魔王様のハンドメイドワールド

小端冬子

魔王様のハンドメイドワールド

 魔王には三分以内にやらなければならないことがあった。


 世界を救う。

 三分で?


 残念なことに本当の本当に三分で世界を救わなければならない。なぜなら時間は止まってはくれず遡りもしないため、その無謀な短時間で彼は事を成して、己を待つ者の元へと帰らねばならなかった。


「ひどい! 間が悪いにもほどがある! せめてもう数秒、いや十数秒くらい早く言ってほしかったなあ!」

「魔王様」


 さめざめと嘆く魔王の背を、小さな手のひらが思わぬ強さでぐいぐい押してくる。魔王の腰元ほどまでしか上背のない少年は、まだふくふくとまろい頬をいっそう丸めて唇を尖らせた。


「十秒経過しました」

「シビア過ぎない?」

「はやく」


 雛のように魔王から離れようとしなかった少年はいつのまにかいっぱしに生意気な口を利くようになった。このままいけば生真面目な仕事の鬼になりかねない。ありがたいやら悲しいやら。心中でごちつつ、魔王は急かされるまま足早に私室を飛び出した。背後でご丁寧に頭を下げて主を見送る少年の気配を感じる。まださして背も手足も伸びていないというのに、ずいぶんと立派になってくれたものだ。



 人気のない城の廊下を早足で通り抜け、手ごろな窓から外へ出る。

 にらんだ先、東の空は激しく波打っていた。褪せた赤と紫と濃紺を混ぜ合わせかき混ぜたような斑色は、とてもわかりやすい天変地異の兆しであった。


 世界の外層がたわんでいるのだ。


 世界の形は様々であり、その様相も千差万別である。竜類が生態系の頂点に立ちほかを統べる世界もあれば、人間がすっかり滅んでしまった世界もある。植物天国としか言いようのない、ちょっと独特な世界もある。

 そういう、個性あふれる世界はわりと近しく隣接していたりする。あるいは今は遠くても、何かの拍子にすれちがったりうっかりぶつかったりしてしまうこともままあった。


 世界はそれぞれに「外層」を備えており、多少ぶつかってもびくともしないし、隣り合っていても大した影響を及ぼさない。本来であるならば。


 けれど何らかの原因でその「外層」が薄くなったり、あるいは穴が開いてしまったりすると、世界は「外側」をたちまち侵食する。漏れ出した因子はその経験から「外層を食い破るもの」としての性質を帯び、周辺の世界の「外層」を削りはじめる。そうして「外層」が薄くなった世界同士が接触すると、たとえば中にいる生物がそれぞれの世界という枠を超えて他方に引きずり込まれたり、濃度に差があると薄い世界はたちまち飲み込まれてすっかり塗り替えられてしまったりということが起こるのだ。



 この世界は七本の「世界樹」を基礎として成り立っている。

 大地に根を張るそれらが土台になっている……というよりかは、世界の健常さを計る指針として世界樹が参照されるというのが正しいか。世界樹がのびのびと大きく育っているのならばその土地は正常であるし、萎びれたりしていればなんらかの異常が起きている。もちろん土地と相関状態になっている世界樹に意図的に危害を加えれば、その土地を汚染することにもつながった。これがまた厄介だった。


 魔王が住まいとしている城から遥か東には人間が生息しており、寄り集まって国を作っていた。世界樹を中心に集落をつくり発展させついには都市を形成した彼らは、しかし世界樹の世話がどうにもへたくそで、よく萎びれさせていた。

 実害が出る前に魔王はしばしばその世界樹の世話をしに行っていたが、いつごろからか人間たちは魔王を疎みはじめ、世界樹を隠そうとするようになった。ほんの少し前まではひとのことを「神様」だとか「創造主」だとか呼んでいたかと思えば、今では魔王呼ばわりである。まあちょっと響きが格好良くて気に入ったので、以来魔王自身もそう自称するようになったのだがそれはそれ。


「うーん、思春期って感じ」


 素朴だった彼らの生活が発展し文明が発達していく中で、あるいはそれも健全な成長の一端であるのかもしれない。

 けれどだからといって、世界樹を損ない付近の「外層」にまで影響を及ぼされるのはさすがに看過できなかった。情緒が発達しすぎていきなり思いつめて自滅しはじめるとか勘弁してほしい。そこまで発展するのに何百年費やしたと思ってるんだ君たち。人間の発生から数えればもっとずっと長いんだぞ。それにこの世界に生息しているのは人間たちだけではない。彼らすべてに影響を及ぼしかねないのだ。何よりまず真っ先に被害を受けるのは魔王である。


