無能者は国のために何をする。

楠永遠

第1話 無能者

 ヘリヴラム王宮に二十年前、産声が響き渡った。

 ギルス国、次期国王となる器の子が生まれたのだ。国上層部は騒ぎ立てた。煩いと思える程に。

 子の誕生日は慌ただしかった。



☆☆☆



 カロム=ヴィンセントは無能な男だ、と誰かが言った。



『敵と見なしたものは、全て殺せ』

 ギルス国に生きる若者の耳に居座りつかせる程、国家が豪語した言葉だ。

 人類全てが善人であれば、世界は平和なのかもしれない。

 闘いを好まず、手を握りあえたのならば、誰も苦しまない。

 しかし、善人ぶりたい《だけ》の人類は、世界の平和を望むフリをして、異国の者を亡きものにしたがった。



「んぁ? 剣術の実践授業? 行かない行かない」

 片頬を膨らませ、そこに蓄えたパンを噛みながらカロムは片手を振った。

「行かないって、それじゃあ進級出来ないよ」


 国家が決めた規定は、当然のように国民に降り掛かる。それは何処の国も同じである。

 彼らの指示した国のあり方は異国を敵と見なす。

 それと同時に、異国もこちらを敵とした。

 自国の負けを望む者はいない。しかし彼らは、自身の手を直接異国人に触れさせようとはしないのだ。


 国の規定で十八歳を過ぎた男は、戦術学校への入学を強要されるようになった。

 兵士育成学校、などと巷では言われている。

 異国に対する圧なのか、自身たちを守りたいがためなのかは一般国民に分かることではない。


 カロム=ヴィンセント、そして彼の数少ない友人のデリー=アーバンテも昨年より、この施設の在学生になったのだ。

「別にいいよ。何なら退学にでもして欲しいな」

「もぉ、またそんなこと……。だから変な噂をたてられるんだよ」


──────『カロム=ヴィンセントは無能だ』。


「噂、というか事実事実。無能者は何やっても無能。早くここから立ち去りたいものだな」

「……無能って……、まず君が何かをしようとしている所を見たことがないんだけど……」

 デリーは常に垂れた眉を更に深く垂れ下げる。

 彼の言うことは何一つ間違っていない。

 昨年二人は共に入学を果たした訳だが、カロムは一度として実践授業には出たことはなかった。知識を問う座学授業も座りはすれど、まともに本を開こうとはしない。

「僕だって実践は苦手だけど……、知識なら学べばどうとでもなるよ。薬学……特に毒の知識は、それなりに重要視されているし」

 デリーはカロムに弱い声ながらも訴え掛けたが、カロムはまた大口を開けてパンを貪るだけだった。

 校舎裏の日向を避けた場所で、ベンチに横並びで座る二人はクラスに上手く馴染めていなかった。


 十八を過ぎた男はほぼ全員強制的に送り込まれる。

 女も剣術は望む者は少ないが、薬学を学びたがる者はそれなりにいる。薬や毒の知識は、戦術の一つともなり得る。

 彼女たちも受け入れるこの学校には、二人の同学年というやつが腐るほどいる。

 カロムは問題児の変人だ、と生徒、教師全員が口を揃えて言った。馴染めないのも当然と言えば当然である。

「そーんなに皆、お国のために頑張れるなんて、な。それだけで有能有能」

  あからさまに馬鹿にしたように言い放つカロムに、デリーは少しムッとした顔を表す。

「そりゃ自分の国の為。友人や家族を守るためなら誰でも多少は頑張ろうと思うよ。……君以外は」

 少し嫌味を込めてブツブツと言ったが、後ろめたくなったデリーは自身の今の言葉に罪悪感を持ち始めた。


 デリーはカロムとは違う理由でクラスに馴染めていなかった。

 何せ、剣術の実力や才能が皆無。剣士、兵士として使い者にはならないのだ。

 大真面目で、努力家。善人のような思想を持つが、戦術特化を求めたこの学校では、思考や人間性は重要では無い。

 必要なのは、強いか弱いか。国の使い者になるか、ならないか、だ。

 自分の言葉で自分を追い込んだデリーは、シュンと子犬のような表情になる。

 カロムは彼が悪意を持って嫌味を言えるような人間ではないと知っている。

 情けない顔をする唯一の友人に、小さく溜息のような笑みのような息を漏らし、デリーの肩を二度叩くと立ち上がる。

「……じゃあ、頑張ってくれよ、デリー。……お前なら誰かのために頑張れるだろ」

 全てパンを平らげ、入っていた空の袋をくしゃりと握り潰したカロムを片手をひらひらと振りながら、デリーに背を向けてユラユラと歩いて去っていった。


 デリーは一人ポツンと残され、曇り始めた空を眺めた。

(……お前ならって……、まるで僕以外は出来ないみたいな言い方じゃないか……。他のクラスメイトも、君も)

