第3話 血筋
兵士育成学校も大きくまとめれば世間の一部である。
「カロム、知ってる? ジェラルト王子、また癇癪を起こしたらしいよ」
「……へぇー」
本日もカロムとデリーは二人で校舎裏で昼を共に過ごしていた。
デリーは何処の生徒の会話を耳に挟んだのか、今世間を騒がせている噂話をカロムに告げる。
カロムはそれに対して、興味無く相槌を打った。
「子供の頃から多々あったって話だし、数週間前にもそんな噂聞いたけど……」
「ま、人間色んな奴がいるってことだな」
カロムは一言でその会話を終わらせた。デリーも深く追求することなく、自前の手作り弁当を一口、口の中に放った。
「そろそろ、国王交代だけど大丈夫なのかなぁ」
「……大丈夫なんじゃねぇの、ていうか俺達にはどうにも出来ないし、関係もないだろ」
「ん、まぁー、そうだけどさぁ」
呑気な世間話程度のことだ。
実際のところ、国王交代という国としての大イベントが起こったところで、一般国民の何か変わるかと言われれば、恐らくは何も変わることはないだろう。
国王と言えど、何処か国家の下にいる気もしてしまう。政治やら昔からの名残やらで、固めた勝手な概念や思想は、人を洗脳する。
それが正しいものだと、時間が長く続くものほど頭に語りかけるのだ。
多数が良い物と言えば、それが良いように思えてしまう。良いと大勢が言った物を買いたがる。物の商売と似たものだ。
異国を敵対する考えを変えようとする者が居なかったことも、それが影響しているのかもしれない。
「あら、関係ないの?」
校舎裏に一人、天使のような見た目を持つ女が二人の話に割り入る。その天使に向かって、死んだ眼差しを向けるカロム。
打って変わって、デリーは一瞬キョトンとした後に、頬を徐々に赤らめていく。茹で蛸状態の彼に、カロムは驚く。
「えっ、え、何でここにっ、ルチアーノさんが!?」
「こんにちは、デリー君。…………と、カロム君」
ニコリと微笑んで二人の名前を呼んだルチアーノは、デリーには社交辞令のような笑みを。
カロムには何か裏のある笑みを見せた。
瞬時に器用に表情を変えたので、デリーがその変化に気付くことはなかった。
「……どうも」
「カロム、何で君はそんなに普通で居られるんだ!」
ルチアーノ相手には普通に接しているが、彼女を前にしたデリーに対しては、いつも通りに接し難い。今までに見たことのない動揺ぶりのデリー。
それにカロムは目を開き、数秒固まった後に困り果ててたようにして彼を見る。
デリーも、ここに年を同じくして入学した学生と同い年の少年であったことを思い出した。容姿の良い異性には、目を奪われる年齢だ。
自分とばかり居るものだから、彼が女性と話している姿を見たことはなかったため、知らなかったのだ。
「カロム君、少し生徒会室に来てくれない?」
「えー、嫌です。怒られたくないんで」
「別に怒らないわよ。話をしたいだけ」
「お怒りの言葉でしょ、サボりに対する」
呑気に彼女からの呼び出しを、やんわりと断る。
当たり前のように会話をする二人にデリーは驚きながら、ジトッと妬みのある瞳をカロムに浴びせた。そんな顔を見たことのないカロムは、思わずビクリと肩を震わせた。
「行きなよ、たまには君は怒られた方が良い」
デリーに背中をぐいぐいと押される。カロムは立ち上がろうとはしなかった。
「いや、行かねぇよ」
「会長様からのお達しだよ、行きな」
「随分とデリー君は良い人ね。……そういうことよ、お友達の助言は飲むべきよ」
良い人と言われ、デリーはさらに頬を赤くした。
ルチアーノは口が悪い面をカロムには見せたが、他生徒にはあくまで優秀かつ、聖女のような優しさを持つ人間と称されている。
加えて容姿も良いのだから神様は不公平なものだとカロムは、しみじみと感じた。