 ちょっと世界樹を萎びらせて大地が干上がったり、割れたり、水没させるくらいならまあ経過観察に留めるが、「外層」にまでことが及んでくると、さすがに人間たちの手には負えなくなってくる。

 そういうわけで魔王は今回も、ウザがられるとわかっていてしゃしゃり出る羽目になった。




 ものの数秒で空をカッ飛んで、人間の国の中心部まで一直線に突撃する。

 世界樹の気配がする中心部には、そこそこ豪奢な建造物が据えられていた。城……否、宗教施設だろうか。石造りの壁にはめ込まれた色ガラスは明らかに世界樹を象っている。最近は派手趣味に走っているのか、柱だの屋根だのにも技巧を凝らした装飾が点在していた。

 施設の内部、世界樹に向かい人間たちが集えるように設けられた広間には数十名が集まっていた。なにやら床に描かれた紋様が光を放っている。その光に照らされた世界樹の葉は紫や濃紺に色を変えていた。本来であれば瑞々しい緑色に点々と現れる色彩は、奇しくも波打つ空と同じ色合いだった。


「悪魔を召喚したぞ!」

「なんということだ!」

「なっ……そんな、なにかの間違いです、こんな……!」

「黙れ異端者め!」

「外道が!」


 集まった人間たちは火が付いたかのようにわあわあと騒ぎ出した。世界樹の前に立っていた皺の目立つ男が声高に吠え、紋様の傍らにかしずいていたローブ姿の男を指さす。途端に周囲の人間が色めき立って、剣だの槍だのを持ち出すと、左右と背後から次々に串刺しにしていく。反響する断末魔。ぶちまけられる血。数本の槍の先に掲げられた肉塊を囲んで、人間たちは歓声を上げた。


 うっかり一部始終を眺めてしまったが、電光石火の急展開だったため経過時間はさほどではない。魔王は興奮状態の人間たちをしり目に世界樹に近づいた。


「神の樹に触れるな、悪魔め!」

「邪魔だ」


 先から音頭をとっている男の脇をすり抜け、世界樹の幹に触れる。状態はやはりあまりよくない。が、まだ軌道修正可能な範囲だ。

 世界樹に接続し、触れる指先から力を注ぎ込んで急場しのぎとする。何はなくてもまず外層の補強をしなければならないし、そのために直下の世界樹を端末として操作する必要があった。


 作業ついでに確認したところ、床の紋様は「ここではないどこか」と現在地を繋げることを目的としたものらしい。大昔に残した世界樹の保守・点検用の仕様書を悪用したらしく、制御文をこねくり回して世界樹の機能を間借りし、意図的に「外層」に穴をあけるつもりだったようだ。つもり、というか記録を参照したところどうにも何度かやらかしている模様。この世界樹は以前から少し弱り気味だったので、伝播してきた違和感もそのせいだと思って流していたが、そうではなかったようである。ちょっと下の子の子守にかまけているとこれだ。頭が痛い、と魔王は顔をしかめる。


 そうしている間にも人間たちは剣や槍を懸命に振り回しているが、その切っ先は魔王のはるか後方で不自然に止められていた。実際のところ、人間の武器に多少ひっかかれたところで支障はないのだが、それがうっかり世界樹にまで届いてしまうとちょっとよろしくない。



 魔王は別に人間を制御下に置こうとは思っていなかった。あるときから顔を見せるようになった同居人たちは好き勝手に動き好き勝手に進化してきたが、生き物というのはそういうものだ。ここよりずっと南に広がる「花」の群生地だってそうだし、北の山脈を闊歩している竜たちだってそう。魔王のお膝元に生息する生物たちだって魔王が生み出したわけではないし、かき集めて留まらせているわけでもなかった。魔王は「世界」という土台そのものにはこまめに手を入れるが、その上で発生したものたちの栄枯盛衰については関与しない。

 ただ自分自身どころか世界中を巻き込んで心中するような危険行為はさすがに止めなければならないし、危ないことだと教えるために厳しい対応だって必要とあらばするべきだ。それが魔王の仕事なのだから。



