第2話 カロム
『カロム=ヴィンセントは無能な男』だと、カロムは言った。
生徒数人に、吹聴した。その吹聴された誰もが、吹聴された他とは関わりがなかった。
それ故に彼らが誰から聞いた、ということが話し合われることはなく、瞬く間に校内に噂が広まった。
そして、時が経てば、噂を吹聴された誰かが「彼に聞いた」、また違う場所では「彼女に聞いた」と、誰が噂の火種を蒔いたのかは、既に分からなくなっていた。
「……何のお話を?」
「身に覚えがない人間は、そんな冷静に返せないと思うわ。誰かが自分に罪を擦り付けられたような顔で、『俺じゃない!』なんて言うんじゃないかしら?」
「それは……、アンタの勝手な妄想だろ」
「そうね。でも、これまで会長さんと呼んで、下手なりの敬語を使っていたくせに、突然動揺したようにアンタ呼びで、敬語が取れたのは事実よ?」
揚げ足を取ったという顔をして、「んふ」と愛らしく憎たらしい微笑みを見せる。
「……」
取り繕うように言葉を並べたカロムだったが、淡々と状況整理を口に述べたルチアーノには、既に黙るしか無かった。
「……それが、そう、だとして。アンタが俺に関わってくる理由にはならないと思いますけど」
「私だって、明確な理由があって貴方と関わっているわけじゃないわ」
(じゃあ、関わらなきゃいいだろ……)
カロムは心の内で舌打ちをしながら言葉にならない言葉を吐いた。
「……ねぇ、貴方なんとなく気付いているんでしょう? 私がここに入学した《ただの》学生じゃないってことに」
「おや、それは初耳ですね。ここは、学校、ですよ。《ただの》学生が集まる場です」
阿呆面をして能天気な少年を演じてカロムは、正論のようなものを述べた。
それに対してルチアーノは「んふふ」とまた不敵な笑みを浮かべる。
「そんなわざわざ知っていることを隠す必要も無いじゃない。……簡単な話よ。国上層部の役員の娘が当然のようにこんな場に居るわけが無い。私は役割があって、ここの学生をしているのよ」
カロムは彼女の言葉に、そこまで驚きはしなかった。
──────何故なら、カロムは薄々そうだと勘づいていたのだから。
────『ルチアーノはこの学校に何で入学したの?』
「もっと知識を身につけたいの」
(……ガーネット家の娘があんな簡単な知識を知らないはずが無いだろう)
────『知識は十分にあるじゃない。それなのに?』
「剣術についても興味があって」
(…………上層部のお偉いさんの娘が異国討伐やら、戦場へ出向く訳がないだろう。剣を握る必要も無い)
過去に他生徒が彼女に問いかけ、それに対する優等生たる彼女の回答。
カロムはそれに口に出さずとも、心の内で誰に言うわけでもない意見を述べた。
「役割、ですか……。ならば俺に関わっている場合ではないのでは?」
「私だって馬鹿じゃないわ。役割を果たすためでもないのに、貴方に関わる訳が無いでしょう」
「……先程と言っていることが矛盾していますが」
確かにルチアーノは、カロムに関わる明確な理由はないとの内容を述べたはずだ。その癖して、任された役割を果たすためには、彼に関わらなければならないとしている。
矛盾であるように思えて当然だ。
「……言葉って難しいわね。明確、そう……確かな話では無いもの」
「では、その確かな理由を求めるために俺に関わるのをやめてはどうでしょうか? 時間の無駄ですよ」
「確率ゼロの中を粗探しするよりも、三十パーセント満たない可能性を持つ人間に関わっていく方が効率が良いでしょう?」
ルチアーノは瞼を伏せ、薄い唇の口角を少しだけ上げながら冷静な口調で語る。
「……お父様には出来ないわ。あの方は他で手一杯だもの。……かと言ってここの私よりも知識、学のない生徒、教師は役割を与えるにも足らない人ばかり」
「……優等生な会長様の言うお言葉とは思えないですね」
嘲笑でもしたように吐き捨てたカロム。
しかし、彼が嘲笑した相手が彼女ではなく、彼女に物足りないと称された懸命な学生と教師である。
「知ってる? 優等生なんて称号はあくまで客観的なもの。周囲が言っているだけ。本人の意思はないのよ。それに私は一言も自分を優等生だ、なんて言ったことがないわ」
そもそも彼女は他とは違う。
「そういうものですかね。……まぁ、俺には関係ないですけど」
「そうね、こんなこと話したい訳じゃないわ」
「俺は貴女と話したいとも思っていませんよ。サボる場所を見つけたいだけです」
「……これじゃ、本当に時間の無駄ね」