デリーのように彼女に好意を抱く者は少なくはないだろう。
容姿に他人への物腰柔らかく、ふんわりとした声質。他人に好意を抱かせる話し方を心得ている。
心得ているからこそ、それをさも当然のように出来ることが性格の悪さに繋がるとカロムは感じていた。
故に、カロムは彼女に好意などを抱く訳もない。
「カロム君。悪いことは言わないわ、《前の》話の続きがしたいだけ」
敢えて、《前の》を誇張したルチアーノは、カロムからすれば、やはり性格が悪いとしか思えなかった。
何せ、横で茹蛸状態のデリーにそれをわざわざ聞かせるように言ったのだから。
「前、って……、カロム! 君、以前も会長様とお話したのか! 僕のいない所で!」
(性格の悪い女だ。性根が腐ってる……)
カロムは状況把握と、面倒事を避けるのは上手かった。
これ以上、デリーの前で悪女と話をすることは最善ではないと理解した。
「あ、あー、分かった、分かった。生徒会室な。行く、行きます」
「あ、おい! 後で話聞かせてくれよ!」
デリーから後で質問攻撃を食らうことを余儀なくされたカロムは、隣で黒い笑みを見せたルチアーノを腹立たしく思った。
「……んで、何ですか。前の話はもう終わったでしょ」
「何にも終わってないわよ。未だに一度として実践授業は出ていないみたいじゃない」
「……何回も言わせないでくださいよ」
カロムは仕方ないというように、また同じく「自分は無能だから出ても意味はない」という類の意味の言葉を続けようとすれば、それを断つようにルチアーノが先に口を開く。
「今日その話じゃないわ」
「……前の話と言ったのは貴女でしょう」
カロムは言うこと成すこと無茶苦茶な目の前の女に疲弊していた。
「本題を彼の前で話さなかったことに感謝して欲しいわ」
「感謝されたいなら、俺に関わってこようとしないでください」
「ふふ、随分厄介者扱いをするのね」
一連の会話をしながら、何を言っても時間が過ぎるだけ、と思い直し、カロムは口を無駄に開くことを止めた。
そして、彼女に話をするように促した。
「……ジェラルト王子が癇癪を起こしたわ」
「……そう、らしいですね」
「そのせいで上層部は大慌てよ。もう国王交代時期が近いって言うのに、次期王が問題だらけなのだから」
「そんなの、遠の昔から分かっていたことでしょう」
生徒会室、ではなく、一つの空き教室に身を留めた二人。物置教室と言われ、今授業で扱う教材もほとんど、ここには置かれていない。
そのため、今、この教室に近付く者はほとんどいない。
カロムは面倒臭そうに、扉にもたれながら、「何を今更」と呆れ顔で彼女に言う。
「まぁそれは貴方の言う通りね。……で、ここからが本題よ」
「……俺はヘリヴラム家と関係ないと話しましたよね?」
「ヘリヴラム家と繋がっているかどうかの話は、また今度でいいわ。……今日は貴方に頼み事をしたくてね」
「今度も何も――――……頼み、ですか」
一生ヘリヴラム家と自分について何かあるという話題を出すつもりはないと告げようとしたが、後の言葉に引っ掛かり、一度口を留め、質問を返した。
「さすがに、お父様たち、国上層部も現状は良くないと思っているらしくてね」
(今更過ぎるだろ)
内心、国をまとめる彼らに辟易としたが、それを娘であるルチアーノに言うべきでは無いと思い、口の中で飲み込む。
「……新たな役割を任されたの。どうにか、癇癪癖を治す方法を見つけて欲しいって」
「新た……、それはお忙しい事で」
「ええ、忙しい、大変よ。だから貴方に頼みに来たの」
それを聞いて、カロムに悪寒のような嫌な予感がぞわりと襲ってきた。
「……ヘリヴラム家、ジェラルト王子の癇癪癖を治すのを手伝ってほしいの」
「無理です」