 魔王は意識して表情を険しくし、首だけで振り返る。


「愚かなことだ」

「なにっ?!」

「人間は何度、絶滅寸前の自殺行為をすれば気が済むのか……」


 人間たちだけが自業自得で族滅するのは致し方ないが、世界中を巻き込むのは本当に勘弁してほしい。

 作業の手は止めない。血祭りに挙げられた男が最後にこじ開けた抜け穴がなかなかにしぶとかった。綴じようとしているのだが、妙に抵抗が激しい。

 ひとまずは先に応急措置として抜け穴の中に隔壁を何枚か作る。



 ――しかし。

 その隔壁が破壊された。



「何?」


 世界樹が茂った枝葉を震わせた。色彩が明滅する。管理者権限で強制的に接続を断ったはずの世界樹と紋様が共鳴していた。否、紋様から押し寄せる波濤が世界を揺るがし、その様が世界樹に反映されているのだ。左腕に衝撃が走る。局地的に雷でも落としたかのようだった。背後で悲鳴と光が乱れ舞う。

 肉を裂き割り開かれるような痛みとともに、低い嘶きが響き渡った。

 唐突に生々しい臭気が発生する。土と生き物の臭い。体毛が薄くこざっぱりとしている人間たちの体臭は薄い。それとは隔絶した強烈さだった。

 振り返ると、紋様が描かれた場所から、床を割り拓くようにそれは現れていた。


 濡れた土のような濃茶色の、四つ足の生物だった。体高は人間たちとさほど変わらない程度だが、伸びた胴は分厚く長い。胴回りに比べて四本の脚は不釣り合いに細く見えるが、屈強そうな蹄に支えられた体躯はちっともふらつく様子がなかった。胴から下がり気味につながる頭部には、湾曲した太い角が横へ広がるように伸びている。耳よりも長い。逆に体毛は短かった。他より少しだけ長い、頭部から背の半ばにかけて生えた毛は太くごわついているように見える。

 魔王が住処としている城の付近に生息する似たような四つ足生物は、もっと体毛が長かったし、角も短かった。首周りだってもっともったりとしていて全体的にずんぐりむっくりとしていたが、それに比べてこの生物は引き締まっている。


 それらが、一頭と言わず二頭、三頭、と次々に床から頭をのぞかせ、もがきながら排出されていく。まるで紋様から産み落とされるように。

 生まれたばかりのそれらは、しかし育ちきり完成された肉体を波打たせて身震いした。しきりに首を振るもの、たじろぐように足踏みするもの、後続に尻を押され抗議らしき鳴き声を上げるもの、まちまちだったがどの個体も見るからに興奮した様相だった。先端に比較的長めの毛を蓄えた尾が、その機嫌を示すように激しく左右に揺れている。



 紋様を囲むように群がっていた人間たちが、悲鳴を上げて後ずさった。勇敢に槍を構える者もいたが、その表情はこわばっている。

 緊張感に煽られたように激しくなる嘶き。苛立たし気な足踏みで床が揺れる。屈強な角を見せつけるかのように頭を左右に振る行為は、あからさまな威嚇だった。そうしている間にもそれらはポコポコと殖え、ついには室内の人間たちと同数の数十頭にまで及んだ。


 広間は当然人間に合わせたスケールで製造されているため、それらが増えるたびに空間を圧迫し、人間たちは壁際へと追いやられていく。

 後方ではたまらず広間の外へと飛び出していく者もいた。しかし熱狂から一転、突如として繰り広げられた異様な光景に恐慌状態に陥った多くの者は逃げまどおうとして他者にぶつかり、もつれあい、動くことすらままならなくなっていた。なかには床に転がり踏みつけられる物もいたし、突き飛ばされ壁に激突し意識を失うものまでいたようだった。飛び火するようにいや増す喚声。伝播する緊迫感。続々と増えては呼応する嘶き。


 最前線ではすでに衝突が起きていた。後ろから押されせり出てきたそれが、屈強な角を振り回し人間を押しのける。武装している彼らは負けじと槍を手に踏ん張ろうとするが、まるで赤子のように軽々と吹き飛ばされた。当然その背後にいた人間も巻き添えを食う。


 剣で斬りかかった者は、角で弾かれ絶望の表情を浮かべていた。ならばと横合いから胴をめがけて槍を突き出せば、思わぬ硬さに切っ先が滑ったのか浅く斬りつけるだけになってしまい、反撃の体当たりで逆に打ちのめされた。一体を攻撃して、反撃で数人まとめて吹き飛ばされるのだから溜まったものではないだろう。


