第4話 騙し
「……それで、俺に何をしろと? 言ったように俺は精神科医ではありませんよ」
「そんなこと承知の上よ」
立ち話もなんだと、空き教室に置かれた埃の乗った机と椅子二脚を引っ張り出し、二人とも腰を下ろした。
手を下すや、殺すなどという物騒な話は流され、カロムはルチアーノの頼みとやらについて聞くことにした。
「では俺に何を頼みたいのですか? 癇癪癖を治せなどと言われて出来るのなら、誰かしら既にしているでしょう」
呆れて溜息が漏れたカロムは、やる気のない顔をルチアーノに示した。
「ジェラルト王子の癇癪を起こした時の行動は、おかしな点が多いのよ」
「おかしな点、ですか?」
癇癪を起こす、と言われれば大概、騒ぐ姿や、何か物に当たる姿を想像する。
「私も実際に、彼の癇癪時を見たことは無いのよ。これは、それを見た人間の話、本当かどうかは分からないわ」
「……はぁ」
自分はヘリヴラム家の人間に接触する機会は少ないとルチアーノは語る。
カロムはそんなものか、と興味無さげに彼女の話に耳を貸す。
「彼の世話をするお付きの人が、目の当たりにすることが多いようね。……けれど、どのお付きの人も長くは続かないらしいの」
「……それは日頃の王子の問題ですか」
「いいえ。普段の彼は至って真面目な方よ。……貴方とは違って、剣術の稽古も積むし、勉学も勤しんでいるわ」
自分と比べられ、カロムはそれが彼女の小さな嫌味であると理解しながらも変に憤怒することはなかった。
適当に受け流す。
「では、その癇癪の方が、問題ですか」
「ええ。それを見た者は口を揃えて、恐怖だ、異常だ、と言うのよ」
「恐怖に、異常……。まぁ、癇癪経験のない人間なら、そう思わなくもないですね」
「私も最初はそうかと思ったのだけれど……、内容を聞くに、普通の癇癪の仕方と違ったものらしいわ」
「……仕方、ですか」
ルチアーノは机に肘を置き、頬杖をつく。彼女は紛いなりにもそれなりの格式ある家の娘である。
それがこんな姿勢を崩して良いものなのだろうか、とカロムは心の内で考えた。
「なんでも、人が変わったようになるらしくてね。騒ぎたてるとかだけではなく、話し方も変われば、気性が荒くなるらしいの」
カロムはそれにピクリと眉を動かした。
「駄々をこねる、とか、子供らしくなるということではないのですか?」
「いいえ。聞いたところによると、それは別人。神が悪魔にでも変わったようだ、なんて噂されているわ」
カロムは黙る。唇をキュッと結んだ。そして、じわじわと眉間に皺を寄せていく。
その顔を彼が考えを整理している時のものだと思い、ルチアーノは特に気にすることはなかった。
「聞いただけですと、それを治すというのは難しいことでは? 何度も言いますが、俺は精神科医でもないし、カウンセリングの力などもありませんよ」
「治して欲しい、と言ったけれど、言葉を間違えたわ」
ルチアーノはそう言うと椅子からゆっくりと立ち上がる。窓の方へと歩み、カロムに背を向ける。
「カロム君。貴方、この学校は好き?」
「は?」
全く別の路線の話題を持ちかけられ、カロムは素っ頓狂な声をあげてしまう。
「……好き、だったなら、サボるなんてしませんよ」
何を分かりきったことを、と伝えるような口調で答えると、ルチアーノは「確かに」と小さく微笑んだ。
「じゃあ、私が貴方をここから出してあげる」
「……」
ガーネット家の娘だ。家の権力を使えば、半ば強制のように入学させられるこの学校から、生徒一人を連れ出すことは容易いのかもしれない。
しかし、カロムはそれに嬉々と出来なかった。
それは振り向く彼女の顔は、悪女のようで、小さな悪戯好きの女児のような笑みなのだから。
「……カロム=ヴィンセント。貴方には、私と一緒にヘリヴラム家へと赴いてもらいます」
カロムは額に手を当てて、顔を歪めた。
☆☆☆
「えっ、ヘリヴラム王家に僕と君が?!」
昼時ではなく、授業と授業の隙間時間。
カロムは、友人のデリーを先日、ルチアーノと話し合った空き教室へと呼び出した。
「ん、あぁ。お前の言っていた王子の噂、あっただろう? かなり問題らしくてな」
