書き出し指定なんて怖くない

小石原淳

〇〇を埋める必要すらない

“〇〇には三分以内にやらなければならないことがあった”

「何それ?」

 ユキは思わず、口走った。


 休日のお昼過ぎ、ユキこと木川田雪奈きがわだゆきなはかねてからの約束通り、高校の同級生(男子)の堂本どうもと宅を訪れた。

 このあと出掛けるという堂本の母との挨拶などを経て、彼の部屋に向かう。前まで来ると、パソコンに向かって何か打ち込む姿が目に入った。また何か書き始めたなと、遠目に画面を覗き込むとそこに示されていたのが、冒頭に記した“〇〇には三分以内にやらなければならないことがあった”の一文だった。

 声を上げたユキに対し、堂本は振り向きはせず、ディスプレイの反射を通じて、じろっと見てくる。

「……木川田さん、ノックをしてくれと何度言えば」

「だってドア、開いていたから、つい」

 ユキは、開け放したままのドアを指差しながら抗弁した。

「開いていても、ノックで音を立ててくれって前にも言ったよね?」

 キャスター付きの椅子ごと身体の向きを換え、堂本浩一こういちは上目遣いに見据えてくる。けれども、ユキは意に介さない。

「ごめんごめん、忘れてた。ていうかおばさんに言われて呼びに来たんだけど、何か集中してるみたいだったから。こっそり入って、驚かすつもりだったんだよっ。けれども、ふと目に入った画面に、変な文が書かれていたから気になって」

「変な文? これのどこが変?」

 画面の方を指差しつつ、ちょっと怪訝そうに眉根を寄せる堂本。

「〇〇って、普通じゃないでしょ? それとも、いつものように小説書いてるんじゃなかったの? 穴埋めのクイズを考えていた、とか」

「いや、小説だよ」

 合点が行ったせいか、堂本の頬が緩む。

「とある小説投稿サイトで催されている企画だ。こういうお題で書いてっていう」

「オダイって『お代は見てのお帰り』の?」

「違う。『課題』の題と同じで、テーマみたいなものだよ。っていうか、『お代は見てのお帰り』なんていう言い回し、よく知ってるなぁ」

「時代劇で見たんだよん。で、お題っていうのは落語の三題噺みたいなニュアンスでいいのね」

「三つじゃないこともあるけどね。実際、今回はこれ一つ」

「これがテーマと言われても……どういう風に解釈すればいいの?」

 分かり易く小首を傾げるユキ。一拍遅れて、堂本も首を捻った。

「解釈って。あ、テーマという言い方がよくなかったかな。今回は、書き出し指定というやつ。つまり、この文で小説を始めろってわけさ」

「ふうん。〇〇は〇〇のまんまで?」

「いやいや、それはない。〇〇の箇所には、自由に言葉を入れていいんだ」

 顔の前で手を振る堂本に、ユキは重ねて質問。

「なーんだ。じゃ、字数は? 二文字に決められている?」

「それもない。何文字でもかまわないはず。普通に考えれば人名だよな。まあ、ピカソのフルネームみたいに長くして、意味なし、字数稼ぎなんていうのはひんしゅくを買うんだろうけど」

「なるほどー。それで、堂本君はまだアイディアが湧いてないのかな?」

「どうしてそう思ったのさ」

 堂本は気を悪くした風でもなく、首を少し前に出し、興味深げに聞き返す。

「だって、思い付いていたら、〇〇の部分を埋めた形で書き出すでしょうが」

「ふふん。普通はそう思うのが当たり前。勘違いしてもやむを得ない」

 にやりとする彼に、ユキはちょっと反発を覚えた。

「何よ、本当はアイディアは浮かんでいるって?」

「ああ。面白いかどうかは棚上げにして、一応の案はある」

「おっかしいなあ。アイディアがあるのなら、どうして〇〇が空白のまんまなのかな?」

 率直に疑問を呈すると、「これでいいんだ。むしろ、こうじゃなきゃいけない」と予想外の返答があった。ユキは頭を抱えるポーズをした。

「うーん、分からん。学年トップの秀才の考えることには追いつけない~」

「はは、そんな大層なアイディアじゃないって。要するに、今みたいなシチュエーションを物語にすればいいってだけだよ」

 快活に笑う堂本。その説明で、どうにかぴんと来た。

「うん? それってつまり……お題を出されて書こうとしている状況をそのまま小説にするって意味?」

「正解」

「むー。いい考えだとは思うけど、それってずるくない?」

「ずるい、かな」

 どこがずるいとは返さず、ずるいかなと言う辺り、堂本本人も自覚はあるのかもしれない。

「ええ。だってオールマイティじゃないの。どんな文の書き出し指定だとしても、当てはめられる」

「ばれたか」

 舌先をちょっぴり出して、堂本は照れたような気まずそうな笑みをなした。

「他にアイディアが浮かぶまで、とりあえず形にしておきたくてさ。実を言うと、昔からこの手は使っている。出オチ感があるのが難だけど、それなりにうまく書けるんだよ」

「キャリア、長いんだからそんなことだろうと思ったよ、まったく」

 ユキは呆れたとばかり、肩をすくめてみせた。少しやり込められた形の堂本は、やり返す糸口を探していたようで、ふと思い出したように聞いた。

「そういえば木川田さん。何でここに来たの?」

「何でって、約束してたでしょうが。ネタ作りに協力するって」

 これまた分かり易くぷんすかして見せたユキ。もちろん冗談交じりにだ。

 ところが堂本は、真顔で首を左右に振った。

「違う、それじゃなくって。母さんに言われて、呼びに来たって言ってなかったか? でも変なんだよな。母さんはもう出掛けていなくちゃならない時間のはず」

「あ」

 思い出したユキは、途端に冷や汗を感じた。

 何故なら、呼んできてくれるように頼まれたのは、堂本の遅めの昼食の準備ができたからだと知っていたから。より詳しく述べると、堂本の母はカップラーメンにお湯を注いで、三分間を計り始めたところだった。

「木川田さん?」

 ユキの反応に、堂本が訝り声で名前を呼んだ。

 次の刹那、ユキは両手を拝み合わせ、深々と頭を垂れた。

「――ごめんっ、三分以内にやるべきことがあったのはあたしの方でした……」


 おしまい

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書き出し指定なんて怖くない 小石原淳 @koIshiara-Jun

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