嗚呼、麺

JEDI_tkms1984

嗚呼、麺

 カップラーメンを食べるためには三分以内にやらなければならないことがあった。

 お湯を注いで待つ?

 いや、そんな単純な話ではない。

 もっと重要なことだ。

 それが何であるか――を三分以内で説明しよう。


 ひとつは祈りをささげることだ。

 カップラーメンといえば安い、手軽、どこにでも売っている、ということで軽く見られがちだ。

 しかし実際はそうではない。

 熱湯を注ぐだけで腹を満たしてくれる食品が、他にどれほどあるだろうか?

 しかもメーカごとに特色あるスープ、加薬が用意されており、その味も香りも一様ではない。

 まさに神の権化!

 したがってカップラーメンに対しては敬虔な祈りをささげなければならない。


 ふたつには懺悔である。

 カップラーメンを食す、という行為は神聖なものだ。

 ――が、それは場合による。

 特に今のような……深夜にカップラーメンをいただくという行為。

 これは大いなる背徳感をともなうのである。

 けして冒してはならない、しかし抗いがたい禁忌に手を染めるのだ。

 悔い改めるのは至極当然である。


 みっつ目は――実際のところ、これは真っ先にやっておかなければならないことであるが――テーブルセッティングだ。

 ラーメンを食すとはすなわち時間との戦いでもある。

 カップの蓋を取り外してから箸や飲み物を用意していたのでは遅い。

 段取りに手間取っている間に麺が伸び、最も美味なるタイミングを逃してしまう。

 あらかじめ滑り止めのついた箸を正面に置き、横には水または茶、そしてお好みで米飯の残りを添える。

 これが正式な席の設けかたである。

 ラーメンをお迎えするのに失礼があってはならないのだ。


 重要なのは、これらを湯を注いでから三分以内に終えるということだ。

 つまり湯を注ぎ、蓋をし、セッティングをし、祈りを捧げ、懺悔する。

 この一連の行動は漫然と行ってはならない。

 それゆえの『三分』なのである。

 そうして身も心も清らかにすることで、ようやくカップラーメンを食べることを許されるのだ。




 さて、そろそろ時間だ。

 ラーメンができあがったのか、って?

 いままで何を聞いていたんだ?

 心構えを説明していたおかげで、私はまだ祈りも懺悔もしていない。

 時間というのは湯が沸いたという意味だ。

 つまりここからが本番だ。

 蓋を半分開けて熱湯を注ぐ――この瞬間からカップラーメンとの対話は始まっているのである。

 ああ、偉大なカップラーメンよ!

 罪深き私を許し、空腹を満たし給え!

 だが……。

 ヤカンから注がれ落ちる湯はその勢いを失い、一滴となって終わった。

 湯面はカップの内側の線に届いていない。

 沸かした湯が足りなかったのだ!

 なんということだ!

 おお、偉大なカップラーメンよ!

 充分な湯を用意できなかった愚かな私をお許しください!

 

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 ああ、でもやっぱり美味いな……。






   麺

 

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