 ふと冷静に思ったが、きっとカロムの言葉に深い意味はないと判断し、デリーも立ち上がる。

 使い者にならないが優等生なデリーは、苦手な剣術実践の授業に嫌々ながら足を進めた。



 兵士育成学校の生徒は全員、決まって寮生活となる。

 カロムはそれを囚人にでもなった気分だ、と宣った。

 授業はサボれるが、帰り先が学校の用意した施設寮。

 サボりがバレるのは今更どうでも良いが、施設入口にいる管理人に止められ、部屋には戻れない。

「さーて……、何処行くかなぁ」

 両手を後頭部で組みながら、小石を蹴って大きな独り言を放つ。



「実践授業に行くのはどうかしら」

 カロムの背後から、冷めた抑揚の無い耳通りの良い声がした。

「……あれ、会長様が授業サボりですか?」

 カロムは顔を歪める。そして一つの嫌味を声の主に問いかける。


 白く艶のある卵肌。銀雪のような髪色。青い瞳はまるでサファイアだ。カロムに対しては、宝石のような光など向けることはなかったが。

 兵士育成学校の生徒会長、ルチアーノ=ガーネットであった。

「サボりじゃないわ。今、私達のクラスの受けている授業は、筆記授業。内容は私が八歳児の時に覚えたものだわ」

「あぁ、そうですか、失礼しました」

(そうだとしても、授業を受けていないのはダメだろ。普通の生徒なら)


 ルチアーノは国家を取り仕切る上層部役員の一人、セルラルド=ガーネットの一人娘である。

 噂ではこの学校で学ぶべきことは全て十歳までに覚えた天才児だと騒がれていた。

 ここで誰しも思うことは、「では彼女は何故ここに入学しているのか」である。

 男は半ば強制。しかし、女は望むのであれば入学、それが国の定めた規定なはずであった。

「……それでは、お家に帰られるのは如何でしょうか。暖かいお布団が待っていますよ」

「ええ、帰られるのなら早く家で待っている愛犬シャーロットに会いたいのだけど……、目の前のどっかの誰かさんのせいでそれが出来ないのよ」

 ルチアーノは「はぁー」と大袈裟な溜息を漏らした後に、小さな白いスベスベした掌を頬にあてて、小さく首を横に振る。まるで困り果てている、と強調するようだった。


 つい数週間前までは、二人はあまり交わる関係ではなかった。

 しかし、ある日を境に彼女の方から、カロムに寄ってくるようになった。

 ルチアーノの行動は、カロムに良い感情を与えなかった。常にひねくれた表情ばかりをする。

「……おや、そんな人間が何処に……」

 能天気な顔で周囲をキョロキョロと見渡す。棒読みに大袈裟な動き。カロムは『そんな人間』を知らない訳ではない。


「貴方のことよ。カロム=ヴィンセント」

 自身に言っていることくらいカロムは分かっていたが、馬鹿のように知らないフリをした。

 有無を言わさず、一刀両断するようにルチアーノは、彼の名前を言い示す。サファイアの瞳は、光なく、痛々しい棘でも放つかのようにして、彼を睨みつける。

 痛くも痒くもない顔で、カロムは息を小さく吐く。そして眉を垂れ下げる。

「勝手に俺のせいにしないで下さい。俺は帰った方がよろしいと申し上げているのに……」

「貴方がどう言おうが思おうが関係ないのよ。早く授業に出て、実践授業を受けなさい」

「無能が故、剣術は出来ませんので……」

 くぅん、と子犬が弱っている時に鳴く姿を思い浮かべ、それを真似た顔を彼女に晒すと、まるで汚物を見るような蔑む目を返してきた。

「……はぁ……、それならば有能になろうとするくらいの努力をしなさい……」

「努力の才能もないので……」

 いくら蔑まれようとカロムはその表情をやめることはなかった。

 早くルチアーノに呆れてもらい、見放されたかったのである。


「……才能を得ようとすらしないのが貴方の問題点よ。無能な姿を見せずに自分は無能だと噂をたてた張本人さん」

「…………」

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