黒歴史エッセイ②『大浴場での愚行』

村田鉄則

大浴場での愚行

 俺が小学生時代の愚行の話を今回はしようと思う。

 小学生時代の俺は放尿癖がついていた。


 ※ここで少し引いたあなたは、ここから先は読まない方が良い。


 放尿癖と言っても、漏らすとかではなく、浴場での洗い場での放尿癖だ。

 (立ちションにもハマっていた時期があったが、それはネットの海ですでに放出したエピソードなので、ここでは語らない)


 家のお風呂の洗い場でも放尿するが、なんと、旅館や温泉の洗い場でも放尿した。

 なんで放尿していたかは自分でもわからなかった。

 なんか少し心地良い気分になれたのだった。

 

 外の大浴場でも家のお風呂でも、洗い場で放尿するのは、基本、シャワーを浴びている最中だった。それが癖付けされてしまったのだ。

 シャワーを浴びているときの放尿は周りにも気づかれなかった。というか、人が身体を洗っている時、まじまじと眺める人は普通いないし。


 さすがに小学校高学年になった俺は自分のおこなっている行為のおかしさに気付いた。親にその話をしたら怒られたことも関係しているだろう。

 が、しかし、考え直したわけであるが、小学校の俺は自分の放尿癖をコントロールすることができず…愚行を繰り返してしまっていた。

 大浴場でトイレを済ました後にお風呂に行っても、結局、洗い場でシャワーを浴びると放尿した。まるで、ベルが流れると涎を流す、パヴロフの犬だ。

 そんな条件付けされた俺の愚行はある日を境に無くなった。中学生の頃、俺はとあることを通して尿切れが悪くなり、周りの人に匂いを指摘されて、自己臭恐怖症になったのだ。それを境に俺は、トイレをするのが怖くなった。それが俺の放尿癖を止めていた。お風呂で放尿したら、体を洗っても、何かが拭い取れていない気がする、そもそも匂い残りが気になる、そう感じたのだ。つまりは、排尿に対する嫌悪感が俺の放尿癖を阻止したのだ。

 その自己臭恐怖症は中、高、大、社会人1年目途中までの約10年続いた。その内、シャワーを浴びて放尿することはほぼ無かった。

(なんで、ほぼなのかは、たまに意図に反して暴発することがあったからです)

  

 10年間程俺を苦しめた自己臭恐怖症だったが、社会人1年目の後半漸く俺はそいつに打ち勝った。

 これは非常に喜ばしい出来事であったのだが―――

 俺の身体にこのことがある変化をもたらした。


 尿


 もちろん、社会人であるので、理性が働き、外のお風呂で放尿するのはもう絶対にしないようにしているのだが(暴発もしたことはない)、家のお風呂ではほぼ毎回放尿してしまっている…つまりは、現在進行形で黒歴史を更新しているわけだ。


 ちなみに、この癖が抜けなくなると、病院で身体を看護師さんに洗ってもらっているときに暴発することがあるらしいので、いつかは抜け出したいものである。


 

 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒歴史エッセイ②『大浴場での愚行』 村田鉄則 @muratetsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画