第5話 甘さ控えめの新入生
「響くん、おはようございます」
「あ、榊原さん。おはよう」
いよいよ来週から本格的に高校生活が始まるぞという朝の登校中。今日は枝美里を見かけなかったので1人で歩いていたところを友希江さんに話しかけられた。友希江さんとは面識こそあるものの、ゆっくり喋ったことはない。にもかかわらず声を掛けてくれるなんていい子だなぁと感心する。
「今日は武田さんがお友達を連れてきてくださるとか。楽しみですね」
「らしいですね、ちょっと心配もありますけど……」
「ふふ、遠慮がないですね。お二人は仲がよさそうです」
「まぁずっと一緒ですから遠慮はしないですね、はは」
ややぎこちない会話。それでも入学して一週間弱ならこんなもんだろう。他クラスの子だし。
「榊原さんは部長と仲良さそうですけど」
「家が近所で小学校も同じでしたし、2年間部活で一緒でしたから。とても強かったです」
「剣道部でしたっけ?部長って剣道も強いんですね」
「剣道“も”……?」
はじめて菓子研の部室に行った時サンドバック殴ってたし。小さいころからあの感じでガンガンだったのだろう。
「響くんは中学生の頃は部活に入っていましたか?」
「あーはい、吹奏楽部でした」
「すごいですね!どんな楽器を演奏していたのですか?」
「あ、いや指揮者だったので――」
「ああすみません!早とちりしてしまいました」
「いえ、あ、ドラムとかは叩けますよ」
「ドラム……?」
「あ、えっと太鼓みたいなやつ……です」
「いえ、それはわかるのですが、その、イメージが……」
絶妙に会話が噛み合わないまま昇降口に辿りつき、そのまま別れて教室に向かう。自分にもっとトークスキルがあればと教室についてからも机でうつむき自己嫌悪。
「おはよう、響。何かあった?」
朝から辛気くさいぼくに田口は今日も話しかけてくる。またかしけんの話をされるのかな。連日の会話で不信感がすごい。
「おはよう田口、なんでもないよ」
「そっか、ならよかった」
「あ、そうだ。蒼井先輩からサッカー部入りませんって伝言。伝えといて」
「ん、わかった……って昨日知らないって――」
「ぼくも昨日はじめて会ったんだ」
「ふ~ん」
疑いの目を向けられるが事実なので仕方がない。田口はそのまま自分の席に戻って行った。少し素っ気なかったかなとは思うが向こうも用があったわけではなさそうだし気にしないことにした。
「あの、蒼井先輩って蒼井珠洲巴のことっすか?」
「え?あ、はい。そうですけど……」
急にクラスの金髪男子に話しかけられてビクッとした。ほぼほぼ初対面なので第一印象がこれなのは恥ずかしい。思わず目をそらしてしまう。それにしてもいきなり何だろう、珠洲巴先輩って有名人なのかな、という疑問と共に名前が思い出せないという焦りも加わって次の言葉が出ない。妙な沈黙が生まれ気まずい。相手はあんまり気にしてなさそうだけど。
「ハァ、珠洲巴さんってもう楽器やらないんすかね」
「楽器……?」
「あれ?知り合いじゃないんすか?」
「昨日会ったばかりで……」
「あぁ、なんかすんません」
どんどん語りだしてくるクラスメイト。こっちは名字すら思い出せないというのにぐいぐい来る。ぼくはどうすればいいんだ……。そんなこちらの困惑が伝わったのか、ふいに自己紹介も挟んでくれる。
「俺、久保健。健康の健の字でたけると読むんでみんなからクボケンって呼ばれます。よろしく」
「……響拓斗です。よろしく」
ニックネームの響きから自己紹介で同じことを言っていたのを思い出す。クラス全員分の自己紹介なんてやっぱり覚えられないね。席も離れてるとなればなおさらだ。
「珠洲巴さんの兄貴と知り合いで、兄貴がバンドやってるのよ。だから珠洲巴さんも高校でバンドやってるのかと思ったけど部活で見なくて気になってて。珠洲巴さんとはどこで会った?」
「あぁ、え~と、お菓子研究会」
「え、なにそれ?」
「部活だけど」
「ウチの学校にそんな部活あるんだ」
珠洲巴先輩ってお兄さんがいるんだ~と軽く聞き流していたが、かしけんを知らなくてショックだった。まぁほとんど宣伝してなかったからしょうがないか。
次の言葉を探している間に予鈴が鳴る。クボケンはスッと自分の席に戻って行った。果たして自分はクラスメイトと仲良くできるだろうか。ますます自己嫌悪に陥りながら授業を受けることになった――。
今日は金曜日、授業終わりの解放感が格別だ。しかし、ぼくの高校生活には授業以外にも多くの難題が複雑に絡みついており、素直に解放された気持ちになるのは当分先……そんなネガティブ思考で呆けていると、後ろからバンッ! と思い切り肩を叩かれる。といってもそんなに痛くないから音だけすごいやつだ。
「ヨシ!部活に行こう!」
「授業終わりでも元気だね……」
「拓斗の方が元気なさすぎじゃない?明日から休みだよ」
まったくもってその通り。気持ちを切り替えてかばんに手を伸ばす。
