざわざ隠すようなものでもないわ」
「……あの、これをまとめるって言うのは……」
デリーは、ほとんど書庫内を埋め尽くす紙の量に驚きを隠せず、口数の少なくしていたが、呆然としつつもルチアーノに質問した。
「ただの手作業よ。個人ごとに資料を一つにして欲しいの。はい、これ。紙に穴を開けて、紐を通して一つにして頂戴」
カロムとデリーの手には、二つ紙に穴を開ける用の道具と、黒く長い紐が置かれた。カロムはひくりと声を漏らした後に、ルチアーノを横目に震えた声を出す。
「……一つ聞きますが、山ごとに一人の資料ってことで合っていますか……?」
「あら。そんな訳無いじゃない。古い物を適当に皆が放るから、こんな惨状になっているのよ。時も人も全てバラバラよ」
ニコリと笑いながら、聖女の皮を被る悪女は悪魔の言葉を二人に告げる。
「……やっぱり性格の悪い女だな……」
カロムは小さな声でルチアーノをそう称した。デリーもさすがにカロムに賛成の声は出さなかったが、否定の言葉も述べなかった。心の内で同様のことを考えているのだろう。
「お願いね。二人とも」
涼しい笑顔を晒したルチアーノは、書庫の扉を閉めて二人の前から消えて行った。
残された二人は、ほんの僅かな悪女なりの優しさなのか机の前に椅子が用意されていた。二人は腰を下ろし、紙の山と数秒睨み合ってから、渋々と手を動かし始める。
国上層部、ここで働く使用人……。この王家に携わる人間全員の資料であった。
しかし彼女の言うように、特に重要な内容では無い。生まれや、育ちの環境程度しか記されていない。これを何処かに差し出したとしても金にもならない情報ばかりであった。
黙々と手を動かし続ける二人は「この名前は見たか」「その名前はあっちに置いた」などと呟くような声で、連携を取り作業を進めていく。
もう既に亡き者の物まであるので、相当な量であり、二人でやることでは無いと、どちらも思っていた。
時折休憩を挟むカロムと違い、大真面目なデリーは手を止めることはなかった。それを横目にカロムは、真面目過ぎる友人を尊敬し、少し哀れにも感じた。
(男として生まれたが故、剣術が出来ないだけで使い者にならないと判断されてきたが、人間としては出来た奴だ……)
ただただ、目の前にいる男は優秀であるとカロムは思った。手早いし、記憶力もある方だ。
実技のような身体を動かすことは、専らダメであっても、こういった作業であれば、デリーはかなり有能な人材であった。
一度疲弊の息を吐いたカロムは、デリーに感化され手を進めた。一枚の紙を取り、名前を確認する。
「……ジェラルト=ヘリヴラム……。王子のもあるのか」
さすがに今もなお、生きるヘリヴラムの血縁者の物まであるとは考えていなかったカロムは少々驚いた。
「えっ、本当だ……。他にもあるのかな、まだ見つかっていないけど……」
カロムはそれを暫く見つめた。そして、眉を顰める。
「……これ、あまりにも情報が少な過ぎないか? 生まれた場所……、この家の名前しか書かれていない」
ジェラルトの名前の記された一枚の紙には、枠線で区切りはあるものの、字は彼の名前と、出生場所がヘリヴラム家の名前だけであり、他は全て空白であった。
「こんな分かりきった資料いるのかな……。逆に当たり前だから、他は書かなかったんじゃないのかい? ジェラルト王子の親名なんて、誰もが知っているし」
デリーは流すかのように、呑気に答え、手を早めていたが、カロムは紙一枚を握り締め、情報の少ないそれを見つめた。
(……内容を記載した医師名もない。……確かに親はヘリヴラム王と、その妻に決まっているが…………)
デリーの言う、周知の事実であるから書くのをやめた。
カロムはそれでは、納得出来ずにいた。
「カロム? どうしたんだい? 早く終わらせよう……、今日中に終わる気はしないけど」
「……あぁ、そうだな」
カロムは自分のすぐ横に、ジェラルトの資料一枚を置き、違う紙束に手をつける。
度々、作業の中その一枚の紙に視線をやり、カロムは器用に手を動かしながら、謎めいた資料を気にしていた。
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