第2話:どの遺体も頭の上半分、吹っ飛ばされてるんですよ

――翌朝、新宿区、歌舞伎町、大久保公園

 銃撃事件から数時間後の早朝、世界有数の治安国家としては十年に一度あるかないかの大事件が起きたにも関わらず、通勤ラッシュ時間を迎えた街の風景は然程変わりを見せなかった。

 ただ歓楽街中心部から少し外れた大久保公園は、周りを囲むように停車されたパトカーと現場検証をしている一角がビニールシートで覆われ、十数名の警察関係者が忙しなく右往左往している光景が、昨晩の騒動が幻想でなく現実と地続きの出来事であったことを通行人に想起させた。

 公園入口で立ち入り制限を行っていた制服警官の誘導でシルバーのクラウンが公園入口前に停車する。

 助手席から年季の入ったモッズコートを肩に担いだ中年刑事、赤羽耀司(あかばねようじ)が現れ、制服警官の敬礼に気怠げに返礼する。

 赤羽は煙草に火を点けながらブルーシートの場所へ向かった。

 彼が車から降りてすぐ、運転席から赤羽付きの新米刑事、桐谷純仁(きりやすみひと)が彼の後に続く。

「おう、どうだ?」

「赤羽警部、桐谷警部補、お疲れ様です。こちらへ」

 現場に辿り着いた赤羽は暖簾を潜るようにブルーシートの中に入ると、中にいた鑑識官へ声をかけた。鑑識官は彼らの姿を確認すると軽く敬礼した。

 中には遺体が三体。

 それらは視覚的配慮のためそれらにはブルーシートがかけられていたが、二つが一つと対峙していただろうことは位置関係から察することが出来た。

 どれも頭部からの夥しい出血の跡があり、ブルーシートで覆い切れないほどに広がったそれが、遺体の状態がわからないまでも凄惨な殺され方をしたのは赤羽の想像に難くなかった。

「はい、遺体はそちらの二人が所持品から黒龍商会所属のチン・ケンミンとシュウ・フゥアと推定。また、彼らはマカロフを所持し、こちらの推定男性、シュルティ・ウパニシャド氏と交戦したものと推察されます」

「おいおい、さっきから推定推定、推察推察って、いったいどういうことだ?」

 赤羽は遺体を覗き込むようにしゃがむ。監察官のふわっとした報告内容に怪訝そうに尋ねた。

「どの遺体も頭の上半分、吹っ飛ばされてるんですよ」

 監察官は首の手前で手を水平に振り、わかりやすいジェスチャーをする。

「おい、ブルーシート全部取れ」

 監察官の言葉に痺れを切らした赤羽は、遺体にかかっているブルーシートを取り除くよう、他の作業員に指示した。

「警部、その前に煙草は……」

 遺体の前で煙草を吸い続ける赤羽に、監察官は注意する。

「あ? こいつら黒龍商会だろ? なら構やしねぇよ。いいからサッサとしろ」

 しかし赤羽は監察官の注意を聞かず、作業員たちを促した。

「!? ……うぅっ!?」

「……ったく、だらしねぇなぁ」

 ブルーシートが取り除かれ、桐谷は視界に広がった光景に耐え切れず、その猟奇さに吐き気を催しその場から逃げるように離れた。

 その様子を赤羽は呆れながら見送る。

「詳しくは検死待ちですが、恐らく至近距離からの複数発の散弾銃によるものかと思われます」

 監察官の言葉に、赤羽は眉をひそめた。

 チンとシュウは両者とも拳銃、マカロフを握っていたのに対して、シュルティはなにも所持していなかったのである。

 散弾銃はどこにも無い。

 しかし周辺に転がっている9ミリマカロフ弾と12番散弾の空薬莢、監察官の話、遺体の身体に無数に食い込んだ無数の散弾から、赤羽は第三者がこの三人を殺害し、そのまま逃亡したのではないかと考えた。

「じゃあコイツらの相打ちってわけじゃないのか」

 散弾銃の空薬莢をひとつ取り、殺し方に殺意以上のものが籠っていると感じた赤羽は立ち上がり、鑑識官に拾ったそれを渡すとその場を後にした。

「ここでは我々の分析にも限度があります。午後から捜査本部が立ち上がりますので、それまでに追加の分析結果をご用意しておきます」

 赤羽の言葉に赤羽は手を振って応え、公衆便所に籠っている桐谷を迎えに行く。手洗い場で吐いていた桐谷を見つけ、その尻を足で軽く蹴とばし喝を入れた。

「こんくらいでゲーゲーやってんじゃねぇよバカ。メシ食いに行くぞ」

「は、はい……」

 慌ててスーツの袖で口を拭った桐谷は、すでに公園の出口に差し掛かっている赤羽の後ろを小走りで追いかけた。


――東新宿、雲雀任侠会東京本部

 歌舞伎町の北端、職安通りを市ヶ谷方面へ進み、抜弁天通りに差し掛かる頃、武家屋敷を思わせる白塗りの土塀が数十メートルに渡って現れる。

 三十年ほど前から歌舞伎町と新宿一帯を直轄地とする雲雀任侠会本部の邸宅である。

 長きに渡る暴対法からの弱体化と雲雀任侠会の活動の結果、旧体制の日本ヤクザ組織は十年前に解体、統合、再編成が成され、現在では軒並みこの雲雀任侠会の傘下に組みしていた。

