第6話 ヘリヴラム家

 日を経て、ヘリヴラム家にあと一歩で踏み入れる手前まで来た。


 ジェラルト王子の付き人、ルチアーノ=ガーネット。彼女の護衛兼下っ端、デリー=アーバンテ、カロム=ヴィンセント。

 この三人である。

 カロムは来る途中でも溜息ばかりであった。

「カロム、今日何回目だい? 嫌っていた学校に通わなくて良くなったんだから、ルチアーノさんに感謝すべきだよ!」

「感謝なんていいのよ。……こちらが感謝したいわ。わざわざ、護衛なんて……」

「……はぁぁぁ……」

 デリーはルチアーノと共に居られることが嬉しいのか、いつもよりも上機嫌であった。

 ルチアーノは猫被りのようにデリーに聖女を見せた。

 カロムは溜息を吐くか、口をへの字に歪めるばかりだった。


「さぁ、行きましょう二人とも」

 ルチアーノの掛けた声にデリーは、陽気そうに返事をした。カロムは溜息で返事をした。

 王家、ヘリヴラム家へと足を踏み入れた。


「……お父様は反対だったんじゃないですか」

「ええ、通すのに骨が折れたわ。疲弊中のお父様に、一つ一つ理論性、効率性なんかを説明するのは」

「疲れ切っているお父様が可哀想だ」

「二人して何の話だい?」

 ぶすくれた顔でカロムは、ルチアーノに尋ねれば、「疲れた」という顔と言い方で彼女は答えた。

 話の分からないデリーは二人に問うが、二人とも口を閉ざして「なんでもない」と告げる。

 広いヘリヴラム家の敷地内は、兵士育成学校の敷地を優に上回っていた。

 三人で並んで歩いていれば、メイドたちが忙しそうに動き回っていた。見渡せば、若い男手は、いないかった。

 彼女たちはルチアーノには、上品に頭を下げるが、横にいるカロムとデリーを不審な目で見る者は多かった。


「まずはヘリヴラム王に挨拶ですか?」

 デリーがルチアーノに尋ねる。カロムはピクリと眉を揺らした。

「……いいえ。王は今、お忙しいと父から伺っているわ」

(……忙しい、というよりも、一般国民の俺とデリーに会わせたくないだけだろ……)

 カロムは、ルチアーノの父が、二人が娘の護衛となることに関して、ヘリヴラム王に話しているのかも怪しんでいた。

 異例な出来事だ。実際のところ、ルチアーノ本人も父から言われているような気がしてならなかった。自身たちが王宮内に足を踏み入れたことをヘリヴラム王に知られるな、という内容を。

「でもさ、僕とカロムがルチアーノさんの護衛で本当にいいのかな……。癇癪を起こしたジェラルト王子相手に、僕らが剣術で勝てると思えないけど……」

 カロムの耳元で、デリーは情けない声でコソリと尋ねた。

 そんな情けない言葉と声をルチアーノには聞かれたくなかったのだろう。

「……さぁな。盾にでもなって、あい……、会長様の命だけでも救えって事じゃないのか」

 ルチアーノをデリーの前で「あいつ」と呼びそうになり、ハッとして口に留めた。

「今のところ、人を殺めるような真似はしたことないって話だけど……」

「噂は何処までが、本当かは分からないからな」

「……癇癪を起こしてないジェラルト王子、僕たちのこと良く思わないよなぁ」

 カロムは「確かに」と今更思った。そこまで他人の考えを深く考えることは無かった。

(……顔を合わせなくていいのなら、合わせたくは無いが……)

 カロムは眉間に皺を寄せ、また一つ重たい溜息を吐いた。


「……ここよ。ジェラルト王子の部屋は」

 先陣を歩いていたルチアーノは、ピタリと止まる。

 重々しい扉を前にし、彼女はそう二人に告げた。

「……うわぁ、緊張するね……。失礼の無いようにしないと……」

「別に俺とお前は、あいっ……、会長様の後ろに黙って立ってればいいだけだろ」

 カロムは出来るだけ顔を伏せて、ジェラルトに顔を向けないように努めることにした。


 軽快な三回のノック。ルチアーノの細い指が扉を叩く。中から、低い男の声がした。

「失礼致します。ルチアーノ=ガーネットと申します」

 名を述べたルチアーノが扉のドアノブに手をかけ、ゆっくりと音を出来るだけ鳴らさないにして、扉を開く。

 神々しいシャンデリアが吊られ、書物庫のように並んだ本棚が壁一面に敷き詰められている。そんな室内の中心には、赤い質の良いソファーが二つ。真ん中に茶色の光ったローテーブルが置かれていた。

 その奥の大きな机には、紙束が積まれている。そして一人の男が、万年筆を持って座っていた。

 姿勢が良く、背筋を伸ばしている。

 カロムはすぐに頭を下げた。ひれ伏す下民のようにして。

「……ああ。話は聞いている。……ジェラルト=ヘリヴラムだ」

  同い年だが、カロムとデリーよりも幾分か低音な声であった。

「本日より、ジェラルト様の付き人を務めさせて頂きます」

 ジェラルトはルチアーノを瞳に捉えてから、流すように視線を後ろで姿勢を低くする二人に向けた。

「……そちらの二人は」

 ジェラルトにすら上手く説明が通っていなかったらしく、そこまで表情は変えることはなかったが、ルチアーノに問い質した。

「……私だけでは取るに足りない部分もあると思い、このような者を連れております。力仕事などを任せる使用人と思って頂いて結構です」

(……まぁ、本人にアンタが癇癪起こした時用の護衛なんて言えないよな)