「いや、いやいや! 分かる、問題なのは分かるけど……、何でたかが学生の僕たちなんかが王家に呼ばれる? それによりによって、僕と君なんて……」
デリーの言うことはもっともなことである。
授業を真面目に受けない問題児のカロム。
大真面目な努力家ではあるが、剣術の才は皆無とも思えるほどに弱いデリー。
そんな二人が王家に呼ばれるはずがない。まず、一般国民が易々入る場所でもない。
カロムは「あー……」前置きを一つ置いてから、考えを巡らせながら、デリーに話を続ける。
「……あいっ……、いや、どうにも俺の素行悪さが教師の目に止まったらしくてな。罰と称して、下っ端の手伝いをしなければいけないみたいで……」
ルチアーノのことが一瞬頭を過ったが、彼女のことをわざわざいう必要もないという考えに至り、彼女を「あいつ」呼ばわりしかけてから、話す内容を変えた。
「……そんな不真面目な君を王宮内に入れていいのか……?」
「話によれば、剣術が使えない男手が数人欲しいそうだ。命は取られたくないが、女の使用人ばかりでは、力仕事の手がないらしい。それで俺とお前が選ばれた訳だ」
「…………剣術を、使えない……」
それを聞いてデリーは、顔を歪め、項垂れた。
話だけではカロムはともかく、努力家で剣術の授業も熱心に行っている彼も、剣術が使えないと見なされたということになる。
もちろん、そんな話は全くのはったりだ。
ヘリヴラム家から男手が欲しいとも、剣術の使えないのが欲しいとも言われてはいない。
これらは全て、ルチアーノが考えたぺらぺらな嘘っぱちである。
あまりにも気を落とすデリーに、カロムは焦るように付け加える。
「ま、まぁ……、俺はともかくとして、デリー。お前は剣は出来ないが他に出来ることはあるだろう? 何も剣術だけで人間の価値全てが決まる訳じゃない。お前はお前の出来る部分を使うべきだ。下働きだが、そこで役に立つというならそうするべきじゃないか?」
これはカロムがデリーに同情の声をかけたわけではない。カロムは本心からそう思っていたのだ。
剣や知性だけで人を天秤にかけるものではない。他にも見るべき点はある。それが彼の考え方の一つである。
そして、そんな思想がカロムと国の生き方が合わない理由の一つだ。
「そういうもの、だろうか……」
とは言え、カロムの話は全てルチアーノの考える何一つ事実の無い内容だ。
デリーの言うように、王宮内に一般国民が入って良い訳がない。
しかし、一人の女は王宮に足を踏み入れることが難しくない。そいつが、入れるというのだ、この虚言に意味はあるし、現実となるに違いない。
先日、ルチアーノ=ガーネットから、カロムへ一つの指令が出た。
────『……カロム=ヴィンセント。貴方には、私と一緒にヘリヴラム家へと赴いてもらいます』
その命にカロムは首を振りたかった。しかし、それをすることは出来ない。彼女との交わした約束、というよりも彼女からの脅しがあるからだ。
カロムの親に手を出さない、関わらない。
これを条件に、彼女の頼みを飲むことにした。
彼にとっては、王宮に入ることと、親二人の危険、天秤はどちらにも傾きずらかった。
単純な話。どちらも、嫌、という話だ。
決断はしなければいけなかった。少々悩んだが、両親の安全が保障される未来を選んだ。
彼ら二人に育てて貰った恩がある。それは彼の中、人生から消えることは無いのだ。
「しかし、俺みたいな一般国民が易々と入れるのですか? いくらガーネット家の娘でもさすがにヘリヴラムの王宮に赤の他人……、しかも俺みたいな学生なんてのを入れるのは……」
「言ったでしょう? ジェラルト王子の癇癪を恐れて、お付きの人は長く続かないって」
一つ言えば、カロムは目を見開いていく。
「…………言いましたね」
「つまり、それが今、どんな状況で、私がどうやって貴方を王宮内に忍ばせるか。それくらいは貴方なら分かるでしょ?」
彼女の言いぶりに引っかかりを覚えた。まるで、『貴方ならば分かる。他は分からない』と意味を含んで言っているような気がしたのだ。
しかし、カロムはそれに気付いていない、ただの能天気な少年を演じた。
実際、彼は言葉の意味を理解出来ていた。
(付き人の枠が空いている、となれば何となくやり口は見えてくるが――)