 雲雀任侠会がこれまでのヤクザ組織と一線を画していた点としては、それまでの体制を一新し、活動内容を違法薬物や高利貸し、詐欺、恐喝、違法風俗営業など裏社会稼業から脱却し、飲食店経営、投資、仲裁や仲介、仕事の斡旋、違法薬物や違法風俗の抑制、不法外国人滞在者の追い出し等に変えたことにより、収入源は目に見えて減ったものの、警察や政府が表立って取り締まれない暴力に対する抑止力へとその社会的役割を変え、こうして表立って門を構えられるようになるほどの地位を回復させることに成功することが出来たのだった。

 ともあれ反社会的勢力には変わりなく、筆頭若頭、冴島三郎(さえじまさぶろう)を乗せた黒塗りのベンツは出迎えも無くひっそりとその門を潜っていった。

 車を降りた冴島の眼前に伝統的でありながら近代化を取り入れた荘厳な趣をもった日本家屋風の邸宅が広がる。

 彼は深く一礼すると案内されるままに玄関をくぐり、すぐ脇に設けられた応接室へ通されたのだった。

「失礼します」

「ご苦労さん、どうなった?」

 上座には現会長、丘崎忠義(おかざきただよし)が扇子で仰ぎながら冴島に着席を促す。

 冴島は一礼ののち下座に着席する。

 冴島が着席したすぐ後に女中が入り、アイスコーヒーとおしぼりが差し出される。

 彼は軽く会釈してこれを受け取るとおしぼりで額と首元の汗を拭いながら懐の手帳を取り出した。

 冴島は内容を確認しながら整理していると改めて自分たちの状況の悪さに渋い顔を浮かべた。

「残念ながら黒龍の小僧どもが追っていた二人組のうち、男の方はタマを取られてしまい、ガラも警察に押さえられました。子供の方は未だ足取りが掴めず、現在行方を追っています。今回の件でカタギの皆さんにケガ人は出ませんでしたし、また辛うじて向こうの現場指揮を執っていたヤンを攫うことは出来ました。しかしヤンを捕らえた際にこちらも齋藤が撃たれ重傷、他重軽傷者が数名。奴らの目的については、ヤンをゴルフ場に移送し、そこで詰める予定です」

 完全に後手に回っていると、冴島は丘崎へ報告しながら痛感していた。

 こうなるとヤンからどんな手を使ってでも情報を搾り取らないといけなくなる。

 つまり一線を越えることになるだろうと、彼は静かに覚悟を決めた。

 丘崎も彼の中でそのような心境の変化が生じていることを、冷淡な表情を変えず見定めていた。

「……そうか。お前さん今回の件、どう思ってる?」

 冴島の報告が終わると丘崎はピシャリと仰いでいた扇子を閉じ、彼の頭の内を問いただした。

 冴島は数舜瞑目したのち、丘崎を正面から見つめ、口を開いた。

「単純なキリトリで起きた騒動のようには見えません。あの街でスジもんが騒ぎを起こす。その意味を理解した上での行いかと」

「ワシもそう思う。ならどうするべきだ?」

 冴島を値踏みするように丘崎の眼光が鋭くなった。

 丘崎は今回の件を冴島に任せて良いかを判断したかった。

 雲雀任侠会は全国区とは言え、十年そこらで出来た新興組織である。

 丘崎も冴島もこの組織を興す前から極道の世界には肩までどっぷり浸かっている。

 しかしかつてなんでもやっていた頃とは勝手が違うことは痛感しており、この対応を間違えた場合、他地域の支部連中やいままで抑え込んできていた他勢力が盛り返すきっかけを与えてしまうことも理解していた。

 つまり丘崎たちはこれらを納得させ、または震え上がらせ、向こう十年大人しくさせるだけの結果を求められているのである。

 それを実行に移すだけの胆力を、目の前の男が持っているのか、丘崎は見定めようとしていたのだった。

 テーブルに置かれたアイスコーヒーの氷が溶け、グラスを鳴らした。

「……組織の年季だけで言えば、黒龍商会は我々より長いのは事実です。しかしだからこそ渡世の仕来りについては弁えている筈だと私は考えます。恐らく彼らもイモ引かされただけに過ぎず、その裏には必ず絵図を描いた人物がいるはずです。どんな手を使ってでもそいつを引きずり出し、けじめをつけさせたいと、私は考えております」

 丘崎は冴島の考えを聞くと、瞑目し静かに思案していた。そして冴島もまた、丘崎のその姿から一瞬も目を逸らさずに見つめていた。

 応接室は屋外から聞こえる蝉の鳴き声だけが響いていた。

「…………そうか」

 長い沈黙のあと、丘崎はゆっくりと頷いた。

「失礼します」

 そう言って冴島は席を立つと丘崎の目の前に正座で座り直し、懐から杯を取り出す。

 丘崎とこの組を立ち上げたときに交わした親子杯であった。

 冴島は懐かしそうに少し撫でたのち、意を決すると杯を二つに割った。

 それを絹の手拭いに包むと丘崎の足元に置いて平伏する。

 「本日この時より親子杯を返上させていただきたく、不肖この冴島の親不孝をどうかお許しくださりますよう、謹んでお願い申し上げる次第でございます!」

 冴島は額が床に着くほど深く頭を下げると、丘崎の返事を待たずに立ち上がり、応接室を後にするのだった。

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