第7話 カロム=ヴィンセント

 男児であったカロムは、剣を持つことに一つの恐れもなかった。

 五歳を上回るまで、カロムは至って世間一般と同じ想いを持っていた子供であった。

 自国を守る勇敢な兵士となり、異国を敵と小さな頭で考えていた。

 それらが消え失せたのは、自我が芽生え、箸や筆の持ち方を覚えた頃であった。



「カロム。ちょっと来なさい」

 ある日、カロムは父、ベルモンド=ヴィンセントに真剣な声色で呼ばれた。その日の父は、少し顔を強ばらせていたことをカロムは、今でも覚えていた。

 当時は子供故に、怒られるような悪さでもしたかと記憶を巡らせたが、一つも検討がつかずに、父の呼びかけに小さな声で返事をした。


 ヴィンセント家は、小さな民家ではあった。

 父の好いていた盆栽と、母の育てた数種類の花が咲く庭が備えられている家だった。

 その庭に連れて行かれたので、盆栽でも教えられるのかと、カロムはその時呑気に考え、父の背を追った。

 庭にはいつもはない、一本の長い竹が用意されていた。カロムは少々驚いたが、竹は恐れるようなものではなかった。

 ただ、疑問だけが浮かび、父に尋ねた。

「父さん、これは?」

「…………カロム。 これを持ってみなさい」

 父は少し歳には合わない嗄れた声質を持っていた。

 カロムに差し出されたのは、小さな剣であった。しかしそれは、玩具などではない。刺せば傷をつけるものだ。


 カロムの少年心は擽られた。男の子だ、武器に興味を示すのは珍しくない。

 庭へと母、アリエットも遅れてやって来た。彼女の面持ちは暗かった。

「カロム、気を付けて持つのよ」

 母は心配そうな声でカロムに一つ伝えた。刃物を持つのだから、そう言われることに疑念はなかった。

 父からそれを受け取ったカロムは、利き手に持ち、太陽の陽にあてる。キラリと銀色の部分が光った。

 そして、彼の瞳も同じように、嬉々として光った。

「父さんっ、これをどうすれば良いの!?」

 その表情は無邪気そのものであった。

「……カロム、怪我をしないように、お前の思うようにこの竹にそれで切り込んでみなさい」

 父も母も面が酷く陰っていたが、少年のカロムにそれを感じ取ることは出来なかった。

 それよりも、剣を握ったことに対する好奇心の方が上回っていた。

 カロムはそう言われ、そのまま行動に出た。


 五歳児が、いくら小さな剣とはいえ、刃物を振る経験があった訳がない。正真正銘、カロムが剣を握ったのも、何か刃を入れたのも初めてであった。

 カロムは想像した。竹がどう切られた形になるのか。

 上手く、断面を斜めにするには? ガタツキのない滑らか面にするには? と、考えてから、少年の出来る限りの力を込めて、刃を振り下ろした。


 キン、と竹と刃が触れた音がした。

 力を込めた。しかし、それは男児平均の力であった。カロムの力が他の子よりも数倍強かった訳では無い。

 ずるり、とゆっくりと斜めに竹の上部が動いた。

 カロムの振るった剣の刃は、竹の途中で止まることなく、右上からやや左下に傾いた地点まで、貫通していた。

 カロムは喜んだ。何故なら、断面も切り方も、彼の想像通りの結果になったのだから。

 思っていた。両親も、息子が剣術の才能があり、勇敢な兵士になる可能性があることを、喜ばしく、讃えてくれる、と。

 振り向いた少年の眼差しに、父は下唇を噛み締め、母は両手を顔面にあて、隠していた。


 歓声は上がらなかった。讃える言葉は飛んでくることはなかった。

 カロムは分からなかった。

 竹が両断されたのは凄いことではなかったのか。自分が思っただけで、剣術の才能はなかったのか、と。

 父はカロムの握った剣を優しく取り上げた。

 鞘にそれを収め、地面に放った。カロムはその剣に視線を奪われた。

 そして、彼の身体に両親の体温が触れた。

「……? 父さん、母さん……?」

 母はぐすぐすとしゃくりを上げて泣いていた。父の大きな掌がカロムの頭を撫でていたが、それは震えていた。

 カロムは理解に苦しんだ。五歳児には、訳の分からない状況であった。

「……カロム、やはり……あなたは……っ」

 抱き締めた母は、彼の耳元で上擦った声を震わせ言葉を紡いだ。

「……血には、遺伝子には抗えない。そういうことだよ。母さん」

 五歳児の彼には、言葉の意味が理解出来ずにいた。

 しかし、自我のあるカロムは、その光景を自身の一生残る記憶には刻み込めた。


 周囲の子供は、施設にいる者が多かった。

 貧乏な暮らしをする家の子は、施設に入れない者もいたが、概ね子供たちはそんな施設に預けられている印象があった。

 ヴィンセント家は貧乏ではなかった。一般民家程度の生活は送れていた。

 だから、カロムを施設に預けることも出来たはずだ。

 施設にいた子供たちは、刃がスポンジ状の玩具の剣を振るって遊んでいた。特に男児はそればかりをしていた。

 皆、兵士を目指していたのかもしれないし、ただそれが楽しかっただけなのかもしれない。

 

