英雄のわがまま

生來 哲学

滅国復讐譚

 我には三分以内にやらなければならないことがあった。

 すなわち、復讐である。


 説明せねばなるまい。

 皆も知って居るであろう、世界を救いし神性騎士ゼシェル。幾つもの聖剣に認められ、それらを手にして月の一族の侵略をも食い止めた栄光の騎士。

 ヤツの息の根を止めなければならない。

 忘れたとは言わせぬ。

 決して。

 皆も知っているだろう。

 皆も忘れられるはずがなかろう。

 かの神性騎士はかつて機械帝国の真闇騎士として飛空挺を狩り、数多の国を滅ぼした悪逆の騎士であった。それを忘れたなどとは言わせない。

 聖なる山の試練にてかの真闇騎士は浄化され、神性騎士となった。その身の闇を清められ、正道の騎士となった。だが、その行い、その身の罪が清められたことにはならない。

 罪は贖わなければならない。

 そうでなくては――滅ぼされた我が祖国も浮かばれぬ。

 我が身に神聖水晶の導きあれ。

 復讐するは我に有り。

 我が魔剣を持ってかの神性騎士の命を絶つ。

 無論、これは私怨である。

 亡国の侍の大義を証明する者はどこにも居ない。

 自分以外、誰も残っていないのだから。

 だが、私怨上等。

 我が義を証明するは自身のみ。

 祖国の神聖水晶も失われた。

 我が身、我が剣が大義のすべて。

 亡国の血と怨霊で赤く染まった魔剣、その身に纏う邪悪なる瘴気がその証明。

 瘴気に満ちたこの剣を人の身で扱うことはもはや不能。

 一度抜けば三分も持たずにこの命尽きることとなろう。

 だが、構わない。

 三分――人を殺すには多すぎる時間だ。

 恐れることは何もない。

 今もまだ我が耳元でかつての戦友達の怨嗟の声が聞こえている。

 それだけで強くなれる。

 臆することは何もないのだ。




 雨の廃墟に人が来る。

 死雨の滅国の地に純白の騎士がただ一人、殺されるためにやってくる。

「待たせてしまってすまない」

 透き通るような金髪に端正な顔立ちの美青年である。

 その身に纏っていた闇の力が祓われたというのは本当らしい。

 かつてこの地を訪れた時の禍々しさはそこにはない。

 代わりにおぞましき魔を身に纏うのは我ただ一人。

「――構わぬ。これですべてが終わるのだから」

 我が声に神性騎士はその美しき顔を曇らせる。

 だが、それは一瞬だった。

「分かった」

 洗練された美しい所作でその手の聖剣を音もなく引き抜くと天に掲げた。

「聖剣よ」

 途端、暗雲に包まれた滅国に陽の光が射し込む。

 絶え間なく降り続けた滅国の涙雨が、怨霊の血雨がたやすく祓われ、数年ぶりに晴天がこの地に訪れた。

 流石の我も瞠目する。

 耳を苛んでいた亡霊達の怨嗟の声が聞こえなくなった。

 血雨の滅国に囚われていた過去の怨霊達が一瞬にして居なくなったのである。

 後に残るのは青天と――取り残された我のみ。

 雲一つない晴天の下、神性騎士ゼシェルは我に声をかける。

「約束を果たそう。決闘の申し入れを受ける」

 ――この男。

 それだけの聖性を秘めながら、それだけの清らかさがありながら何故、何故、何故。

「許せぬ」

 絞り出すは怨嗟の声。

 もはや呪詛しか吐くことが出来ない。

 聞こえなくなったはずの怨霊達の声がより一層強く聞こえるように成った気がした。

 身綺麗になったつもりのその純白気取りの神性騎士の現在を、この魔道に墜ちた我の怨讐を持って断罪する。

 貴様の正しき現在を間違った過去を持って粛清する。

 そこに迷いなどあるはずがない。

 魔剣を鞘から引き抜き、深紅の刀身が露出させた。