「社交辞令として、ほんの少しでも悩む素振りはすべきよ」
「して欲しいですか? 答えは同じなのに」
冷たさを含む目を彼女に向け、尋ねると彼女は一つ「うふふ」と意味ありげな笑みを見せた。
「そういう無駄話が嫌いなところは、嫌いじゃないわ。それに、貴方にそう言われることくらい想像はしていたわ」
カロムは冷淡に話すルチアーノを見て、重々しい溜息を吐く。
「……では、お話はこれで終わりですね。……俺に何を思って、ヘリヴラム家に関わらせたいのかは分かりませんが……、一般国民の俺が王家に関わる気も、理由もありません」
「カロム君。私はね、一度受けた仕事は何があっても全うすると決めているの」
ルチアーノは自身の唇に人差し指の側面をあてる。
彼女に突き放す言葉を一つや二つ浴びせたところで簡単に食い下がらないことは、前回の経験で重々分かり得ていた。
(……嫌な予感は当たりやすい……)
カロムは眉尻を垂れ下げ、口元をだらし無くへの字に曲げ口を開く。
面倒事を目の前にした時の表情であった。
「そんな顔しないで頂戴。私だってこんな脅すような真似はしたくないわ」
そう聖女のように、まるで善人かのような言葉を薄い唇は放つが、カロムには彼女の表情はそうは考えていないように見えた。
「……では言わないで頂きたいですね」
「言わないで貴方がこの頼みを聞いてくれるのなら、言わないであげるわ」
「それ、どちらも脅していることに変わりないですからね」
「……私は言っても言わなくてもいいわよ。結果は同じだもの」
「……一応、頼みを断ってみます、嫌です」
カロムはルチアーノから、彼が頼みを受けることに頷くしかない一つの脅しの内容が飛び出さない可能性に賭けてみた。その確率は低いことを彼自身はよく知っている。
この女が、ただの学生ではない。父の命のもと、裏で学校の管理的役割を担っているとしたら。そして彼女は、カロムをヘリヴラムと繋がりがあるという考えを持っているのならば。
カロム=ヴィンセントという人間を深く調べているとすれば。
それらから、彼女の言う脅しがどんなものかなど、自身、カロムは容易く想像出来た。
「……どれが一番有効的なのかしら。……本当はカロム=ヴィンセントは有能だ、と校内に噂を流すことかしら」
ジャブを打つことを口にする。
「それは面倒ですねぇ、ただのはったりと説明するのが面倒臭そうだ」
カロムは両手をあげ、首を横に振り、「面倒、面倒」と主張するようにした。
──それをしてくれ、それにしてくれ、と言わんばかりに。
「それとも────、貴方を育てた、ヴィンセント家に何かしらする方がやる気が出る?」
(……誰だ、こんな奴を聖女と称した馬鹿は)
カロムは両手を下げ、首を振るのをやめた。口も閉ざせば、僅かに顔を斜め下に向ける。
傾けた顔から、真っ黒な瞳だけをやや斜め上に向かせる。
「あら、やだ。そんな殺人者みたいな視線をこちらに向けないで頂戴」
殺気を持つ視線が彼女を突き刺した。その視線を弾くように、彼女は片掌をカロムの方に突き出した。
彼は本当に彼女に殺意を向けていた。
彼女の口にした、その一つの脅しは、彼に殺意を抱かせる内容であるのだから。
「……父と母には、関係ないことです」
「誰も関係ある、なしなんて言ってないじゃない」
「国のお偉いの娘が、一般民に何かする、などと口にして良いのですか?」
「……直接手を下すのは、きっと私じゃないわ」
(さすが国上層部の娘。通う血は一緒か)
カロムは殺人者の顔をし、殺意を持ったとしても思考は常に冷静であった。
国を取り仕切る者たちは、異国からの攻撃を防ぐために異国に勝る剣術を使える者を育てる施設を作った。
そして出来上がった人間を異国へと赴かせ、戦わせ、英雄にして──────死なせる。