「でもそれが一般国民に務まるとなんて、国上層部、いや王宮内の使用人たちが考えるとは思えませんが」
「普段なら絶対に飲まない条件よ。……でもね、王交代時が目の前に迫っているのに、次期王が問題児なのよ? 大慌てのお国の方々や自分が付き人になるのが御免な使用人に多少、ふざけた提案をしても通ることがあるわ」
「それを、する、と?」
カロムはルチアーノに驚きと呆れを感じた。
彼女自身が国家に近しい人間。
国上層部の人間の娘だというのに、現国上層部や王家に近い人間たちをいとも簡単に騙す、洗脳紛いなことをしようというのだ。
「……お父様、悲しみますよ」
「どうかしらね。騙すことも気付かれなければ、相手は『騙された』なんてショックは受けないわ」
「酷い娘だ」
「…………それを貴方に言われるなんてね」
また彼女は言葉に妙に引っ掛かる部分を持たせる。
だが、それに反応すれば自分のことを変に追及されかねない、と示唆したカロムは、心に靄を抱えながらも、敢えて流すことにした。
「……けれど、私が貴方だけを連れて王宮に入り込むのはさすがに怪しまれるかしら」
「そりゃ当然。せめて連れていくのなら、知性やら品やらある女生徒でしょう」
まるで自分を卑下するように、『自分はそんな器ではない、知性も品もない』と遠回しに伝える。
カロムは未だにヘリヴラム家に入り込まなくて良い方法を考えていた。
ルチアーノは彼の真意も、遠回しな言葉の意味も分かりながら、彼が彼女の言葉を受け流すように、彼女もまた彼の真意を受け流す。
「……そこでね。色々と学校や学生についての資料を読んでみたの」
(……一般生徒には見れないような資料も、こいつには見れるってことね)
ルチアーノは決して、ただの学生ではない。彼女は国上層部に君臨する父から任された仕事をこなしているという。
先日確かに彼女は、自身についてそう説明していた。彼女は役目の詳細を口にはしていない。
しかしカロムは、その役目というのは、国の作り上げた学校の管理か何かであろうという大まかな想定はしていた。
「必要なのは、いかにこの不自然な状況を自然と勘違いさせられるかね」
「……いくらガーネット家の愛娘だとしても、下手にバレたらまずいのでは?」
「馬鹿じゃないわ。そんなの承知の上よ。……けどね、カロム君。誰かが、国と保身を天秤にかけて、国の重りを重くしないと、いつかは国は崩れるわ。今も崩れかけているというのに」
「…………」
ルチアーノは同情など求めてはいないのだろう。自分を犠牲にし、自己満足に浸りたい訳でもない。
(本能的に自分以外がそれをしないと考えるのは、国上層部を嫌な部分を見過ぎたせいか……)
彼女の中にある何かが、彼女にそんな思いを抱かせるているのだと考え、少しだけ彼女を哀れに思えた。
「そんなの、それこそお父様や国王に任せるべきことでしょう」
(まだこんな若者が考えることではない)
「……そう、そうね。……お父様は常に懸命で、聡明、尊敬するに値する存在。そう思っているわ。……けど、お父様に自身を国より軽くすることなんて出来はしないわ。……そういう人間よ」
「……尊敬出来る人間に対する発言ですか? それは」
「表面上は尊敬出来る部分ばかりよ。私が見てきた誰よりも。……でもね、カロム君。貴方も思っているでしょ? 今の国が……、お父様たちが一番何を大事にしているのか、なんて」
カロムはそれに対する答えは頭の中に、長年置かれている。しかし、口を開くことはしなかった。
「歳を重ねて経験をしろだなんだと、よく言ったものよね。……その歳まで様々な経験した自分たちが本当に救うべき国も、そこにいる民も見殺しにしていることにすら、気付かないくらいに麻痺してしまったというのに」
ルチアーノは、馬鹿らしいと言いたい顔で、悲しく笑って見せた。
彼女は天才児だ。十歳で現年齢に知るべきものを全て得ていたのだから。
彼女は聡い。それはきっと、彼女の尊敬すると言う父よりも。
こんな二十歳にも満たない彼女の方が、色んなものを客観視出来ているのだから。
「…………尊敬はするけれど、決して私はお父様の言いなりで終わる気は無いわ」
「……はは、本当に可哀想なお父様だ」