「友達はどうしたの?」
「とっくに準備終わって教室の外で待ってるよ」
「え、待たせてるの!?」
「拓斗がのんびりしてるから」
とても申し訳ない気持ちになりながら慌てて支度を整える。教室の外にはクラスの女子が2人。1人は名字が特徴的だったので覚えてる。“東海林”と書いて“とうかいりん”と読む子だ。もう1人の子の名前は……自信がない。
「こんにちは」
「揃いましたね、では案内をお願いします」
東海林さんは優しい笑顔で迎えてくれた。こちらも会釈で返す。もう1人の女子は表情を全く変えない。遅れておいてなんだがちょっと怖い。
「お待たせしてごめんなさい、こっちです」
ぼくがそう切り出すと、どうやら枝美里に言ったつもりだったようでちょっとだけ顔が動いた――ように見えた。怒っているわけではなさそうだ。2人にはタイミングを見てさりげなくお詫びができたらいいなと思いつつ部室を目指す。
道中は特に会話もなく、すぐに部室に着いた。3人で何か話すでもなかったので話しかけたら悪いのかなと思ったのもあるが、どこからか聞こえる琴の音が心を奪っていたからというのが正しいだろう。昨日までは聞こえてこなかった音。本格的に部活動を始めたのだろう、何部かはわからないが。
かしけんも本格的な活動をする日が来るのだろうかなどぼんやり考えながら部室に向かって歩いていくと琴の音がより一層はっきりと聞こえてくる。雅な部活がご近所さんだったんだな~と部室の前で足を止める。振り返ると3人が怪訝な顔をしている。ぼくも同じ顔をしている。琴の音がかしけんの部室から聞こえているからだ。
え? ここがかしけん? みたいな感じだろう。ぼくも自信がなくなっている。
躊躇っていてもしょうがないのでノックをしてみる。すると、真理先輩のどうぞ、という声が聞こえる。ちょっと安心。
「失礼します」
入ってみると、そこはいつもの部室だった――琴を弾く見慣れぬ女生徒以外は。
「くーちゃんの演奏すごいでしょ?」
真理先輩が得意げな顔で聞いてくる。こっちはまだ情報が整理しきれていないのに。
「あぁ、はい……えっと、新入生を連れてきました」
「お久しぶりです!」
枝美里がめちゃくちゃ元気よく挨拶する。よほどかしけんが気に入っていたのだろう。
「あら、えーちゃん。すると、後ろの2人が……?」
「はい、友だちを連れてきました!」
出会って数日でも胸を張って友だちといえる、枝美里のこういうところに助けられてるし、羨ましい。先ほどまで困惑していた2人も友だちと呼ばれていい笑顔だ。
真理先輩は、枝美里たち3人を部屋の奥にあるソファへと案内した。部室にはすでに部長やアリーシャ先輩、静穂先輩、美衣子先輩もいた。
「あとはユキが来るだけか?まぁ来た時考えればいいか。タク、ちょっと手伝ってくれ」
「は、はい!」
荷物を下ろして一段落する前に声を掛けられちょっと動揺しつつ呼びかけに応える。今度は一体何をするつもりなのだろうか。不安と少しの好奇心で胸をいっぱいにしたが、ただ奥から机と椅子を出してくるだけだった。確かにこの人数だとやや狭いのは昨日体験済みだ……。部長はただただふざけている人ではなかった。自分の至らなさを恥じる。
「さて、改めて。部長の西園寺紗百合だ。よろしく」
「はじめまして。
自己紹介を先に返したのはキリッとした子の方だった。メガネが似合う黒髪ボブカットでキッチリした髪型をしている。メガネの奥の眼光は鋭く怒っているようにも見えたが、これが普段の姿なのだろう。
「はじめまして。武田さんたちと同じ1年2組の
微風さんは後ろに髪をまとめ、優しい笑みを絶やさない。ぼくも先輩方も鏡華さんと微風さんの正反対っぷりが少し可笑しくて笑みがこぼれる。
「あ、はじめましての先輩もいますね!武田枝美里です、よろしくお願いします!」
スルッと心の隙間に入り込むように挨拶する枝美里。こういう人懐っこいところがいろんな人を集める所以だろう。
その後は友希江さんも合流し、全員が自己紹介をしていく。
「はじめまして。わたくし、
最後に、先ほど琴を奏でていた先輩も美しい所作で頭を下げて挨拶する。生来のものなのだろう、明るすぎない茶髪をポニーテールにして指先まで意識しているかのような振る舞いは見る者を惹きつける。
「こちら、よろしければお召し上がりください」
スッと差し出されたのはお茶と最中。琴も相まって完全に“和”の印象になりそうだ。
「くーちゃんの点てるお茶も美味しいのよ」
真理先輩の補足情報はイメージにピッタリ……ではあるがそこまで“和”だとは思わず、驚きが顔に出てしまう。こんな時でも枝美里は機会をくださいと懐に飛び込んでいく。見習わなければ……。
「しかし驚きました。玖留実様がいらっしゃるとは」
「様はよしてください鏡華さん。わたくしも驚きましたよ」
「あれ?ふたりはどんな関係なんですか?」
「わたくしと鏡華さんは家庭の事情でお会いする機会も多かったのですよ」