ルチアーノの呆れた表情を晒す。
カロムは胸を撫で下ろした。ようやく彼女から解放されるのだ、と。
しかし、それは彼の思い違いだった。
「カロム=ヴィンセント。単刀直入に聞くわ。……貴方、国王、ヘリヴラム家と何か関わりがあるんじゃないの?」
彼女の貫くような冷淡な声が彼に、一つ問いかけた。
ガーネット家は国上層部の中でもトップに躍り出る程に権力も地位も、知性もある優秀な血筋が受け継がれている。その立ち位置から落ちることなく、ルチアーノの父の代まで何年、何十年……いやもっと……、と長年継いでいるのだ。
しかし、優秀な彼らも国の一番になることは出来ない。
誰がいつ決めたのかは知らないが、国王の家系こそが国の一番となること以外を、世界の常識が許さないのだから。
現国王、ヴァルゼル=ヘリヴラム。齢五十近い。
国王の座が次の器に移る日は、もうすぐそこまで来ている。きっと、国の上の者たちは大忙しに違いない。
もちろん、それで他家が踏み入ることはない。あくまで器というのは、ヘリヴラム家の子である。
ヘリヴラム家の息子、ジェラルトが次期国王候補。と言うよりも、決定事項であった。
カロムはルチアーノの言葉に一瞬眉を寄せたが、「はっ」と渇いた喉奥から出した声で笑った。
「何を思われたのですか、ヘリヴラム家と関わり……? 俺はヴィンセント。ヘの一字すら入っていませんよ」
少年のように笑い、カロムはルチアーノに答えた。
「……ええ、今はそうね」
「今、も昔も、俺はヴィンセント……一般民家の子供として育ったんですよ。ヘリヴラム家と繋がる……と言えば、先祖まで辿らなければいけませんかね」
「…………」
ヘラヘラとして軽口を叩くカロムだが、それは本当のことである。彼は一般民家で育ったのだ。ヘリヴラム家で育ってはいない。
ルチアーノは黙りこくってしまう。
「……ねぇ、カロム君」
突然の名前呼びにカロムは思わずドキリとした。
「遺伝子は、無形じゃないのよ」
カロムはドキリとした胸を返して欲しいと思った。次に彼女が放った言葉は、意味が理解し難い。
「……それは、哲学か科学か、何かですか……? 俺にそういった学はないので──」
「血に含まれたものは、身にも、力にも出る。……ヘリヴラム家は常に剣も知も、優秀な子が生まれると言われているわ」
「……噂程度には聞いた事がありますが」
そんな噂が何処から出たのかは、カロムの知ったことでは無かったが、ヘリヴラムが国王の座に就けたのは、その血筋のおかげだと言う話もある。
ルチアーノは黙った口を再度、餌へと群がる鯉のようにパクパクと開き続けた。
「努力もしているだろうけれどね。……努力じゃ補え切れないもの。貴方の嫌いな才能というやつかしら。持つべきものを持った子が必ず生い立つのよ」
ルチアーノはカロムに一歩近づき、指を伸ばせば顔に届く位置まで間合いに入ってきた。
そして人差し指をカロムの口元に突き出す。
思わず、カロムは身体をのけ反らせた。そんな行動を見て、ルチアーノはパチリと目を開いてから、怪しげに微笑む。何故か少しだけ嬉しそうに見えた彼女の表情。
カロムは、彼女の横へと視線を動かした。
「……貴方は、どうして入学してから一切実践授業には参加しないのかしら?」
問われれば、カロムは表情を微かに曇らせる。
「身体を動かすのは嫌いですし、剣の才能もないので惨めな姿を晒したくないだけです」
その場凌ぎの、思い付く言葉を並べる。
「本当にそうかしら」
「本当もなにも、本人がそう言っているのですから、本当でしかありません」
「人間って本当に面倒よね。本人が本気を出さなければ、その人の本気は見れないもの。一生私が貴方に関わる明確な理由が出来ないわ」
ルチアーノは額に片手をあてて、「やれやれ」と疲れ果てた仕草を見せる。
「……では、関わらないでください」
「あら、また同じ話を繰り返すつもり? 時間の無駄じゃない」
カロムは長く溜息を吐く。また、可能性だ何だの話を聞くつもりは彼も一切ない。
「……お話はもうよろしいですか、そろそろ昼寝でもしたいんですけど」
「授業に行きなさいよ、そしてちゃんと剣術の力を見せて頂戴」
「身体が動かないので嫌です。惨めな姿を晒すのはもっと嫌です」
デリーのもとを去ったと同様に、ルチアーノをその場に残した。ひらひらと片手を仰ぐように振り、カロムは彼女に背を向けてだらしなく歩き去った。
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