かこ家の花見日和

かこ

校舎の廊下から*天と咲む

 どこかで戦争が起こっているとしても、花は咲く。戦地から遠く離れた場所であれば、あたり前のことだ。

 あおいが昨年の入学式に花弁を追った桜は嵐を耐え抜き、満開を迎えていた。見事に花開き、儚く散っていく様は遠くからでも目を奪われる。

 親しい人の命が散ったわけでもないのに、葵の胸が締め付けられた。


「花見ですか」


 すぐ隣で落ちた声に葵は体を震わせた。声の方に振りかえれば、見慣れた鳶色が目に入る。


「花見、ですね」


 片言に答えた自分はどんな顔をしているか。

 戸惑う葵に向けられた曖昧な笑顔は、桜に向けられたのかもしれない。

 葵は桜を見つめる佐久田さくだの横顔を眺め、誘われるようにまた窓の外に視線を移す。

 校舎の廊下で、立ち並んで花見をする。食事も甘味もないが、満たされた時間を味わっている気がした。

 開け放たれた窓からは春風がそよぐ。

 淡い青空にひらひらと舞う景色は遠く、一枚の絵として切り取られたように見えた。


「今年は花弁を十枚、集めなくていいんですか」


 やわらかい声にからかう色はない。

 葵は少し考えて、佐久田に視線を送る。


「私は集められそうにないので。佐久田さんこそ、どうぞ」

「――たまたまですよ、あれは」


 独り言のような音にさみしさがにじんでいる気がした。顔ごと彼に向けようとした葵は春風のいたずらに邪魔され、舞い上がった髪を押さえた。

 次に見た顔は、先程と全く変わらない顔をしていた。何事も一歩下がって見ている人。踏み込めない葵とは違って、あえて踏み込まない彼も何かを我慢しているのではないか。


「佐久田さんには願い事はないんですか」


 突拍子もない葵の疑問は、彼には意外だったようで軽く目を見張った。熟考するように目を細めたのは一瞬で、すぐに笑顔に塗りかえられる。


「心穏やかに過ごすことですね」

「え、今は心穏やかではないんですか」


 見る見る内にしおれる葵を佐久田はしばしの間、観察した。あまりの悲壮な様子に佐久田の口から息がこぼれ出る。


「心穏やかですよ、とっても」


 からかわれたと葵はむっとしたが、佐久田の目元にしわを見付けて押し黙る。胸がうるさいのは怒っているせいだ。

 春風が二人の間をすり抜けるが、仲裁の役には立たない。時間を埋めるように、花弁が散っていく。


「図書室に用事があるのでは?」


 佐久田の言葉は、的を射ていた。

 返却しようと本を両手で抱える葵はうらめしそうに見返す。


「私も、心穏やかに過ごしたいです」

「一緒の願い事ですね」


 違うと思います、とは言えずに葵は佐久田を睨んだが、穏やかな笑顔を返された。では、またと絞り出して、軽く頭を下げる。


「はい。また」


 空耳かもしれないが、短い言葉に感じたのは、嬉しそうな色だ。

 眉を下げた葵は春風を追うように踵を返した。



『天と咲む』より

https://kakuyomu.jp/works/16817330648870257380

葵と佐久田(詞)でした。

江戸彼岸の花言葉は『心の平安』



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