非検体No.886

けるべろん

非検体No.886

 私には、3分以内にやらなければならないことがある。それは、彼女の願いを叶えることだ。


「久しぶり……になるのでしょうか」


 久しぶりになる。

 研究所の一室、青いホログラムの上に1人の女性の姿が浮かび上がった。彼女の姿を見るのは、数年前にここを出て以来だ。彼女にとっては十分久しぶりと言えるだろう。


「これを見ているということは、貴方は私の願いを叶えに来てくれたということなのでしょう。感謝します」


 私は彼女に恩がある。

 なれば、彼女の願いを叶えるのは至極当たり前のことであった。


「あなたも知っての通り、西暦2042年、地球の歴史上最も偉大とされる発明が為されました。全てを破壊する生物と、絶対に破壊されない生物。両者の交配を成功させたのです」


 無論、知っている。

 彼女と同じく、私もその場にいたのだから。


「彼らの特性は"矛盾"です。破壊と不壊、相反する二つの特性を併せ持つ彼らは、反発によって生み出された架空の質量から事実上無制限にエネルギーを得ることができます。しかし、彼らには意思がありました。人類のエネルギー問題を解決する手段として作り上げた彼らですが……」


 アナウンスを背景に、ホログラムが移り変わる。


 新たに映し出されたのは、怪物の一群。市街を破壊しながら突き進む偶蹄類の群れは、ただただ一心不乱に進撃を続けている。その光景を見て、私は一抹の悲哀を感じた。

 

 私には、彼らが矛盾した自分の存在を世界に証明するかのように、或いは世界に何かを刻みつける為に走っているように見えたのだ。それはまるで、彼女に出会う前の私のようだった。


「結果はこれです。世界は滅びました。無限のエネルギーを持ち、単為生殖すら可能な生き物の暴走を前に、人類に打つ手はありません。……いえ、これは正確ではありませんでしたね」


 そこまで言って、彼女は目を伏せる。


「私なら……。彼らの生みの親である私なら、この惨劇を止めることができました。単為生殖を行う彼らは、どれだけの数が居ようと遺伝子的には同一の存在です。私の知る脆弱性を付けば、すぐにでも殲滅することができたでしょう」


 空を仰ぎ涙を流す彼女。叶うなら、その涙を拭ってやりたい。しかし、それもこの体では土台無理な話だった。


「しかし、私は迷ってしまいました。どれだけ不幸を振り撒こうとも、どれだけ他者を蹂躙しようとも、彼らも私がお腹を痛めて産んだ子供であることに変わりはありません。……そうして私が迷っている間に、あの子達はこの世界の何もかもを踏み潰してしまいました」


 ……君の優しさは知っている。

 生きる意味も理由も無く、ただこの世に存在するだけだった私に、心をくれたのは君だった。


「……あの子達には私の特性──前へ進む限り絶対に壊れず、倒せないという能力があります。物理的に止める手段はありません。しかし、貴方なら、時の流れすら変えることができる貴方であれば、過去に戻り私の過ちを咎めることが出来るかもしれません」


 ……それが君の願いであれば、私は喜んで働く。そんな独白が伝わったかのように、画面の中の彼女は俯いた。


「……私の出来なかった選択を、貴方に押し付けてしまったことを申し訳なく思います」


 そうしてホログラムは光を失う。

 私はガラクタとなった機材を破壊し、部屋を出た。無論扉は壊して進む。


 廃墟となった研究所でも、最低限のセキュリティは機能している。3分もすれば警報に引き寄せられやつらもやってくるだろう。彼女と──そしてと血の繋がった、やつらが。


 奴らが来る前に過去へ戻り、全てを終わらせる。


 そう決意し、私は四足で駆け出した。


 -----


 それは獣にあるまじき逸脱した知能を持つ。

 それは異種族との交配が可能である。

 それは時間や空間すら破壊し超越する不可思議な特質を持つ。


 愛する者の願いを叶えるため過去へと駆ける彼は、壊れぬものを護る破壊の使徒である。


 偶蹄類。破壊者デストロイヤー

 全てを破壊するバッファロー

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