ルチアーノの言っていることは酷いことだろうか。少なくともカロムは、そうは思わなかった。
訴えた彼女は、女でありながら、その辺にいる男よりも漢らしい瞳だった。
けれど、語る表情は無邪気な子供のようなのだ。
今まで悪女のような顔ばかりするものだから、不意に見せたルチアーノの表情に、一瞬だけカロムは目を奪われた。
「だから、お父様を、上層部の方々を騙してでも、私は国をいい方に傾けると決めているわ」
「……そりゃ、結構なことで……。まぁ、俺を使ってそうなるとは思えませんけど」
「……情に訴えかけても、貴方みたいな人は心揺らがないのね」
「何の話だか」
二人の小競り合いな会話に戻る。
スン、と無知な一般生徒のような振る舞いに戻ったカロム。それに対して、ルチアーノは額に手先をあて、首を振り「やれやれ」と大袈裟に表して見せた。
「随分と無駄話をしてしまったわね。話を戻すわ。国の方針は、若者を兵士として育てあげることで、異国から自国を守ろうとすること。……そこで、貴方が問題児であることが功を奏したわ」
「……酷い言われようですね」
「ふふ、問題児、無能と噂されたカロム=ヴィンセントが、真っ当な使える兵士に育つなんて誰も思う訳ないものね?」
「……使い者にならない俺を、どんな形でも使い者にする方が良いと思わせるってことですね」
「……今じゃ、ジェラルト王子の付き人になりたがる女なんていないわ。かと言って、それを男に任せる訳にはいかない。大事な兵士候補だもの」
「……その兵士候補から外れた俺なら、付き人候補に上がると?」
「まぁ、それは難しいところね。……でも言ったでしょ? 一緒に赴いてもらうって」
そう説明したルチアーノに対して、カロムは目を見開き、彼女の顔を見つめる。
「貴方だけを王宮内に足を運ばせて、危険の中で一人だけ生活させようなんてしないわ。……それじゃあ、私も国民を見殺しにするお父様たちと変わらないもの」
「付き人が、そう何人も付けるのですか?」
「付き人は私が名乗り出るわ。……それをお父様が良しとするとは思えない。紛いなりにも、父と娘よ? けれど、王子の付き人に誰もなりたがらないのも本当。じゃあ、付き人一人いない王子がいる? そんなのいないわ」
(……付き人がいないことは有り得ない。しかし、それを志す者もいない。……そんな中、名乗り出たのは、国上層部の愛娘……。そんな彼女を嬉々として実の父親が送り出すはずもない。……癇癪を起こすような王子だ、何をされるか分かったものじゃない……)
王家や国の現状を考えていれば、カロムはルチアーノが思い描く、上手くヘリヴラム家に入り込める方法の詳細まで読めた気がした。
選択肢を狭められた彼女の父が、どんな判断を下すのか。
(親が実は可愛い娘に操られるとはねぇ……)
カロムは彼女の父を哀れに感じながらも、その程度の人間だと見下し、嘲笑したくなった。
「……貴女が付き人となり、俺は王子癇癪時の貴女の護衛役として入れってことですか」
「ええ、その通り。お父様にはそう伝えるわ」
「いや、問題児で無能な俺を護衛として評価出来るわけないでしょう」
カロムは確かに男であるが、剣術には怠けている事実がある。
ルチアーノの父の耳に、娘の護衛役となる男の情報が入らないとは思えない。
何より、ジェラルト王子は剣術にも勤しんでいる。そんな彼が彼女に何かしたとして、カロムがその護衛の役に立つなんて誰が思う。足でまといになる可能性の方が高い。
「確かに一人では、護衛なんてもので通るとは思えないわ」
「それじゃあ、俺が王家には入れないってことで……」
隙さえあればカロムは、王宮に足を入れることを拒もうとするが、ルチアーノの言葉がそれを阻止する。
「一人、じゃ無理ね。…………でも複数人集まれば、それが務まると思わない?」
「複数って……、俺以外にも誰かに頼んでいるのですか?」
そう問えば、ルチアーノは悪い笑みを浮かべた。
「まだ、頼んではいないわ。……ここから、貴方の仕事よ、カロム君」
カロムの最初の仕事、友人デリーをこんな出来事に巻き込むことであった。
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