 カロムは口元が緩みそうになったが、グッと堪え、頭を下げたままである。

 デリーもまた、カロムを真似るように手を震わせながらも、頭を伏せていた。

「……頭を上げて構わない」


 ジェラルトは癇癪癖があり、それを引き起こせば手が付けられないとの話であった。

 しかし、日頃は大真面目な男であり、背格好も良い。金の短髪が良く似合う、顔のパーツも揃った男だ。それに下の者に対しても圧のある接し方をする訳でもなかった。

 きっと常にこのままの彼であったならば、付き人を志す者は多いのだろう。それがいなくなる程に、癇癪は酷いらしいと、そこにいる三人全員が思ったことであった。

 優しさ故か、頭を上げろと言うジェラルトに背くようなことは出来ず、嫌々ながらカロムは頭を上げる。続くようにそれを横目で察知したデリーも頭を上げた。


「……カロム=ヴィンセントと申します」

「……っあ、えっと……、デリー=アーバンテです……」

 一瞬、カロムとジェラルトの目線がかち合う。

 カロムは表情を曇らせていたが、ジェラルトはそこまで気にしなかったようだった。



「では、何かあればお呼び下さい」

 ルチアーノがそう告げると、ジェラルトは小さく「ああ」と返し、片手を上げた。それを合図に三人とも廊下へと出た。

 ルチアーノが寮からでは遠いと、メイドたちの寝泊まりする部屋の空き部屋を二つ借り、一つを彼女が、もう一つをカロムとデリーが使えるようにしたと言った。


「ここよ。貴方たちの部屋は」

 連れて行かれたのは、使用人の使う部屋であり、わざわざメイドたちの使う部屋から少し離れた距離に置かれていた。

 ジェラルトがルチアーノを呼べば、二人も強制的に連れられていく。そんな単純なものである。

 決して、ルチアーノとジェラルトを二人にしてはいけない。彼女の父からの伝言らしい。

「あの人が、ジェラルト王子……。至って真面目で、礼儀のある人だったけど……」

「…………そうだな」

 そんな彼が癇癪癖があるとは一見では分かるはずもない。

「……にしても、寮部屋よりも全然広いね、使用人用の部屋なのに」

「使用人って言っても王宮に仕えるくらいの人間ばかりだからな。使用人と言えど、俺たちよりは身分は上なんじゃないか?」

 カロムは一つ欠伸をする。

「……ジェラルト王子、あんな近くで初めて見たけど、何だか厳格過ぎもしないし、関わりやすそうな顔だったなぁ」

「……俺たちがと話すことなんて、ほとんど無いだろうけどな」

 あくまで二人は付き人ルチアーノの下っ端という名目である。身分も低い。この敷地内にいる誰よりも。

 そんな二人が、ジェラルトと話すなんてこと滅多なことがなければ、有り得はしない。

「ま、そうだよねぇ」

「そうそう。俺たちは会長様が呼ばれた時だけついて行けばいい。力仕事があるって言われれば、それをこなす、それだけだ」

「……カロム、面倒臭いって言って僕に全部力仕事押し付けないでくれよ?」

「……あぁ、それもいいかもな」

 ニタリと笑ったカロムに、デリーは「もぉ!」と不貞腐れる顔をした。


(……力仕事、の方が気楽だな……)

 カロムは、自分らしくない一言を吐くことなく、胸の内に留めた。


「……あ、これか。護衛用に常に身につけろって言われていたの」

 デリーが壁に密着してあった棚を開いてボソリと呟く。彼が取り出したのは、剣であった。

 二人がここに駆り出された理由は、ルチアーノの護衛。

 癇癪を起こしたジェラルトから、彼女を守ること。

 剣術も長けた彼に刃向かうには、剣の一つや二つは必需品だろう。

 いつ起こすか分からないとなれば、常に腰に巻き付けて置かなければならない。


「はい。カロムの」

 鞘に刃を収められた剣をデリーは、カロムに差し出した。

 カロムは手を伸ばし、剣の前で一度受け取るのを躊躇うようにして、止めたが、デリーからそれを受け取った。

「変な感じだ。カロムが剣を持っているなんて」

「本当だな。俺も変な感じがする。手に馴染まない」

 デリーは笑い話をするように大袈裟な表情を見せながら言った。それを笑いで返すような答えをカロムも放つ。

「……君は怠る癖があるけど、持つと様になるんだな。僕とは違って、顔のパーツも兵士らしさがあるし」

「……何処にでもいるような顔だろう。デリーのような顔が珍しいだけだ」

「…………それは馬鹿にしていると受け取るべきなのか?」

「いや……、羨ましいという話だろうか」

 二人は笑いながら、いつもの昼と同じような会話をする。

 彼らは間違いなく、互いを友人だと思っているのだ。


「そういえば、カロム。君は両親に学校を一度離れ、王宮に仕えることは話したのかい?」

 デリーは用意されていた彼用のベッドに腰を下ろす。そして、カロムに一つ問いかけた。

「……いや、話していないな」

「えっ、下働きと言っても王宮に仕えるなんて、とても一般国民が出来ることじゃないのに!? 僕は両親に伝えた時には、とても喜ばしそうにしていたよ!」

(……普通であれば、それが正しい反応だろうな)

 嬉しそうに両親の反応の様子を事細かに話すデリーを、カロムは微笑ましく思いながら、彼の話に耳を傾けた。

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