花吹雪の中*花鳥風月 津々うらら
湖のそばに立つ桜から、数えきれない花びらが風に吹かれて落ちていく。桜の中から見たら、どんなに美しいだろうか。
いつもチビだとからかわれるヤヨイは我慢できずに手をのばし足をかけた。
「何してる」
あともう少しで座るのによさそうな場所に手紙が届く直前、低い声が邪魔をした。
そろりと見下ろしたヤヨイは、予想通りの少年を見つけて肩を落とす。
「ごめんなさい」
言い訳を並べても、すぐに言い負かされるとわかっているので、素直に謝った。
トウヤはヤヨイと二つしか変わらないのに、急に背が伸び始めたせいか随分と大人に見える。
常に自分にも人にも手厳しい彼にヤヨイは逆らえない。深呼吸でため息を打ち消して、下に降りようとしたが動けなくなってしまった。真っ直ぐに見上げてくる彼に裾の中をのぞかれては困るからだ。降りるのを諦めて、口をとがらす。
「ちゃんと稽古するから、先に行ってて」
「どうだか。待たされる身にもなってみろ」
「……他の子と組めばいいじゃない」
「残念なことに、下手なやつを育てる義務があるんだ」
何か言い返そうかとヤヨイは口を開きかけたが、思うように言葉が出てこなかった。トウヤに面倒を見てもらわなければ、他に練習に付き合ってくれる当てがない。ヤヨイ自身も舞が下手な自覚もあるし、もっと美しく舞いたいという願望もある。村で指折りの奏者に奏でてもらえるのはまたとない機会だが、毎日しごかれたら嫌気がさす。
拍子がずれたに始まり、その動きに意味があるのかと罵られては、雑草だってしおれてしまう。
「蝉になる練習でもしてるのか。まだ春だっていうのに」
うんざりとした顔も隠さずに、トウヤは頭を振った。
湖の方を眺め始めたので、ヤヨイはそろりと足を動かす。もうひとつの足も降ろそうとして、トウヤの目線が戻ってきたことに気が付いた。
「こ、こっち見ないで!」
「足ぐらいなんだって言うんだ。嫌というほど見さされてる」
ヤヨイの悲鳴はあっさりと叩き落とされた。
舞の足裁きが悪く、はだけることは度々あったが、好きでさらけ出していたわけではない。ヤヨイは己の恥に耐えながら肩越しに睨み付ける。
「それとこれは別よ」
「面倒なやつだな」
ため息混じりに吐いたトウヤが、するりと木にのぼってきた。ヤヨイのかけた時間の半分にも満たない間で、向かい枝に並ぶ。
桜よりも赤い頬を落ち着かせる暇もない。
「その上までのぼりたいんだろう」
世話の焼けると憐れみを含んだ目がヤヨイの上を示した。黙り込んでしまった少女を鼻で笑ったトウヤは畳み掛ける。
「手を貸してやろうか」
「結構よッ!」
ヤヨイは逆上した心のままに手を伸ばし、はだけるのも構わずに足を上げ、目的としていた枝に腰を落ち着かせた。
トウヤは少し低い位置の枝に両足を置き、幹に手をつく。
前も後ろも、上も下も桜に満ちた世界に二人は並んでいた。雪に薄紅色を溶かしたような花びらが、隙間から見える淡い空と山の若葉を埋める。
幹が彼を隠してくれているので、ヤヨイも心置きなく楽しむことができる。しかし、一緒に眺めたいような気もした。
「きれいだな」
隣から聞こえた声があまりにも穏やかだったので、見えていないとわかりながら頷く。
軽やかにひるがえり、浮いては落ちて浮いてはくだり舞う姿に時間を忘れた。散るという、次に繋ぐための光景に過ぎないのに、心にやさしい波風を残す。
そろそろ降りようと下に顔を向けたヤヨイは驚きで目を見開いた。いつの間にか、風がやみ湖面に桜が映りこんでいた。枝の上で器用にあぐらをかき腕を組んだトウマと目線が合った気がしたのは勘違いか。
ねぇ、と声をかければ、何だと無愛想に返された。
「桜の調べがいい」
ヤヨイがねだれば、しょうがないなと面倒くさそうに頷かれた。
『花鳥風月 津々うらら 』より
https://kakuyomu.jp/works/16818023214059567994
ヤヨイとトウマでした。
クマノザクラの花言葉はまだないようです。
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