 四つ足の動きはのらりくらりとして俊敏そうには見えなかった。しかしひとたび仕掛けると決めると、頭を大きく下げ、屈強な角を突きつけて力強く床を蹴った。助走距離はほぼないに等しい。けれど巨体の突進は強烈だった。固まった人間たちの足元を掬い転がして踏みつぶす。最初の一撃で脛に防具を突けていなかった者は脚の骨をへし折られ、倒れ込むと固い蹄に腕や肋骨を粉砕された。頭部を蹴飛ばされ首の骨を折られる者もいる。壁までどんどん押された一団がそのまま圧死することも。とくに武装したものに挟まれた術師らしき軽装の人間の末路は悲惨だった。


 人間の反撃は物理攻撃だけではない。攻撃魔法でも撃とうとしたのか、世界樹の枝を折って作ったらしい杖を持ったローブの男が力を編み始めると、なんらかの危機を察した個体が突撃していった。とっさに庇おうとした腕諸共、胴に頭突きを喰らわせて、首をひねって擦りつけるように角を振るう。ローブを突き抜けた角はそのまま内側の柔い肉まで穿ち、細い胴を貫通しそうな勢いで深々と刺さる。術者はわき腹から刺さった角に内臓を貫かれて断末魔を上げた。それはしばらくの間、角にぶら下がる障害物を退けようと、頭を何度も上下左右に振っていた。そのたびに振り回された肉袋はすぐに静かになった。


 最後の一頭らしきものが藻掻きながら床に身を投げ出して、ようやくひと段落したのだろう、紋様が開けた穴はそれきりあっさりと閉じてしまった。だがもはや手遅れとしか言いようがない。事態はとっくに大惨事だった。



「ふええ」


 思わず魔王はこぼす。けれど周囲の喧騒はひどく誰の耳にも届かなかった。

 もはや趨勢は決まってしまっていた。

 怯え逃げ惑いなぎ倒される人間たち。

 猛威を振るう四つ足の暴力の塊。

 歴然だった。



 やがて四つ足たちは人の流れを読み解いたように出口へと向かい始めた。数十頭の群れである彼らにとって広間は窮屈すぎたのだ。より広い場所を求めて突き進むのは自然の性だろう。

 ひときわ大きな個体が先頭に立ち突き進んでいく。それに続く数十頭。それらの行軍はただそれだけで、人間にとっては脅威だった。

 時に壁の装飾や調度品を破壊しながら駆け抜けた群れの行く先は、当然の如く都市のど真ん中だった。

 道行く人間たちが驚愕の悲鳴を上げる。驚きすぎて身じろぎすらできない者もいた。すぐさま背を向けて逃げ出す者もいた。たちまち狂乱に彩られた街並みに、先頭の四つ足はぐるりと首を巡らせながら、止まることなく進み続けた。愚直なまでの一直線。通り道の鉢を蹴飛ばし、屋台を踏みつぶし、看板をかち割って、土煙を上げながらそれらは町中を駆け抜けていく。

 正面に石造りの店舗が現れた時には、さすがに避けようとするだろうと誰もが思っていた。けれどそれらは真っ向から店舗に突進していった。木の扉はあえなくただの一撃で突き壊された。どころか石壁も破壊された。調度をなぎ倒しながら店内を横断し、壁をぶち抜いて奥の住居部分に侵入し、家財を踏み荒らして対面の壁から飛び出していく。

 土台となるべく壁の多くを破壊され、巨体の群れが駆け抜ける衝撃に晒され続けた店舗は哀れ脆くも崩れ去った。店主も客も住人も、逃れられたものは一人としていない。瓦礫の下から複数のものが混ざった液体が流れ伝っていく。



 逃げ遅れた人間たちを巻き込みながら猛進は続く。

 とはいえ、それらは世界樹そのものに危害を加える様子は見せなかった。まったくの素通りだったので、魔王はとしては特段その群れをどうこうしようという気は起きない。そもそもそれらを呼び込んだのは人間たち自身、つまりこの顛末も自業自得である。学習のために時には痛い目を見ることも必要だろう。

 魔王は半ば物見気分で、その壮絶な様を上空から眺めていた。

 しかし、ふと気が付いてしまう。



 それらがまっすぐに、どこまでも駆け抜け続けたとして。

 その方角、はるか先には、魔王が住まう城が存在する。

 魔王の帰りを待つ、少年がいる城が。


 それはいけない。



 上空に陣取ったまま、魔王は下界に根差す世界樹に接続した。遠隔起動しすぐさま最大稼働させる。

 四つ足たちは外層の向こう、世界の外側からやってきた異物である。けれど元の世界から切り離され、魔王の知覚に収まっている時点で、それらはこの世界に合わせたものに変換されていく。魔王が初めて見る種の生物であったために多少時間はかかっているが、それも時間の問題だ。