 途端、澄み切った廃墟の空気を再びどす黒い瘴気が穢していく。

 ひき裂くような激痛が全身へと駆け巡り、我が命を蝕んだ。命の灯火を喰らおうと魔剣が鳴く。やはり三分も持たないだろう。

 だが、それで充分。

 充分すぎる。

「侍の国アカツキのカトー・ガイエンが、その命頂く」

「ゼシェル・ハルヴィンが貴殿の闇を晴らす」

 魔剣の鳴き声が響き渡る中、我とゼシェルが剣を構える。

 合図など要らない。

 言葉など要らない。

 時間など要らない。

 ただ、殺すのみ。

 構えたまま。互いに動かず、にらみ合ったままに殺し合う。

 剣気のぶつかり合いが幾度もゼシェルを殺し、幾度も我を殺した。

 魔剣が鳴く。

 まだ、動かない。

 剣を振るのはただ一度でいい。

 魔剣が鳴く。

 我の命が失われていくのを感じる。

 このままにらみ合いが続けば我一人先に死ぬのみ。

 だが、そうはならない。

 そうはさせない。

 させるものか。

 勝ち逃げなど許さない。

 赦せるはずもない。

 裂帛の気合いに反応したか、ついにゼシェルが前に踏み込む。

 その時には既に勝負は決していた。

「……な……ぜ」

 我は驚愕に声を震わせる。

 ゼシェルの心臓は鎧ごと魔剣に穿たれた。

 我が放ったのは相打ち覚悟の防御を捨てた神速の突き。

 ただ速さのみを求めたこの一撃は確実に相手を仕留めうるが、相手の攻撃を避けることも出来ない。

 両者ともに討ち果てるしかない。

 そうでしかない、はずだった。

「何故、振り下ろさなかった! 神性騎士っ!」

 ゼシェルは我の魔剣が到達するよりも早く動きを止め、その聖剣を投げ捨てていた。

 ありえない。

 何故そんなことを。

 そんなことをする理由が貴様のどこにあるというのかっ!

 心臓を貫かれた純白の騎士は力なく笑った。

「生命は奪わない。怨念のみを殺す」

 神性騎士は最後の力を振り絞り、自らを貫き脈動する深紅の刀身に手を当てた。

「――光よ」

 力ある言葉と共に場を浸食していた瘴気が薄れていく。

「やめろ! やめないか!」

 我の身体から抜け落ちていく生命の力が戻っていくのを感じる。

「やめ……やめてくれ! やめてくれ! こんなこと!!!」

 輝きと共に深紅の刀身が白で塗りつぶされていく。

 濁り、よどんでいた空気が澄んでいく。

 再び近づきつつあった暗雲達が滅国から遠ざかっていく。

 すべてが浄められていく。

「そんなことをっ! 我は望んでおらぬ!」

「他でもない僕の我が儘さ」

 いつの間にか視界が歪み、頬を涙が伝う。

 絶食により屍のようにやせ細っていた我が身にもまだ涙を流す力が残っていたのか。

 いや、受け渡されたのか。

 魔剣の浄化と共に神性騎士の生命が零れ落ちていく。

「この、紛い物め! 紛い物の神性騎士め! そんなことをして何になる! 愚昧な我を救ってどうする! 何故自らを救うことすら出来ぬのだ!

 死んで……死んで、楽になろうなどと!!」

 我が両手が神性騎士から零れおちる血で染まっていく。

 朱く、生暖かい、命の水が、我を染めていく。

「真なる聖騎士ならば、すべてを救わぬか!」

 だが声はもう届かない。

 後に残されたのは神性騎士の亡骸と、誰よりも愚かな侍と、青天に包まれた廃墟のみ。

 戸惑いと共に我は聖なる遺体を下ろし、傍らに落ちてあった折れた聖剣を手にした。

 即座に首をかききろうとするが聖剣は砂となって風と共に消えた。

 風の音と。

 鳥の音と。

 泣き声が、後に。




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