僅かな異国を滅ぼし、帰還するなどと偉業を務められる人間であるという可能性をかけて送り出す。
──国で彼らを見殺したようなものだ。
カロムは思う。《可能性》という言葉は、綺麗事なだけであって、その可能性を信じる者は、ほんの一握りしかいない、と。
出来れば良いな、程度のことなのだろうと。人の命がかかっているというのに。
そのくせ、躊躇いなく何人も送り出すのだ。
自分たちは籠ったまま戦おうとしない。剣も持たない。口で偉そうに声を張り上げるだけだ。
それが当然とするように。
そんな国家の親を持つ娘だ、同じ血が通っている。考えも似ているのだと、カロムは彼女を蔑んだ。
自分の手は綺麗なままで、下の誰かの手を汚させる。
殺すまでを彼女が考えているかどうかは分からないが、何にしろ危害を加えると言っているのだ。誰か、下の者に自分の両親を傷つけさせると言っている。
カロムは味のしない口の中に籠っていた空気を飲み込んだ。
「はぁ……、分かりました。父と母に決して関わらないと言うのならば、その頼みを断ることはしません」
「色々と含みのある言い方をするのね」
カロムの顔から殺人鬼を彷彿とさせる表情は消え、普段通りのやる気ない一般生徒の顔に戻っていた。
「断りはしませんが、それを出来ると断言はしません。俺は精神科医でも何でもありませんので」
カロムは従うように瞼を閉じ、努めて下手なりの敬語を述べる。苛立ちを覚えた相手に平然な姿を装うのだ。
ルチアーノは口を閉ざす。数秒の間を開けて、小さく首を斜めに傾けた。疑問を抱いた幼児のような顔をする。
「……もしも、私がヴィンセント家に何かすると言ったのなら、そうしたのなら……、貴方はどうするのかしら。頼みを放棄するだけ?」
カロムはその言葉に動揺など見せなかった。「もしも」「たら」「れば」のことに対する答えを考えることも億劫だった。
「もしも、なんてことはありません」
「この世に絶対なんてないわよ」
「では、この事に関してだけは絶対にありません」
「……理解の難しいことを言うのね」
何処かの誰かが言った。『絶対』は存在しない、と。
しかし、カロムはそれに抗うように自分の言う言葉を絶対だと断言する。
「……無能、だと宣う貴方に、そんな絶対なんて言葉、使えるのかしら?」
カロムはゆっくりと瞼を開く。
ルチアーノの目を見据えて、本当に青い瞳だ、なんてことを呑気に考えた。
今の彼女に対して、彼が持つ感想はこれだけであった。周囲に聖女だ何だと讃えられた彼女を綺麗だ、何だと賛美する感想は出てこなかった。
「……何か、父と母にする、した、のならば、俺はアンタを殺します」
殺意のある言葉を濁さず言うカロムに、ルチアーノは怯える仕草すらない。
「……無能なのに?」
「無能は無能でも、剣の持ち方位なら五歳児でも知っています。正しい振り方は知らなくても」
「……貴方は持てないのではなく、持たない、持ちたくないってお話かしら?」
「理由なく刃物を持とうと思う者はいないでしょう」
「その理由を国のために、とするのはどう?」
カロムはルチアーノの提案に対して、目を大きく開けば、一瞬でその瞳は光を失った。
思わずカロムは「ふっ」と渇いた声で笑った。
陽の光も長時間当たらない使われない空き教室に、僅かながらの陽が射し込む。
微量の光を放つ先をカロムは、虚空を見つめるかのようにして見上げた。
「……そんなの、絶対に御免ですね」
再度瞼を伏せ、口元を笑わせながら一言呟く。
彼は彼の父と母にルチアーノが手を出すことと同じように、国のために彼が剣を持つことも、絶対ないと口にするのであった。
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