 だがそれでは遅い。

 なにせ魔王は三分以内に城へ戻らねばならないのだ。



 まだこの世界のものになりきっていないそれらに直接働きかけるのは少々骨が折れる。なので魔王は間接的な方法をとった。

 要するに、方角を変えてしまえば問題はないのだ。


 世界樹を中心に、円形にくりぬいた大地を上に載っている物ごと百八十度回転させる。

 範囲はおおよそで見積もって半径数十キロ。いまだ進行中の群れの移動速度を鑑みて幾分余裕は持たせておいた。回転の際にかかる遠心力はあらかじめカットしておく。そのほか影響を及ぼしそうな物理法則もどんぶり勘定でシャットアウト。これで回転中に積載物が振り回され飛び散るようなことはない。いや、そもそも回転を一瞬で完了させればそういった作用も働かないか。めんどうだからまとめてぺぺっと設定してしまう。


 仕様を決めて決行した瞬間、該当範囲が入れ替わる。実際には回転させているのだが、過程の出力を省略したので瞬間移動と称して相違ない。四つ足たちの群れは進行方向が変わったことすら気が付いていないかのようにひたすらまっすぐに突貫していく。途中から街並みが不自然に途切れ、断面を晒している建築物などもあったが、それらはきっと見向きもされずにすべて蹴散らされていくに違いない。運がないことに境目に巻き込まれて一部が切断されてしまった人間もいるようだがご愛敬。四つ足たちに踏みつぶされて肉塊になるよりかはマシなのではなかろうか。


 うんうんと満足げに笑みを浮かべ、魔王は再度世界樹の元へ降り立った。

 広間には瓦礫と血と肉塊が転がるばかりですっかり静まり返っている。手早く世界樹の周辺に魔力的な囲いをして人間が直接触れられないようにして、パスコードも変えておく。これで人間たちが再び直接世界樹を悪用することは不可能だ。世界樹と人間たちの繋がりもまとめてか細くなってしまうだろうが、この魔素の薄い地域に適応進化した人間たちであればそう大きな影響を及ぼしはしないだろう。人間たちから魔法は失われるかもしれないが、世界ごと自滅することに比べれば些事である。天罰天罰。


 作業を済ませた魔王は颯爽とその場を去った。

 広間の隅、物影や骸の影で生き延びてしまった人間たちは、息を潜めてその姿を見送った。震えは止まらず、喉奥からは悲鳴になりきれないか細い呼吸が漏れて、ヒューヒューと小さく音を立てている。打ち合わされ鳴る歯の音も、魔王は聞き逃したか、聞こえていて無視をしたのか。人間たちにはわからない。

 彼らはただ震えながらその姿を目に焼き付けた。そうして後に語り継いでいく。魔物を召喚する外法。あっけなく奪われた無数の命。血肉をまき散らして絶命する壮絶な光景。肌をふやかし染みてくるような死臭と耳の奥にいつまでもこだまする断末魔。そして奪われた神の恩寵。

 解けば背を覆うだろうほど長い黒髪で作られた三つ編みは、まるで竜の尾のように魔王の背で揺れていた。




 念のため上空の外層の確認も済ませた魔王は、超特急で凱旋した。


「お待たせー! 間に合ったかな!?」

「昼行燈しすぎて時間感覚麻痺してるんですか」

「アレ!?」


 少年にしらじらとした目を向けられ、魔王はうろたえた。あわてて卓上の砂時計を見やる。砂はとっくに落ち切っていた。


「うわーん、ごめ~~ん!!!」


 魔王は慌ててちゃぶ台の前に滑り込むように膝をついた。

 机上には、蓋のふちが若干浮いたカップ麺が切なげに取り残されている。



 そもそも三分なんて時間制限がついたのはこれのためであった。

 東から――突き詰めていけばたぶんあの紋様でこじ開けた別の世界から――流れてきた物珍しい交易品だが、これを運んだ生物たちはこれが何であるかはついぞわからなかったらしい。とにかく見たことがない、珍しい、貴重品なので箔付けにひとつどうですか魔王様! と商人からなかば強引に押し付けられた。しかし表面に書かれた別の世界の文字を魔王は解読できるのだ。なにせ魔王なので。この世界に来た以上、魔王の敷く法にすべての存在は従わざるを得ない。