家庭の事情という言葉には流石の枝美里も切り込まず。ただ、好奇心が顔に出ていたのだろう。鏡華さんがサラッと答える。
「わたしが鳳グループの娘なのです」
鳳グループといえば手を出していない分野はないと言われるほどの大企業。あらゆる製品開発に携わり、蓄積した技術で新分野を開拓している。知らない者はいないと言われるような有名企業の名前に呆気に取られてしまった。
「へぇ〜そーなんだ」
「キョウはお嬢なんだな」
枝美里はあまり気にしてないような返事をする。部長も物怖じしない。同じ会の仲間になるなら、この反応の方が正しいのかもしれない。
「そうですね。お嬢様、ということにはなります。ところで、この部活は何をするところなのですか?」
「わたしも気になります〜」
新入生ふたりがごもっともな疑問を口にする。枝美里から聞いてはいるのだろうが、まさか本当にお菓子食べておしゃべりする部活だとは思うまい。
「今のところは菓子食って喋るだけだな」
部長はストレートに答えた。ふたりの、特に鏡華さんの顔が曇る。高校生活において部活は大事な要素である。こうならない方が変わってるのだ。
「私は、時間を割くのであれば有意義に使いたいと考えています。先日狩入部した三道部はそれぞれの文化に対する向き合い方に失望し入部を辞めました」
鏡華さんもストレートに返す。それだけ真剣なのだろう。
「鏡華さんの仰りたいことはよくわかります。ただ、この活動内容は真面目な活動内容なのです」
「流石にそんな活動内容なら部活動として認められないもの。文化祭で発表という目標に向けての活動ではあるわ」
「……なるほど。ただ時間を過ごしているわけではない、と」
玖留実先輩、真理先輩のフォローに少し態度を軟化させる鏡華さん。それでも花形の部活と比べると――。
「そんなに力を入れたいなら大会にでも出るか?」
「え?」
部長から出た予想外の提案。これまでの話を聞いてるだけだったぼくも思わず声を出してしまった。大会とはまた唐突な……。そもそも何の大会なのか。
「何驚いてんだ、タク。お菓子作りたいって言ってたろ」
「……あっ、大会ってお菓子の?」
「そりゃかしけんだからな。文化祭もまぁ、その目標ではあるが、他の目標もあった方がやりがいあるだろ」
「お菓子の大会なんてあるんですか?」
「ああ、ちゃんと調べた」
部長は、ぼくに対するツッコミも枝美里の疑問にも即座に対応する。突拍子もない提案というわけではなさそうだ。
「そんな案があるなら素直にそういえば良いのに。西園寺さんは本当に素直でないな。しかも響くんのことをちゃんと考え――」
「シズホさん、ソレくらいデ……」
静穂先輩が思ったことを全部口に出そうとしていたのをアリーシャ先輩が止めた。部長の方を見ると、顔を赤らめて少し恥ずかしそうにしている。
「かしけんの活動内容はともかく、活動方針はとても魅力的ですね」
「鏡華さんのやりたい事もできるといいですわね」
鏡華さんのかしけんに対する印象は、多少良くなったようだ。『かしけんは楽しい居場所』という言葉を実践しようと頑張る部長の心意気が通じたのだろう。もちろん、ぼくにも伝わっているしとてもうれしい。
「ふにゃ~あ。よく寝た」
「あら、もうこんな時間?みーちゃんにはとりあえずこれ。あーん」
いつの間にか友希江さんの膝の上で寝ていた美衣子先輩が目を覚ます。真理先輩が最中で餌付けしている中、窓から夕陽が差し込んできた。
「なんだかおもしろくなりそうな部活でした~」
帰り道、微風さんがそう言った。
「そう言ってもらえると嬉しいわね」
「ええ、先輩として期待に応えなければなりませんね」
真理先輩、玖留実先輩が嬉しそうな反応をする。毎日どんどんにぎやかになる帰り道に、今日の授業の疲れを忘れてしまうくらいぼくも嬉しかった。来週はどんな高校生活になるのかな。
「お、おいタク。さっきのアレは別にタクのためってわけじゃないからな」
「ん、はい。わかってますよ」
「たーくんもさーちゃんのあしらい方がわかってきたわね」
「なっ!?マリ、それはどういう意味――笑うな!」
部長の照れ隠しツンデレにぼくだけでなくみんなが微笑んでいた。
みんなと別れたのち、枝美里と歩いているとそういえばかしけんの過去について知りたがらなかったな、とふと気になった。
「枝美里、今日はかしけんの過去について聞かなかったな」
「あぁ、別に聞かなくても今の先輩方見てたら別にいいかなって」
「なるほどね」
「ぶちょーは拓斗の事もしっかり考えてくれてたみたいだし、他の先輩もそれを支えようとしてた。素敵なところだよ」
「うん。行ってみてよかった」
満足感に包まれながら歩いていく。だが、この満足感は波乱の月曜日への前フリに過ぎないのであった。
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