 カロムが剣を握ったのは、竹を真っ二つに切った時が最初で最後だった。

 両親にその後、難しい話をされたが、少年に全てを理解出来る脳はなかった。

 だが、カロムも人の子だ。成長するにつれて、言葉の意味を蓄えていく。

 施設や学校に通わずとも、何となくカロムの頭には知識が流れ込んできた。

 一度聞いた言葉は流れるように脳内へと刻まれた。容量が広まるように、知識が増えても減ることは無かった。全てを脳に溜め込めた。


 十歳を過ぎた頃、カロムはあの日の両親の言葉の意味、表情の意味、自分が何かを把握し終えた。


『お前は養子というのでな、俺たちの本当の子供じゃない』

『剣を握ってはいけない。お前は才があり過ぎる』

『世間の目に止まらないように、隠れたように生きるしかない』


 まとめれば五歳児に両親がかけた言葉は、こんな内容のものであった。

 五歳児の時から一、二年は言葉の意味を、二人の真意を勘繰った。

 養子という事実は、信じ難がったが、そうなのだと思う他なかった。

 しかし、剣術の才があるのに、剣を握ってはいけない理由と、世間から離れて目立たないように生きなければいけない理由が分からなかった。


 加えて三年程経ち、十歳にもなれば、カロムは一つの仮定を持てた。

そして同時に、『国のため』に剣を握る気力を喪失したのだ。



 十八歳になれば、一般国民の男は兵士育成学校への入学を余儀なくされる。ヴィンセント夫妻はそれを嫌がり、カロムに行くなと何度も何度も伝えた。

 その行動は、カロムの考えた仮定が確信へと変わっていくものだった。


「お前はここに居れば良い……。生活するのに不便なことはあるだろうが……、私たちが何とか……」

「そうよ、カロム。何もあんな施設に行く必要なんてないわ」

 入学する数ヶ月前にヴィンセント夫妻は、泣きつくようにしてカロムに言葉をかけた。

 カロムは二人に微笑んだ。

「大丈夫だよ、父さん、母さん。それに十八歳を超えた男を施設へ行かせていないと国に知られたら大変なのは二人だ。……ここまで育ててくれたことに感謝しなければいけないのに、これ以上二人に荷は負わせられない」

 どちらも「そんなことはない」と告げたが、カロムは意志を曲げることは無かった。

 そして、確信へと変わった彼の仮定が正しいのかを真実を知る二人に確かめることにした。


「……なぁ、父さん、母さん。俺は向こうでも上手くやるよ。

 ──────ヘリヴラムの子供だとバレないように」


 その時、二人の表情は固まった。

 二人は五歳児に説明した。養子であること、才があるが故にそれを表に出さないこと、身を隠して生きること。

 それだけを。


 ヘリヴラムの子供であるなんて、一言も伝えてはいなかった。

 カロムは剣術の才能がある。それと同時に、脳内の許容範囲も大きく、知識を蓄えることが上手かった。しかし、カロムはそれで傲慢にはならなかった。

 才能ではない。……それは、自分に通う血が原因だと、薄々勘づいていたのだ。

 ヘリヴラム家に生まれた子は、遺伝子のためか剣術に長け、知性もある。有能な子供ばかり生まれる。ヴィンセント家の養子となったカロムに、それは当てはまった。

 カロムはそれ以上、二人に何も聞かなかった。

 その時の彼にはどうでも良かったのだ。何故自分がヘリヴラム家を追い出され、養子にされたのか、など。

 過去は変わらないし、それを知ったところで彼に得は無いと分かっていた。ヘリヴラム家に戻れるなんて、思いもしなければ、戻りたいなどとも思わなかった。

 そもそもカロムは、国の方針と合わない考えを持つように成長していた。そんな国の頂点で生きることは嫌であったし、目の前にいたヴィンセント夫妻のもとで、カロム=ヴィンセントをしている方が幸せであった。

 感謝はする。それと同時に二人を危険に晒したくはない。彼なりのケジメと執念。

それ故、二人の言葉を跳ね除けてでも、兵士育成学校への入学を希望した。かと言って、国のために戦う気も英雄として死ぬ気もなかった。


 退学、となればヴィンセント夫妻が問題ではなく、自身が問題なのであり、二人に罰が下ることは無いと考えた。


 剣術を晒すことはしなかった。自分が本当に剣術が長けているのかは、五歳児の記憶で止まっているから何とも言えないが、ヘリヴラムの血、遺伝子を持つ自分が才があると知られる可能性があるのならば、そのリスクを潰した。

 座学は少しだけ受けたが、何となく元から自身の頭の中に蓄えてある内容ばかりであった。何処かで聞いた大人の難しい話を子供の脳で、整理し覚えてしまっていたのだ。それも眠くなるばかりだった。


 剣は握りたくない。自分がヘリヴラムの血縁者であるという事実を突きつけられるから。

 だが、ルチアーノの護衛と称したのならば、持たない訳にもいかない。護衛を断る訳にもいかない。彼女との約束事があるからだ。


 ヴィンセント夫妻に危害は加えさせない。


カロム=ヴィンセントは、それだけのために兵士育成学校へと入学したのだから。

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