 というわけでびっしりと敷き詰められた細かい文字とにらめっこして数十分、食べ物であることと、調理法を読み取った魔王は、すぐさまそれに飛びついた。


 少年に説明をして、お湯を沸かして、半分までしか開けてはいけない蓋をまるっと引っぺがしてしまって半泣きになったりして、少年に宥めすかされながらお湯を注いで蓋をかぶせなおして、いやあ楽しみだなと顔を上げた直後のことだった。世界の異変が起こったのは。ぶっちゃけカップ麺を平らげて少年と感想を言い合ってひととおり楽しんでから現場へ向かってもいいのではと一瞬思ったのだが、左腕が妙に疼いたために泣く泣く出勤を決めたのだ。



 見れば少年の前に置かれたカップも、同じように蓋をしたままだった。一度開封したことでできた隙間から匂いと湯気だけが漏れ出ている。

 すっかり待たせてしまったようだ。

 正確な時間を参照すれば、三分二十秒。いやけっこういい線いってない? 二十秒とか誤差でしょ。でも少年は許してくれないらしい。視線が冷たい。


「悪いことをしたね。お腹空いただろう」

「いえ。お勤めご苦労様でした」


 楚々と礼の姿をとる少年はいじましい。カップ麺の前から微動だにしていないが。もしかすると結構楽しみにしていたのかもしれない、と思えばその張り付けたような仏頂面もいじましく愛らしいものに見えた。いやそもそも少年の顔立ちはもとより愛らしく魅力的なのだが。きっと青年になるころにはハーレムの一つや二つ拵えて引き連れているかもしれない。魔王様よりモテるのはちょっと勘弁してほしいな。威厳的な意味で。


 あらためて卓上に向き直り、押さえにしていたフォークを手に取って、いざ、と開封する。

 が。

 覗き込んだその中には、液体しかなった。

 塵のようなかやくの名残と、混濁した溶液しかなかった。



「えっっっ」



 思わず蓋に描かれた完成図と現物を見比べてしまう。いやぜんぜん別物なんですけど。

 え、数秒でもオーバーすると中身消えるの? シビアすぎない? 訓練食?

 魔王はカップ容器をのぞき込んだまま目を白黒させる。

 と、正面に座っていた少年がたじろぐ気配がした。

 魔王が顔を上げると、少年は気まずそうに視線を流す。その視線の先には、出かける前にはなかった器があった。魔王の視線がそちらに向いたのを気取った少年が、おずおずと口を開く。


「既定の時間以上つけておくとまずいかと思って……」


 器の中には、カップ麺の中身であっただろう品が収まっていた。少年のものと二人分。

 仕組みはよくわからないが、既定の時間以上になりそうならば中身を一旦引き上げて汁気を切っておけば支障はなくなるだろうと考えたらしい。


「かしこい!」

「……差し出がましい真似をしました。結局さほど遅れはしませんでしたし」

「まさか、助かったよ! 気配り上手! 有能!」


 多分途中で蓋の隙間から中身をのぞき込んで様子を観察したりしていたのだろう。きっと愛らしかっただろう姿を見られなかったのは残念だが、脳内再生余裕なので心の中で血涙を流す程度で飲み込む。先の辛辣な態度も、余計な気を回してしまったと悔い恥じらったがゆえの憎まれ口だったに違いない。うちのこが今日もかわいい。世界中全生物見て欲しい、このかわいさを。いややっぱ見せたくない。まだ独占していたい。


 笑顔の下で悶絶している魔王と、その煩悶を知ってか知らずかはにかむ少年。

 世界は今日も平和だった。

 小さいし一瞬とはいえ外層に穴が開いて異世界から物を取り寄せてたとかちょっとどころではないおおごとだけれど、終わり良ければ総て良し。


 あらためて中身をそれぞれの容器に戻し、実食する。

 不思議な食感と濃い味付けのそれは、たまらないほどおいしかった。





  ◇◇


 後日談。

 人間の国より東の地域で、人頭牛体の新生物が知らぬ間に大繁殖していた。

 ちなみに彼らは世界樹の役割をちゃんと理解して崇め奉りせっせと世話をして保全に努めてくれていたので、魔王的には無問題である。


 おいでませ、我が世界へ。

 「世界」の管理者は君たちを歓迎し、その繁栄を願い見守ろう。

 「世界」を損なうようなやんちゃをしたら容赦はしないので、そのつもりで。


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